シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

野良猫、野良犬、野良…人間?(と、それらを存在させない現在の東京)

 
こちらの続きだけど、単体でも一応読めると思います。
 
たとえば東京は徹頭徹尾人間のための街であって、動物のための街ではない。その、人間にとって都合が良くあるべき空間に動物が勝手に棲みつくと、迷惑になるし害にもなる。だから昭和から現在に至るまで、害獣駆除が行われてきた。もちろん動物愛護の精神や法治に基づいたかたちでだ。ドバトのようにまだまだ数多い害獣がいる一方、そうした努力の積み重ねが成果をあげてきた害獣も少なくない。昭和時代を憶えている人なら、その成果を実感できるんじゃないだろうか。
 

 
こちらのグラフは環境省のウェブサイトから借りてきたもので、犬猫の殺処分数を示したものだ。昭和から令和にかけての間に、犬猫の殺処分数が大幅に減ってきたのがみてとれる。昭和49年にはなんと年間100万匹以上の犬が殺処分され、平成元年には年間32万匹以上の猫が殺処分されてきたという。
 
こうした殺処分数のなかには、飼い犬や飼い猫が飼い主に殺処分を依頼されたものが含まれている。が、令和においても所有者不明の動物、いわゆる野良犬や野良猫が割合として大きいので、昭和や平成においてもその大半が野良犬や野良猫から成っていたと想像される。
 
実際、昭和時代には野良犬や野良猫をよく見かけた。学校に野良犬が入ってきてしまうのはあるあるイベントで、近所に住み着いた野良犬に誰かがマジックで眉毛を書くなどイタズラをし、やがて、その犬を行政の人がどこかに連れていく……なんてこともあった。野良猫も同様で、ゴミ収集場を漁るなんて当たり前のこと、人の家の台所に上がり込んで魚を盗む野良猫も珍しくなかった。サザエさんの主題歌にある「お魚加えたドラ猫 追いかけて」という歌詞は本当に起こっていたことだった。
 
それが、駆除の積み重ねや動物愛護の精神の浸透のおかげで、ここまで犬猫の殺処分数が少なくなった。くだんの環境省のウェブサイトによれば、令和3年度の犬の殺処分数は2739、猫の殺処分数は11718という。実際、街で野良犬や野良猫を見かけることは今日では珍しい。暖かい地域の漁港近くでは野良猫をそこそこ見かけるが、野良犬を見かけることは本当に稀になった。
 
動物愛護の精神に基づくなら、殺処分の対象たりえる野良犬や野良猫の数が減ったのは好ましいことだろう。実際、殺処分ではなく去勢という、今日の私たちからみて穏当に思える活動も広がっている。去勢は野良犬や野良猫を直接殺しはしない。が、それをとおして将来の野良犬や野良猫を、つまり殺処分の対象たりえるそれらが生まれてくることを未然に防ぐ。そうした結果の積み重ねが上掲グラフの数字となっているのだろう。
 
人間の私有地と公有地が社会契約の論理に基づいたかたちで活用されるべき都市において、野良犬や野良猫が勝手に住み着き、勝手に増殖し、勝手に暮らすのは迷惑なことであり、地権者の権利や都市機能にとって損害や損失になり得るのは想像しやすい。狂犬病のような病気を媒介する可能性、噛みつきの危険、ゴミ集積場を荒らす可能性などもある。人間は動物に対して人間都合に基づいて処遇や処断を決めるものだから、そういう理解になることに不思議はない。
 
が、野良犬や野良猫にとってはたまったものではあるまい、とも思う。
そもそも犬や猫はどこまで野良でどこまでペットだったのか? その起源を振り返った時、犬や猫は必ずしもペットとして生まれた・生み出されたものではない。
 

 
犬や猫は人間による品種改良を中途から受けた種ではあるが、もともと人間が一方的に家畜化したわけでなく、人間の居住地に勝手に住み着き、勝手に共生をはじめた種だ。犬や猫はオオカミやヤマネコから自己家畜化のプロセスをとおして人間の居住地で生活できるように分かれていった種で、人間との共生のはじめから令和時代の飼い犬や飼い猫のように飼育されていたわけでもない。
 
だから犬や猫からすれば、令和時代の飼い犬や飼い猫のように暮らすのは本来の姿ではない。昭和時代によく見かけたような野良犬や野良猫の姿、あるいは人間に飼われているのか寄生しているのか曖昧な状態が元来の暮らしに近かったはずである。当然、犬や猫が人間に人懐こい側面をみせることもあったろうし、人間の迷惑や害になる側面をみせることもあったろう。と同時に人間の側もそれらを慈しむ側面をみせることもあったろうし、それらを害する側面をみせることもあったろう。
 
まあ、そうして野良っぽさを伴いながら人間と共生していた犬や猫が、人間の暮らしの変化とともに異なった生活を強制され、従来の生活を続けている者が根絶やしにされようとしている。それは人間の人間中心中心主義に基づいて考えるなら、いかにも起こりそうなことだし、仕方のないことだったとは思う。けれども人間中心主義において主体とはみなされず、愛護の精神を差し向けられるところの犬や猫からすれば、それがどこまで歓迎できること・喜ばしいことだったのかはわからない。人間と違って国民投票で意思表示することもできないから、犬や猫がこの事態をどう思っているのかは謎のままだ。
 
