シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

それは「知性」と「わかりやすさ」のパラダイムシフトだった

 
先日リリースされた『ないものとされた世代のわたしたち』について、お手紙をいただきました。読んでくださった方々に、改めてお礼申し上げます。色々なご指摘・ご感想をいただいていますが、そのなかに「知性」の変化についてお話があったので、拙著に書いてないことも含めて書いてみます。
 
いただいた感想に書かれていた「知性」とは、知識をたくさん持っている人やそうした人の行為、存在感などを指すよう読めました。
それを見て私が真っ先に思い出したのは、昭和50年代に日曜日の朝にテレビで流れていた討論番組です。
 
www.youtube.com
 
特に記憶に残っているのは『竹村健一の世相を斬る』で、武村健一がパイプ煙草をくわえながら社会について語ってみせたものです。これに限らず、日曜朝には「難しそうなことを知っていそうな大人たちが、なんだか特別な雰囲気でしゃべっている」テレビ番組が流れていました。こう言っていいのかわかりませんが、いわゆる「知識人」が政治・経済・文化・流行についてあれこれしゃべっていて、それが耳を傾けるに値するものとして放送されていたように思い出されます。
 
このほか、「批評」も栄えていたよう記憶しています。批評は絶滅したわけではありませんが、20世紀にはもっと旺盛に行われ、批評する人とそのオピニオンには一目置かれていたよう記憶しています。そうした批評家とオピニオンのなかには、当時の私の目から見て「なんてきついことを言うんだ」と思えるものもありましたが、とにかくも「知識人」や批評家が活躍し、一目置かれていたのが20世紀後半でした。
 
それらは下火になっていきました。NHKは今も『日曜討論』という番組を続けていますが、20世紀に比べれば討論番組の存在感は小さくなったと言わざるを得ません。紙媒体における批評もそうです。00年代にはまだ批評の存在感がありましたが、20年代の批評に同等の存在感があるとは言ません。
 
そもそも、テレビや雑誌の存在感が低下した時代でもあります。では、代わって台頭してきた動画の世界では? 動画の世界に、そうしたものが生き残っている部分もあります。というのも、討論番組や批評に相当する番組を作っているところはちゃんとあるからです。お客さんだってちゃんといます。
 
けれども(これはインターネットのアーキテクチャの問題でもあると思いますが)、討論番組や批評が「みんなのもの」「誰もが視野に入れるもの」という意識はたぶんなくなったのではないかな、と私は感じています。
 
それらに代わって存在感を放っているのは「わかりやすさ」ではないでしょうか。
 
20世紀に私が眺めていた「知性」「知識人」「批評」には「わかりづらさ」が伴っていました。「話者や筆者が洗練されていなかったからわかりづらかった」だけではなかったと思います。わかりづらい話題について、わかりづらい話をする、わかりづらい人がいる(またはわかりづらい本がある)、といった、わかりづらさがあっても構わない雰囲気があって、わかりづらさが社会の一隅を占めていたのでした。わかりづらさが、わかりづらいまま人目に触れる場があったように思われるのです。そうでなければ、たとえば、浅田彰『構造と力』があんなに売れることはなかったように思われるのです。
 

 
『構造と力』は最近中央公論新社からリニューアルされましたが、1980年代ほどには売れないでしょう。80年代に『構造と力』があんなに売れたのは、わかりやすい本だったからではなく*1、わかりづらい本でも構わなかった、なんなら、わかりづらいものがわからないままでも構わなかったからではなかったでしょうか。そしてわかりづらい本だったからこそ、知的ディスプレイや知的差異化の記号としてのニーズも生じたんじゃなかったでしたっけ。
 
今、わかりづらい話題、わかりづらい話、わかりづらい人にはニーズはあまりありません。求められているのは「わかりやすさ」であり、三行でわかる要約であり、タイパの良いメンションでしょう。それから140字におさまるメンション。
 
もちろん、わかりやすい話やわかりやすさ、タイパの良いメンションだってあって良いですし、それらが20世紀に絶無だったというつもりはありません。しかし、20世紀と比較した場合、「わかりづらさ」と「わかりやすさ」のそれぞれが存在して構わない比率がかなり変わり、「わかりづらさ」に属するものがニッチな領域へと追いやられている印象はあります。
 
誤解されたくないので断っておきますが、現代人たるもの全員がわかりづらいものと格闘しろ、などと言いたいわけではありません。……何て表現すればいいんでしょうか、わかりづらいものがわかりづらいまま世間にゴロっと陳列されている、その陳列されている状態がそれでいいことになっている、その度合いが違ってきている、と言えば伝わるでしょうか。
 
ついでに言えば、「『知性』はクリーンでなければならなくなった」、みたいなのもあるかもしれません。「知識人」や「批評」と呼ばれていたものには、わかりづらさのほかに、気難しさや近寄りがたさが伴っていました。ときには無茶苦茶さやアウトローさが伴うこともあったかもしれません。記憶違いでなければですが、汚い言葉遣いもあったように思います。そうしたことが「パフォーマンス」や「プロレス」でしかなかったのか、いわゆる「場外乱闘」だったのかは、当時の私には判断できませんでしたが、そうした振舞いも、「知識人」や「批評」に一種独特の雰囲気、ひいては特権を与えていたようには思います。
 
 

