シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。現在、忙しいうえブログは実験モードに移行しています。

努力しているか否かでなく、努力でアタリを引ける確率・努力できる回数が問題ではなかったか

 
blog.tinect.jp
 
恵まれているか、恵まれていないか。
命がけといえるほど努力しているか、努力していないか。
努力するポテンシャルがあるか、努力するポテンシャルがないのか。
 
これらは相対的で、総論的すぎて、細やかさを欠いた比較ではある。
 
とはいえ親の年収や文化資本の多寡、心理的サポートや社会的サポートの有利不利の総合として、恵まれた環境で育ったと言える人・恵まれない環境で育ったと言える人はいるだろうし、その差異、その競争上の不平等を巡って不満や苛立ちの声があがるのも自然なことだと思う。
 
 

恵まれた環境で育った人が努力してないと思っている人は、そんなに多くないのでは

 
上掲リンク先によれば、スタンフォード大学に入り、かつ書籍を出版した人に関して、(今は消去されている)Amazonのコメントがトリガーとなってブーイングがネットに木霊したという。
 
そうしたブーイングのなかにも「努力しているとは言えない」という声があったかもしれない。
しかし多数派だっただろうか?
違うだろう。
 
とにかくもスタンフォード大学への切符を手に入れた人間が努力していないとは、なかなか思えないものである。でもって実際、くだんの人は人一倍努力をして切符を手にしたのだろう。ブーイングの声の多くも「努力していない」ではなく「逆境を克服してスタンフォード大学に入ったようで、実はそうじゃなかった」的な向きが多かったようにみえた。
 
つまり、恵まれた環境で育って切符を手に入れたのか、恵まれていない環境で育って切符を手に入れたのか、が焦点になっていたようにもみえた。
 
で、くだんの徳島スタンフォードの人は確かな社会的地位のある親元で育ち、周囲からの支援も受けながら切符を手に入れていたのだった(にもかかわらず、自分は逆境にあったと表明してもいたのだった。)。スタンフォード大学の入学生のなかでは、くだんの人とて逆境の部類だったのかもしれない。しかし日本全体の水準でみれば恵まれた環境で育ったように見えただろうし、そのせいで逆境と騙ったと思われやすかっただろう。
 
逆境を超えて難関大学に合格したと言った時、ほとんどの日本人が想像するのは、たとえば貧困家庭で育ったとか、まったく文化資本の乏しい家庭で育ったとか、DVや虐待の絶えない家庭で育ったとか、そういった環境ではなかっただろうか。
 
 

みんな努力している。じゃ、恵まれた環境であることは何が問題なのか。

 
冒頭リンク先で強調されているとおり、恵まれた環境に生まれ育った人だって努力をしている。稀に、そうでない人がいるのかもしれないがおそらく努力をしている人が大半だし、死線をさまようような努力などザラだろう。現代の能力主義社会に疑問を投げかけたマイケル・サンデル『実力も運のうち』にも、以下のようなくだりが登場する。
 

 能力の戦場で勝利を収める者は、勝ち誇ってはいるものの、傷だらけだ。それは私の教え子たちにも言える。まるでサーカスの輪くぐりのように、目の前の目標に必死で挑む習性は、なかなか変えられない。多くの学生がいまだに競争に駆り立てられていると感じている。そのせいで、自分が何者であるか、大切にする価値があるのは何かについて思索し、探求し、批判的に考察する時間として学生時代を利用する気になれない。心の健康に問題を抱えている学生の多さは、危機感を覚えるほどだ。
マイケル・サンデル『実力も運のうち』

これを読み、高学歴に邁進するサラブレッドたちが努力していないと思う人はあまりいないはずだ。こうした努力をさせてもらえること自体が恵まれていると思う人でさえ、いまどきの英才教育が努力を不要にしていると思う人は稀だろう。このあたり、上掲リンク先で高須賀さんが強調している話には迫真みが宿っている。
 
だから、努力しているかどうかは(本当は)たいした問題ではないのだ。まあみんな、だいたい努力している。その結果として一定割合で死線をさまようことにもなる。思うに社会適応とは、そのようなものではないだろうか。野生動物はもちろん、人間たちも基本的には自分の環境で最善を尽くしていて、多かれ少なかれ「のるかそるか」をやっているものである。上昇志向を伴うなら尚更だ。努力できること、それ自体が才能であり環境の所産であるという意見もあるが、ここでは於こう。努力できる人ならば、だいたい人はぎりぎりまで努力している。
 
じゃあ、皆が努力しているなかで、恵まれている人と恵まれていない人は何が違うのか?
 
あえて単純化するなら、恵まれているか否かの違いは、「努力ガチャの質と量の違い」で比喩できるように思う。
 
たとえば10代後半に努力し、結果を求めるトライアル全般を、ガチャを回す行為になぞらえて考えていただきたい。
 
恵まれた環境にいる人が回す努力ガチャには、アタリがふんだんに含まれている。アタリの名前は、そうですね、東京大学入学とかスポーツ選手とか、人脈と言えるような縁を獲得するとか、そういったものをあてがっていただきたい。
 
ひとことで努力と言っても、恵まれた環境にいる人の努力はこのようなものだ:効率的だったり目的に適ったメソッドを伴っていたり、複数の目標にリーチできる多様性や多弾頭性を伴っていたりする。だから努力という名のガチャを回した時、本命のアタリを引く確率が高いばかりだけでなく、アタリの種類も多かったりする。
 
