シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

平成30年間の私の適応、みんなの適応、そして進歩

 
 今日、2019年4月30日をもって平成時代が終わる。
 
 前回の昭和64年とちがって時間的猶予のある幕切れであり、今の私にはブログがある。節目の時期に気持ちを書き留めておくなんて、31年前には思いもよらなかったことだ。
 
 なので今日は、平成時代の私自身の社会適応と、社会ぜんたいの社会適応を振り返って、そこから今後のゆくえに思いを馳せてみようと思う。
 
 

「私の社会適応」にとっての平成

 
 平成は、バブル景気の賑やかさのうちに始まったから、今後、多くの人が「日本の失われた30年」の代名詞として平成という元号を思い出すのだろう。実際、平成のはじめに諸外国を札束で殴っていた繁栄は、平成生まれの記憶には無い。
 
 日本人が諸外国にお金をばらまくのでなく、諸外国の人々が来日してお金をばらまくことをあてにするようになった。日本人が外国での買い物を割安と感じることが減り、外国人が日本での買い物を割安と感じるようになったとは、つまり、そういうことなのだろう。
 
 しかし、それは社会の、それも経済の話で、私自身にとっての平成は"適応の高度成長期"だった。
 
 平成元年の私は不登校が終わって間もなく、薬を飲みながら登校していた。保健室では木を描く心理テストを促され、書いた木は輪郭のはっきりとしない、今にして思えば元気の無い木だったと思う。自分が生きていく力を持たない人間であること、社会に適応するには不十分な人間であること、他人の言うことを不承不承聞かなければ生きていけない人間であることを強く自覚していた。平成3年頃に『銀河英雄伝説』を初めて読んだ時には、「ああ、自分も、言うことを聞きたくない奴の言うことをきかなくても良い人間になりたいなぁ」と強く願った。
 
 中学から高校へ、高校から大学へと進学するなかで、[自分が溶け込める場所/溶け込めない場所]があること、[自分に合った人/自分に合わない人]があると私は気付いた。中学時代とは違って、今度は場所や付き合う相手を選ぶ自由が私にはあった。
 
 自分が所属する場所を変えれば、人は、意外とうまく適応していられる。
 
 世の中には趣味を共有し、考え方やライフスタイルもそれほど隔たっていない人々と出会える場所が存在する──その気持ちに従って生きるうちに、私はオタクの度を深めていったけれども、それは必要なプロセスだったし、それはそれで世界が広がった。あの時間を共有してくれた人々には感謝の念しかない。
 
 
 平成10~20年代は、まだまだインターネットが黎明期だった。私はそこらじゅうのオフ会に首を突っ込んで、本当にいろいろな人々に出会い、いろいろな考え方やライフスタイルに出会った。それに加え、社会人として働き始めたということもあって、もっと広い付き合いと、その広い付き合いを支えるためのコミュニケーション能力が欲しいと強く願った。その強い願いはウェブサイトというかたちで具現化し、まず、脱オタクファッションという文脈で私は"インターネットのひと"となった。
 
 当時、いろいろな人から*1批判されたとおり、この頃の私は、個人の社会適応のことしかほとんど考えていなかった。社会適応が社会全体のなかでどのように変化しているのか、社会の変化によって現代人が何を迫られているのか、といった視点で考えることが苦手だった。
 
 結局あのころはまだ、私は自分自身と、それに近しいオタクの社会適応のことに忙しかったのだろう。
 
 
 それで平成20~30年代になってようやく、私は自分自身の社会適応にいくらか自信がついてきて、周りのことに目を向けられるようになってきた。子育てをはじめたから、というのもあるかもしれない。ブログに書く内容も「個人にとって」から「社会全体にとって」にウエイトが移っていった。
 
 

「みんなの社会適応」にとっての平成

 
 自分自身のことがある程度片付いて、周りのことに目を向けるようになって、ふと気付いた。
 
 社会全体でみたら、この30年間、社会適応の難易度はひたすら高くなり続けているのではないか?
 
 「当たり前に生きる」ということ自体、ハードルの高い話になっているのではないか?
 
 私がひたすら自分自身の社会適応を追求している間に、社会に適応する、ということ自体が難しくなっていることに遅まきながら関心を寄せるようになった。
  
 
 「社会適応が難しくなる」といえば、もちろん経済的な難しさもそこには含まれる。
 
 たとえば昭和時代の終わりにサラリーマンであるということと、平成時代の終わりにサラリーマンであるということは、どれぐらい異なっているのか。
 
 昭和時代のサラリーマンは、もっと多様な存在ではなかったか。多様というとボカし過ぎかもしれない。もっとボンクラなサラリーマン、もっと生産性の低いサラリーマンが社内のあちこちに吹きだまっていなかったか。言い換えると、サラリーマンはもっと水準にムラのある存在として存在可能ではなかったか。
 
 すっかり死語になった言葉に、「窓際族」というものがある。
 
 かつては、左遷されて閑職に追いやられたサラリーマンは「窓際族」と呼ばれた。この「窓際族」が悲しげに描かれることも、喜劇風に描かれることもあったのが1980年代だ。逆に言えばボンクラなサラリーマンも生産性の低いサラリーマンも「窓際族」でいられたのが昭和時代、ひいては平成時代のはじめのほうだったとも言える。
 
 バブル景気が終わってからは、「窓際族」という言葉は次第に使われなくなり、代わって「追い出し部屋」という言葉を見かけるようになった。ボンクラなサラリーマンや生産性の低いサラリーマンを閑職に配置して正社員としての給与を与え続けるという慣習は失われ、使えない正社員、ことに勤続年数の長い使えない正社員はリストラされてもおかしくない、という風潮に変わってきている。
 
