シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

ますます静かに・安全になっていく社会は人間を自由にするか

 
anond.hatelabo.jp
 
リンク先の文章には、近隣の公園の喧騒に過敏になり、クレームをつけるに至った人の体験談が丁寧に記されている。いつものようにはてなブックマークにはたくさんのコメントが集まっていて、さまざまな意見、見解、感想が入り混じっている。
 
コメントのなかには、筆者の体験を病的であるとみなし精神科病院に行くよう勧めるもの、逆に精神科病院に行くよう勧めることが問題の個人化を促し、環境の改善がおざなりになってしまうのを懸念する声も見受けられた。なるほど。とても現代的だ。ここでは、近隣での騒ぎ声についての悩みが医療化されていると同時に、行政にクレームをつけることで改善を期待するさまが読み取れる。どちらも昭和時代以前には稀なソリューションだったに違いない。
 
昭和時代だったらどんなソリューションになっただろうか。
決まっている。「コラー!」である。
 


 
公園で青少年が騒いだり焚火をしたり爆竹を鳴らしたりしていた時代とは、そうした青少年を近隣の大人たちが直接叱ったり、制裁したりして構わない社会だった。『ドラえもん』に登場する脇役のカミナリさんがリアルだった頃のことである。行政を介してクレームを入れるような迂遠な方法をとらず、直接介入するし、介入して構わない社会。逆にそういう社会だったから子どもたちが近隣で割と好きなことをやれた、とも言えるし、子どもたちは危険な大人のいる場所を観察し、情報交換していた。
 
それだけでなく、当時の状況はもう少し複雑だったように思い出される。不埒な素行の青少年をどこまで大人が叱ったり制裁して構わないかは、その大人が地域でどの程度の権力や影響力を持っているのかに左右された。あるいはその大人自身の腕力か。地域のなかでその大人の立場や影響力が弱く、腕力にも行動力にも恵まれない場合、青少年に介入するのは難しい。下手をすれば返り討ちに遭い、立場や影響力の強い地域の大人からの介入を招くおそれもある。当時は青少年自身がある程度の権力を持っていた、とも言えるかもしれない。地元の青少年集団は公に認められる権力者ではなかったが、脅迫や破壊、嫌がらせに訴えることのある存在だった。
 
こんな具合に、公園で騒ぐ青少年に直接介入可能な社会とは、誰もが好き勝手に介入可能な社会ではなかった。権力や影響力や腕力次第の不平等な社会、弱い者が泣き寝入りを余儀なくされ、強い者が世にはばかる、そのような社会だった。今日の社会正義の観点からみて、不正な社会だったといわざるを得ない。現代社会と対置される地域社会、いわゆるゲマインシャフトな社会とは、そのように暴力や権力や影響力がローカルに分散し、法や(国家への)暴力の独占が進んでいない社会だった。
 
  
 
対していまどきのゲゼルシャフト的な社会、つまり社会契約に基づいた社会とは、法の徹底や暴力の独占が進行し、暴力や権力や影響力のローカルな分散がなくなろうとしている社会だ。そこでは、個人の行動の制限は個人間でふるわれる暴力等によって決められるのでなく、行政や管理機関を介したかたちになる。弱い個人でもクレームできるという点で、地域社会より平等だとはいえるだろう。たとえば隣の公園で夜通し騒ぐ青少年に困っている高齢者がその改善にクレームをあげられるのも、マンションの隣家の騒音に怯えている独居女性が管理機関に改善を依頼できるのも、そのおかげだ。
 
だから近隣の公園が騒がしいからと直接青少年に文句を言ったり殴りかかったりするのでなく、クレームという経路を介するのはいかにも社会契約的な身振り、現代的な身振りだ。そのクレームの妥当性については、行政や管理機関が判断するだろう。
 
 

変わりゆく「どこからが迷惑・危害・リスク」

 
と同時に、冒頭の記事は社会契約の進展以外のことも物語っている。筆者は、公園で青少年が騒ぐのに耐えかねて次第にストレスを募らせていったと記し、さらに以下のようにも書いている。

俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園でバカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民に我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。

筆者は、騒音に耐えかねている自分自身も過去には公園でバカ騒ぎし、迷惑をかけた、仕方なく許されたことを理解している。では、当時の筆者は当時の社会からどれぐらい逸脱していただろうか。そしてその「バカ騒ぎし、迷惑をかけた、仕方なく許された」出来事は当時の近隣の人々にどれぐらい際立った迷惑と認識されただろうか。
 
実際には、そこまで際立った迷惑と認識されていなかったのではないか? と私は推測する。
平成から昭和へと遡れば遡るほど街は騒がしく、人々は大声を出し合っていた。平成20年頃、私は出身大学からほど近い地区で飲み屋をやっているマスターからこんな言葉を聞いた:「最近はこのあたりも静かになりました。昔は学生や若者の声で騒がしかったんですが」。実際、学生時代からしばらくぶりに滞在したその地区は、私の記憶よりもずっと静かだった。というより地方都市全体が静かになっていた。
 
もっと遡って昭和時代を思い出すと、私の家の隣の空き地では、夏の夜になると盆踊り大会や祭りの練習で何時間も騒がしかった。話し声、スピーカーからの音楽、太鼓や笛の音、そして子どもの泣き声や笑い声。しかし私たちはそれが迷惑だとは認識していなかった。現在の私なら、それらを迷惑と認識するだろう。
 
列車の風景も昭和時代と令和時代ではかなり違う。大声や散らかしは昭和時代のほうがずっと多く、それを迷惑と認識する人は少なかった。もちろん当時も敏感な人はいたはずだから、そういう人は、街のあちこちから聞こえてくる声、音、におい、といったものにすっかり参っていたに違いない。しかしそのような個人は現在よりも少数派で、より多くの人が当時の騒がしさの水準に慣れ、喧噪に向かって「迷惑だ、やめろ」と主張することも、行政や管理機関にクレームすることも少なかっただろう。へたに行政に相談しようものなら、個人の問題として門前払いされた可能性が高い。
 
今日でも、そうした喧噪が残っている世界はある。長距離列車の待合で大きな声でしゃべる中国の、おそらく地方から来たとおぼしき恰好の人々。台湾の列車で顔見知りのおばさん同士が話を弾ませている姿。それらは日本の鉄道の風景、特に新幹線や東京メトロの風景とは対照的だ。訪日外国人観光客ですら、ある程度まではそうした日本の秩序に従う。
 