逆に恵まれない環境にいる人が引く努力ガチャには、アタリが少ししか含まれていない。絶無、という場合だってあるだろう。努力をしているのは事実としても、賽の河原に石を積むような努力、シベリアで木の数を数えるような努力、そんなアセスメントのだめな努力をやってしまっている・やらざるを得なくなっている場合も多い。努力家できる素養に恵まれている場合でさえ、アセスメントが弱くて東京大学入学までは難しい・地元国立大学に入るのが精一杯ということも多い。スポーツ選手になるにしても、親がそれを応援できる度合いが低ければアタリを引く確率はどうしても下がってしまう。人脈に関しては、人脈と言えるような縁を獲得する確率が下がるだけでなく、なんなら、腐れ縁に巻き込まれてしまう確率すらあるかもしれない。
 
だから同等クラスの努力をやったといっても、恵まれた環境にいる人とそうでない人では、アタリを引ける確率も、アタリの上限も、だいぶ違っていると言わざるを得ない。そのことは、恵まれない環境にいる人ほど自覚しているように思う。
 
 
そのうえ、努力ガチャを引ける数自体、環境の良し悪しによって変わってくる。
 
恵まれた環境にいる人にとって、努力という名のガチャ、なかでもアタリの混じっているガチャを回すチャンスは親元を離れるまで全般だ。
 
努力はしているだろう。苦労もしているだろう。しかし恵まれた環境にいればいるほど、その努力・その苦労は未来に資するような、アタリ含みのガチャと言えるような、そういう性質を帯びやすい。中学受験。高校受験。大学受験。そして大学受験に落ちれば当然のように大学受験浪人を「させてもらえる」。
 
大学受験浪人とは嫌なものかもしれない。が、浪人させてもらう猶予の無い環境で育った者からみれば、それは「努力ガチャの敗者復活戦」であり、「自分には絶対回せない二回目の努力ガチャ」とうつる。尤も、これも相対的な話ではある。大学受験じたいをさせてもらえない環境で生まれ育った者からみれば、一度でも大学を受験させてもらえるだけで、恵まれた環境とうつる。
 
中学時代にどれぐらい勉強やレクリエーションに没頭できたか、大学時代にどれぐらい授業料や家賃のために苦学生をしなければならなかったか、そういった違いによっても努力ガチャの数は実質的に変わる。若いうちに自分自身に資する努力に集中できればできるほど、その人は多くガチャを回していることになる。逆に、自分自身に資する努力に集中する猶予を与えられない人は、たとえ難関大学に入ったとしても、努力ガチャの数は実質的に減ってしまうし、ひょっとしたら、大学卒業以降のアタリを引く確率さえ下がってしまうかもしれない。
 
そして恵まれない環境にいればいるほど、努力ガチャ、なかでもアタリのふんだんに混じっているガチャを引く回数は少なくなる。
 
たとえば大学受験の機会が一度きり、という高校生は、大学受験浪人をさせてもらえる高校生に比べてガチャを回せる挑戦回数が少ない。そして回数が少ないからこそ安全マージンを意識しながら大学受験せざるを得なくなり、そのため、選択肢は狭くなってしまう。
 
のみならず、自分自身に資する努力をする猶予が少ないほど、アタリのふんだんに混じっているガチャを人生のなかで引ける回数が減ってしまうのだ。たとえば若いうちから親の介護を引き受けなければならない人、いわゆるヤングケアラーが問題になっているが、ヤングケアラーなどは、まさにアタリの混じっているガチャを引く機会から遠ざけられている。親の介護に時間や体力をとられてしまっては、自分自身に資する努力ができなくなるか、少なくなってしまうからだ。そうした人が努力をしていない・苦労をしていない・努力不足だなどとどうして言えるだろう? いずれにせよ、そうした若者が恵まれた環境にいる人と対等に競争し、見事にアタリを引いてみせるのは至極困難だ。
 
(もうちょっとソーシャルゲームの好きな人向けに言い直すなら、恵まれた環境にいる人は、目当てのSSRが出る確率が10%、目当てではないSSRが出る確率が20%ぐらいのガチャを人生のなかで10回引けるようなものだ。)
(一方、恵まれない環境にいる人は、目当てのSSRが出る確率も目当てでないSSRが出る確率も、それよりずっと少ないガチャを引かざるを得ない──たとえば目当てのSSRが出る確率が1%で、目当てでないSSRが出る確率が2%であるような。そしてガチャを人生のなかで引ける回数自体も少ない。)
 
 

努力ガチャのアタリの割合と、引ける回数が違っている

 
だから問題にすべきだし、実際、問題とみなされているのは、「努力しているか努力していないか」という問題系ではない。少なくとも私の目にはそのようにみえる。
 
問題とみなされている問題系は、アタリのふんだんに混じったガチャに比喩できるような努力へのアクセシビリティの差である。または、努力をアタリへと導くアセスメントの差でもある。そして今回の騒動の場合、アクセシビリティやアセスメントが相当に優れた環境にいるはずの人が、そうではないと騙った(ように見えた)ことが火種となり、ネット上の大火に発展したのだと思う。
 
しつこく繰り返すが、恵まれた環境か否かとは相対的な問題に過ぎない。それこそ徳島からスタンフォード大学に入り込むのは、針の孔を通すような、恵まれない環境にいる人が東京大学に入学するようなトライアルだったのかもしれない。少なくともアメリカのエスタブリッシュメントの子息がそうしようとするのに比べれば逆境と言えるだろうし、当人が逆境を克服したと胸を張りたくなるのもわかる気がする。
 
とはいえ、そもそもスタンフォード大学に挑むという発想じたい、その環境が質・量ともに最高クラスのものだったことを暗に示している。恵まれない環境で呻吟している若者は、東京大学に挑む努力ガチャまではぎりぎり想像可能かもしれないが、スタンフォード大学に挑む努力ガチャなんて想像すらできないのだから。でもって、実際、国内有数の環境のなかでトライアルがなされたことが後付け的に判明したのだから、そこで「逆境を克服した」と言われても納得できない人が現れるのも、これまたわかる気がする。
 