 どうやらサラリーマンは、いつまでも生産性があり、鋭敏でなければならなくなったらしい。
 
 
 だが、こういった経済的な厳しさだけが社会適応を難しくしているわけでもない。
 
 平成の30年間に、結婚は誰もがするものではなくなった。結婚は、してもしなくても構わないものになった。そこの部分では自由になったとは言えるかもしれない。けれども結婚に際して男女がお互いに求める水準はインフレーションし、「夫(妻)に求める要求水準」なるものは高くなることはあっても低くなることはなかった。
 
 子育ても、してもしなくても構わないものになった。そこの部分では自由になったと言えるだろう。そのかわり、子どもに対して期待するもの・課さなければならない水準は高くなったのではないか。と同時に、親に対して期待される水準・課される水準も高くなったのではないか。
 
 結婚も子育ても、自由化に伴って、望まれないかたち・不幸なかたちで進行する度合いは減ったのかもしれない。いいや、せっかく自由化された以上、不幸な結婚や子育てが減っていなければ嘘だろう。平成の終わりに結婚・挙児している人は、平成のはじめに結婚・挙児している人より望ましい状態であって然るべきだろう。
 
 だが、離婚のパーセンテージがそれほど減っていないこと、なにより、児童虐待の事例数が増加の一途をたどっていることが証明しているように、望ましくない結婚や子育てはおそらく減っていない。児童虐待の件数を読み上げる限りでは、むしろ、不幸な子育てと呼べそうな子育ては増えている印象すらある。
 
 結婚にしろ、子育てにしろ、平成の30年あまりで水準が下がったのか? そうではあるまい。結婚や子育てをする当事者自身にとっても、それをまなざす社会の側にとっても、結婚や子育てに期待される水準は高くなった。当世風の結婚、当世風の子育てとして求められる水準が高くなったからこそ、離婚というかたちや、児童相談所の介入というかたちが採られなければならなくなった。
 
 結局、仕事にせよプライベートにせよ、私たちは平成の30年あまりの間にあまりにも進歩して、あまりにも水準を高く求めるようになって、その結果、その水準についていくために必死になるか、諦めなければならなくなっているように、平成の終わりから眺めている私にはみえる。
 
 
 インターネットやSNS、スマホの普及も、私たちを便利にするとともに、私たち自身に期待される水準・課さなければならない水準を高くした……ように私にはみえる。
 
インターネットやSNSは物理的距離を飛び越え、コミュニケーションやビジネスのチャンスを与えてくれる。実際、私自身にとって、インターネットやSNSは間違いなく社会適応を後押ししてくれるツールだった。
 
 反面、インターネットやSNSに振り回されて色々なものを失う人や、誰かの扇動にハックされ、劣化コピーに成り下がる人も珍しくなくなった。インターネットやSNSは、利便性をもたらすだけでなく、それを使いこなせるリテラシーを要求してやまない。私たちは、それらによって利便性を与えられると同時に、それらによってリテラシーを試されてもいる。
 
 

それでも進歩についていくしかない

 
 現在の私には、現代の社会適応の潮流が、おおよそこんな風にみえる。
 
 平成時代をとおして、私たちはより生産的になって、よりボンクラではなくなって、より自由になって、より便利になった。ついでに言えば、より健康になって、より清潔になって、より行儀良くなったとも言えるだろう。
 
 そのかわり、私たちはより生産的でなければならず、ボンクラであってはならず、自由や利便性を使いこなせなければならなくなった。昭和時代に比べてより健康でなければならず、より清潔でなければならず、より行儀良くならなければならなくなった。
 
 経済的には「失われた30年」と言われる平成時代だけれど、その30年の間に私たちはより生産的で、より自由で、より便利になった。このことは、進歩という言葉でまとめて構わないだろう。
 
 そういう意味では、平成の30年間は間違いなく進歩の30年だった
 
 けれども、その30年の進歩のなかで、私たちの社会適応に課せられる条件や水準が大きく変わってしまった。昭和時代のサラリーマンに要求される水準と令和時代のサラリーマンに要求される水準は違う。昭和時代の精神科医に要求される水準と令和時代の精神科医に要求される水準もおそらく違う。でもって、この論法は結婚志望の男女にとっても、子育てを始めようとする父や母にとっても、これからバイトを始めようと思っている人にも当てはまることだ。30年間の進歩のぶんだけ、私たちは自他に対してたくさんの水準を要求しなければならない。
 
 だからといって、この進歩を否定することは私たちにはもうできない。
 
 この進歩を否定し、平成時代のはじめの頃の野蛮性と非生産性と不自由に戻りたいと本気で言える人がいったいどれぐらいいよう? いや、ほとんどいないに違いあるまい。この30年間に手に入れた進歩を手放せなくて、経済的にはジリ貧になっていてもなおも進歩にしがみつき、しがみつかざるを得なくて、結果として少しずつふるい落とされていく──令和時代は、そんな具合にスタートしていくだろう。
 
 令和になっても社会の進歩はまだ続くに違いない。
 もっと便利になると同時に、人々に課せられる水準は厳しくなるだろう。
 それが進歩というものだから。
 
 進歩に伴って、人々の社会適応のカタチはきっと飴細工のごとく変形していき、ほとんどの人々はそのことすら忘れてしまうだろう。でも私は、そのことをよく記憶しておき、昭和-平成-令和それぞれの時代の違いを比べて、これまでとこれからに考えを巡らせてみたい。そういうチャレンジに、向こう10年ぐらい費やせたらいいなと思う。
 
 まあそんなこんなで、令和元年以降の『シロクマの屑籠』とp_shirokumaも、どうかよろしくお願いいたします。
 
 
 
 【関連記事リンク集】
 
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*1:特にはてなの非モテ論壇周辺の人々から