もちろんこれは、騒音だけに限ったことではない。
 

 
体臭、不衛生、法規やマナーからの些細なはみ出し、不安や不審をもたらす行動や感情──。これらは時代を経るにつれて迷惑なもの、リスクをはらんだものとみなされるようになった。過去には迷惑未満だった些細な問題点や逸脱までもが、迷惑以上のもの、責任が問われるものや排斥されるべきものへと変わっていく。以前なら門前払いされていたさまざまな行動にも、行政や管理機関が介入するようになり、メスを入れるようになった。その結果、公園には禁止を呼び掛けるさまざまな看板が立てられ、街からはホームレスがいなくなり、職場のコンプライアンスは向上した。
 
[関連]:【続報】「やめて」「禁止」看板24枚乱立の公園…「不必要なものは撤去する」と練馬区<ニュースあなた発>:東京新聞 TOKYO Web
 
  
その是非や功罪をまとめるのは難しい。
こういうことには、良かったことも悪かったことも伴うに決まっているからだ。
 
私が気になっているのは、こうして迷惑と判定されクレームの対象たり得るものが広まったことで、他人に危害や迷惑をかけず、最大多数の幸福を実現するにあたって私たちに期待される要求水準が変わってしまったことだ。
 
最大多数の幸福を目指すこと、お互いに危害や迷惑を加えないことについては、ベンサムに引き続いてスチュアート・ミルが功利主義と危害原理といったかたちで論じた。
 *スチュアート・ミルの『自由論』は、今日の社会正義について考えるうえで重要な、功利主義や危害原理について簡潔にまとまった本である。哲学者の書籍というと身構える人もいようし、実際、哲学書って参考文献をたくさん読み込んで当時のヨーロッパ社会の常識まで知っておかなければ読みづらいことこの上なかったりもするが、この『自由論』の光文社訳は読みやすいほうだ。この文章をとおして興味を持った人ならトライしてみる値打ちがあると思う。
 
個人は、お互いに迷惑や危害を加えない範囲において自由だ、その前提でお互いに幸福追求をやっていきましょうとミルは説いたし、大筋としてこれに反対する人は少なかろう。しかし、ミルが『自由論』を説いた19世紀のイギリス、昭和時代の日本、令和時代の日本それぞれで迷惑や危害に該当する範囲が異なっているとしたらどうだろうか?
 
19世紀のイギリスや昭和時代の日本には、まだまだゲマインシャフト的な領域が残っていて、今日、迷惑や危害やリスクとみなされている多くのものがそのようにみなされていなかった。騒音、体臭、光害、子どものやらかしなどは、今日に比べれば迷惑や危害やリスクとみなされる度合いが低かった。タバコの副流煙もそうだ。迷惑がっていた人は昔からいたし、発がん性のエビデンスも後に見つかったわけだけど、嫌煙権訴訟の顛末が示すように、昭和時代にはそれすら迷惑や危害やリスクとしてカウントされていなかった。
 
それが、社会の進歩とともにさまざまなものが迷惑や危害やリスクとみなされるようになり、禁止され、排除され、一部は逸脱とみなされるようになっていった。生産性や効率性が高まり、リスクが回避され、健康と快適さと利便性が追求されていくうちに、危害原理に抵触するとみなされる行動が増えていったわけだ。私たちは、そういう社会の恩恵を享受していると同時に、危害や損害やリスクとみなされるものが増えたぶん、昔よりも行動を律しなければならなくなった。
 
人的流動性の高い現状では、その迷惑や危害やリスクを巡って「お互い様」や「持ちつ持たれつ」という考え方は成立しにくい。功利主義や危害原理の恩恵だけ受け取って行動を律しようとしない人間は、フリーライダーである。そういったフリーライダーは(ときには直接的に、ときには婉曲に)締め出されるか、矯正されるよう期待されがちだ。
 
こんな具合に、功利主義や危害原理の理念は変わらなくても、何が迷惑や危害やリスクとみなされ、どのような行動や人物が逸脱に当てはまるのかは大きく変わっている。スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』やノルベルト・エリアス『文明化の過程』などを読む限り、そうした迷惑や危害の定義拡大の系譜はなかなかに長く、日本固有の現象とも思えない。しかし日本はそうした変化が強く起こっている国のひとつで、人口規模を踏まえて考えるなら、こうした変化が世界最高レベルで起こっている国だと言える。
 
ゲマインシャフトで弱い立場だった人、昭和時代の喧騒によって神経病みになっていた人には良い時代になった。いや、ほとんどの人にとって良い時代、恩恵のある時代だと言えるだろう。クレームや権力闘争にコストを費やさなくて構わなくなり、泣き寝入りを回避しやすくなり、それでいて迷惑や危害やリスクに曝されにくくなったわけだからそう言い切っても構わないと思う。
 
そのかわり、私たちは昭和時代よりずっと自分自身を律し、令和時代の基準にかなった行動をやってのけなければならない。できない人がいるとしたら、その人は治療や矯正の対象となったり、寝転がれないベンチのような、遠回しな排除に直面するかもしれない。そうした治療や矯正や排除に際しては、功利主義や危害原理は、正しさの大義名分として機能する。
 
 

オーバーな功利主義や危害原理は私たちをどこに連れていくのか

 
私が見知っている限りの欧米社会や途上国では、功利主義も危害原理もここまで繊細には捉えられていないようにみえ、この、日本風の基準は大半の外国人からみて過剰とうつるのではないかと思う(し、それって違うんじゃないの? と指摘するのではないかとも思う)。それらの国々の功利主義や危害原理は、スチュアート・ミルの語った水準にまだしも近い。そうした水準のもとでは、功利主義や危害原理は社会と個人を束縛するよりも社会と個人に自由をもたらすのではないか、とも推測する。
 
では、日本ぐらいの水準の功利主義や危害原理はどうだろうか? いや、もっと進んで、現在よりも多くの行動が危害や迷惑やリスクとみなされ、ますます私たちが静寂に、清潔に、生産的で効率的にならなければならなくなった未来の社会は、私たちをどこまで自由にし、どこまで束縛するだろう?
 