「努力は身を助ける」というけれども、その努力の質、その努力の試行回数、そのアセスメントのクオリティにはあまりに大きな差がある。これが、「努力は身を助ける」というフレーズに大きな影を落としているさまを、本件はよく炙りだしているよう私には思われたし、そのような社会状況を恵まれない環境から見上げている人が虚無感を持つのは避けられないだろうとも思う。
 
にも関わらず、資本主義が、社会が、家庭が、内面化された規範が、努力せよ、アチーブせよと迫ってくる。恵まれた環境の人だけでなく、恵まれない環境の人にまでもだ。その、努力という名の一見公正にみえるガチャとその強制が、実は、ものすごい格差を孕んでいることを高所大所から告発したのがサンデルの『実力も運のうち』の一面だった、と私は思った。同書の帯に書かれている、”「努力と才能で、人は誰でも成功できる」この考え方に潜む問題が見抜けますか?” という問いは、今日的で切実なものではないだろうか。
 

 
 

石川県、浄土真宗、黒川仏壇店のCMのある風景

 
私は石川県の出身で、たぶんいろいろな大乗仏教、特に当地で大きな割合を占めている浄土真宗の影響下で育った。それでもって、無意識のうちにその宗教観や宗教文化をプリインストールされてきた、のだと思う。仏教なんて、浄土真宗なんて、と思う人もいるかもしれないし、私より若い世代では、当地でもそうしたプリインストールは弱くなっていることだろう。でも、私の世代ぐらいまではいろいろな筋道をとおして大乗仏教観が内面化される余地があった。そのあたりについて、急に書きたくなったので書いておく。
 
 

テレビCM、特に黒川仏壇店

 
「テレビCMの影響なんて」と思うかもしれないけれども、毎日毎日、CMを入れられて刷り込まれるものはあったはずで、特に家庭や地域行事と矛盾しないかたちで流れてくるCMの影響はバカにならなかったと思う。
 
・一休さんの米永
 

www.youtube.com
 
この「一休さん一休さん……ともしびともす心、一休さんの○○」というCMは、○○を他のお店に変えたバージョンが他県にもあることがわかっている。で、石川県の場合はそれが米永仏壇店で、ことあるごとにこの仏壇のCMを見ていた。
 
 
・黒川仏壇店のCM
 

www.youtube.com
 
自分的に一番インパクトがあったのが、この、黒川仏壇店のCMだ。この黒川仏壇店のCM、アニメの再放送の時間帯に放送されることが多くて、見かける機会がすごく多かった。自分の記憶では、『Zガンダム』か『ガンダムZZ』の時にもこのCMが流れていて、VHSビデオで再生するたびにこれが流れた。「心に、仏様」「あの子たちにもわかる日が来る」というフレーズは忘れがたく、子ども心には「わかんねーよ」という気持ちを沸かせ、年を取ってからは「自分の子どもにもわかる日が来るんだろうか」といった気持ちを沸かせた。
 
上掲Youtubeの、古いほうのバージョンが記憶にこびりついているやつだ。たかがCMとはいえ、仏壇をまつり、祈るという習慣が当然のように引き継がれていく前提の、石川県らしいTVCMだと思う。それを私は何百回も刷り込まれた。
 
 

地域からの影響

 
子ども時代には、近所のお寺の日常行事に参加する機会があった。たとえば報恩講という浄土真宗の行事など。子ども時代の認識として、お年寄りに連れられお寺に集合して、お年寄りは何か難しいお話をしていて、子どもはおやつをもらう日、そこらで遊ぶ日といった認識だった。ともあれ、よくわからないながらにお寺に出かける行事がときどきあった。地域の有線放送は、こうした仏教行事のたびにアナウンスをしていて、「ご近所お誘いあわせのうえお出かけください」と言っていた。
 
それとお葬式。近所で誰かが亡くなったと有線放送が告げるたび、祖父母や両親がお葬式に出向いていた。今から思うとその頻度はなかなかのもので、いわゆる家族葬ではまったく無かったことが思い出される。子どもである私がそうしたお葬式の場についていくことは少なかったけれども、たまに自分もお葬式に参列させられ、お経を聞いて座っているように言われたり、別室に用意されたおやつを子ども同士で食べていたりすることがあった。子ども心に、浄土真宗系の葬儀と真言宗の葬儀の違いに驚いて、宗派の違いの片鱗を意識させられたのも覚えている。
 
昭和の終わり頃に祖父が亡くなった時も、葬儀は地元のお寺で執り行われ、地域の人などが大勢お寺に来ていた。私はまだ小学生だったので葬儀の手伝いをするといいながらも、お寺に泊まるという体験、お寺のなかで過ごすという体験をどこか楽しんでいた。とはいえ葬儀も終わり頃を迎えると、それが別離の式であることが痛感され、納骨の前後、初めて耳にするメロディラインの念仏を耳にしたことを鮮明におぼえている。
 
あと、近くの集落に「お寺さんに通う子ども」というのがいた。寺子屋の末裔みたいなものだったのか? お寺さんに通う子どもたちは、そこで習字をやったり、学校の勉強を習ったり、お経を学んだりしていた。習っているお経は浄土真宗のものなので、浄土三部経だったと思う。学校でお経を暗唱してみせる同級生が恰好良かったので、これも私にとっては仏縁の一部になった。なぜなら、後に私はやたら写経したりお経を覚えにかかったりしたからだ。
 
 

日常のお勤めとお坊様(ごぼさま)

 
そうした仏縁のなかで一番影響があったのは、なんといっても、日常、というか自宅でのお勤めの風景とお坊様(これを、北陸地方の浄土真宗の家ではごぼさまと呼ぶ)によるお参りだったように思う。
 
