先日リリースされた『ないものとされた世代のわたしたち』について、お手紙をいただきました。読んでくださった方々に、改めてお礼申し上げます。色々なご指摘・ご感想をいただいていますが、そのなかに「知性」の変化についてお話があったので、拙著に書いてないことも含めて書いてみます。
いただいた感想に書かれていた「知性」とは、知識をたくさん持っている人やそうした人の行為、存在感などを指すよう読めました。
それを見て私が真っ先に思い出したのは、昭和50年代に日曜日の朝にテレビで流れていた討論番組です。
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特に記憶に残っているのは『竹村健一の世相を斬る』で、武村健一がパイプ煙草をくわえながら社会について語ってみせたものです。これに限らず、日曜朝には「難しそうなことを知っていそうな大人たちが、なんだか特別な雰囲気でしゃべっている」テレビ番組が流れていました。こう言っていいのかわかりませんが、いわゆる「知識人」が政治・経済・文化・流行についてあれこれしゃべっていて、それが耳を傾けるに値するものとして放送されていたように思い出されます。
このほか、「批評」も栄えていたよう記憶しています。批評は絶滅したわけではありませんが、20世紀にはもっと旺盛に行われ、批評する人とそのオピニオンには一目置かれていたよう記憶しています。そうした批評家とオピニオンのなかには、当時の私の目から見て「なんてきついことを言うんだ」と思えるものもありましたが、とにかくも「知識人」や批評家が活躍し、一目置かれていたのが20世紀後半でした。
それらは下火になっていきました。NHKは今も『日曜討論』という番組を続けていますが、20世紀に比べれば討論番組の存在感は小さくなったと言わざるを得ません。紙媒体における批評もそうです。00年代にはまだ批評の存在感がありましたが、20年代の批評に同等の存在感があるとは言ません。
そもそも、テレビや雑誌の存在感が低下した時代でもあります。では、代わって台頭してきた動画の世界では? 動画の世界に、そうしたものが生き残っている部分もあります。というのも、討論番組や批評に相当する番組を作っているところはちゃんとあるからです。お客さんだってちゃんといます。
けれども(これはインターネットのアーキテクチャの問題でもあると思いますが)、討論番組や批評が「みんなのもの」「誰もが視野に入れるもの」という意識はたぶんなくなったのではないかな、と私は感じています。
それらに代わって存在感を放っているのは「わかりやすさ」ではないでしょうか。
20世紀に私が眺めていた「知性」「知識人」「批評」には「わかりづらさ」が伴っていました。「話者や筆者が洗練されていなかったからわかりづらかった」だけではなかったと思います。わかりづらい話題について、わかりづらい話をする、わかりづらい人がいる(またはわかりづらい本がある)、といった、わかりづらさがあっても構わない雰囲気があって、わかりづらさが社会の一隅を占めていたのでした。わかりづらさが、わかりづらいまま人目に触れる場があったように思われるのです。そうでなければ、たとえば、浅田彰『構造と力』があんなに売れることはなかったように思われるのです。
『構造と力』は最近中央公論新社からリニューアルされましたが、1980年代ほどには売れないでしょう。80年代に『構造と力』があんなに売れたのは、わかりやすい本だったからではなく*1、わかりづらい本でも構わなかった、なんなら、わかりづらいものがわからないままでも構わなかったからではなかったでしょうか。そしてわかりづらい本だったからこそ、知的ディスプレイや知的差異化の記号としてのニーズも生じたんじゃなかったでしたっけ。
今、わかりづらい話題、わかりづらい話、わかりづらい人にはニーズはあまりありません。求められているのは「わかりやすさ」であり、三行でわかる要約であり、タイパの良いメンションでしょう。それから140字におさまるメンション。
もちろん、わかりやすい話やわかりやすさ、タイパの良いメンションだってあって良いですし、それらが20世紀に絶無だったというつもりはありません。しかし、20世紀と比較した場合、「わかりづらさ」と「わかりやすさ」のそれぞれが存在して構わない比率がかなり変わり、「わかりづらさ」に属するものがニッチな領域へと追いやられている印象はあります。
誤解されたくないので断っておきますが、現代人たるもの全員がわかりづらいものと格闘しろ、などと言いたいわけではありません。……何て表現すればいいんでしょうか、わかりづらいものがわかりづらいまま世間にゴロっと陳列されている、その陳列されている状態がそれでいいことになっている、その度合いが違ってきている、と言えば伝わるでしょうか。