私は、この調子で社会がひたすら漂白され、個人までもが漂白されようとしていることを心配する。この方向へのとめどもない変化は、人間の自由を増やす以上に人間の自由を損ね、人間をごく狭い行動の鋳型に押し込めるものではないだろうか。そして鋳型におさまりきらない人間に対して、鋳型におさまりきるマジョリティが正義の御旗のもと、あんなこともこんなこともできてしまう社会への入口だったりしないだろうか。
 
最後に、当のスチュアート・ミルの『自由論』の一節を拝借し、この文章の結びとしたい。
 

"人間の場合もそうだが、政治や経済の理論の場合も、人気がないときは目立たなかった間違いや欠陥も、勢力が増すと表面化する。" スチュアート・ミル『自由論』

 
 

忘れる・忘れられることを承知のうえでゲームと向き合うこと

 
blog.tinect.jp
 
ゲームの個人史って、ものすごく儚いと思いませんか?
 
その点でいえば、ゲームの個人史でなくゲーム史をものしたいと願った人の気持ちは理解できる。と同時に、ゲーム史として・サブカルチャーの「正史」として後世に語り継がれていくものが個人の印象に歪曲されてしまうことは罪深いことだろうとも想像できる。
 
が、「正史」としてゲームの歴史家が編纂する範囲はあまり広くなく、その外側には無数のゲーム個人史が残り、あまたのエピソードが取り残される。アニメ個人史やライトノベル個人史、コミックマーケット個人史もそうかもしれない。体験した者の数だけ風景が存在したはずだが、それらのうち、「正史」に編纂されるのはごく一部だ。「正史」に残らない部分についてはなまじっかな努力では忘却に逆らうことができない。それが虚しく思えることが最近の私にはよくある。
 
 

私のゲームシーンもあなたのゲームシーンも、時の風化を免れない

 
先日、同時代にゲームやアニメを観てきた愛好家たちと昔話をする機会があった。そのなかで私は「最近、ゲームを追いかけて、体験して、それで後に何が残るんだろうって思うんだ」と心境を吐露した。どんなに忘れたくないと思っていても、そうした体験は過去になっていき、遠くになっていき、あまり思い出せなくなっていく。世間の人々が思い出してくれるとも思えないし、誰かが記録に残したところで、10年も残ってくれないだろう。だとしたら、四十代、五十代になってもなお、それらと向き合い続けるとは一体なんなんだ、忘却の壺に余暇の時間を投げ込んでいるようなものではないかと。
 
愛好家の知人たちは私よりも割り切っている様子だった。それは諦めている、と。ソーシャルゲームの今は忘れられていく。『ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダム』の今も、『艦隊これくしょん』が脚光を浴びていた一時代も、『バーチャファイター2』がゲーセンで大人気だった頃もそうだ。大まかな出来事については「正史」が拾ってくれ、後世に語り継いでいくのだろう。しかし「正史」を編纂する者はどこまでを「正史」として残していくだろうか? またそのとき過去のコンテンツはアーカイブとして残されるだろうか?
 
難しいんじゃないかと思う。
たとえば未来において『ウマ娘プリティーダービー』を遊ぶことはできない。それだけでなく思い出すことも難しくなる。あの頃こんな風に盛り上がっていたよねとか、こんな風に不平を言っていたよねと思い出せる人はだんだん少なくなっていく。ゲーム人生が10年か20年ぐらいの人はあまり意識しないかもしれないが、ゲーム人生が30年40年となっていくと、忘れられていく、ということが小さくない問題として鎌首をもたげてくる。たとえばメガドライブが現役だった頃のこと、セガの大型筐体ゲームがゲーセンでグリグリ動いていた頃のことを思い出せる人はだんだん少なくなってくるし、そういう話を共有できる者も少しずつだが少なくなっていく。それだけではない。過去について、嘘・大袈裟・知ったかぶりな話をする人もチラホラ現れるようになってくる。
 
自分の記憶のバリエーションもだんだん減っていく。案外、エピソード記憶のひとつひとつは鮮明だったりするが、思い出せるエピソード記憶のバリエーションがだんだん少なくなってくるのだ。たとえばファミコン時代の記憶は私にはそれなり残っているが、それでも20年前に比べれば随分と思い出せなくなってしまった。
 
そうやって過去のゲームはどんどん遠くに行ってしまう。そして昔のゲームをもう一度遊べる可能性は低く、たぶんレトロゲームたちをリプレイする機会は二度と来ないのだ。ゲームに限らずだけど、サブカルチャーには現在や未来はあっても、過去はない。いつか、古典といわれるゲーム作品が現れるなら、ちょうど夏目漱石の小説やヴェートーベンの交響曲がそうであるようにずっと楽しめ、ずっと忘れられない作品になるのかもしれないが、たぶん今はその時ではない。
 
私はたぶんバカげたことを書いている。
忘れられていく、そんなの当たり前のことじゃないか、と。
昭和時代の歌謡曲もテレビドラマも、それらを思い出せる人はどんどん少なくなり、それらを語る人や愛着する人も少なくなってきた。現役でいられなくなった作品は消えていく。いや、私たち自身だってそうだ。忘れられることは、愛着しないことの理由にはなりっこない。それを理由にしてしまったら、この世のあらゆることが愛着するには値しないだろう。わかっている。頭ではわかっているのだけど。
 
それでも一体なんなんだという思いも、捨てきれない。
前を向いてゲームと向き合っている時、今という時間にリリースされたゲームと向き合っている時、忘却のことはあまり気にならない。が、いざ過去を振り返り、5年前に最新だったはずのゲーム、10年前にシーンを形成していたはずのゲームが早くも時の風化作用に晒され、遺構になりつつあるのを見る時に飲むワインはひときわ苦い。そして時の風化作用を受けるのはゲームやゲームシーンだけでなく、プレイヤーとしての自分自身、追憶者としての自分自身もそうだ。風化作用にさらされているから生きている意味が無いなどとは、私は言わない。生きるとは、風化作用にさらされていくことと同義だからだ。それでも、忘れ難かったはずの一瞬一瞬がこうも形骸化し、記憶からもインターネットアーカイブからもどんどんなくなっていくのは悲しいことに違いないはずなのだ。
 
この悲しさに対抗するべく、ある時期、私はゲームについて個人的なプレイのアーカイブを作ろうと努めたことがあった。でもやめた。そうした個人のアーカイブを作ったところで、ドメインが死ねば一巻の終わりであることを、昨今のインターネットは教えてくれているからだ。個人がゲーム個人史のアーカイブを残そうと努力して、いったいどこまでのことができるのか、今は疑問に感じている。本当に・どうしても残したいなら、メッセージを御影石に刻印したうえで大洋底に沈めるしかないのではないだろうか*1
 