なるべく殺さず、なるべく苦痛なく、しかして殖えないように──これは私たちにとって良いことのように思えるわけだけど、それが犬や猫、とりわけ野良犬や野良猫にとって良いことなのかは私には正直よくわからない。苦痛が少ないこと・それぞれの個体がなるべく長く生きることが、たとえ苦痛に満ちて短命でも生殖可能性に開かれていることに比べて慈しみとして優れている・素晴らしいとみなすのは、人間の価値基準に基づいたことで、さらに言えば、近代以降の人間の価値基準に基づいたことでしかない。
 
野生の犬や猫にとって、本当は苦痛が少ないことや個体がなるべく長く生きることより、短命であっても生殖可能性に開かれていることのほうがプライオリティが高い可能性はぜんぜんあり得るだろう。もちろん彼らは哺乳類であり感情や疼痛を人類と共有しているから、苦痛がなるべく少ないほうが好ましいし、むごたらしく苦しめたりしないほうが良いのはそりゃそうだろう。だがそれはそれとして、苦痛にみちて短命な野良犬や野良猫の生をできるだけ減らすよう動物愛護の精神に基づいて実践しているそれが、まさに根絶されようとしている野良犬自身や野良猫自身からどうみえているのか、どう思われているのかは不明だ。生殖し増殖するという生物の基本線から考えて、哺乳類である彼らとて、短命であっても生殖可能性に開かれていることのプライオリティが高い可能性はあると思う。もちろんこれも私の勝手な推測に過ぎない。本当のところはわからないし考えても仕方ない。
 
人間が犬や猫と共生するようになってから長い間、人間と犬と猫との間柄はお互いに共生しつつ、お互いに利用しつつ、ときどきバチバチと争ったりするようなものだった。が、従来よりも私たちは長生きになり長生きしなければならなくもなり、街は清潔で安全に、種々のリスクは遠ざけられなければならなくなった。ある時点までは都市や農村にいて構わなかった野良犬や野良猫、野良ともペットともつかない状態で構わなかった犬や猫はそれそのままではいてはいけないものになってしまった。なぜなら彼らは清潔や安全に抵触するかもしれないから。リスクをもたらす者、損害や損失をもたらす者として遠ざけられなければならなくなったから。そうして私たちは動物愛護の精神とそれに基づいた法を後ろ盾にしながら、社会契約とリスクマネジメントが徹底していく街から野良犬や野良猫たちは排除されていった。
 
今日、犬や猫が生きていくためには、その犬や猫が動物愛護の精神にかなった飼育をされているのに加えて、その犬や猫が人間にとってけっして害をもたらさない、そのような生き方でなければならない。間違っても、ときどきバチバチと人間と争うような犬や猫であってはならない。社会契約の論理に基づいてお互いに危害や迷惑を加えず、私有地や公有地を害されないよう心掛けなければならない今日の都市空間では、だから野良犬や野良猫は存在を許されない。たとえば放し飼いの犬など今日では稀になっているし、放し飼いの猫でさえだんだん見かけなくなっている。泥棒猫など論外である。
 
社会契約の論理の徹底、そして人間にとっての功利主義というアングルから上掲の犬・猫の殺処分数の推移を振り返ってみると、まず野良犬が殺処分の対象となって減少し、続いて野良猫が殺処分の対象になっていったのもうなづける。はじめに猫よりでかくて危険な野良犬が駆逐されていった。しかし平成の中頃になると野良犬は相当に駆除され、より危険度の低い野良猫が標的になっていく。
 
旧来型の生をおくる犬──つまり野良犬──は、日本においてほとんど絶滅させられたも同然と言える。いわば野生の犬は、人間都合によって日本では滅ぼされたのである。そして現在は旧来型の生をおくる猫──つまり野良猫──が滅びの途上にある。ときには人間とバチバチ争いながらも共生し、短く生きて子孫を残そうとして死んでいった、そのような猫の生は過去の記録上にしか見いだせなくなるのかもしれない。
 
 

社会契約の論理におさまらない人間は?

 
ところで人間自身はどうだろう?
 
今日の人間は借家住まいか不動産持ちかを問わず、特定の住所に紐付けられながら、社会契約の論理にもとづいた生活をしている。地権者の意図や用途に基づいて私有地や公有地が徹底的に切り分けられている東京のような都市空間ではとりわけそうだと言える。もちろん人間は法の対象で、法に保護されると同時に法にその存在を定義され、法に従って生活することを期待される。
 
さて、その社会契約の論理は昭和より令和のほうが進んでおり、法治の徹底も進んでいる。私有地や公有地、特に東京のような大都市のそれらは所有者や地権者の意図や用途に従ったかたちで用いられなければならず、勝手に占有したり、勝手なことに用いたりしてはならない。たとえば、空き地だからといって私有地で子どもが勝手に草野球をすべきではないし、道路にかんしゃく玉をばらまいてはいけない。その度合いがどんどん高まって、今日では法の隙間はますます少なくなっている。無くなったはずの法の隙間に強引に入り込もうとする人間は、所有者や地権者の権利を侵害する者であり、害や迷惑をもたらす者とみなされる。だから、そういう人間もいなくならなければならない。もちろん人間はドバトや野良犬や野良猫とはわけがちがうから、駆除の対象ではないけれども。
 