わかりやすさのパラダイムと、統計学的パラダイムと

 
そうした「知識人」や「批評」がまとっていたアウラがすっかり失われたのが2020年代ではないでしょうか。
繰り返しますが、00年代にはその残滓があったよう思われました。でも、今はそうじゃないんじゃない。知識人や批評家のプレゼンスは低下し、「知性」なるものは、もっとわかりやすく。もっとタイパの良いかたちでなければならなくなりました。晦渋さ・迂遠さ・解釈の多義性といったものは、今日日は知性の一部ではなくノイズです。ノイズレスな「知性」に、汚い言葉遣いや違法性や気難しさが不要なのは言うまでもありません*2
 
そうした、わかりやすさ・タイパの良さ・明瞭さへの志向は「知性」だけに起こったこととも思えず、快適になっていく社会・清潔になっていく社会とも符合していたんじゃないかなぁ、と私は深読みしたくなります。つまり、「わかりやすさのパラダイム」とでもいうものがあり、そのパラダイムシフトのなかで旧来の「知性」や「批評」はニッチな場所へ追いやられたのではないかと。
 
加えて、「知性」によって扱われる知識の次元でもパラダイムシフトがありました。
 
「知性」、または「知性」と呼ばれる人々が取り扱う知識の性質は、20世紀中頃から21世紀にかけて変わりました。社会学にせよ心理学にせよ、統計的に確かな基盤を持ったものが主流を占めるようになり、たとえばポスト構造主義哲学、たとえば精神分析の存在感はすり減っていったわけです。私自身、そうした変化を私の職域で感じ取りました。それは、精神分析やドイツ精神病理学から、エビデンスに基づいた国際的診断基準に基づいた精神科診断学&治療ガイドラインへの移行です。
 
拙著『ないものとされた世代のわたしたち』では、それを以下のように書いています。

 
「精神分析的な診断と治療は時代遅れだ、もっと徹底的にDSMを、エビデンスに基づいた精神医学を学びなさい」と師はおっしゃった。
私服を着ているときは精神分析的なテキストを読み書きし、白衣を着ているときはエビデンスに基づいた精神医学に基づいて考えたり学んだりする二重生活が始まった。はじめ、それはDSMのあらさがしをしてやろうといった反骨精神から始まったのだけれど、それを再履修してみて考えが変わった。……精神分析やドイツ精神病理学を重視していたDSM批判者たちのいう"空疎な診断パンフレットとしてのDSM"が、本当は骨太でエビデンスに基づいた治療を実践するうえで重要であること、エビデンスに基づいているから精神分析などでは反駁のしようがないこと、等々が私にもわかるようになってきたのだった。
『ないものとされた世代のわたしたち』より引用

DSMとは、アメリカ生まれのエビデンスに基づいた精神医学の診断基準だと、ここでは受け取ってください。
精神科医になった頃、私は精神分析やドイツ精神病理学に心惹かれていて、それら(の当時の語り口)は旧来型の「知性」や「知識人」が引用する学問ともどこか共通点があり、「批評」とも無縁ではないものでした。
しかし00年代に出会った恩師から「精神分析やドイツ精神病理学を捨てる必要はない。ですが、エビデンスに基づいた精神医学をもっときちんと修めないと時代遅れになりますよ」とはっきりと言われ、なにくそと思って学ぶうちにそちらに重心が移ってしまったのでした。
 
つまり私は、精神医学という世界で(精神分析やドイツ精神病理学といった)旧来型の知識が、DSMのような、統計学的に裏打ちされ、どことなくアメリカンな新時代の知識へと変わっていく端境期にいたのだと回想します。そうした精神医学のトレンドの変化が、たとえばポスト構造主義からアメリカっぽい分析哲学へのトレンドの変化とも似ているなと感じて、よってこれは精神医学だけに起こったことではなく、知識全般のパラダイムシフトに遭遇したのだと考えているのです。
 
こうした知識のパラダイムシフトのタイミングは学問分野によってまちまちだったでしょう。医学のなかでも生理学や内科学は早くから移行を終えていたでしょうし、精神医学よりも後になってパラダイムシフトが入ってきた学問分野もあったかもしれません。90年代~00年代にかけて起こった社会変化はいろいろでしたが、就職氷河期や起こっただけでなく、こうした知識のパラダイムシフトも進行し、そうしたなかで「知性」とか「知識人」とか「批評」といったものが問われ直したのだとも思います。
 
 

知識と知識、人と人はこれからどう繋がる?

 
では、知識のパラダイムシフトが起こり、旧来型の「知性」や「知識人」が失効していって、みんななんにもわからなくなったのか? そんなことはないと思いますし、たとえばDSMに基づいた精神医学が空疎なわけでもありません。

 エビデンスに基づいた精神医療だからといって、血が通っていないと思うのも大きな過ちだ。理解を深めるほどDSMなりの内実が見え、歴史がわかり、その蓄積と先人たちの努力に唸らされた。それをよく知らなかったことを、私は恥じた。
『ないものとされた世代のわたしたち』より引用

統計学に裏打ちされた知識の体系にも人の血と汗と涙の跡がにじみ、堅固な知識の石垣を築いています。石垣を支えているのは正統な研究を積み重ねている専門家たちです。そうした専門家は、世界全体・世相全体を斬ってみせられないし、しようともしないけれども、今日の学術体系に則ったかたちで石垣を積み上げ、学問と人類に貢献しています。
 