いやいや、ばかげているな。読み返してみて思うに、今日は本当にばかげたことを書いてしまった。
これは、ゲームが忘れられていくことが問題なのではなく、忘れられることを悲しく思い過ぎている(今の)私自身が問題なのだろう。ほとんどのゲームファンは、自分が今プレイしているゲームが10年後にどのぐらい忘れられるものかを一切気にせずに遊んでいるし、それが健全な姿勢だろう。ところが今の私は忘れられていくこと・忘れていくことに憂鬱になりすぎていて、不健全だ。案外、こういうのも更年期的な心象変化なのかもしれない。最新のゲーム・最新の漫画・最新のアニメと向き合っていてそれぞれに感心しているはずなのに、最近の空模様のように気持ちが晴れない。
 
 

*1:御影石にメッセージを刻んだ石板をハワイ沖の大洋底に沈めておけば、数千万年にわたってアーカイブを残すことができる。人類が滅んでもなお、メッセージは健在だろう

40代になってからも限界はみえない。それでもできることは減っている。

 
2023年度のGWも終わって、何というでないけれどもくたびれている。このままギアを落とさず5月をやっていくのかーと思うと気分が晴れない。五月病など、あってはならないことだ。
 
仕事と原稿と家庭に忙殺される日々を振り返って、思う。ああ、すごくできることが増えたけれども、すごくできることが減ったなぁ、と。以下に書くことがすべての中年に当てはまるとは、私も思っちゃいない。けれども私のようなパターンにはまる中年もいるはずだし、そういう人には刺さるかなと思って、四十代後半になった一人の人間の成長と限界について書き置きしておく。
 

「中年の成長の限界」の予想と現実

 
私は昔から成長の限界について考えるくせがあって、もう20代の頃から自分の限界はどこなのか、もし限界が来るとしたらどう身を処すべきか意識してきた。不安だったのだろう。というか今でもまあまあ不安だ。
 
そうして20~30代の頃に想像していた「中年の限界」とは、第一に能力的な限界だった。認知機能の低下、動体視力の低下、バイタリティの低下などをとおして成長の限界を迎える中年。そうした想像に傾きがちだったのは、私がコンピュータゲームという、身体機能の衰えを感じやすいジャンルに身を置いていたからだと思う。
 
ところが実際に30~40代になってみると自分の成長が止まらないことに気付いた。
 


 
このRootportさんの所感は、30代後半~40代前半にかけての私の印象とほとんど違わない。真っ先にダメになると思っていたゲームの腕前も、思っていた以上に経験でカバーできることがわかった。もちろん、『スプラトゥーン3』を若さに任せてゴリ押ししていくような、中学生ライクなプレイスタイルは無理なのだけど。
 
いっぽう書籍を読むこと・書くことについては間違いなく成長があった。私は短時間に本を読み過ぎると頭がぱんぱんになってしまうし、物語にハマると感銘や感動にいちいち足止めされて、なかなか先が読めなくなってしまう。だから私は読書家には向いていないと自認していた。
 
それでも40代になってから、以前よりずっと読めるようになったし、そうなれたのは過去に読んだ本たちが読書をアシストしてくれるおかげだ。たぶん、読書については私はまだ成長途上で伸びしろがある。そのおかげで私の文章づくりの総合力もたぶんまだ伸びているっぽくて、全盛期はまだ先じゃないかと今は予想している。
 
本業のほうも、20~30代の頃に比べて診断と治療、コミュニケーションについて精度・集中力・メリハリが向上したように思う。だからといってままならないのが精神医療ではあるけれど、私は精神医療に興味関心が尽きないままこの年齢を迎えることができた。学会で聴く話が色あせてしまうこともない。
 
こうした色々を踏まえると、私は10年前より間違いなく成長している。もし、タイムマシンで2013年の私に「2023年のおれはこんなことをやっているぞ」と知らせたら、10年前の私は驚くだろう。
 
そのかわり、まったく違う方向から限界がやってこようとしている。
それは時間だ。
 
さまざまなことができるようになり、さまざまなことをやるようになり、さまざまなことを引き受けられるようになったのは良かった。そのかわり、自由に使える時間、自由に遊んだりふざけたりのんびりしたり考えたりする時間は目減りしている。その目減りが未来の成長に影を落とすかもしれない。それを心配するようになった。
 
たとえばこのブログの更新頻度や、twitter等に書き込む頻度が、昔よりペースダウンしている。書いてみたいこと・しゃべってみたいことはたくさんあるのだけど、時間がそれを許してくれない。うすらぼんやりとインターネットを回遊する時間は20代の頃は膨大で、30代の頃もそこそこあったが、40代になるとそんな暇はなくなり、40代の後半にさしかかった今は全く見ない日すら増えた。「twitterなんて、放っておいてもいくらでも書ける」と思っていたけれど、twitterも、そこに入り浸っていないと案外書けなくなるものだと知った。
 
そうして優先順位の低い活動や娯楽が、とりわけ時間不足にさらされている。あまり期待していないアニメを観る時間や、比較的どうでもいいゲームをプレイしてみる時間も少なくなってしまった。効率ばかり優先させていては、趣味生活は痩せてしまうものだ。が、これをどうにかする術は思いつかない。
 
でもって優先順位の高いことをいろいろ頑張っているわけだが、一日は24時間しかなく自分の体力にも限度があり、慢性的な時間不足が解決するめどは立たない。それらが年々ひどくなり、色々と手放してもまだ時間が足りないのが今の私だ。やがて起こるライフイベント等まで考えるに、私はきっともっと多くを手放さなければならず、もっと少ない時間しか手許に残らないだろう。
 
中年の限界は確かにあった。私の場合、それが能力的な衰退に先立つかたちで時間不足によって起こりつつある。とにかく時間が足りない。それは日一日という意味でもそうだし、人生の残り時間という意味でもそうだ。50歳になるまであと何年、60歳になるまであと何年と考えた時、惑っている暇はない。惑っている暇がないからこそ、時間にあそびがない。
 
 