祖父が死去してからというもの、我が家の仏壇は毎日のように開かれ、灯りがともされ、祖母がお経を読んでいた。それを補強するように、相当長い期間にわたって地元のお寺のごぼさまがいらして、お経をあげ、お説法をしていったのだった。月命日、というやつだ。
 
私は黒川仏壇店のCMを見て過ごしたせいか、祖母がお経を読む場面に同席することも多く、ごぼさまが月命日にお経をあげ、お説法をしていく時にもたびたび同席していた。
 
ごぼさまのお説法は、概ね、阿弥陀様のありがたさ、仏様のありがたさ、死にゆく運命の向こうに西方浄土があるといったお話で、それらは、小さい頃から私に刷り込まれた浄土真宗の雰囲気とも矛盾しなかった。幾つかのお説法は今でも記憶に残っていて、今でいう認知症のご老人が死去の数日前に突然シャキっとして、「私は間もなく浄土に旅立つということ、阿弥陀様が迎えに来てくれることを知りました」と述べたエピソードが特に忘れられない。そのエピソードを踏まえて、ごぼさまは、阿弥陀様が最後には迎えに来るんだ、的に話を締めくくったのだった。
 
こうしたお説法はほとんどが昼間に行われるもので、学校や会社に行っている人は耳にしないものだったはずなのだけど、不登校時代には毎回のようにお説法を耳にした。お説法を聞いているのは私と祖母の二人だけだったけれども、ごぼさまは実にさまざまなバリエーションのお説法を語り、法話のネタは無限にあるようだった。そのたび祖母がお茶とお茶菓子を出すのだけど、ごぼさまはお茶は必ず飲み、お茶菓子は袈裟の袖に入れることのほうが多かった。無理もあるまい。毎日何軒も訪問し、そのたびにお茶とお茶菓子を出されるのだから、全部食べて回っては糖尿病になってしまうだろう。
 
あるとき、祖母が用事で出かけなければならず、私が一人でごぼさまの御接待を任されたことがあった。ごぼさまはいつものように座り、いつものようにお経を読んだ。それが終わった後、私はちょっと緊張しながら祖母が用意してくれたお茶菓子、お茶、ぽち袋を差し出すと、ごぼさまはお説法をするのでなく、いつもと違い、私自身を気遣う言葉をかけてくれた。その言葉は失念してしまったが、そのまなざしは今でもよく覚えている。そして祖母のいる次の月命日からは再び、いつものようにお説法をしたのだった。
 
 

真言宗から浄土真宗に帰りつく

 
そんな具合に、私は石川県の大乗仏教、とりわけ浄土真宗を空気のように呼吸し、その雰囲気のなかで育てられてきた。石川県を離れ、大学に出てからはそうした雰囲気から切り離されてしまったけれども、縁というのはどこかで繋がっているもので、その後、私はさまざまなところから仏縁フラグを回収して、20代の頃は仏教全体の見晴らしを見て回ることに夢中になった。そして俗世で一生懸命に生きていくための宗教として、たぶん真言宗とその周辺宗派が良いのだなと自分自身で思うようになった。その名残りは今も残っていて、ときどき護摩を焚いてもらったりしているし、機会があれば、四国八十八か所を自分の足で踏破してみたいとも願っている。
 
けれども年を取るにつれて、そういえば、浄土真宗っていいもんだな、としみじみ思い返すことが増えてきた。それは、ごぼさまのお説法を一緒に聞いていた祖母が亡くなったせいかもしれないし、浄土真宗の僧侶であった母方祖父が亡くなったせいかもしれない。そのたびに私が目にし、耳にしたのは浄土真宗の葬儀であり、お経だった。耳慣れたお経。見慣れた仏壇。そしていつの間にか随分年を取っていた自分自身と、親族たち。
 
いちばん浄土真宗から遠ざかり、奈良仏教~平安仏教にいちばん近づいていた頃の私は、将来の私自身について「やがて自分自身で道を切り開くことに疲れた時、結局、浄土真宗に帰って阿弥陀様の救いを待ち望むようになるだろう」と予測していた。ただ、それが起こるのは60代に入ってからか、病を得て死期が見えるようになってからだと思い込んでいた。ところが実際にはそれよりずっと早く、私は南無阿弥陀仏に回帰しかかっている。
 
南無阿弥陀仏と唱える以外にもいろいろあるし、いろいろ大乗仏教したっていいじゃないという思いは今でもある。そして相変わらずキリスト教文化とその思想の末裔にも、しばしば胸を打たれてしまう。しかしそれはそれ、これはこれ。郷土の宗派に対する思いが日に日に高まっているのを感じる。まさに、三つ子の魂百までだ。
 
今、仏壇に向かって浄土三部経をあげているのは祖母ではなく、母だ。それほど遠くない未来、墓や仏壇の形態が今とは異なった何かに変わることがあるかもしれない。だとしても、信仰と様式と祈りの精神はなんらかのかたちで私が継承していくのだろう。
 
こうして、黒川仏壇店の「心に、仏様」「あの子たちにもわかる日が来る」は、私の内において実現した。南無阿弥陀仏は、阿弥陀様が浄土まで來迎してくれるという浄土真宗的な約束の言葉であると同時に、その信仰を後発世代へと伝えていくキーワードでもある。そうした約束とキーワードのなかで育ったことを、私はありがたく思う。
 

ロボットやアリとして「現代人らしく生きる」ということ

 
 
 
 
 
anond.hatelabo.jp
 
冒頭リンク先の文章は、結婚や子育てをするでなく、仕事→給料→趣味という生活のうちに自己実現が欠如している、その実存的悩みを吐露したものだ。
 
文中から察するに、結婚や子育てが自己実現の一環をなし、実存的な悩みを解決してくれるような期待が仄見えるし、それは結婚や子育てをしていない人に起こりやすい期待かもしれない。その一方、世の中には結婚や子育てが自己実現の一環をなさず、承認欲求や所属欲求を獲得する糸口にすらならず、重荷になっている人もいる。
 