ですから、このパラダイムシフトを否定すべきではなく、その恩恵は世界のありとあらゆるところを覆っていると心得るべきでしょう。しかし、知識と世界がそうして変わっていくなかで、その専門家と専門家を繋ぐ鎹、専門外の人に専門的知識を伝える伝達者が見えにくくなったようにも思います。いいえ、人が見えにくくなったことだけが問題ではなく、そういう人が活躍するフィールドや舞台が見えにくくなったのも問題かもしれません。
 
20世紀末ぐらいまでのパラダイムでは、知識人や知性がまさにそうした一翼を担い、批評は、そうした人々が活躍する場のひとつだったと私は思っていますが、今日のパラダイムのもとで同じことをやるのは難しく思われます。なぜなら、世界はあまりに複雑になり、専門家とその知識はあまりに細分化され、それぞれのバージョンアップの速度も早くなっているからです。
 
でも、そうなったことで各分野の専門家はバラバラになり、いろいろな分野の知識を縫い合わせて一編の織物を織ろうとする人もいなくなりました。思うに、旧来の知性や知識人は、彼ら自身がそうしてできあがった一編の織物、またはひとつの世界観だったように思われます。たとえば精神科医の中井久夫などは、その人自身がここでいう織物に比喩できます。そういう人ができあがりやすかったのが前のパラダイムで、そういう人ができにくいのが今のパラダイムなのでしょう。
 
じゃあどうすればいいのか?
正直、私にもよくわかりません。旧来の「知識人」や「知性」の真似をしたって、どだい無理な話だと思えるので。さりとて何もしなくていいのかといったら、たぶんそんなことはないので、それぞれの分野の専門家、いや、さまざまな職種の人同士が、なんらか、一緒に宴会をやったり、一緒にお茶会やボウリングをやったりする場があったほうが良い、なければ困るんじゃないかと思います。SNS等をとおして繋がりやすくなったようにみえてもなお、バラバラになりやすいのが現在のパラダイムのもうひとつの顔だと思うので、なおのこと、知識と知識、人と人とを繋げる場が待望されている&貴重に思える今日この頃です。
 
そんなことを最近は考えています。
 
 

*1:それでもポスト構造主義的な本のなかでは読解できる部類だったようには思います

*2:この点に関して、いわゆる知識人や批評家もSNSをとおして「ぼろ」を出してしまい、アウラの成立が一層困難になった点に触れないのも変なので、ここに書いておきます

元気のない時は気に入ったアニメを再視聴する

 
info.b-sideproject.jp
 
以前、podcastでお世話になったB-sideさんから、「世界メンタルヘルスデー」の企画として「自分のトリセツ」について一言寄せてとご依頼いただきました。
 
このコーナーでは、自分で自分のメンタルをメンテするのにいい方法*1を挙げていくわけです。podcastでご一緒させていただいた小原ブラスさんは「激辛麻辣湯でリセット」を挙げて、奥津マリリさんは「最高の朝ごはん」を挙げていらっしゃいますが、どちらもわかる気がします。こういうのって自分のほうから意識的にワンアクション入れたほうが切り替えのスイッチになりやすくて、激辛麻辣湯や最高の朝ごはんなどは、そういうものとして機能しそうですから。
 
私は「『ぼっち・ざ・ろっく!』を一話から最終話まで観る」を挙げました。
 

 
元気がない時って、良かったアニメをもう一回視なおすには良いように思うんですよ。で、最近の私の場合、それが『ぼっち・ざ・ろっく!』だったのでした。
 
 

元気のない時は新作アニメを観たくない

 
昨今は春夏秋冬にアニメが始まり、それとは別に映画館では劇場版の新作が放映されています。アニメ愛好家にとって幸福な時代、と言えるでしょう。
 
最近の私も『逃げ上手の若君』や『負けヒロインが多すぎる!』などを視聴し、あー、はー、眼のこやしになる作品ですね、今をときめく作品ですね、などと思っていたのでした。
 
しかし、いつでも最新のアニメを観たい気分になれるわけではありません。
仕事やイベントが集中している時には、最新のアニメ、見る気持ちになってこないんですよ。これはゲームや書籍も同じで、時間的・体力的にゆとりのない時に新しいものに手を付けるのはしんどいものです。たぶん効率的でも効果的でもないでしょう。時間も体力もないなかで新しい作品に挑んでも、集中できないのです。集中できていなければ、作品を楽しむことも作品をよく理解することも困難になってしまいます。
 
そういう時に好ましく思えるのは、再視聴、リピートです。
 
もともと私は地方の田舎育ちだったので、最新のアニメが無制限に観られる環境ではありませんでした。そうしたなか、民放で放送されたアニメのなかで気に入ったものを録画し再視聴していたのですが、そういうことを不遇の時代にやっていたためか、なにかアニメの再視聴に救いのようなものを感じるんですよね。
 
でもって、再視聴だから視ている最中に寝落ちしたっていいし、つけっぱなしにしたうえで家事をやったって構わない。いわば、正座してアニメ視てなくていいんですよ。ぞんざいに視聴できること、つけっぱなしにしておけることの幸福さ!
 