何が限界のボトルネックになるのかは人それぞれだろうけど

 
こうして私は私の限界にぶちあたっている。
時間という限界に。
ああ、今日という日もこうして暮れゆこうとしている。
人生の残り時間もそんなにあるわけじゃない。
 
何が限界を定めるボトルネックになるのか、それが何歳の頃に現れてくるのかは人それぞれだろう。けれども限界のない人間はいない。なぜなら人間は生物学的にも社会的にも加齢し、一日は24時間しかなく、寿命の限界があるからだ。その寿命も、健康管理やソーシャルな管理をおろそかにしていれば簡単に短くなるだろう。放置していても健康でいられる時期は過ぎた。健康は限界にダイレクトにかかわってくる要素なので、健康の奴隷にはなりたくないが、さりとて健康を無視して中年がやっていけるとも思えない。命を大切にしつつ、命を燃え上がらせて生きたい。
 
 
 

タイトルすら読めない人の「声」は今のネットに存在するか

 
 
note.com
 
先日、狂人を名乗っている小山さんが、「論破王」ひろゆきさんとtwitterで「議論」になった一部始終をnoteにまとめてらっしゃった。その内容は、ひろゆきさん自身に焦点を当てるよりも、ひろゆきさんのファン層に焦点を当てた内容だった。
 
小山さんは驚きをもって語る。「日本語は読めないけれど論破したい」という欲望が存在する、と。ひろゆきさんのファンからの声には、論争内容を理解したコメントがぜんぜんなくて、まったく論争内容を理解していないコメントが無限に飛んでくる、と。
  

自分はインターネットに20年以上どっぷり浸かり、不毛なネット論争を何十何百と繰り返してきたわけなのですが、ここまでファン層の知的レベルが低いのは確実にひろゆきさんが初めてだと思います。というか、おそらくは「論争」という知的(?)遊戯を嗜まない層にまでひろゆきさんの影響力は波及している。論争の当事者になることで、それがはじめて実感を伴って理解できました。

ここから、ひろゆきさんが「論破したい欲求を満たすコンテンツ」や「知性を誇示する欲求を満たすアイコン」になっていることを小山さんは以下のように述べる。
 


 
「ひろゆきが日本で最も支持される思想家」といってバカバカしいと思う人もいるかもしれない。が、私も、真剣に直視したほうがいいやつだと思う。
 
ひろゆきさんが掬い取っているものは何か? ひろゆきさんが感化し、ある種の風向きを作っているものは何か? これらは考察に値することだと思う。対策が必要だとみなす人も、いるかもしれない。
 
こうしたことはひろゆきさんのファン層だけでみられる現象でもあるまい。たとえばはてなブックマーク等を見ていても、タイトルしか読めていないユーザーはごまんとみられる。いや、それどころかタイトルすら読めていないユーザーも見かける。
 
もちろん、はてなブックマークユーザーのリテラシー (読み書き能力) が特別に低いと言いたいわけではない。同じようなユーザーはtwitterにも動画コメント欄にも数多みられるものだ。そういうユーザーの過去ログを読み進めていくと、特定の思想信条に関してだけ文章読解ができない人もいれば、まんべんなく文章読解ができない人もいる。そして、小山さんの指摘を裏付けるように、インターネット上のカリスマに感化され、その走狗となり果てているケースも珍しくない。
 
 

タイトルしか読まない/タイトルすら読まない読者の「声」は聞こえるか

 
古き良きインターネットの時代には、しばしば「ネットには人々の本当の言葉がある」などと言われたものである。たとえば匿名掲示板にしか書かれないホンネがある、といった具合に。真偽はともかく、ネットユーザーの少なくない割合がそう思い込めた時代があったのは確かだと思う。
 
では、今でも「ネットには人々の本当の言葉がある」のだろうか? もう少しかしこまった表現を許していただくとして、そこに、「大衆の声」や「民草の声」はあると言えるのだろうか。
 


 
これに関連して、藤田直哉さんはなんだか難しいことを問うている。が、この難しいことはさておくとしても、タイトルしか読まない人/タイトルすら読めない人が誰かのファン層となって言葉を発していく今のネット空間において、その言葉は誰のものだろうか。たとえば、ひろゆきさんは「大衆の声」の代弁者と言っていいのだろうか?
 
私には、それが疑わしく感じられる。
ひろゆきさんをはじめ、今のネット空間には沢山のカリスマや雄弁家がひしめいている。そうした状況下で「自分の頭で考え、自分の意見を主張する」とはとても難しいことではないかと思う。読み書きについてよく訓練している人でさえ、誰かの主張に呑まれてしまい、呑まれてしまっているのに自分の頭で考えていると思い込んでしまうことはありがちだ。
 
今、カリスマの声や雄弁家の声と、自分自身の声とを峻別するのはとても難しくなっていないだろうか?
 
ネットが到来する以前、たとえば「新聞の時代」や「テレビの時代」においても、カリスマの声や雄弁家の声は大きく、自己主張は難しかったに違いない。そもそもメディアにツテのある人でない限り、自分の声を誰かに届けることが難しかった。新聞やテレビの向こう側にいるカリスマにゴーストダビングされ、その劣化コピーになってしまう人も多かっただろう。しかしメディアの特質として、新聞やテレビの向こう側は遠かった。SNSや動画配信の生き届いた今と比較すると、カリスマや雄弁家が遠くに感じられる時代だった。
 
いっぽう今は、自己主張が簡単になると同時に、カリスマの声や雄弁家の声が非常に近く感じられる時代だ。アメリカの大統領やイーロンマスクの声までもが、とても近しい存在と感じられ、布団のなかにまで入ってくる時代。ひろゆきさんも、そのような近しいカリスマとして認識される一人なのだろう。
 
カリスマや雄弁家が耳元でささやいてくるようになった時代、とも言えるかもしれない。その時代に、私たちの手許にはスマホがありSNSがある。そのスマホやSNSをとおして誰でも自己主張できる……ということにもなっている。
 
しかしカリスマや雄弁家との距離が近くなったせいで、そのツイートをリツイートしたりいいねしたりしているうちに彼らの劣化コピーになるのはより容易く、より回避困難になっていないだろうか。カリスマや雄弁家の発言を劣化させたような言葉でも、自分でタイプしている限りにおいては自分の意見のように思えるものだ。そしてひろゆきさんをはじめ、優れたカリスマや雄弁家は、そのように他人に思い込ませるのが抜群に美味い。インターネット、とりわけSNSのようなメディアは心の間合いが狭いから、優れたカリスマや雄弁家に耳元で囁かれるうちにコロリと感化されてしまう。*1
 
今日のインターネットでは、政治領域にしろ他の領域にしろ大勢のカリスマや雄弁家がひしめき合い、影響力を行使しあっている。SNSなどは、人々の声を代弁するという体裁のもと、ゴーストダビングを行っていく影響力の草刈り場である。そうしたなか、それぞれのカリスマや雄弁家のファンや支持者の声を大衆の声と同一視していいとは思えない。
 
カリスマや雄弁家のゴーストダビングとなってしまった人々の声は、あくまでカリスマや雄弁家の声でしかないのではないか? 
 