だからこの文章の重心は自己実現とその欠如、自分のためにでなく誰かのために生きざるを得ない(または生かされている)ことの虚しさや交換可能っぽさやBOTっぽさ、なのだろうと受け取った。
 
こうした問いかけに、ポジティブな回答を提供するのも不可能ではない。実際、ついているはてなブックマークコメントをみれば様々な考えが述べられていて興味深い。たくさんの人が、さまざまな方法でこの問いの答えらしきものを書いている。なかには実践できるものもあるように思う。
 
でも、今日の私はそういう気分ではなく、逆に、私たちのBOTっぽさのぬぐいがたさ、脱出不能っぽさを強調したい。
自己実現などマズローの蜃気楼でしかなく、私たちは茫漠とした肉BOTの世界を生きて、生きさせられて、生産させられて、多少の境遇差はあっても大同小異の域を出ないのではないか、と私は言いたがっているらしい。仕方ないじゃないか、という思いと、それでいいんだよ、それがいいんだよ、という思いもある。否定したい思いと、肯定したい思いが相半ばするような気持ちを、まとめられないものだろうか。
 
 

自己実現は馬を走らせる幻の人参ではないか

 
まず自己実現、という言葉の定義について。マズローは自己実現について厳密な定義づけはしていないが、おおよそ、以下のような理解で良いのではないかと思われる。
 

 自己実現した人の定義はいぜんとして曖昧であったが、マズローは大まかに次のように記述した。
「自己実現とは、才能・能力・可能性の使用と開発である。そのような人々は、自分の資質を十分に発揮し、なしうる最大限のことをしているように思われる」。
 消極的な基準としては、心理的問題・神経症あるいは精神病への傾向をもたないことがあげられた。自己実現した人は、人類の中の最良の見本、マズローが後に「成長している先端」と名付けられるようになったものの典型である。
『マズローの心理学』より

 
この成長している先端とは、たとえば研究やスポーツなどといったなんらかの分野で先端的技能や先端的業績に辿りつき、さらなる高みを目指している人がそれにあたると思われる。まず、これが難しく、達成したとしても人の一生のなかで先端に居続けること自体が難しい。稀にそうした人生もあるかもしれないが、おおよそ、凡夫が目指せる境地ではない。各方面の秀才ですら、たいていは一時的にしか達成できない状態だろう。
 
"自分の資質を十分に発揮し、なしうる最大限のことをしているように思われる"、というフレーズも厄介だ。この条件を満たすためには、他人と比較して嫉妬するようなキョロキョロしたところがあってはいけない。本当は自分の資質を十分に発揮し、なしうる最大限のこととしてしがないサラリーマンをしている人でも、他人と比較して嫉妬してしまい、自分はもっと伸びたのではないか、などと羨んでいてはこの条件には該当しなくなってしまう。*1
 
まあそれでも一時的にしても自己実現にたどり着いたとしよう。
で、置き換え可能なBOT感がなくなったと本当に言えるのだろうか?
 
自己実現について考えた時、私は、マズローの心理学が産業界に受け入れられ、例の、マズローの欲求段階説ピラミッドが今日でもまだ引用されていることに思わずにいられない。欲求段階説のピラミッドが古い古いと誹りを受けてもなお、繰り返し引用されているのは、産業界との親和性が高いこと、労働者や実業家が生産効率を向上させていくのに都合の良い言説だったからでもある。ドラッカーなどもそうだが、産業界がたびたび引っ張ってくる啓発的な言説は、どれほど人間の可能性を謳っているようにみえても、それは資本主義に適合する詩であり、生産性や効率性に貢献する社畜の歌である。ここでいう社畜とは、文字通り会社の家畜という意味だけでなく、社会の家畜という意味を含んでいると付言しておく。労働者は会社の家畜をとおして社会の家畜をやっているし、資本家や経営者はもっと大きな規模で社会の家畜をやっている。いずれにせよ、マズローやドラッカーのいざなう理想には、資本主義のユニバーサルタグがついている。
 
自己実現。至高体験。
しないよりはしてみたいかもしれない。だけど、それらもまた、生産性や効率性を至上命題とする資本主義の、そして現代社会の掌の上でのワンシーンに過ぎず、レアで、一過性に過ぎないものでしかない。なにより、そうした自己実現や至高体験は、ちょっと深く考えてみれば、別に自分がそうならなくっても構わないことでもあったはずなのだ。たとえば蒸気機関のワットやiPhoneのジョブズはそれぞれにたいした人だとは思うけれども、ワットやジョブズがいなくても蒸気機関やiPhoneに相当するものはやはり世の中に現れただろう。よほどの例外を除いて、偉人や有名人すら置き換え可能なBOTではなかったか。椅子取りゲームのユニットではなかったか。芸能人や研究者はどこまで唯一無二だろう。世の中には、自分自身のことを唯一無二だと思い込めている幸福な人もいる。が、その人がいないならいないで、ほんの少しだけ運の悪かった同僚やほんの少しだけ間に合わなかった後輩がその位置を占めていたはずなのだ。
 

自己実現できていない会社員って置き換え可能なbotでしかないわなぁ。むなしくなる。
無私な毎日だわな、ほんと。宇宙人が見たら、あまりの規則性に驚くと思う。人間がアリの習性に驚くように。