今日、すごい勢いでたくさんアニメが作られていて、最新作を観ないで済ませるのはとても勿体ないですが、考えてみれば、名作や傑作の誉れ高い作品を一度しか視ないのはもっと勿体ないことですよ。湯水のように作られているアニメではありますが、しかし、ひとつひとつの作品には作る側の情熱や工夫が詰まっていて、そして名作や傑作はそのてっぺんに位置する作品なわけです。
 
そういうアニメを何度も楽しむのも幸福だし、そういうアニメこそ、再視聴の時には必ず発見や新しい喜びがあったりします。新作を一生懸命に視るだけがアニメ愛好家の道じゃないなと、そういう時に思うのです。
 
 

二回目だから、元気がないから見え方が変わる

 
それから疲弊している時って、実は違う角度からアニメを見るチャンスでもあると思えるのです。
 
というのも、人間は体調が違う時には物事が違って見えるし、たとえばアニメ、たとえばゲームの受け取り方も変わるからです。
 
今年の8月末から9月はじめに『ぼっち・ざ・ろっく!』を再視聴した時には、各話の緩急の上手さがやけに目に入ってきました。それと後藤ひとりのネガティブなギター弾き語り。前に見た時はちっとも面白くなかったのに、今回は妙に笑えてしまい、ぼっちちゃん、面白いやつだなと思いました。と同時に、あのギター弾き語りのギターの音色が妙に染み入ったんですよね。こういうのは疲労あってのことだと思います。
 
こうしたことは『CLANNAD』の再視聴時も『ゾンビランドサガ』の再視聴時も『Psycho-pass』の再視聴時にも起こったので、疲れた時にアニメを再視聴するのはアリだと思いますよ。ゲームもそうで、元気な時にはしょうもないと思えた『スイカゲーム』も、疲れた時にはなかなか楽しかったです。ってことは日本人、疲れているんかなーとも思いましたが。
 
まあそんなわけで、疲れた時のアニメ再視聴、おすすめです。
単なる精神力や体力の節約ではなく、アニメと良い加減で付き合ううえでも一回目の視聴では気付かなかった魅力を再発見するうえでも、良いことじゃないかなと思うのです。今週末の私は、『リコリス・リコイル』とか視ちゃおうかなと思っています。
 
 

*1:もちろん、精神疾患に該当する水準は想定外といううえでの方法とみています

『東大ファッション論集中講義』が読みやすかった

 
 

 
ファッションの本は色々な方向性・難易度のものがあってとっつきにくい。
 
大きな書店の、ファッションのジャンルの棚を探せば望みの本に出会える気がするかもしれない。が、なかなかうまくいかない。なぜなら、ファッションの本は新書コーナーや○○文庫や××シリーズのコーナーに配置されていたりもするからだ。店内検索もあまり役に立たない。タイトルや著者がわかっていなければ検索が難しく、そもそもタイトルや著者がわかっていれば苦労しないわけで。
 
そうしたなか、最近、『東大ファッション論集中講義』という本に出会った。これが良かったので、ブログに読書感想文を置き残したい。
 
 

『東大ファッション論集中講義』はこんな本

 
はじめに、『東大ファッション論集中講義』という本を無理矢理ワンセンテンスに要約してみよう。
 
「近世~現代までのファッションの歴史を振り返り、それが社会や文化やメディアとどんな風に関連しているかを解説し、ついでにファッションの学問についても紹介する本」
 
言い足りない部分もあろうが、私はこんな風に読み取った。
この本はちくまプリマー新書という若い人向けのレーベルから出ている。実際、かなり読みやすく、ファッションの歴史についてはじめて本を読むにはちょうど良い本だろう。
 
ちなみに私は、20年前、放送大学の教科書だった『現代モード論』というファッション史の本を読んでいる。
 

現代モード論

現代モード論

  • 放送大学教育振興会
Amazon
 
これも良かったが、今読むなら断然、『東大ファッション論集中講義』のほうだろう。
こちらのほうがわかりやすく、アップトゥデイトだからだ。
 
 
私がこの本を読んで面白かったこと。その第一は、ファッションの歴史と欧米の文化や社会規範が重なりあっているさまが書かれている点だ。
 
私は近世~現代の欧米の文化史が好きで、とりわけ1.生活や社会規範や常識の変化 や、2.近代という時代の到来とその時代精神 について追いかけるのが好きだったりする。
  
この本は、この1.2.の両方にかかわることが書いてある。

近世~近代にかけては礼儀作法が上流階級からトップダウン的に浸透していき、その礼儀作法のなかには清潔も含まれていた。はじめ、その清潔はファッションの一部で、(今日のように入浴するものや消毒液を用いるものでもなく)清潔な下着を身に付け、それを見せびらかすところからスタートしていて、この本はそうしたことをファッション側から示している。
 
関連して、フランス革命以降のファッション、特に男性がスーツを着るようになったいきさつや女性がコルセットなどを用いるようになったいきさつが、当時の絵画付きで解説されているのがまた良い。フランス革命後のブルジョワ男性(第三身分)においては、それまでの貴族のような、華美な見せびらかしのファッションはお呼びではなかった。禁欲的で実用的なスーツが主流になり、その潮流は現在まで続いている。ブルジョワ男性が見せびらかすべきは、派手な服ではなく、自分の能力や身体であるべき、というわけだ。(そして華美な見せびらかし機能は、少なくとも20世紀以前は女性が担うことになった)。
 