 

 
そうした法の隙間的な空間が減ったことで、暴力団とその活動が少なくなり、また、ホームレスも少なくなった。東京都においてホームレスの数はどんどん減少し続けている。東京都保健福祉局から借りた上掲のグラフにはないが、令和5年1月の段階では東京都23区区のホームレス数は384人と報じられ、減少には拍車がかかっている。
 
ではどのようにホームレスが減少しているのか? その答えは上掲グラフに含まれている。都は緊急一時保護事業やそれに引き続く自立支援事業といった福祉事業をとおしてホームレスをホームレスではない何者かに変換しようと努力している。グラフの数字を追うと、それらの福祉事業は延べでホームレスの数をも上回るほどに行われており、かなり手厚い福祉事業が行われていることがうかがわれる。また、一度の支援ですべてが完結するわけではないこともうかがわれる。
 
被支援者の健康維持や生活の安定化といった観点からみて、こうした福祉事業は必要だろうし、そのニーズに沿って都はかなり頑張っているようにみえる。と同時に、これだけやっても路上で短命のうちにこと切れるホームレスが残っているだろうことは想像にかたくない。
 
だがこれも、途方もないことではないだろうか。
 
これだけホームレス支援が進んでいる東京は、社会契約の論理に本当の本当に隙間を許そうとしていないのではないか。
 
ホームレスが滞在する東京の空間はすべて私有地や公有地だろうから、ホームレスは滞在するだけでそれは不法滞在、所有者や地権者の意図や用途に反するかたちの滞在とみなされる。昔はそうした滞在があってもうるさく言われない、いや実際には官憲と対立はしつつもホームレスが頑張っていられる隙間空間がいろいろあった。だが、これだけホームレス支援の福祉事業が充実し、街のジェントリフィケーションが進み、ホームレスの実数も少なくなっている令和の東京では、そんな社会の隙間、法治の隙間はなかなか少ない。
 
ホームレスが増加し続けている米英の大都市において、路上とは、社会の隙間たり得るかもしれないし、そこは日本の路上に比べて何が起こるのかわからず、安全・安心とは言い切れず、法治が徹底していない空間かもしれない。また同時に、野良犬や野良猫が存在可能な空間でもあるのかもしれない。
 
しかし東京はそうではない。私有地や公有地に損害や損失を与え得る動物が駆逐されているだけでなく、私有地や公有地に勝手に滞在している人までもがそれそのままでは存在できなくなっている。そしてタワーマンションやデパートのフロアだけでなく、路上も、公園も、空き地も、誰もが好き勝手に使ってかまわないものとはみなされておらず、その所有者や地権者の意図や用途に沿ったかたちで用いられなければならない。その度合いが右肩上がりに高まっている──。
 
ホームレス支援が行き届いていて、米英の大都市のようにホームレスのあふれた状態になっていないのは基本的に良いことのはずだ。だから支援事業をやめるべきとは私もまったく思わない。ただ、意図してなのか意図せずしてかは不明だが、こうした支援事業をとおして東京という街がホームレスが存在できない街へと絶えず更新されているという思いもぬぐえない。表向き、それは個々のホームレスの支援事業なのだけど、全体としてそれは都市全体のクレンジングだったり、法の隙間を徹底的になくしていく施策、そして社会契約の徹底を推し進めていく施策という側面を持ちあわせているようにもみえる。
 
東京は野良犬も野良猫もほとんどいない街になった。そのぶん安全・安心にもなったろう。だがそこは、人間自身までもが法の隙間にたゆたうことが困難になり、社会の隙間といえる場所が消えていく街でもあった。私はアナーキストではなく中央集権国家の必要性を支持し、社会契約に基づいた功利主義を支持したい意見を持っているけれども、それでもここまで法治が徹底し、社会の隙間が消去されていく現状に、なんとも言えない不穏さを感じている。私たちの社会は*1快適で安全・安心な街を求め、法治の徹底を望み、路上で短命に斃れる人を減らすよう努めてきたわけだけど、それでたどり着いたこの状況は、いつどんな時も私たちの味方をしてくれる、私たちを守ってくれると信じ切って構わないものだろうか? 私はそれが心配だ。たとえばドバトや野良犬や野良猫が法治や動物愛護に沿ったかたちで駆除されているのを見る時、そうした心配がわっと高まる。だから、ときどきこういう文章を書いて自分のなかの不安を宥めたくなる。
 
 
(本文はここまでです。以下は、ぐちぐちとした蛇足なのでサブスクしている常連さん以外は読まないでください)

*1:ところで「私たちは」とは?