だとしたらだ、タイトルしか読めない人やタイトルすら読めない人たち、その人々の声の多くも、カリスマや雄弁家の声でしかないのではないかと私は疑う。というよりリテラシーが低い人々こそ、カリスマや雄弁家の声に対して抵抗力がなく、たやすく感化されてしまう人々の最たるものだ。そうした人々はカリスマや雄弁家の声を模倣してみせるかもしれないし、自己流に解釈してSNSに書きこもうとするかもしれない。が、リテラシーが乏しいからこそ、カリスマや雄弁家の拡声器として体よく利用されやすい。
 
今日のインターネット環境において、だから「大衆の声」を聴くのはとても難しくなっている、とみたほうがいいのだと思う。ひろゆきさんのファン層をはじめ、大勢の人々がカリスマや雄弁家の声によく似た書き込みをしている。が、それは大衆の声そのものというより、大衆の口を借りたカリスマや雄弁家の声でしかないと解釈すべきではないだろうか。それが言い過ぎだとするなら、「大衆の声は、カリスマや雄弁家の影響下に置かれている」と言い直すべきだろうか。
 
かつて、大衆の声とか大衆の知恵として期待されたものは、メディアに毒されていないところにある、そのような声や知恵ではなかっただろうか。だとしたら、そのような声や知恵が今日のインターネットに存在可能とは思えない。今日のインターネット環境では、大衆と言っていい人々はたちまちカリスマや雄弁家の影響下に入ってしまい、彼等のメッセージを模倣する拡声器にされてしまいやすい。
 
 

結局彼等はサバルタンのままでしかない

 
インターネットが完全に普及し、誰でも情報発信ができる時代が到来したとは、よく言われることだった。実際、シェアや「いいね」機能をとおして、何も書けない人でもインターネット上のオピニオンやメンションに vote できる時代になったという点では、確かに情報発信は万人に開かれた、のだろう。
 
他方、あまりにもインターネットが普及し、そこにアメリカ大統領やらイーロンマスクやらひろゆきさんやらがひしめいている状況となった結果、インターネットは影響力争奪戦の戦場となり、カリスマや雄弁家の草刈り場になり果ててもいる。カリスマや雄弁家が間近に感じられる今の環境のなかで、彼等の劣化コピーとならないこと、誰かの意見ではなく自分自身の意見を持つことは、本当は難しいはずである。だとしたら。
 
だとしたら、ネットのカリスマや雄弁家に出会ったことで何かを言えるようになったと感じている人は、結局、もの言えぬ人々のままなのではないか。彼等が何かを言っているつもりでいて、実はカリスマや雄弁家のスピーカーになり果ててしまっているとしたら、結局彼ら自身は物言わぬ人々のままでしかない。なまじ、カリスマや雄弁家が間近に感じられるものだから、自分自身の意見とカリスマや雄弁家の意見の境界は曖昧になりやすい。リテラシーが乏しければ、そうした傾向に拍車もかかろう。
 
弁論術も含め、リテラシーとは、自己主張していくためのツールとして必要不可欠なわけだけど、そのリテラシーが欠如している限り、SNSがあろうとも、自分の意見を代弁してくれている誰かの追っかけをやろうと、結局自己主張は困難なのだと思う。のみならず、リテラシーが欠如しているからこそ、カリスマや雄弁家の巧みな弁舌から自分の意見を守ることも難しい。そうやって、タイトルしか読めない人やタイトルすら読めない人がネットのカリスマや雄弁家に浸食されているのが、ここ十数年の間にできあがったインターネットの風景だと思う。
 
もしそうだとしたら、「大衆の声」に相当するものは今、どこで聞こえるのだろうか。いや、そもそも大衆とここで言われる人々に、声や意見は持ち得るのだろうか。インターネットをとおして影響力が刈り取られまくっている現在の環境下で、自分自身であること、自分の意見を持つことはどこまで可能だろうか。それは他人に問うだけでなく、自分自身にも問わなければならないことだ。たとえば私がここに書いてあることだって、冒頭の小山さんの影響下にあって書いたものと疑ってかからなければならない。
 
ネットに限らずだが、このメディア全盛の時代、緊密に人と人とが繋がり合った時代において、声とは、いったい誰のものなのだろう? そして自分の意見とは?
 
 

*1:テレビが主流になった後のラジオもそうなのかもしれない。が、それでもラジオのリスナーはリスナーでしかなかった。ラジオという媒体は「自分ももアメリカ大統領やひろゆきさんもひとつのアカウント、ひとりの発信者だ」と思える構造にはなっていなかった

Q:思春期において、承認欲求とどう向き合えば良いのか?

 
 
 
つい先日、こんな質問を読者のかたからいただきました。
 
1.「承認欲求を持つことは悪いことか」
2.「思春期の年頃において、承認欲求とどう向き合っていけば良いのか」
 
このブログを長らく読んでいる人には答えの見える質問かもしれませんが、そうでない人に説明するのはちょっと大変そうです。そこで今日は、予備知識のない人に一から説明する心づもりで1.2.の質問に答えてみます。
 
 

1.「承認欲求を持つことは悪いことか」→いや、人間そういうものだし

 
まず、「承認欲求を持つことは悪いことか」について。
 
私の答えは「良し悪しは別にして、人間には承認欲求はあります。あるんだからしょうがない」、となります。ビーバーがダムをつくるように、ライオンやトラのオスがなわばり意識を持つように、人間は社会的欲求を持ち、良好な社会関係(人間関係)を得たがるものなのです。「人間は本能的に社会的欲求を志向する」と表現してもいいかもしれません。承認欲求は、その社会的欲求なかでも意識しやすいもののひとつです。
 
なぜ、人間は社会的欲求を本能として持っているのでしょう? それは、人間が太古の昔から一人では生きていけない生物だったからではないでしょうか。私の調べによれば、人類はホモ・エレクトスの時代から男性と女性が助け合わなければ子育てが困難な種だったそうです。狩りをするにも子孫を育てるにも人間は協力しあう必要がありました。農業が始まり、さまざまな職業が生まれ、分業が進むにつれて人間はますます助け合いながら、人間関係を築きながら生きていかなければならなくなりました。人間関係を築いていくうえで、他人から認められること、それから自分の属するグループに仲間意識を持ったり尊敬に値するリーダーを尊敬し彼/彼女から学んだりすることは、とても大切なことだったはずです。
 