個人的には、当時の絵画に記されたブルジョワ男性のスーツ姿も興味深かった。この本には、「ベルタン氏の肖像」という1832年のブルジョワ男性の肖像画が載っているが、今日のブルジョワ男性の理想像とは様子が違っていて、なかなか恰幅の良い男性が描かれている(同ページに記されている女性画も、現代の基準でみればふくよかかもしれない)。1868-69年の絵画に登場するスーツ姿の男性像も、なんとなく恰幅の良い感じだ。
 
「男性=スーツ姿」という点は19世紀も現代も変わらない。しかし、この本で引用されている19世紀のブルジョワ男性の絵画は、今日でいえばメタボリック症候群になりそうな体型で描かれていて、この時点ではまだ、スポーツをとおして強靭な身体を誇示する男性像、または、健康的な身体を見せびらかす男性像に至っていないさまがうかがわれる。
 

 
こうしたことは、アラン・コルバン編の『身体の歴史』や『男らしさの歴史』に登場する男性の身体についての記述とも一致していて、旧ヴィクトリア朝時代の男性らしさが炸裂している、と私は感じた。
 
第二に面白かったのは、ココ・シャネル以前/以後の女性のファッションの移り変わりについてだ。
 
著者は大学院生時代に「ファッションの研究をするならば、シャネルについて語れなくちゃだめだ」と教員に言われたそうだが、そのせいか、シャネルについての記述は本当に面白い。読みやすく書かれているだけでなく、後発のディオールとの対比に物語性があってぐいぐい引き込まれる。
 
で、シャネルの人気が高まっていった際の時代背景についても色々と記されている。シャネルの服は、リゾートで伸び伸びしたい女性向けの服として人気が出たという。これは、19世紀末~20世紀初頭における観光ブームやリゾートブームに対応した出来事で、シャネルはその波に乗れたのだろう。それからシャネルスーツ。
 

……シャネルのスーツは「楽で間違いがない」「すばらしくフェミニンな装い」などと言われ、服の特徴の描写に用いられる単語とアメリカの理想的な女性像を形容する言葉が一致しました。というより、アメリカの理想的な女性像を形容する言葉が、シャネルのスーツの本質的な特徴として選び取られたと言った方がよいかもしれません。
 また、シャネルのスーツがアメリカの女性解放運動を象徴するものとして解釈されたことにもあります。『ヴォーグ』には「1919年、つまりアメリカの女性が投票権を獲得したその年に、シャネルのジャージーがボーン入りのコルセットから世界中の女性を解放した」と述べられています。
 ここでシャネルの服が本当に女性の身体を解放したか、あるいはそれが本当に1919年であったかどうかは問題ではありません。重要暗尾は、アメリカにおける女性解放の歴史的文脈が「シャネルスーツ」が見出された語られたということです。

『ヴォーグ』はアメリカのファッション雑誌で、シャネルを大きくとりあげた。それどころか、シャネルの模倣品すら大きくとりあげたさままで本書には記されている。それぐらいシャネル、特にシャネルのスーツはアメリカにおいてインパクトがあり、当時の女性解放運動な社会状況と響きあうものがあったというのだ。
 
そう指摘されたら「なるほどー」と思うわけだが、私はこの本を読むまで気づいていなかった。本書のシャネルの話は、ファッションが時代や文化と繋がっているさま、それらと共に変わっていくさまをわかりやすく教えてくれているとも思う。
 
このほか、昨今のファッション研究についてや、日本の女性に洋服が受け入れられていったいきさつなども記されていて、いずれも興味深くわかりやすかった。たとえば日本女性が洋服を受け入れていくプロセスのなかで戦時中の「もんぺ」が意外に影響があった話にはびっくりした。これも、指摘されなかったら知らないままだっただろう。
 
そんなわけで、近世以降のファッションの歴史をかじってみたい人や、ファッションと文化の繋がり、ファッションと(雑誌のような)メディアの繋がりなどを読んでみたい人にはおすすめだ。読みやすいし、ちゃんと色々な文献が登場するのでここから深堀りもできそうな感じだ。
 
 

ファッションは自由か不自由か

 
ところで、ファッションは自由だろうか、不自由だろうか?
20年前に放送大学の『現代モード論』を読んだ後もこの『東大ファッション論集中講義』を読んだ後も、その疑問は消えなかった。これからも消えることはないだろう。
 
著者は、社会学者のジンメルを引用するかたちで以下のように記している。

つまり、ファッションとはあるモデルを模倣することですが、同じ社会を生きる人々と共にありたい、人と同じでありたいという同一化の願望と、一緒でいたいけれど人と違ってもいたい、という差別化の欲望の両方を同時に叶えるものなのです。

いやあ、本当にそのとおり。
で、オシャレ上手の人は、TPOも弁えながらその両方をやってのける。
 
しかし我が身を振り返ってみれば、ファッションはそんなに簡単ではないし、いつもファッションに乗り気になれるわけでもない。約20年前に『現代モード論』を読んだ頃、当時の私は「脱オタクファッション」についてインターネットで色々と読み書きしている頃だった。そうした脱オタクファッション関連のウェブサイトで特に良かったサイトの管理者も、似たことを述べていたと記憶している。
 
曰く、「ファッションには『みんなと同じになるための制服的な機能と、自分らしさを示す機能』がある」と。
 
脱オタクファッションを論じていた当時のウェブサイトも、まさにこの二つの機能それぞれについて論じていた。たとえば丸井やパルコに入っていそうなテナントの服を身に付け、オタクとはみられにくく一般人とみられやすい服を選ぶ方法、ひいてはそうした服の買い方が書かれていたものである。と同時に、そうしたウェブサイトの読者のなかには、自分らしさを示すための機能を持つ服を求めるうちに夢中になってしまい、ファッション沼に転げ落ちる者もいた。
 