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東京の道路はハトのものではない(それは勝手なことだが人間は勝手)

 
「東京でハトをひき殺した疑いで運転手が逮捕された」という不思議なニュースがインターネットに出回った。
 
nordot.app
 
私の経験では、ハトやカラスはよく心得たもので自動車が近づいてくれば飛んで逃げるし、だから簡単には車にひかれない。じゃあどうしてハトがひき殺されたんだと思ったら、車を急発進させて・わざわざ殺していた嫌疑がかけられているという。もし故意に殺そうとしていたなら、鳥獣保護法違反に当てはまるのはなるほどそうなのかーと思った。だいたいそんなことのために都会の道路で車を急発進させるのは不穏だ。
 
ところで、この滅多にみることのないニュースのなかで、運転手はこんなことを供述していたという。
 
「道路は人間のもので避けるのはハトの方だ」
 
こう言いつつ故意に車を急発進させハトをひき殺していたなら言い訳にもならないのだけど、それはそれとして実際問題、道路とは人間のものであり、ハトが車を避けるべきってのは本当にそうじゃないかと私は思った。なぜなら道路とは人間が往来するために設けられた設備であり、それは動物のためのものではなく、人間のためのものだからだ。
 
もちろん地方の田舎で道路について「動物のためのものではなく、人間のためのものだ」なんて言ったら大勢の人が笑っちゃいそうではある。地方の道路も人間が設けたインフラであり、そうである以上、動物が車や人間を避けるべきだが、実際にはそうなっていない。道路には鹿や熊や猿や猪や狐や狸が出没する。それらは大きくてある程度危険でもあるので、地方のドライバーがそれらの動物をひこうとすることはない。なるべく動物たちをひかないよう努力はしているけれども、時折事故が起きてしまう……というのが実情だろう。道路は人間のものとは言っても、鳥獣保護区、国定公園に敷かれた道路を動物たちが通過するのはおかしなことではないと思う。保護区や公園は動物たちが暮らして構わないことになっているわけだから。
 
だけど、事件が起こった東京ではどうだろう?
 
東京は鳥獣保護区や国定公園に指定されていない。少なくとも事件の起こった新宿区がそれらに該当するわけではないだろう。そして東京は人間がつくった人間のための街だ。道路も建物も人間のものだ。それらは私有地や公有地である。ドバトのための土地、ドバトが暮らし繁殖するための場所など新宿区にはないはずである。この点において「道路は人間のもので避けるのはハトの方だ」という言葉は東京においては実際そのとおりだったのではなかったか。
 
東京は、あらゆる土地が私有地や公有地から成り、どの土地がどのような用途に用いられるかがはっきり定められている。そうした私有地や公有地を所有者に意志確認することなく勝手に用いたり、法や条例に定められた以外の使い方をすることは禁じられている。地方でも"法的には"たぶんそうなのだが、東京ほどそれが顕著ではないし、先に挙げた鳥獣保護区や国定公園のような場所もある。その道路、その土地がどこまで人間のためのものでどこから動物のためのものかという観点でみれば、東京ほど人間のためのもので動物のためのものではない土地は無い。
 
にもかかわらず、人間のための土地であるはずの東京には大量のドバトが棲みついている。かつてのカラスと同様、ドバトは駆除されるべきとみなされ、実際、駆除が行われているはずである。駆除されるべきドバトは、しかるべき手続きをとおして駆除されるなら──そのしかるべき手続きと駆除は、一般に専門家のなすこととみなされている──合法とみなされていて、そうでない駆除、いわば素人による駆除は鳥獣保護法違反、つまり違法であるとみなされている。
 
ドバトをはじめとする害獣駆除の話を聞くたび、私は合法的とは何か、そして動物を愛護するとは何かについて、考えさせられる。合法的な害獣駆除とは、あるいは害獣駆除と動物愛護の両立とは、素人が直接害獣をどうこうしてはいけないもので、専門家がプロトコルを守ってやるぶんには害獣をどうこうして構わないものとみなされている。もちろん専門家はドバトをボウガンで撃ったり卵を叩き割ったりはしないだろう。だが専門家はドバトの行動範囲を制限したり追い立てたりすることをとおして、ドバトの繁殖を防ぐのみならず生活の場を冒し、結果として滅ぼす。血まみれになってドバトを殺すことはないが、目に見えないところでドバトが困って死ぬぶんには手が汚れない……ということなんだろうか。
 
一人の専門家が結果的にドバトを何羽殺したのかは、ここでは問題にならない。殺したドバトがたった一羽でも、素人が・故意に殺したならそれは違法であり、専門家が生活の場を冒したりして何十羽何百羽ものドバトを結果的に死に至らしめたとしても、それは合法である。動物愛護。現代社会ではこれが妥当とわかっている一方で、なんだか不思議な気持ちになることがある。昭和以前の素朴な人々は、動物を殺してしまうぐらいならしばしば野に放とうとしたものである。それが野良犬や野良猫となり、ときには外来種が池や川に棲みつく結果にもなった。しかし今、こうした「野に放つ」を動物愛護と考える人はいるまい。動物がワンチャン生きていく可能性があるからと野に放つ行為は、たとえそれが動物が生きていく可能性を期してのものだとしても動物愛護の範疇には入らない。そうした野に放つ行為が慈悲心から出ているとしても、そんなものを省みる人は令和の日本社会、特に正しさの王国であるインターネットの世界にはまずいない。
 
では、害獣駆除の対象であるドバトに対して私たちはどのように接するべきで、どのように駆除するのが動物愛護の精神にかなっているのだろうかと考えると、さきほど述べたように専門家の手に委ねることなのだ、と思う。だが、この考え方の先にみえるのは、「なら、専門家がドバトたちの生活の場を冒していく限りにおいて、都内に無数にいるドバトを根絶するまで駆除していいのか?」という考えにたどり着く。その駆除に至るプロセスは、専門家ならば素人より"人道的"で動物愛護の精神にかなったプロトコルを守って行われている、と期待されてもいるだろう。じゃあ逆にプロトコルさえ守れていて専門家の手によるならばドバトを根絶するまで駆除していいわけ……なのだな?
 