「人間関係なんてどうでもいいし」「私は他人に認められなくても、みんなから無視されていても構わないし」なんて思っていた人はいつの時代にも生き残りづらく、子孫を残すことも難しかったでしょう。
 
太古の昔から現在まで、そうした社会的欲求をもたない人間よりもっている人間のほうが生存しやすく、子孫を残しやすい状況がずっと続いてきましたから、社会的欲求を持った人間がもっぱら子孫を残し、気が付けば人間はだいたいそういう性質になっていたのでしょう。進化生物学っぽく言い換えるなら「社会的欲求は人間の行動形質のひとつになった」とか「人間は社会的欲求を持つよう進化した」と言い換えられるかもしれません。
 
20世紀の心理学者であるアブラハム・マズローという人は、この、社会的欲求について「欲求段階説」という有名なピラミッド状のモデル*1を残しました。昔の私の書籍から引用した図で恐縮ですが、以下をご覧ください。
 

※昔の本から引っ張り出してきた、マズローの欲求段階説のピラミッドを簡単に書いたもの。自己実現欲求、承認欲求、所属欲求が社会的欲求に該当しますが、この文章では、承認欲求と所属欲求について書いています。
 
マズローのモデルによれば、人間はこのピラミッドの下の階層の欲求が満たされるにつれ、上の階層の欲求を充たしたがるそうです。最下層の生理的欲求や安全欲求は、飢えないことや身の危険がないことを求める欲求、生存に必要不可欠な条件が脅かされている状況で強く意識される欲求です。戦争や災害のもとでは、これらの欲求が最優先になるのはわかる気がします。でも、現在の日本で生理的欲求や安全欲求が最優先になる暮らしをしている人は少ないでしょう。そうなると、中層にある承認欲求や所属欲求が意識されることになります。最上層に書かれている自己実現欲求は……まあ、忘れてくださってもいいと思います。マズローにとってはこれが一番思い入れのある欲求だったようですが、そのマズローも「誰もがこの自己実現欲求にまで辿りつけるわけじゃない」といったことを著書のなかで書いています。今日の説明では、これは省くことにします。
 
で、承認欲求と所属欲求。
 
承認欲求は、他人から承認されたい・認めてもらいたい・いっぱし扱いされたいといった欲求を指します。「自尊心」と言い換えてもいいでしょう。承認欲求は他人から自分に向かって肯定的な視線や評価が向けられる状態を望む気持ちですが、これはほとんどの人に沸いてくる気持ちですし、まったく無い人よりはある人のほうが人間関係について努力し、ちゃんとした人間関係を築けるようにも思います。
 
たとえば友達からいっぱしの仲間として認められたい・親や先生から褒められたいって気持ちは、多かれ少なかれ持っているものでしょう。学校では褒められたいそぶりを見せていない人でも、いつもの遊び場や仲間内では認められようと努力をしている、なんてこともよくあります。逆に、承認欲求がまったく充たされない状態は辛いですよね。たとえば学校や職場であいさつもできず、誰ともコミュニケーションできない人を想像してみましょう。そういう人は学校や職場で他人から肯定的な視線や評価を得ることもできず、居づらい気持ちになります。承認欲求を持つことが良いことか悪いことかはわかりませんが、とにかく、承認欲求をまったく充たせないと人間は辛いしやってられないのは間違いなさそうです。
 
また、社会的欲求には承認欲求とは違ったかたちのものもあります。それが所属欲求で、誰かに対して肯定的な視線や評価を差し向けている時も、それはそれで結構気持ちが充たされるんですよね。最近よく言われる「推し」も所属欲求のかたちのひとつだと言えます。アイドルでも学校で一番素敵な先輩でも大昔の音楽家や哲学者でもいいですが、誰かを「推し」ている時って、結構気持ちが充たされていませんか。コンサート会場で「推し」を中心に皆が盛り上がっている時、会場のなかで承認欲求が充たされないとブツブツ言っている人はたぶんいないでしょう。お祭りの御神輿、チームワークの良いスポーツチームなどもそうですね。御神輿を持ち上げて皆が一体になっている時やチームがひとつになっている時、私たちの気持ちは充たされます。そういう時には承認欲求も引っ込んでいることが多いものです。
 
このように、承認欲求と所属欲求はどちらも大切な欲求で、私たちが人間関係をうまくやっていくうえで鍵になる欲求だと言えます──これらの欲求があるから、私たちは他人にちゃんとみられよう、いっぱしの人間としてみられようと努めることができますし、チームワークなどをとおして一人では達成できないことを達成したり、ライバルたちと切磋琢磨して成長したりできるのですから。もちろん、「これらの欲求を充たしたいけれども充たせないから苦しい」とか、「学校でも職場でも家庭でも充たせないからネットの危ない場所で危ないことをしてしまう」といった難しいところもあります。が、私たちはこれらの欲求のおかげで向上心を持ち、協調性や社会性を養えるのでしょう。そして現在の高度に分業の進んだ社会も、元をただせばこうした人間の社会的欲求のおかげ、社会的欲求をとおして複雑な人間関係や協力関係を築き、文化や技術や流通や生産体制を発展させてきたおかげだ、と言ってもいいように思います。
 
 

2.思春期の年頃で社会的欲求とどう向き合うべきか

 
では、そんな承認欲求や所属欲求とどう向き合うのが好ましいでしょうか。 
 
世の中では、承認欲求が強すぎることが批判的に語られがちです。最近の人気アニメでも「承認欲求モンスター」という言葉が出てきましたね。実際、承認欲求や所属欲求のままに行動していたらひどいことになってしまった……なんてケースも結構あります。仲間内でウケようとして違法な動画を投稿して炎上したとか、ソーシャルゲームで上位ランカーでいようとして無理をし過ぎた結果、生活がおかしくなってしまったとか、承認欲求を充たそうとするまま行動して大変なことになってしまった話はいろいろありますよね。
 
あと、承認欲求って自分自身が認められたい・褒められたいって欲求なので、欲求に忠実すぎると自己中心的な振る舞いになってしまいかねない、という問題もあります。それで他人の気持ちを踏みにじってしまうようだと、むしろ逆効果、他人から嫌われてしまいます。
 