 
だから、かりに自己実現したとしても、そんなのは、ちょっと珍しい役割を引き受けた働きアリの一匹でしかないのではないだろうか。
今日の発明発見や創作の相当広い領域は、大局的にみれば、一人で作っているというよりみんなでつくっているのであり、時代がつくっているのでもあり、自分がやらなくても誰かが似たようなものを創りだす可能性が高い、そんな何かだ。そのうえグループによる研究や創作もあるわけだから、自分、というものに拘って発明発見や創作を見つめるのは、自己愛を充たすには適していても、事実からは遠い。そうした諸々を承知のうえで、それでも何かに挑む、何かを創るという行為には喜びが、フロー体験が伴うとは言える。文脈によっては、私はそのフロー体験をありがたがってみることもあるのだけど、今日はそういう気分じゃない。脳汁が出てるだけじゃねえか。ずっと出ているわけでもなし。唯一無二の脳汁であるわけでもなし。
 
自己実現も含め、希少で、ありがたいものを夢見て、結局、目の前にぶら下げられた幻想の人参に向かってダッシュし、生産性や効率性を搾り取られて社会のネズミ車を回しているのが私たちなのだから、どこまで行っても社会の掌の上でしかない。そして社会の内部において私たちは常に群体であり、その生態は、ギトギトの個人主義者が思い込んでいるほど個人主義にそぐうものではない、と私なら思う。
 
 

アリの一匹として、社会の細胞のひとつとして、ただ生きる

 
それらを踏まえたうえで、私たちが生きて暮らすとは、一体どういうことなのか見つめ直してみる。
 
私たちはしばしば、取り換え不可能な社会関係やかけがえのない活動をとおして、実存を、自分が生きる意味や生きがいを見出す。
承認欲求や所属欲求を馬鹿にしつつも、それらを心の支えに生きていたりもする。
きっと、そのほうがメンタルヘルスにも良いだろうし、個人主義的イデオロギーにも、資本主義的要請にもかなっていよう。
だからそういう思い込みが可能で、しかもメンテナンスできる人はとても幸せな人ではある。冒頭のはてな匿名ダイアリーを書いた人が夢見ている正解とは、結局、こういった「実存があると思い込めて、承認や所属の欲求にももたれかかっていられて、しかも、それをメンテナンスできる人」なのかもしれない。
 
が、本当じゃないな、とも思う。
 
人はもっとバラバラで、思い通りにならず、家族や子どもをとおして獲得できるアイデンティティとて一過性でしかない。自己実現だのフロー体験だのは、なおさらだ。賢者タイムみたいなもの。それか、衰退の約束された有頂天のようなものだ。
 
そうやって心細く、思い通りにならない生に生まれてしまって、管理のなかで生きて、管理を内面化して、よく学びよく働きよく年を取っていく世のならいを漫然と受け入れながら、それでも生きていく、生きざるを得ないのが人間の実態であると今日の私は特に思う。「そういう一面が人間の生にはついてまわる」と、トーンを下げて言い直すべきかもしれないが。
 
人間は生きている限り苦しく、空しく、なんのために生きているのかよくわからない境地にあり、思いつきと思い込みと偶発的才能によって時々自己実現や実存を幻想することはできても、それらも無常でしかないので結局ダラダラ生きて生かされているのだと思う。じゃあ安楽死? それを決めるのも社会であり制度であり、たぶん、資本主義も含めた体制ですよね。我々が決めていいものじゃない。でもって体制はたぶん、ロボットのように働けちゃう私たちに容易く安楽死の門はくぐらせないだろうし、安楽死しようよではなく、もっと楽しく生きようよとか、もっとポジティブに生きようよとか、もっとあなたらしく生きようよとか、声をかけ、支援を促すだろう。言い換えれば、ロボットのように働けちゃう私たちはもっと楽しく生きなければならないし、もっとポジティブに生きなければならないし、もっとあなたらしく生きなければならない、のだと思う。少なくとも、そういう読み換えは可能だ。
 
だから本当はアリのように、社会の細胞のひとつとして生きなければならない私たちにせいぜいできることは、せいぜい趣味や余暇を楽しんだり、家族や友人も含めた社会関係などをとおして実存を幻想したり、それぐらいのものだと思う。それぐらいのものだ、と書いたらたいしたことないように思えるかもしれないけれども、一匹一匹のアリである私たちにとって、案外それが重要だったりする。くだらないことに入れ込んだり、お笑い芸人に楽しませてもらったり、プロ野球やプロサッカーの結果に一喜一憂する、そういうひとつひとつだって、案外生きることの肝心な要素たり得るのではないだろうか。
 
と同時に、私たちにせいぜいできることは、私たちがせいぜいできなければならないことでもある。趣味や余暇は、仕事と同じく、ロボットとしての人間やアリとしての人間ができなければならないこと、そう言って語弊があるなら、できていることが望ましいことだ。私たちが社会に趣味や余暇を求めると同時に、社会は私たちに趣味や余暇を求めている。そういうものとして、私たちは、生きて、生産して、消費しなければならない。こう書くと人間はなにやら悲惨で悲観的で重たいもののように感じられるかもしれない。けれども体も心もよく訓練された現代人は、こうしたことを空気を吸うようにやってみせる。そして私には生きがいがあります、実存がありますと進んで証言してくれたりもする。よくできた現代人とは、そのようなものかもしれない。
 
オーライ(なにが?)。
冒頭リンク先の筆者のように、それか今日の私の気分のように、人はときに迷ったり嘆いたりする。ロボットのような生、アリのような生、社会から期待され資本主義的体制に最適化された生に対して、ふと、素面になってしまう瞬間がある。幻想の人参を取り戻さなければならない。ロボットのような生やアリのような生に実存の覆いをかぶせ、現代人らしく生きてみせるのだ。本当によくできたBOTは、実存について悩んだりはしない。
 
 

