※この文章は、途中から機動戦士ガンダム閃光のハサウェイキルケ―の魔女のネタバレに変わります。ネタバレしたくない人は、途中で警告しますので引き返してください
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケ―の魔女』を観てきました。
前日譚にあたる『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』や原作小説から継承した諸々を踏まえつつ、2020年代のガンダムのひとつとして何かを表現している・描いていると伝わってくるガンダムだった。もちろん、こうした野心的なトライアルに賛否が生じるのは避けられない。さまざまな世代のさまざまなガンダムファン、ひいてはアニメファンがいるなかで、すべての視聴者が満足し、納得するガンダムをつくることなどできない。そのうえで、どんなガンダムを表現するのかが作り手に課された課題であり、どんなガンダムができあがったのかを確認するのがファンの楽しみだと思うので、さっそく私は映画館に向かい、堪能した。
とても良いガンダムだと思う。
こういう味のするガンダムかー、とか思った。
ネタバレなしエリア
今回私が出かけたのは公開から最初の土曜日、地方都市の一般的な映画館だった。お客さんの入りはまずまずで、男女比は極端に男性に寄っていた。アニメを映画館に観に行って、ここまで会場内が男性ばかりだったのは久しぶりだったので、ちょっと驚いた。ガンダムというIPがけっこう広いファン層に広がっているといえども、『閃光のハサウェイ』は男性の割合が圧倒的多数なのだと知った。
話が始まる前に、ごく簡単に前回のあらすじが示される。これはありがたかった。前作を観ていない人へのささやかな配慮のように見えるが、実際には、前作を観た人でも復習しておくに値する内容だったと思う。作品世界に飛び込むスターターとして良い配慮だった。
今回の話も、日本よりずっと南の、熱帯~亜熱帯のエリアから始まる。あいかわらずリゾートめいていて、しかし、そのリゾートの成り立ちについての描写は手厳しい。昼と夜のコントラスト、静と動のコントラストの見事さも前回同様だ。見せたいものを見せつつ、見せる必要のないものを見せない気遣いが随所に利いていて、それは、きっと制作サイドの意図に沿ったものだろうから、私は作品に心を預けてゆったりと視聴することができた。「これは書きそびれじゃないか?」とか「これは手抜かりの一種じゃないか?」とか疑心暗鬼にならずに済むのはありがたいことだ。いやいや、今日のよくできたアニメとは、皆、そういうものかもしれないが。
それにしても景色の美しい作品である。これも、今日のよくできたアニメとは、皆、そういうものかもしれないが、南方の海岸線に打ち寄せる波、輝く太陽、水中、それらひとつひとつが私を出迎えてくれた。スペースコロニーの何気ない描写にしてもそうだ。と同時に、たとえば登場する猫の一匹は非常に簡単に描かれていたが、これもかえって良かった。あの猫は、あのぐらいがちょうど良いのだと思う。なんでもかんでも偏執的に描けばいいってもんじゃない。本作に登場するさまざまな描写のうち、相対的に簡素に記されているパートは、そのようなものとして視聴すべきものとみなし、そのようなものとして視聴した。
人間模様について。
好ましいと思う。別に、アニメという媒体でこれをやらなくてもいいじゃーんと思う瞬間もあったが、後から思い出すと、それもガンダムでこそ描かれて欲しい部分を補強する材料になっていて、ここでも無駄のない表現を観た気がした。人間の業、人間の限界、ニュータイプという概念、そしてハサウェイ自身の問題。そうした諸々を映し出す万華鏡のように、本作品はさまざまな人間とその営みを描き出している。ひとつひとつの場面描写が、本作品の、というより『閃光のハサウェイ』シリーズ全体の通奏低音と推定されるものとよく結合していて、いちいち見ごたえがあった。
前作でいえば、ハサウェイとしゃべったタクシーの運転手の歯が抜けていたり、タクシーのインテリアがああだった必然性と同様に、今作におけるさまざまな描写に登場するさまざまな人間のアクションのいちいちが作品の趣旨に沿っているよう思われた。単なる作り込みの問題だけで実現できるとは思えない。制作陣内部において、首尾一貫性を保てるような意思疎通の努力があったのかなぁ……などと想像したりもした。
ガンプラは売れるだろうか?