ここで再び、「道路は人間のもので避けるのはハトの方だ」を私は思い出す。
 
東京は日本で最も道路や建物が人間の人間による人間のための私有地・公有地からなる。そこに勝手に住み着くドバトは害獣駆除の対象であり、招かれざる野良バトとでもいうべき何者かである。野良猫、野良犬に比べて一羽一羽の害は小さいかもしれないし、ドブネズミに比べれば不衛生なイメージを喚起しないかもしれないが、都会の害獣であること、駆除の対象であることは変わりない。案外、ドバトだって病気を媒介する。社会契約の論理の透徹した空間であるべき東京において、野良猫、野良犬、そしてドブネズミやドバトは駆除されなければならない。
 
法にかない、動物愛護の精神にもなるべく抵触しないドバトの駆除とは専門家の手に委ねられたものだと想像されるだけでなく、そもそも東京という人間のための私有地・公有地の純粋な集合体においてドバトの居場所は無いのだから、根絶するのが好ましいというより根絶こそあるべき姿ではなかっただろうか。
 
ここまで考えたうえで、では、東京において生存を許されてしかるべき人間以外の野良の動物とはなんだろう、とふと考える。害獣とは?
参考までに東京都観光局のサイトの文言をちょっと貼り付けておこう。
 

《ご相談いただく前に必ずご確認ください!!》
※東京都では、農林水産業、生活環境、生態系へ恒常的に被害を与える野生鳥獣の中で、ニホンジカ、イノシシ、ニホンザル、タヌキ、ハシボソガラス、ハシブトガラス、ドバト、スズメ、ヒヨドリ、ムクドリ、カワウについては、いかなる場合においても保護の対象としていません。加えて、アライグマ、ハクビシン等の本来生息していなかった国内外の外来種についても保護の対象外となります。

おまえら、恒常的に被害を与えるからいかなる場合においても保護の対象外になるってよ……。
 
私の認識ではドバトやドブネズミは害獣として有名な部類で、ゆえに駆除されることが一般的だと思われる。スズメバチなども同様だ。しかし何が害獣で何が害獣でないのか、何が人間の私有地や公有地を害していると言えるのかは難しい問題だ。たとえばヤスデはごく少ない数が公園に住んでいるぶんには、これを害獣と呼ぶ人はあまりいまい。しかしそのヤスデが公園や道路や私有地で大量発生してしまったら、それは害獣の範疇に含まれ、駆除の対象たり得るだろう。
 
東京の道路はドバトのものではない。なので然るべき手段でドバトは駆除され、根絶されなければならない。根絶の際のプロトコルは専門家、ひいては法に沿って行われる限りは動物愛護の精神にもだいたい抵触しないし、その際、ドバトを根絶しドバトの害から公有地と私有地を守る大本の主体は法と法治国家だ。いやだからどうしたって話ではあるのだけど、駆除される側のドバトなり野良犬なり野良猫なりからみれば、ハトを車でひき殺そうとする人間はもちろん、法と法治国家もなかなか身勝手なものを押し付けてくる存在だと言える。動物愛護の精神とそのための法を備えつつもけっきょくは動物たちの生存・生殖・生活に介入し、害獣とみなせば駆除にとりかかる。なにより、東京のような都市空間は人間の独占物であって、他の動物たちとシェアされるものとはみなされていない。どこの土地をどのように用いるべきなのか、どの土地が誰のもので、どんな動物や生物がどこまで生存を許されるのかを決定し、改変しようとしているのはけっきょく人間であって、それは人間の勝手なのである。
 
人間の勝手なんて、当たり前だと、あなたはおっしゃるかもしれない。そうですね。法に基づいているといっても、都市に住み着くあれこれを害獣と称して駆除するのは人間の勝手だ。のみならず、ワンチャン生きていく可能性があるからと野に放つ行為もやはり人間の勝手だ。勝手なのである。他方、人間からみればドバトや野良猫や野良犬たちもまた勝手である。勝手に住み着き、勝手に殖えて、勝手に生活する。それらが人間からみれば害となる。ここでは勝手と勝手がぶつかり合っている。そうした動物と人間との衝突は、地方においてはツキノワグマの問題のようなかたちで、ときには命の危険にダイレクトに結びつくこともある(が、地方においては東京ほどには空間は人間だけの占有物ではない……)。
 
くだんの容疑者は身勝手な人間で、法を守っている私たちはそうではなくルールを遵守する模範的・標準的な人間だ、というのはそうだとしても、だが動物の側からみた人間は、法を守っていてもやはり勝手なのであり、人間の自己都合を押し付けてくるのであり、動物愛護の精神にかなっていてさえ、動物側からすれば何かを押し付ける存在、なんとなれば生殺与奪を握ってしまう存在だ。
 
当初予定から少し脱線してしまったかもしれない。当初の予定では、この文章をとおして「私有地・公有地の徹底的な区分けがなされた法治の行き届いた人間のための空間は人間のためのものでしかなく、ドバトの居場所はない」という話をするつもりだったが、気が付けば人間は勝手だ、どうあれ勝手だという話に落着してしまった。それで良かったように思うと同時に、当初の落着点が惜しい気もするので、できれば今月中に続編として『野良猫、野良犬、野良…人間?』というブログ文章を作りたいなと思う。
 