オシャレ上手な人なら、その、相矛盾するようにも思えるファッションの課題を両立させ、TPOによって前者と後者の比率を調整したりもできるだろう。ところがファッション初心者の(当時の)オタクにはそれは簡単ではなかった。差異化の欲望をむさぼり、ナルシシズムの陥穽に落ち、同じ社会を生きる人々と共にある機能をおざなりにした挙句、「脱オタクファッションを頑張ったのに効果がなかった」とぼやく人もいたのだった。
 
私はそうした時期も経験しながら年を取り、中年男性になった。はじめのうち、私はスーツ姿が社会適応の象徴みたいに思えてならず、苦手意識を持っていたが、オーダーメイドのスーツの着心地が気に入ってからはスーツだって悪くないなと思うようになった。しかし、スーツに慣れていくうちに、私は私自身が昔から着たいと思っていた服を買い揃えること・追いかけることが億劫になってしまった。加齢や多忙がそれに拍車をかける。20代の頃に着たかった服を今着たって似合わないじゃないか、という思いが、購買行動にブレーキをかける。そうして結局、私はスーツを買ったり、ブルックスブラザーズとかPoloとかユニクロとかを買って済ませるようになってしまっている。
 
男性、とりわけ中年男性である私は現代の服装についてのお約束にとらわれていて、つまり、同一化の願望や制服的なファッションに束縛されている。その束縛から逃れるには、かなりの飛翔力が必要になってしまった。と同時に、スーツやポロシャツにそでを通す時、私は男性ブルジョワのお約束に閉じ込められた気持ちになる。つまり私は男性ブルジョワのお約束を守った格好をしなければならない、いや、男性ブルジョワのお約束を守った格好をしたほうが、より簡単に社会の一員らしくあれる……らしいというべきか。
 
そうやって男性ブルジョワの規範にもたれかかるのは、楽なことで、怠惰なことだ。服選びに頭を悩ませる必要性も少なくなる。だが、裏を返せばそこからはみ出して冒険する際のコストとリスクは小さくなく、男性ブルジョワのお約束、ひいては資本主義社会の規範に私自身は縛り付けられているってことでもあるわけだ。
 
こうした束縛は現代の女性にだってあるだろう。シャネルのスーツは女性解放運動の社会状況とシンクロしていたが、それは、旧ヴィクトリア朝的な社会規範から自由になるという意味では自由だった。だが、今日の社会規範から自由にしてくれるわけではない。今日ではむしろ逆ではないだろうか。たとえば就活の風景を眺めると、就活する女性たちはシャネルのスーツの子孫たちを、つまり男性ブルジョワのお約束に限りなく接近した制服的服装に身を固め、それで資本主義社会の門をくぐろうとしている。うがった見方をするなら「私は女性ですが男性ブルジョワのように働きます」と雇い主にシグナルを送っているかのようでもある。
 
今日、シャネルのスーツの子孫にあたる服は、女性が男性ブルジョワのお約束に宣誓するための服、資本主義社会の制服としての意味合いをも免れないのであって、逆に、就活に旧ヴィクトリア朝時代のドレスを着ていった女性は、きっと逸脱者とみられるだろう。
 
『東大ファッション論集中講義』には、以下のようなくだりもある。
 

 しかしだからといって、女性の身体が解放されたというのは一面的な見方にすぎません。なぜなら、19世紀に全盛であったコルセットのかわりに、20世紀にはブラジャーやガードルが発展し、女性たちは新しい下着を身に付けるようになったからです。
 あるいは下着が取り払われたとしても、女性たちはダイエットやエクササイズにいそしみ、時には脂肪吸引や美容整形をして、理想とされる体型に近づこうと努力します。下着で身体を圧迫することはないかもしれませんが、心理的なコルセットを内面化しています。

女性はコルセットから解放され、(少なくとも大筋としては)旧ヴィクトリア朝時代の社会規範からも解放された。しかし、健康美や機能美を良しとし、男性ブルジョワのように働くことを期待し、資本主義社会の一員たることまで期待する社会規範にとりこまれてはいて、そこに囚われてもいる。男性の場合は言わずもがなだ。身分によって服装が決まっていた時代に比べれば自由だとしても、現代人にだってファッションをとおしてかえって社会規範に囚われている一面はある。流行にしてもそうだ。意識的にせよ無意識的にせよ、私たちは流行の影響圏のなかにいる。それは、自由なことなのか不自由なことなのか。
 
いや、本当は問うまでもない。ファッションの自由と不自由について、二項対立的に・一義的に考えるのは不毛である。
どちらの側面もあると言えるし、個人のレベルでは、オシャレ上手たちがやってのけるように、それらを矛盾させず折り合いづけたり調和させたりするのが良いのだと思う。しかし、ファッションに限らずだが、相反するようにみえる課題を折り合いづけたり調和させたりするには、センスが要求される。時間やお金も要求されると思って間違いない。
 