ガンダムという作品が背負うもうひとつのミッション、「ガンプラを売る」ことについては、前作よりは前向きかもしれない。それだけに、ややガンダム歌舞伎している部分もあったかもしれない。しかし、全体としては戦場が暗く、爆発や斬り合いも短時間なので、昔のガンダムほどガンダム歌舞伎している雰囲気ではない。「ダサくて古めかしいガンダム歌舞伎に堕することなくいかにガンプラを売るか」という命題に対し、前作よりも意識的に取り組んでいると思えるふしはあったと思う。
ネタバレなしパートはここまで。
前作の雰囲気が好ましく思えた人には文句なしにおすすめできる作品だ。特に昔ながらのガンダムっぽさの苦手な人には『機動戦士ガンダムジークアクス』よりずっと勧めやすい作品だと思う。なにより、これは宇宙世紀モノのガンダムでありながらもはっきりと新機軸なガンダムであって、ガンダムという看板を背負いながら独自の表現をやろうと努力しているガンダムのひとつと思われるので、そういうものとして観るなら抜群だと思う。前作から筋のブレていない作品なので、次回(最終回?)も楽しみだ。ハサウェイは、過去とどう向き合っていくのだろうか?
【ネタバレなしパートはここまでです。以下、ネタバレパートになりますので、読みたくない人は引き返してください!】
ネタバレありパート(嫌ならすぐに引き返して!)
さあ、ここからはネタバレありで、私が思ったことを思ったとおりに書く。
本作は、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の時代にハサウェイがやってしまったこと・経験してしまったことを引きずる物語としてつくられている。私は大昔に原作小説を読んだが、ここまで過去の記憶や執着にハサウェイが振り回されているとは感じなかった。もしかしたら、そのように描かれていたのかもしれないが、少なくとも当時の私の記憶には残らなかった。だから、本作のハサウェイの記憶や執着の問題は、2020年代の新しい劇場版ガンダムとしてつくられた、「この、『閃光のハサウェイ』」の趣向として私は受け取ることにした。前作もある程度までそのように受け取ったが、今作をとおして、それが確信に変わった。
「これは、ハサウェイの記憶や執着の物語であると同時に、ニュータイプの、人の革新の、人間社会の、物語なのかぁ、」と。
SNSにおいては、本作におけるハサウェイについて肉欲だ肉欲だと強調している人がいたが、そんなに肉欲しているかぁ? と私は疑問に思った。まあ、肉欲もあるっちゃあるだろう。でも、ハサウェイの苦悩はそれほど単純ではない。もし、本作品が肉欲にフォーカスしているなら、こんな作品として創らないという信頼が私にはある。仮にそう創るとしたら、ケリアとハサウェイの描写、ハサウェイがギギを思い出す描写は、もっと艶めかしく描かれただろう。ギギがプールで泳ぐシーンなどもだ。だけど本作はそのように描いていないので、そこまで肉欲にフォーカスしているわけではなく、彼はもっとブロードバンドに苦悩している。
作中で示されているように、ハサウェイの苦悩は動物としての人間の限界、肉体に縛られた者の限界としての懊悩でもある。同じテーマが、ギギとケネスとのやりとりのなかでも反芻される。ただしケネスは自らがオールドタイプだと言いながらも、そうした自分自身の性質に、ある種の折り合いや諦めをつけている。伯爵もそうかもしれない。彼らはオールドタイプでありつつ、オールドタイプであることを受け入れている。あるいは諦めている。
ところがハサウェイは自分自身のそうした動物的で肉体に縛られた者としての性質に本気で悩んでいる。そりゃあ薬も飲みたくなろう(しかし、そのような悩みに例えば抗うつ薬が奏功するだろうか?)。のみならず、ハサウェイは人間の世界がそうであることまで悩んでしまっている。そりゃあ世界を革新したくものなるよね! でも、その悩みはハサウェイ自身においては動物としての自分自身に対する反逆に、世界全体においてはテロリズムにならざるを得ない。なるほど、ハサウェイは、人間と人間世界における危険分子だ。ハサウェイにニュータイプの素養があるのは間違いない。だが、これではニュータイプのなりそこないではないか! そう言うのが言い過ぎだとしても、ハサウェイがみずからのニュータイプとしての素養や感性と、人間である自分自身や人間世界との折り合いをつけられないままでいるのは間違いない──少なくとも現時点ではそうだ。
宇宙世紀シリーズのガンダムにおいて、ニュータイプは、人類の革新などといわれながらも、人間世界のなかで自分自身をうまく位置付けることに失敗しがちで、たとえばアムロ・レイは軍隊の隅っこにいることぐらいしかできないし、カミーユ・ビダンは精神が壊れてしまった。シャア・アズナブルも、けっきょく政治家にはなりきれず、挙句の果てに小惑星アクシズを地球に落とそうとする暴挙の末、阻止された。ハサウェイも、そのような悩めるニュータイプの一人なのかもしれない。というかそうだろう。彼の悩みには、クェス・パラヤに端を発する過去の過ちの記憶が茨のように絡みついている。ハサウェイは、人間だったのだ。今でも人間である。