 

ブログを18年書き続けて思うこと (後編・社会のこと)

 
こちらの続き、後編になります。
 
前編ではブログを18年書き続けてきた自分自身について書いた。ここからはブログをとりまく18年ぶんの社会とか環境とかについて。
 
この『シロクマの屑籠』が開闢した2005年はブログブームな時期でアーリーアダプターからアーリーマジョリティにブログの書き手が広がっていく、そんな頃合いだった。ウェブサイトよりも書く敷居が低い、誰でも情報発信できるメディアとしてのブログ。それは確かに便利で、ウェブサイトからブログに本拠地を移したばかりの私は息を吸うほど簡単にありとあらゆることをブログに書き殴りまくっていた。アメブロやFC2ブログやライブドアブログに書き殴っていた人たちも多かれ少なかれそうだっただろう。
 
けれども「誰でも情報発信できるメディアとしてのブログ」の寿命は短かった。SNSが生まれ、インスタグラムが生まれ、tiktokが生まれた。ブログ以上に簡単にオンラインにアップロードできる方法が広がり、ブログ記事より写真や動画のほうが楽にアップロードできるかもしれない、そんな時代がやってきた。そうしたなか、今、ブログでわざわざ情報発信すること・ブログに文章をしたためることにどのようなアドバンテージがあるのかわかりづらくなった。簡便さだけでなく、大人数に読んでもらう・見てもらうという点でも今日のブログが優位性を持っているとは言えない。読者に有料の記事をサブスクしてもらうという点では、noteという媒体もある。
 
こうして考えると、「誰もがブログを書く時代」は二度と来ないと思わざるを得ないし、ブログを書くことにメリットのある人はすごく限られているようにも思える。少なくとも、このブログなるものを用いてお金儲けや立身出世を目指すのはやめといたほうがいいと思う──ん? この言葉はそういえば2010年代にも00年代にも言われていたし、私自身も言っていた気がする。ごく一部の、山師のような人々がブログdeお金儲けやブログde立身出世を煽って、それで「ゴールドラッシュでつるはしを売るような商売」を成立させていたのだった。
  
でも現在のブログの、ちょっと一歩退いた感じもこれはこれで居心地がいい、とも思ったりする。ここにはもう、つるはしを売るような商売をする山師は寄り付かないし。
 
twitterもそうだが、最前線の情報発信メディアはいずこも情報発信メディアとして最適化が進み過ぎてしまい、影響力や政治力や経済力の草刈り場としてあてにされすぎている。そこで活躍するプレイヤーは皆、その草刈り場での草刈りに最適化したスタイルを身に付けて、鉄の心臓で草刈りをやっている。彼らの洗練された草刈りをやってのける技量と鉄の心臓に尊敬を! が、正直、そこで草刈りプレイヤーとして最適行動を積み重ねるのは私にはしんどい。だいたい、最前線の情報発信メディアはどこもレッドオーシャン、それはもう食紅色といっていいほどの赤い海だ。そこでつるはしを売ったり影響力や政治力をかき集めたりするのは、大変すごいことだと思うが大変疲れることだとも思う。
 
最前線の情報発信メディアに最適化された振る舞いに終始するとは、人間味のないことである。一見、人間味のあるキャラクターを求められているアカウントの場合も、それが真の人間味を丸出しすることは決して意味しない。整形され、商品として出荷される人間味。実際に演じられているのは、超・人間味に相当するものだ。人間味のハイパーリアルが演じられ、消費されるのである。そのことを了解したうえで、最前線の情報発信メディアでキャラクターやっていく勇気が私にはない。バイタリティも甲斐性もスピードもない。あなたには、あるだろうか。
 
ブログは情報発信メディアの栄枯盛衰のなかで一歩退いたメディアになった。でも、そのおかげで私はここで比較的好き勝手なことを書いていられる。ここは影響力や政治力や経済力の草刈り場としてはぜんぜんだし、最新の社会状況や時事にあわせて大喜利脊髄反射ゲームをやらなければならない度合いも少ない。
最近、しずかなインターネットなるメディアができあがったけれども、私には自分のブログがこうしてあるのだから、ここで勝手なことを勝手にやっていればいいのだと思う。それは大多数にステートメントしたり大向こうを動員しようと気張ったりするものでなく、自分の頭を整理したり、自分自身にアーカイブを残したりするための準備体操の場だ。それでいて、幾ばくかは第三者に開かれている、その空気感がこれまでのブログの、そして旧はてなダイアリーのいいところだったように思う。
 
 

ブログをキャッシュやストックと考えるとしたら

 
それとブログと人の存続限界について。
18年前、まだブログは書けばいつまでも残るものでグーグル検索すれば引っかかるものという期待が持てた。実際がそうではなかったのは周知のとおり。ブログはブログサービスごと次々になくなっていったし、個人がワードプレスなどで運営しているブログも次々に消えていった。ブログはインターネット上のオベリスクではない。筆者も、永遠の筆者ではない。この18年間に少なくない書き手が他界し、それより圧倒的多数がブログを畳んでしまった。ブログは残っていても書き手が書かない・書けなくなっているってことはある。
 
