- 作者:熊代亨
- 発売日: 2020/06/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
書影が間に合っていませんが、シロクマこと熊代亨の新しい本の情報が出ました。数年前から構想し、書き続けてきた現代社会(とそこに適応する私たち)についての本ですが、奇しくも感染症の蔓延によって書かれている内容に世界が追いつき、追い抜こうとしているようにも思います。
なので、これからの社会(とそこに適応する私たち)の本ともなるでしょう。
東京(日本)の秩序を踏まえなければ、現代人について書けない
インターネットでも書籍でも、私は現代人の社会適応についてずっと書き続けてきました。が、ここ数年は、そもそも私たちが適応している社会、私たちが適応しなければならない秩序をもっと理解しなければ、現代人のメンタルや自由をきちんと語れない、という思いを募らせてきました。
たとえば東京で屈託なく暮らしている人が適応しなければならない社会とは、誰もが清潔にしている社会、誰もが健康でなければならない社会、誰もが道徳的に振る舞わなければならない社会、ではないでしょうか。
パリやローマなどと違って、東京では酔いつぶれている客の財布を盗む人はめったにいませんし、喧嘩や乱闘を見かけることも稀です。新宿駅や渋谷駅はその世界的な利用者数を思えばみごとに機能していますし、清潔な状態が保たれていると言えます。
これだけの人口密度、これほどの交通密度にもかかわらず、街の秩序がちゃんと成り立っているのです。この東京の秩序、ひいては日本の秩序は、世界的にも歴史的にもきわめてハイレベルと言えるでしょう。また、そのような東京だからこそ暮らしやすい部分、快適かつ自由に過ごせる部分もあると言えます。
しかし、東京や日本の秩序がハイレベルであるということは、そこに生きる私たちに課せられている条件、私たちが秩序に適応しなければならない課題も、また大きいのではないでしょうか。
昭和時代から平成時代、そして令和時代と進むにつれて、日本人はますます健康になり、ますます清潔的になり、ますます道徳的になりました。子どもたちも、行儀良く、落ち着いた振る舞いをみせています。四十年ほど前の日本社会は、もっと不健康で、もっと不潔で、もっと不道徳だったはずですし、昭和時代の子どもはもっと行儀悪く、粗暴で、落ち着かないものだったはずです。
かつては体罰やハラスメントがごく当たり前に横行していたことを思い出すにつけても、私たちは「進歩」したのだと思います。障害者の自立や男女の平等、子どもの権利の擁護といった点でも、この数十年間に大きな進歩がありました。
それはいいでしょう。
ですが、そうやって社会が進歩し、秩序が高度化したことに伴って、私たちは進歩にふさわしい人間、秩序にふさわしい人間でなければならなくなりました。どうしてもそれが困難な場合、医療や福祉によるサポートが受けられるようになりましたが、とはいえ、ハイレベルな秩序にふさわしい人間でなければならないというのは、なかなか大変なことです。また、サポートを受けることと秩序の内側で生きることは表裏一体なので、サポートを受けながら秩序からはみ出して生きる、というわけにもいきません。
それもそれでいいでしょう。
しかし、もしも現代人の社会適応とその条件について考えるとしたら、こうした秩序の成り立ちや社会のハイレベル化、ひいては現代人に期待される条件のハイレベル化を念頭に置かないわけにはいきません。
どうあれ、私たちにはもう、昭和時代の人間の水準で生きることは許されないのです! なぜ、どうして昭和時代の人間の水準が許されなくなったのか、どういういきさつで社会と現代人の双方がハイレベルであるよう期待されるようになったのかを理解しておかなければ、現代人についてまわる心理的な制約もメンタルヘルス問題の根っこに潜む社会的ニーズも、現代人の抱える超自我も、とらえきれないのではないでしょうか。
私にしか書けない、お叱りを受けそうな本でもあります
にもかかわらず、これらの変化を踏まえて現代人を論じる本、昭和時代の人間と令和時代の人間の違いについて論じた本は思うほどありません。少なくとも私は、精神科医がそういう書籍を書いているのに出会ったことがありません。
こういう大それたテーマに精神医療の専門家の先生がたが挑まないのは、理解しやすいことです。というのも、今どきの専門家は、自分の専門領域に即した間違いのないステートメントを心がけなければならず、専門家としての業績をあげなければならないからです。専門分野や専攻分野を離れ、社会などという大それたテーマを論じるのは──とりわけ、秩序の成り立ちを踏まえて論じるのは──専門家としてのキャリアをリスクにさらすことにはなっても、キャリアの肥やしになるものではありません。合理的な専門家なら、そのような無用のリスクは避けようとするでしょう。
私は精神科医であると同時にブロガー・著述家であろうと努めてきた身なので、そのようなキャリアのリスクを心配する必要はありません。私の立ち位置と来歴は、むしろ大それたテーマに挑むのに適しているほうでしょう。だから私は間違いをおそれず、健康で清潔で道徳的なこの社会と、この社会で生きる人間の条件や不自由について全体像を記してみることにしました。2015年以降は、本書を書き続けるためにブログや執筆活動を続けてきたようなものです。だから本書は、精神科医兼ブロガーとしての私の決算のようなものでもあります。
この本がどこまで現代社会を射抜いていて、どこまで的外れなのか、筆者である私には判断できないので、読者の方に判断していただきたいと願っています。
しかしどうあれ、現代社会のナラティブとして私の最高傑作なのは間違いありませんし、この完成度の本をまとめられるのは一生涯に一度きりかもしれない、という会心の出来になりました。
たぶん、たくさんの人に興味を持っていただけると同時に、同業者のかたも含め、たくさんの人からお叱りを受ける本だと思います。パンデミックに伴い、健康や清潔がますます個人に求められ、自由が制限されていく世相に即した本でもあるでしょう。よろしかったら読んでやってください。
(もっと具体的な内容については、編集者さんのおゆるしをいただいたうえで、もう少し後にアナウンスするつもりでいます)