ついでに言えば、「『知性』はクリーンでなければならなくなった」、みたいなのもあるかもしれません。「知識人」や「批評」と呼ばれていたものには、わかりづらさのほかに、気難しさや近寄りがたさが伴っていました。ときには無茶苦茶さやアウトローさが伴うこともあったかもしれません。記憶違いでなければですが、汚い言葉遣いもあったように思います。そうしたことが「パフォーマンス」や「プロレス」でしかなかったのか、いわゆる「場外乱闘」だったのかは、当時の私には判断できませんでしたが、そうした振舞いも、「知識人」や「批評」に一種独特の雰囲気、ひいては特権を与えていたようには思います。
わかりやすさのパラダイムと、統計学的パラダイムと
そうした「知識人」や「批評」がまとっていたアウラがすっかり失われたのが2020年代ではないでしょうか。
繰り返しますが、00年代にはその残滓があったよう思われました。でも、今はそうじゃないんじゃない。知識人や批評家のプレゼンスは低下し、「知性」なるものは、もっとわかりやすく。もっとタイパの良いかたちでなければならなくなりました。晦渋さ・迂遠さ・解釈の多義性といったものは、今日日は知性の一部ではなくノイズです。ノイズレスな「知性」に、汚い言葉遣いや違法性や気難しさが不要なのは言うまでもありません*2。
そうした、わかりやすさ・タイパの良さ・明瞭さへの志向は「知性」だけに起こったこととも思えず、快適になっていく社会・清潔になっていく社会とも符合していたんじゃないかなぁ、と私は深読みしたくなります。つまり、「わかりやすさのパラダイム」とでもいうものがあり、そのパラダイムシフトのなかで旧来の「知性」や「批評」はニッチな場所へ追いやられたのではないかと。
加えて、「知性」によって扱われる知識の次元でもパラダイムシフトがありました。
「知性」、または「知性」と呼ばれる人々が取り扱う知識の性質は、20世紀中頃から21世紀にかけて変わりました。社会学にせよ心理学にせよ、統計的に確かな基盤を持ったものが主流を占めるようになり、たとえばポスト構造主義哲学、たとえば精神分析の存在感はすり減っていったわけです。私自身、そうした変化を私の職域で感じ取りました。それは、精神分析やドイツ精神病理学から、エビデンスに基づいた国際的診断基準に基づいた精神科診断学&治療ガイドラインへの移行です。
拙著『ないものとされた世代のわたしたち』では、それを以下のように書いています。
「精神分析的な診断と治療は時代遅れだ、もっと徹底的にDSMを、エビデンスに基づいた精神医学を学びなさい」と師はおっしゃった。
私服を着ているときは精神分析的なテキストを読み書きし、白衣を着ているときはエビデンスに基づいた精神医学に基づいて考えたり学んだりする二重生活が始まった。はじめ、それはDSMのあらさがしをしてやろうといった反骨精神から始まったのだけれど、それを再履修してみて考えが変わった。……精神分析やドイツ精神病理学を重視していたDSM批判者たちのいう"空疎な診断パンフレットとしてのDSM"が、本当は骨太でエビデンスに基づいた治療を実践するうえで重要であること、エビデンスに基づいているから精神分析などでは反駁のしようがないこと、等々が私にもわかるようになってきたのだった。
『ないものとされた世代のわたしたち』より引用
DSMとは、アメリカ生まれのエビデンスに基づいた精神医学の診断基準だと、ここでは受け取ってください。
精神科医になった頃、私は精神分析やドイツ精神病理学に心惹かれていて、それら(の当時の語り口)は旧来型の「知性」や「知識人」が引用する学問ともどこか共通点があり、「批評」とも無縁ではないものでした。
しかし00年代に出会った恩師から「精神分析やドイツ精神病理学を捨てる必要はない。ですが、エビデンスに基づいた精神医学をもっときちんと修めないと時代遅れになりますよ」とはっきりと言われ、なにくそと思って学ぶうちにそちらに重心が移ってしまったのでした。
つまり私は、精神医学という世界で(精神分析やドイツ精神病理学といった)旧来型の知識が、DSMのような、統計学的に裏打ちされ、どことなくアメリカンな新時代の知識へと変わっていく端境期にいたのだと回想します。そうした精神医学のトレンドの変化が、たとえばポスト構造主義からアメリカっぽい分析哲学へのトレンドの変化とも似ているなと感じて、よってこれは精神医学だけに起こったことではなく、知識全般のパラダイムシフトに遭遇したのだと考えているのです。
こうした知識のパラダイムシフトのタイミングは学問分野によってまちまちだったでしょう。医学のなかでも生理学や内科学は早くから移行を終えていたでしょうし、精神医学よりも後になってパラダイムシフトが入ってきた学問分野もあったかもしれません。90年代~00年代にかけて起こった社会変化はいろいろでしたが、就職氷河期や起こっただけでなく、こうした知識のパラダイムシフトも進行し、そうしたなかで「知性」とか「知識人」とか「批評」といったものが問われ直したのだとも思います。
知識と知識、人と人はこれからどう繋がる?