00年代と同じ感覚でブログをみるなら、これは重要な機能の喪失でがっかりすべきことだと思う。でも、そもそも個人ブログにオベリスクを幻視するのがどこかお門違いだった。そういう幻がみられた一時代はそれはそれで幸福だったが、インターネットの発展と変遷の道理にかなっていなかったのだから幻は幻と割り切って、これからの個人ブログにふさわしい使い方を見つけていくしかない。で、それはもっと移ろいゆくもの・定まらないものという前提で付き合っていくべきなんだろうなぁと思う。
 


 
そう考えた時、「SNSはフローでブログはストック(キャッシュ)」という考え方のストックやキャッシュとは、第三者にとってのストックやキャッシュではなく、自分自身の思考過程にとってのストックやキャッシュ、またはアーカイブと割り切るべきもので、オベリスクを幻視するのはもう時代に合っていない。となると、ブログには自分自身の振り返りと再思考に便利なツールであって欲しく思えてくる。
 
で、そのようなツールとしてブログに期待したいものは、自分自身にとってのストックやキャッシュやアーカイブの閲覧しやすさ、通覧しやすさ、一覧しやすさではないかと思う(もちろん自分自身以外の人がブログの過去ログを掘り起こすうえでもそれらは有用だろうけれども)。
 
SNSのように刹那に流れるのでなく、クラウドストレージとも差別化し、それでいてウェブサイトほど書くのが億劫にならない、そのような個人用メディアとしてブログが特異的に役立つなら、それはそれで需要があったりしないかなぁと思ったりする。逆に、他のどのサービスでも代替可能で、フローとしてもストックやキャッシュとしても半端であり続けるなら、それってブログじゃなくてもいいですよね? という声にあがらうのが難しい感じがするなぁと思ったりする。
 
「社会のなかのブログ」みたいなことを書こうと思っていたけど、これだって自分にとってのブログの話の延長線上ではある。まあでも私だって他のネットメディアたちとブログの役割分担や使い分けは考えなければならないし、それはきっと他のブロガーにとっても同じだろうから、ブログを書くならこういうことには意識的でありたいですねと呼び掛けてこの文章の結びってことにしたいと思う。
 
 

ブログを18年書き続けて思うこと (前編・自分のこと)

 
2023年も残り一か月になろうとしている。
今年、私はとにかく働いて、創作して、2024年を迎えるための諸準備に追われて、気が付けばブログ18周年だった10月も通り過ぎてしまった。赤ん坊が高校を卒業するぐらいの年月にわたってブログを書き続けるぐらいにはブログが好きなんだから、なにか自分の記憶に残る文章をまとめたいと前々から思っていた。が、中年の多忙と疲弊はそれすら許さないのですね。
  
この、はてなブログ(旧はてなダイアリー)のブログである『シロクマの屑籠』は、私を当初予測よりずっと遠いところにいざなってくれた。20代の終わりにブログを書き始めた時、私はブログが自分の人生をこんなに変えてしまうとは想像していなかった。しばらくして「ブログだけじゃ足りない、本も書いてみたい」と思うようになってからも、じゃあ、ブログも本も書くようになったら何が起こるのか・逆に何が起こらないのかを想像できていなかった。そしてブログという媒体が何にとって代わられるのか、未来のインターネットはどんな風になっていて未来の日本社会でどんな流行り言葉が流行っているのかも想像できずにいた。
 
5年、10年、15年と歳月が経つにつれていっさいが変わっていった。社会の変わりようについては後編にまとめるとして、全編では私自身についてまとめようと思う。私と私の人生はブログと生活し続けるうちにすっかり変わってしまった。
 
といっても、たいして変わらなかったこともある。たとえば収入はブログをとおしてたいして変わっていない。本を書くこと、出版社をとおして書籍を出していただくことも、そんなにお金がもうかることではなかった。名誉はどうだろう? わからない。でも私の感覚としては、たとえば大学病院で研究や後進の育成に努めている同業者、研究業績で名をあげている同業者に比べれば、名誉といえるものがブログや書籍づくりをとおして転がり込んできたとは感じていない。臨床活動の重要性に比べた場合も同様だ。ブログを18年書いたからといって、同業者のかたがたと比較して秀でた何かを手に入れたとは思えない。二足の草鞋を履いたことで収入・名誉・貢献といった面で後塵を拝したという印象が残るし、寒い夜にはその印象が骨身にこたえることもある。
 
けれども18年続けて何も得られなかったわけでもない。
18年前のブログ記事を読むと、一生懸命にたくさんのことを喋ろうとしていたり、たいしたことでもないのにもったいぶった短文で何かを言ってみせたようにふるまっていたり、いろいろ恥ずかしい。それが多少マシになった。美文家のかたがたと比べて、相変わらず地を這うムカデのような文章だとは思うけれども、それでもかなりマシになったとはいえる。なにより、10万字前後の書籍サイズの構成を組み立てたり組みなおしたりするのがずっとマシになった。他人の書いた書籍を見る目が変わったのも大きい。新書、文庫本、学術書、小説などを読む時の読み方が決定的に変わった。その変化こそ、この18年で一番大きな変化だったようにも思う。読むスピードが若干早くなり、特に「資料として書籍を読むモード」なるものがようやく誕生した。関心を持ち過ぎてしまった書籍はけっきょく昔ながらのスローペースになってしまうのだけど、それでも私にとっては大きな進歩だった。
 