そうした、人間の人間ゆえの過ち、パプテマス・シロッコやザビーネ・シャルだったら顔を歪ませるような生の感情を出した過ちが、作中では無限に積み重ねられていく。復讐に塗り固められた戦場も、ケネスの女事情も、ケリアとハサウェイの間で起こっていることもそうだった。そうしたうえで、マフティ―組織内の人物描写は、特に今回、嫌味なほどフィジカルだった。肉体を忌み嫌っていても、肉体からは逃げられず、肉体によって生かされ助けられているさまが描かれていた。ブライト・ノアとミライ・ヤシマの現在もそうだろう。
もし、ニュータイプの極致が肉体に縛られていないことだとしたら──たぶんそうなのだが──本作で描かれている身体性は、たいへん嫌味である。ハサウェイは、肉体に包囲されている。それは肉欲という狭いものではない。もっと大きな、身体性に依った社会全体や世間全体のなかで、彼は独り相撲を続けているようなものだ。
そうした独り相撲のきわめつけが、終盤の、アムロとの邂逅である。実際、あれはアムロとの邂逅でもあるのかもしれないが、まずはハサウェイの独り相撲である。結局ハサウェイは、その独り相撲のなかでシャア・アズナブルのようなことを口走っている。ここから逆に、シャア・アズナブルという人物が社会全体のなかでどうだったのか、ニュータイプのなりそこないの先輩格としてどうだったのかを想像するのも楽しい。そのシャア・アズナブルがララァ・スンの件でハサウェイと同様に紐付けられていたのは、言うまでもないことだ。
宇宙世紀モノのガンダムシリーズにおけるニュータイプ概念のなかでは、「わかりあう」に比べて「肉体からの解放」が前に出てくる頻度は、やや低かったように思う。後者が出てくるのは、だいたい、死人の魂が化けて出るような場面(たとえば『Zガンダム』でカミーユが亡霊たちを引き連れてシロッコを倒す時のような)だ。しかし、確かに肉体からの解放もニュータイプ概念は含んでいたはずで、そこに重きを置いてぶちあげてきたのが、今回の『キルケ―の魔女』だった。そのうえで、肉体の束縛から人間の動物性へと矛先を変え、その問題や限界、それがために生じる執着にまでフォーカスするのは本作らしさだと思う。
してみれば、本作のハサウェイは人間の執着と戦っている聖者のようでもあり、アムロとの邂逅も、聖者が聖者になる前の苦悩のようだとも連想したくなる。いや、こういうことを連想するのは、けっきょく小説版の顛末が頭のどこかでちらついているからかもしれない。どだい無理なものと戦っているのがハサウェイである。彼は自分自身を救おうとしながら人類すべてを救おうとしている。まあ、ニュータイプが人類の革新であるとするなら、そんな無理だって乗り越えられるのやもしれない。しかし、その当のハサウェイは、こうも口を滑らせているのである──「だったら今すぐ、愚民に知恵を授けてみせろ」──と。それは死亡フラグではないか?
ハサウェイの苦悩は、ハサウェイ自身においては発狂の瀬戸際へと彼を追い詰める。でも、それだけでない。その苦悩が世界に向かって投影されれば、それは人間許すまじ、人間亡ぶべし、となりかねない。そして宇宙世紀ガンダムの世界には、そのようなヤバい人がしばしば登場している。
ハサウェイは、これからどうなってしまうのだろうか? 私のなかには、それを一種の悲劇として眺めたい気持ちに加えて、一種の喜劇として、いわば「『Fate/zero』の愉悦部として」眺めてみたい意地悪な気持ちも少しだけあったりする。なぜならハサウェイは執着を抱え、それに振り回されていて、自分の救済と人間全体の救済の区別が不明瞭だからである。そこは衛宮切嗣的だ。こういう人間が踊り狂う物語は、ギルガメッシュや言峰綺礼でなくても面白かろう。
そのうえ私はオールドタイプであり、動物であり、ハサウェイよりもケネスに近しさを感じる俗物である。前作でもうっすらと感じていた、ハサウェイに対するかすかな反発が、動物であり俗物でもある私のなかでくっきりと像を結んだのがこの『キルケ―の魔女』だった。ハサウェイは、テロリストである。それはマフティーだからというのでなく、人間の性質に対する反逆、オールドタイプの性質に対する反逆でもあるからだ。そのようなハサウェイのありように反発を感じる私のこの性質も、オールドタイプ的なものと言えるだろう。そうした諸々を踏まえるにつけても、本作は見ごたえのある作品だったし、続編は必ず観に行かなければならない。人の業をまるごと背負ってよろよろと歩くハサウェイの顛末を、見届けるのである。
2月1日追記:ツッコミたいがネタバレになる。映画の中の情報と真逆の事実誤認があるとだけ伝えておく。 - ahomakotom のブックマーク / はてなブックマーク なにか、大きい見間違いがあるらしい。それは有り得ると自分でも思う。忙しく視聴していたから。ただ、今の時点ではそれを確認できないし、指摘してもらうわけにもいかないので、各自補正してください。
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