*1:マズローは、持論の適用できる範囲から神経症~精神病の傾向を持つ人を外しているので、他人と比較して嫉視するようなところのある人間は適用外、ということになるのかもしれない。ちなみにここでいう神経症にしても、マズローのいうそれはICD-10のF4圏などと比較すれば広範囲をカバーしており、精神科や心療内科を受診していない者が広く含まれると想定すべきだろう。マズローは神経症かどうかの判定を概ねホーナイに委ねているので、ホーナイの神経症的人間、神経症的人格が参照先となり、ならば、明らかにサブクリニカルな層を含んでいる。で、話は戻るが、SNSの時代、あまりにも他人が見えてしまう現代において、ここでいう神経症的人間にならずに生きるとは……どれぐらい簡単だろうか? 今日の生育環境で神経症的人間たらずに済む与件とはどのようなものだろう? 結構難しそうに思える。

キリトとアスナの新婚生活は現在のオンラインゲームでも可能か

 

 
2020年代になって『ソードアートオンライン』も遠い昔の作品、ライトノベルの古典に思えるようになった。で、同世代のオタクな人と会話になった時に、「今、オンラインゲーム(特にMMO)をやっている若い人は『ソードアートオンライン』みたいな夢がみられるか」といった話になった。
 
なんていうか、『ソードアートオンライン』の一巻でキリトとアスナが新婚さんみたいな生活をゲームの向こう側で実現していた、ああいう夢を見ることって今のオンラインゲームのプレイヤーに可能なのか、そこまでいかなくても「現実の向こう側」を夢見て楽しめているのか、みたいなことが気になったのだった。
 
 

00年代のオンラインゲームは「現実の向こう側」ではなかったか

 
『ソードアートオンライン』を知らない人向けに断っておくと、同作は00年代前半から連載され、10年代に入ってとりわけ広く知られるようになった。ゲームの仮想世界に完全没入できる装置が開発され、新しいオンラインゲーム「ソードアートオンライン」を始めた主人公たちが、諸々の事情でゲームからログアウトできなくなり、仮想世界のなかで生き延びなければならなくなり、脱出するまでにさまざまな物語が展開される。それが『ソードアートオンライン』の最初の物語だった。
 
この作品の魅力はたくさんあり、それらを列挙していてはきりがない。けれども魅力のひとつとして「オンラインゲームの向こう側の世界に行く夢」「現実ではないゲームの世界に没入し、そこで冒険をして、人間模様もあって、恋だってする」といったものがあったように思う。作中で「ソードアートオンライン」の攻略が終わり、登場人物がオフラインでも集まれるようになってからは違った魅力も出てくるのだけど、少なくともはじめのほうは「完全にゲームの向こう側に行っていること」そのものがひとつの夢物語だったと記憶している。
 
そうした「ゲームの向こう側」の夢は『ソードアートオンライン』の序盤の魅力であると同時に、往時のオンラインゲームプレイヤーが夢見たものでもなかっただろうか。
 
ウルティマオンライン、ファンタシースターオンライン、リネージュ、ファイナルファンタジー11、ラグナロクオンライン、等々。
 
色々なオンラインゲームがあったけれども、それらに接続し、仮想世界で職業をこなし、人間関係をつくっていくのはまさに「ゲームの向こう側」に行くことだった。オフ会で集まるようになると話が少し変わってくるのだけど、実のところ、オフ会だって「ゲームの向こう側の、そのまた向こう側」といった感じで、ゲームの世界は現実の延長線とみられるよりも、現実とは違ったどこかだった。
 
そういう意味では、当時、オンラインゲーム依存を槍玉にあげていた人々が「現実逃避だ」と言っていたのは当たっている部分もあったように思う。実際、サーバに接続しディスプレイの向こう側に夢見ていたのは、たとえば現実で四苦八苦している人でもゲームのなかでは活躍できる世界であり、力や美しさを獲得できる世界でもあった。少なくとも現実と地続きの世界としてオンラインゲームをやっている人は滅多にいなかった。
 
そうやってゲームの向こう側に夢を見た結果、入れ込み過ぎてしまう人々を、精神医学の専門家たちはオンラインゲーム依存やゲーム障害といったテクニカルタームで整理しようとしていたし、現場のプレイヤーたちも、あまりにも過激に入れ込むプレイヤーをやっかみや揶揄を込めて「廃人」と呼んでいた。実際、「廃人」が過ぎれば現実がおろそかになり、ソーシャルスキルが低下したり心身の不健康な状態に陥ったりすることがあり得るし、海外では死人も出ていたから、仮想世界にとらわれてしまった人々が問題視されるのは、当然の成り行きだったと言える。「ゲームの向こう側」に行けること・現実と隔絶された世界にいられることは、オンラインゲームの魅力のひとつだったけれども、それは脱-社会的なことでもあったからだ。
 
と同時に、当時のオンラインゲームは単なる世界の代替品ではなく、「最先端のどこか」や「未来的などこか」でもあった。『Second Life』で盛大に勘違いする人が現れた一因も、そこが単なる現実の代替品ではなく、新世界でもあったからだろう。
 
 

2022年。「現実の向こう側」はあり得るだろうか?