反面、18年の歳月は私を老いさせてしまった。
18年前の私の文章は稚拙でもエネルギーに満ちていて、疲れを知らぬ勢いでブログを書いて書いてかきまくっていた。この点にかけて、私よりたくさんブログを書いていた同時代のブロガーはたぶんあまりいないし、いたとしても現在までブログを書き続けている者は絶無だろう。無知ゆえになんでもかんでも言及して、その言及をとおして世の中のことやオタクのことや人間心理のことを知ったり意見交換したりすることに無類の満足を見出していた。そういうことの相手をしてくれるブロガーが無数にいた時代だったのも良かった。私は思春期の最後の余力をブログに捧げたと言っても間違っていないと思う。
 
それが今では、月に4~5本ブログ記事と呼べるかどうかも怪しいものを書き、それで手一杯というありさまだ。もちろん水面下ではいろいろな文章を作り続けているし、books&appsさんへの寄稿記事の作成もあるし、ワインブログもあるから実際にはそれなり手は動かしている、とはいえそんなのは言い訳にしかならない。00年代にはキラウエア火山の溶岩流のようにとめどなくわいてきたブログ記事とブログ愛は、今では阿蘇山火口の間欠的な噴火ぐらいのものになってしまった。
 
若いから書けたこと・たぶん年を取ったことで書きづらくなったこともある。せっかくブログを書いているのだから、間違いをおそれず自分が書きたいことを書きたいように書く、まだ確証がとりきれていない実験的なことを実験的に書いてみる、等々を忘れないようにしているけれども、10年以上前に比べればなんだか抑制的になってしまった。それは後編で書く社会の変化やネットの変化に由来するだけでなく、私自身が臆病になったり怠惰になったりしたせいなのだと思う。かつて、あるブロガーが別のブロガーを怠惰と呼んでいたのを私は見たことがあるが、そのブロガーが怠惰と呼んだそれに現在の私は該当していると思う。もし、ブログを言論のメディアの一端と考え、運用するなら、いまの私はもう少し勤勉になるべきではないか?
 
けれども、もうそれも無理なのだろうなとも思う。ブログを自由な言論の場所としてもっと尖った運用をしてみたいという思いがないわけではないけれども、それはもうすぐ50歳を迎える身には冒険的に過ぎる。たぶんはてなブログの運営のかたは、ブログを自由な言論の場所として用いることに最大限の配慮をしてくださるとは思っているけれども、とはいえ、あまりご迷惑はかけたくないしかけるべきでもないだろう。それに、言論ってのは尖ればいいってもんじゃないことを、この18年間で私は強く感じた。自由な言論、なかでもラディカルな主張ってやつは、やるのは簡単だがうまくやるのは恐ろしく難しい。同じ内容を主張するでも、もっと穏当な主張を時間をかけて練り上げていくこと、じわじわと草の根的にやってネットの言説空間のなかで言霊としての流通率を高めていくことのほうが安全で、効果としても勝るのではないか、とさえ思えてきた。怠惰は、ここでは巧遅ときちんと鑑別されなければならない。南無八幡大菩薩、どうか私に有効性のある巧遅を。
 
多くの有望な書き手がブログをやめてしまったり、やめないとしてもたびたびブログの本拠地を変えてしまったりしているなか、それでも私は18年も同じ場所でブログを書き続けることができた。これはすばらしい幸運だったと思う。ちょうど今日、はてなダイアリーをはてなブログに転換する作業にたずさわった方の「父さんまたブログを書こうと思うんだ」という記事を拝見したけれども、この場を借りて、筆者の大西さんには「ブロゴスフィアにおかえりなさい!」という挨拶と「息を吐くようにこれまでブログが書けたのはあなたがたのおかげです、ありがとうございます」という謝意を伝えたい。
 
未来のことはなにひとつわからない。でも、諸事情が許すなら、私は20年目も25年目もこうして『シロクマの屑籠』を更新し続けたい。自分の考えをいったんまとめたり、他人の目をくぐらせることの可能な備忘録として運用したりできるのはブログの強みで、ブログ以外のいろいろな媒体で試してみてもいまひとつしっくり来ないからだ。それに幾人かの常連さんはこのブログを今でも結構読んでくださっている。ブログがそうした場所であり続ける限り、きっと私はブログでしか書けないことを書く能力を失いはしない。そんな風に思える2023年を迎えることができたのが、ほんとうはブログを18年続けていて一番幸福なことなのかもしれない、と思う。
 
2005年のp_shirokumaよ、これを見てみるがいい、おまえは18年もブログを書き続けて、相応の代償を支払うと同時に相応以上のものを手に入れた。それでいて、まだ書く気持ちを失っていないのだぞ、おれたちの冒険はここからだよ、な!
 

ちょっと昔の精神医療思い出話2(有料記事)

 
2023年11月23日現在、ブログを書いてられる状況ではなくなってきているので、事前に書き溜めてあったこちらの続きをアップロードします。時代は1999年~2000年頃、私が研修医をやっていた頃の季節です。サブスクしている常連読者のかただけ、どうぞ。
 
 
 

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