では、知識のパラダイムシフトが起こり、旧来型の「知性」や「知識人」が失効していって、みんななんにもわからなくなったのか? そんなことはないと思いますし、たとえばDSMに基づいた精神医学が空疎なわけでもありません。
エビデンスに基づいた精神医療だからといって、血が通っていないと思うのも大きな過ちだ。理解を深めるほどDSMなりの内実が見え、歴史がわかり、その蓄積と先人たちの努力に唸らされた。それをよく知らなかったことを、私は恥じた。
『ないものとされた世代のわたしたち』より引用
統計学に裏打ちされた知識の体系にも人の血と汗と涙の跡がにじみ、堅固な知識の石垣を築いています。石垣を支えているのは正統な研究を積み重ねている専門家たちです。そうした専門家は、世界全体・世相全体を斬ってみせられないし、しようともしないけれども、今日の学術体系に則ったかたちで石垣を積み上げ、学問と人類に貢献しています。
ですから、このパラダイムシフトを否定すべきではなく、その恩恵は世界のありとあらゆるところを覆っていると心得るべきでしょう。しかし、知識と世界がそうして変わっていくなかで、その専門家と専門家を繋ぐ鎹、専門外の人に専門的知識を伝える伝達者が見えにくくなったようにも思います。いいえ、人が見えにくくなったことだけが問題ではなく、そういう人が活躍するフィールドや舞台が見えにくくなったのも問題かもしれません。
20世紀末ぐらいまでのパラダイムでは、知識人や知性がまさにそうした一翼を担い、批評は、そうした人々が活躍する場のひとつだったと私は思っていますが、今日のパラダイムのもとで同じことをやるのは難しく思われます。なぜなら、世界はあまりに複雑になり、専門家とその知識はあまりに細分化され、それぞれのバージョンアップの速度も早くなっているからです。
でも、そうなったことで各分野の専門家はバラバラになり、いろいろな分野の知識を縫い合わせて一編の織物を織ろうとする人もいなくなりました。思うに、旧来の知性や知識人は、彼ら自身がそうしてできあがった一編の織物、またはひとつの世界観だったように思われます。たとえば精神科医の中井久夫などは、その人自身がここでいう織物に比喩できます。そういう人ができあがりやすかったのが前のパラダイムで、そういう人ができにくいのが今のパラダイムなのでしょう。
じゃあどうすればいいのか?
正直、私にもよくわかりません。旧来の「知識人」や「知性」の真似をしたって、どだい無理な話だと思えるので。さりとて何もしなくていいのかといったら、たぶんそんなことはないので、それぞれの分野の専門家、いや、さまざまな職種の人同士が、なんらか、一緒に宴会をやったり、一緒にお茶会やボウリングをやったりする場があったほうが良い、なければ困るんじゃないかと思います。SNS等をとおして繋がりやすくなったようにみえてもなお、バラバラになりやすいのが現在のパラダイムのもうひとつの顔だと思うので、なおのこと、知識と知識、人と人とを繋げる場が待望されている&貴重に思える今日この頃です。
そんなことを最近は考えています。