所属欲求だって、案外コントロールが難しいものです。「推し」を推したい気持ちが高まりすぎてコントロール不能になったら、グッズ購入や投げ銭が止まらなくなっちゃうかもしれないし、「推し」の布教活動をしすぎて周囲をドン引きさせてしまうかもしれません。なかには「推し」を神様のように理想化するあまり、「推し」のストーカーみたくなってしまったり、「推し」やそのファンが自分の気に入らない行動をとることを許さない「厄介なファン」になってしまう人もいます。スポーツチームなどの組織でも、チームや組織への忠誠心が強すぎるあまり、他のメンバーにも同じ気持ちを求めすぎてしまい、かえってチームや組織の運営を難しくしている人もいるかもしれません。強すぎる承認欲求だけでなく、強すぎる所属欲求も、それはそれで厄介ものなのです。
 
ですから「承認欲求も所属欲求もバランス良く、強くなり過ぎないように気をつけましょうね」が模範回答になると思います。が、それって難しくないですか?
 
両方の気持ちが出しゃばりすぎず、かといって過小にもならない状態は大人でも結構難しいものです。まして、大人に比べて経験の少ない思春期の時期はコントロールが大変。周りに認められたい気持ちが先走ったり、「推し」を思う気持ちが高ぶりすぎたりする経験は、誰だって一度や二度はあるでしょう。でも、そういった経験を繰り返しながら人は成長していくものです。ときには失敗することだってあるでしょう。
 
最近の日本社会では、その「ときには失敗することだってあるでしょう」を他人に対しても自分自身に対しても許さない・許せない人も多いようですね。だから私は「承認欲求や所属欲求で失敗することがあってもいいんだよ」と本当はもっともっと言いたいのですが、そのように言いづらいなと最近は感じています。失敗のない人生も、誰からも嫌われずいつも都合の良い欲求しか出さない人間も、本当はいないはずです。だからそれらの欲求で若い人が失敗することがあっても、再び立ち上がれるならそれでいいと私は思います。もし、若い人にそのような再起のチャンスを与えられないとしたら、それは若い人たちが間違っているのでなく、本当は社会が間違っているのだと私は思いたいですね。
 
だけど社会のせいにするのはさておき、自分自身を振り返って、気を付けてみましょう。「自分の欲求が暴走しているな」と感じるサインには敏感でありたいものです。周囲の人の反応を気にし過ぎるのもまずいですが、まったく気にしないのも考えものです。それから承認欲求と所属欲求、どちらか一方だけではバランスが悪くなりがちな点にはご注意を。たとえば承認欲求ばかりの人は自己中心的と思われやすくなっちゃうかもしれませんし、チームワークがおろそかになったり、友達といえる人がいなくなってしまうかもしれません。逆に所属欲求ばかりの人は、自己主張ができない人になってしまったり、「推し」にお金や時間をかけるあまり自分自身にお金や時間をかけるのが疎かになってしまうかもしれません。承認欲求/所属欲求どちらかオンリーで社会的成功にたどり着く人がまったくいないわけではありませんが、そういう人はまれです。まれなので、原則としてはおすすめしません。
 
それから最後に、友達の承認欲求や所属欲求が強くなりすぎている時のことを考えてみましょう。もし、友達の承認欲求や所属欲求がやけに強まっているようにみえる時には、どうしたらいいでしょうか。
 
それらがあまりにひどく、しかも長引くなら「ちょっとそれ、きついんですけど」ぐらいは言っていいんじゃないでしょうか。友達同士ならある程度は許しあえるのも事実ですが、それとは別に、「親しき仲にも礼儀あり」という言葉もあります。お互いの気持ちを破壊しかねない状態が続くなら、そのことは相手に告げなければならないものだと私は思います。
 
でも一時期にそうなっただけなら、お互いに許しあえるといいなとも思います。承認欲求や所属欲求がやけに高まる瞬間って、心に隙間風が吹いている時が多いんですよね。家庭で何かあった、学校で何かあった、別の友達と何かあった。そんな時、一時的に承認欲求や所属欲求がぶわっと強くなったり弱くなったりする瞬間があります。大人はそういう瞬間でもなるべく動揺しないよう、経験を積み重ねているかもしれませんが、未成年のうちはなかなかそうもいきません。
 
自分自身も、まわりの友達やクラスメートも、いつになく承認欲求や所属欲求が強まる瞬間はきっとあるはずです。でも、人間なんてそんなものだと私なら思います。現代社会には、そういう欲求の強弱をいつもコントロールできる完璧人間でなければならない、みたいな思い込みをしている人たちがいますが、完璧人間になろうと頑張りすぎるのは疲れちゃうし、疲れるわりに人間は完璧にはなれません。なかなか難しいことを承知で理想を語るとしたら、承認欲求や所属欲求をお互いに充たしあい、それでいて多少の揺れ幅は許しあえる、そんな人間関係と社会であって欲しいものです。
 
これから大人になっていく年頃のかたには、どうか、承認欲求や所属欲求といった社会的欲求と上手に付き合っていって欲しいと思います。上手に付き合うとは、全部充たそうとすることでも、全部我慢しようとすることでもありません。お互い、ときどき失敗することはあっても、まあなんとかやっていこうじゃないか──そんな経験を積み重ねながら、お互いの承認欲求や所属欲求にゆるく構えていける大人になれたらいいですね。毎日の生活のなかで、是非、そのような積み重ねができる場所、積み重ねができる人間関係を探してみてください。
 
 
*承認欲求や所属欲求について私がまとめた本は、少し前のものになりますが、『認められたい』というものがあります。kindle版もあります。興味ありましたら、そちらもご覧ください。
 
 

*1:補足。全部読み終わった後に気が向いたら読んでください:マズローの欲求段階説は、脳の機能と欲求について詳しいことがわかる前に、マズローが人間の欲求をざっくり整理したモデルでした。これが今日まで用いられるのは、生物学の進歩にぴったり合っていたというより、マズローのモデルがざっくりしていて使いやすく、整理に便利で、一部の人が自己実現欲求という超人的欲求をありがたがっていたから、だと私は理解しています。脳の局在的な機能と人間の欲求を直接結び付けて人間の欲求を説明するとしたら、マズローのような説明にはならないと思います。承認欲求と所属欲求は社会的欲求を整理整頓するモデルとして便利ですが、あくまでマズロー流のモデルであり、整理整頓のひとつのかたちである、とみなしておくのがいいと思います。