ぐちぐちと書いてしまったが、こうした、私たちがファッションをとおして自由と不自由にどう折り合い付けていくのか、社会適応と自己表現のバランスをどう取っていくのかの指導までは本書はしてくれない。が、それは無いものねだりであって、本書のテーマの外と言うほかない。しかし、逆に言うと、ファッションと個人の自由/不自由についてやファッションと社会規範(や男性ブルジョワや資本主義)については、読者が好きなように考える余白が残されているようにも思える。それは短所というより長所のような気がするし、もちろん、他の本を当たればそこを考える材料はもっと見つかるだろう。
 
本書は教条主義を押し付ける感じではないので、こんな具合に、読んだ後にフリーにあれこれ考えるのに向いていると思う。考えるための導火線になるのもこの本のいいところだと思います。おすすめです。
 
 

2024年に全力疾走したが体力が限界だ

 
2024年も残り3か月。短い、という人もいようけど、私は全力疾走してきたので、やっと2024年が終わってくれる、という感覚のほうが強い。今年はとにかくやった。がんばった。気張った。しかし人には限界というものがある。2024年、特に中盤のペースで活動し過ぎたら、たぶん過労死してしまう。
 
以下は個人的な日記で、常連さん以外にはあんまり読んでもらう価値のないもの、常連さんに読んでもらっても価値がないものだ。サブスクしている人以外は読めませんが読まなくていいです。有料記事は、普段は単体販売もするようにしていますが、これは本当に不要だと思うので、単体販売しません。
 
 

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ないことにされたくないロスジェネ・オタク差別・web2.0の記憶

 

 
10月4日に発売される拙エッセイ『ないものとされた世代のわたしたち』は、「ないことにされたくない記憶」のまとまりになった。
というか、ほっといたら忘れられてしまったらなかったことにされてしまいそうだな……と思うことを書いている。
 
 
 

忘れられたくないこと、残しておきたいことがたくさんある

 
私がブログを書く理由はいろいろあるけれども、理由のひとつに「そのときの記憶を残したい」がある。
 
p-shirokuma.hatenadiary.com
 
たとえば上掲は2008年3月のブログ記事で、秋葉原の歩行者天国が秋葉原連続通り魔事件で中止になる少し前のものだ。この頃の秋葉原の歩行者天国には色々な人が集まってきていて、オタクが集まる街からオタク以外も流入してくる街、オタクカルチャーのライト化が具象化した街として活気があった。この頃はまだ、外国人観光客もあまり目立たない。
 
こういうものを書き留め、思い出すツールとしてブログを続けているのはなかなかなかなか便利だ。その時期に自分が見た風景や情景が、たちまち蘇るからだ。
 
これに限らず、忘れたくない風景や情景は書き残しておくに限る。逆に、書き残しておかないもの(または、写真などに撮っておかないもの)は風化し、忘れられていく。忘却というプロセスに抵抗するためには書き残しておかなければならない。その際、ブログもいいが商業出版も優れている。誰かの家の本棚に、そして国会図書館に入れてもらえそうだからだ。
 
私には、忘れたくない記憶・ないことにされたくない記憶がいろいろある。 
たとえば就職氷河期と当該世代のこと。
 

徹頭徹尾、就職氷河期世代の浮沈は自助努力と自己責任の名のもとに進行したのであって、社会とその社会を主導した当時の年長者たちはそのことに頬かむりを決め込んでいた。現在もである。社会は、私たちの世代がやがて老いて死んでいくのを、息をひそめて待っているようにみえる。それともこれは私の思い込みすぎだろうか。
──熊代亨『ないことにされた世代のわたしたち』より

就職氷河期世代が若かりし時代は去った。時代と社会のの曲がり角において、公私ともに多くの人がうまくいかず、そのうまくいかないことを自己責任だと言われて後ろ指をさされた世代。00年代には「構造改革」や「成果主義」といった聞こえのよい言葉にデコレートされた自己責任の構図をみずから支持することもあった世代。そうした「私たちの世代」の記憶や出来事は、いつまで・どれだけ記憶されるだろうか。
 
たぶん、(色々な世代において)なかったことにしたい人は多かろうし、そんなものは目汚しだとして退けたい人も多かろう。だからこそ折に触れて振り返っておきたい。
 
80年代後半~00年代前半にかけて目立ったオタク差別についても同様だ。
オタク差別については「なかったこと」にするような言説が定期的に現れる。しかし、それは実際にあったことで、オタクという言葉がスティグマの権化だった時期は間違いなくあった。今日では、オタク史の歴史修正主義者だけが「なかったこと」にするようなことを言っているわけではない。当時を知らない人が「なかったこと」として語ってしまう場合もあるように見受けられるので、ああ、こういうのって風化されるんだなと私は思うようになった。
 
それからインターネット。かつて、IT企業経営コンサルタントの梅田望夫さんは『ウェブ進化論』等でweb2.0というビジョンを語った。
 

 
このweb2.0というビジョンは、2024年から見ると荒唐無稽な理想論にみえるかもしれない。しかし00年代のインターネットにはweb2.0的な状況が実際にあった(すべて、そのとおりとまではいかないにしても)。誰もが無料でアップロードし、誰もが無料でダウンロードする。どんな情報にもロングテールな需給関係が存在し、情報がマッチングされる。そんな状況だ。
 
ただし、当時のそれがユートピアかといったらそうでもない。違法ダウンロードや誹謗中傷をはじめ、法治の明かりの届かない側面や野蛮な側面もついてまわった。web2.0的なユートピアは、脱法や違法に支えられていたとも言える。そうしたひとつひとつの景色、出来事も、記録しておかなければ残らない。まして、自分自身が見た景色となれば尚更だ。テレビニュースになるような出来事は日本の正史として残るだろうが、そうでない出来事は風化し、忘れられていく。実際、あの時代に書かれたウェブの文物もかなりの部分が散逸してしまっているわけで。
 
 

正史を書く人たちに全部任せておけない

 
ところで、出来事を記述し、歴史を紡いでいくのはいったい誰なのか。
 
歴史的アーカイブの記述者として真っ先に思い出されるのは、報道としての新聞やテレビ局、そして歴史を編纂する学者たちだろう。そうした人々が残す歴史は正統なものだ。私たちがお願いしなくても、彼らは正統な歴史を紡いでいく。
 
しかし彼らの編纂から漏れてしまうもの、彼らが記録の対象としないものについてはこの限りではない。もっと言ってしまうと、彼らのパースペクティブから見て不要とされたものは正史とはならず、彼らのパースペクティブから見て必要とされたものだけが正史の一部をなしていく。彼らのフィルタを通過したものだけが正史となり、彼らのフィルタを通過しなかったものは正史にならない、とも言い換えられよう。
 
私には、それがちょっと寂しい。
正史が有資格者によって紡がれていく、もちろんそれは大切なことで信頼に値する。けれども正史を編纂する人々が不要とするものや残しにくいものは、忘れられるばかりだ。
 
たとえば就職氷河期前にしてもオタクにしても、東京の景色は正史に編纂されやすくもあろうけれども、たとえば日本海側の地方ではどうだったのかは正史にはあまり残るまい、と思う。なおかつ正史は、東京をはじめとする大都市圏に住み、大都市圏の社会通念や近代的自我をよく内面化した、いかにも近代人によって近代のディシプリンに従うかたちで──いわば近代人のインクで──記されるだろう。
 
対して田舎者が見聞きしたものは、そのほとんどが失われ、顧みられる機会も少ない。バブル景気のビフォーアフターについてもきっとそうだ。もとより田舎といっても色々あるから、田舎者が見聞きしたものを平均化してまとめることなどできはしない。それでも、これからも東京を中心に正史が編纂されていくのだとしたら、個人レベルのエッセイにぐらい、田舎者が見聞きした景色が残されてもいいんじゃないか、という思いがある。
 
 

速水健朗さんの『1973年に生まれて』との異同

 
また、過去半世紀ぐらいを振り返る本としては、ライター・編集者の速水健朗さんが『1973年に生まれて 団塊ジュニア世代の半世紀』という本を出している。
 

 
速水さんは私と同じ石川県の出身で、世代的にもかなり近く、取り扱っている時代も拙著とほぼ重なっている。でも、似ているのはそこまでだ。速水さんは同書のあとがきに「この世代の世代論は、ノスタルジーか残酷物語のどちらかである。そうではない本を書くことが本書の目的だが、そうなっただろうか。」と記していて、実際、『1973年に生まれて』という本はそのようにつくられている。情にあまり流されず、中立的な筆致で1970年代から現在までの出来事を追いかけたい人には『1973年に生まれて』をおすすめしたい。
 
でも拙著は後発だから、まったく同じ本をつくるわけにはいかないし、そうするつもりはなかった。
そもそも同じ石川県出身といっても、育った境遇はかなり違う。『1973年に生まれて』を読む限り、速水さんの生い立ちは転勤族的であり、核家族的でもある。私は、そこにゲゼルシャフト的な環境を連想したりもした。一方私は、昔ながらの地域共同体で生まれ育ち、ゲマインシャフト的な境遇のなかで生まれ育った。ちなみにゲゼルシャフトとゲマインシャフトは社会学者のテンニースが『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト―純粋社会学の基本概念〈上〉 (岩波文庫)』のなかで使った言葉で大雑把にイメージするなら【ゲゼルシャフト=契約社会的、ゲマインシャフト=地域共同体的・ムラ社会的】みたいな感じだ。
 
だから『ないことにされた世代のわたしたち』に記した私の記憶は、地域共同体の一員としての幼少期の記憶からスタートしている。地域生活だけでなく、バブル景気とその崩壊や、オタクに対する目線も、私はまず地域共同体の一員として・ not 東京的な田舎者としてそれを見聞きした。そこには当然、偏りがあるし、情念が含まれているしも、東京的なパースペクティブに基づいていない。でも、この本はそういう地方在住の人間からみた1980~2010年代を、記憶のままに記したから、登場する出来事は共通でも速水さんの本とは方向性が違っていると思う。
 
同じく、インターネットやオタクについても、あるいはプレ近代~近代~ポスト近代の精神性についても、私は自分の出自をかわさずに書くようにつとめた。そうすることで、東京的なパースペクティブとは違った読み物ができあがると信じていたからだ。速水さんの本と私の本は、そうしたわけで方向性がかなり違うため、『1973年に生まれて』をお読みになった人でも『ないことにされた世代のわたしたち』は違った風に読めるんじゃないかと想像しています。
 
 

10月4日の発売です

 
そんな、私のエッセイである『ないことにされた世代のわたしたち』は、来週10月4日の発売です。放っておくと忘れられそうな80~10年代の思い出が綴ってあります。ご興味ある人はどうぞ。