 
それから歳月は流れ、『ソードアートオンライン』はライトノベルとしては古典になり、オンラインゲーム、とりわけ「ソードアートオンライン」的なMMOは最先端でも未来的なものでもなくなった。ありとあらゆるゲームがオンライン化され、SNSやDiscordをとおしてプレイヤー同士が繋がりあい、小学生でもボイスチャットをやるようになった。そんな2022年において、ゲームの向こう側とはどこまで想像可能・没入可能なものだろうか。
 
先に触れたように、『ソードアートオンライン』では、主人公のキリトとメインヒロインのアスナが新婚さんごっこをしていた。それは、MMOプレイヤーの夢物語であると同時に、実際にMMOのなかで起こり得ることでもあった。起こり得ることだったからこそ、キリトとアスナの新婚さんごっこが『ソードアートオンライン』の作中に描かれ得た、とも言い換えられるかもしれない。
 
ゲーム世界のなかで恋人同士のように言葉を交わし、エモを交わし、結婚式もあげる。男性プレイヤーが女性キャラクターを操作し、その女性キャラクターに別の男性プレイヤーが惚れたり貢いだりすることだって起こる。ゲームの仮想世界の内部でそうしたことが起こるのだから、新婚さんごっこが「ソードアートオンライン」という壮大な夢のなかで描かれても違和感はなく、むしろ「あるあるネタ」だった。
 
しかし2020年代のMMOにおいて、そうした新婚さんごっこがどこまで可能なのか? そもそも、そうやってゲームの仮想世界を現実世界と対立するものとみなすことが、どこまで可能だろう?
 
インターネットがアーリーアダプターのものからレイトマジョリティのものへ、それからラガードのものにまで広がっていった頃から、「ネットは現実と繋がっている」「ネットと現実はシームレス」と言われるようになった。そうに違いない。あらゆる経済活動、あらゆるニュース、あらゆる政治がインターネットでも繰り広げられるようになった今、インターネットと現実を二項対立的に論じるなんて時代遅れもいいところである。
 
だとしたら、オンラインゲームも現実と二項対立的に論じるべきじゃないだろう。
 
少なくともゲームデザインやゲーム運営やメディアミックス戦略、そして現代のプレイヤーのゲームとの向き合い方から考えるに、オンラインゲームはもう、「現実の向こう側」とは呼びづらくなってきてないだろうか。オンラインゲームは、ゲームそのものを包み込む別種のオンライン空間やオンラインメディアと繋がりながら成立している。でもって別種のオンライン空間が現実とシームレスなのだから、一枚噛ませているとはいえ、ゲームの仮想世界は昔ほど現実から隔たったどこかとは言えなくなっている。
 
プレイヤー同士のコミュニケーション手段も今では充実しているから、ゲーム内の機能の限定的なチャットツールにしがみつかなければならない道理はなく、たとえばSNSやdiscordを使ってコミュニケーションすれば良い。プレイ中も、キーボードを使って会話しなければならない道理はなくなった。ボイスチャットをしてしまえばいいのだ。ボイスチャットは今ではまったく珍しくなくなっている。
 
そういった、ゲームの外側のコミュニケーションツールによって便利になったことは沢山ある。けれども、それらのツールに慣れれば慣れるほど、そのゲームは「現実の向こう側」ではなく、より現実に近い位置に留め置かれてしまう。そもそもインターネット自体も現実とシームレスになってきているのだから、それは仕方のないことだ。そして自分自身のボイスが発せられ、他のプレイヤーのボイスが耳に届くことによって、ゲーム内でのコミュニケーションは、実際の人間同士のコミュニケーションへと接近していく。 
  
タイトルで「キリトとアスナの新婚生活は今のオンラインゲームでも可能か?」と問うたのは、こうしたコミュニケーションの変化と、ゲーム世界と現実との距離感の変化を踏まえたうえでの問いだ。ひとつのオンラインゲームの内側でプレイヤー同士のコミュニケーションが完結できていた時代が終わり、ゲームの内側でコミュニケーションを完結させようとするのが一種のこだわりプレイに変わってしまった今の時代に、MMOのなかで新婚さんごっこ、恋人ごっこはどれぐらい可能だろうか? あるいはゲーム世界内の地位や財力や権力にのぼせあがることがどこまで可能だろうか?
 
ちゃんと工夫すれば……できるかもしれない。でも、ちょっとゲームの外に目を向ければ、魅力的な女性キャラクターのプレイヤーが本当は冴えない男性のものだったと知れてしまう。勘違いと幻想から始まるネットの恋など、これでは始まりようがない。あるいはゲームでは対等の地位や財力を持っているとみなしている相手が、現実でも大金持ちだと知れてしまうかもしれない。そしてボイスチャットは、その息遣い、その声音、その背景音などをとおして、お互いのナマの人間性を漏洩してしまう。
 
今、オンラインゲームをやっている若いプレイヤーは、ゲームの外に目を向ければSNSやdiscordのアカウントが目に入り、ボイスチャット越しにさまざまな情報(いや、現実の向こう側に行くうえでは、ノイズというほかない)が耳にも入る環境でオンラインゲームをやっている。それは、プレイヤー同士を現実に近いかたちで結びつけるには適しているし、そんな環境のなかでもキリトとアスナのような仲になっていく男女がいるとしたら、従来の恋人同士とほとんど変わらない。だとしても、コミュニケーションが現実に寄りすぎてしまったせいで、イージーにゲームに幻想することが難しくなり、「現実の向こう側」で権力者や勇者や男女交際を幻想するのも難しくなってしまった、とも言える。
 
2020年代から『ソードアートオンライン』、とりわけ「ソードアートオンライン」世界を攻略する物語を思い出すと、あれが「現実の向こう側」の夢として一番訴求力を持っていた時代は過去になったんだなと思わずにいられない。だから『ソードアートオンライン』が駄目だとか、読む価値が無いとか言いたいわけではない。逆かもしれない。『ソードアートオンライン』には、まだオンラインゲームの隔絶度が高く、「現実の向こう側」として幻想可能だった頃のフィーチャーやエモーションや希望がぎっしりと詰まっている。同作者の『アクセルワールド』とあわせて、00年代のオンラインゲームとその周辺の息吹をライトノベル作品として昇華したようにも今は読める。たとえそこに創作上のご都合主義やお約束があるとしてもだ。いやいや、そうしたご都合主義やお約束すら、同時代を思い出すフックになる。
 
 

今、「現実の向こう側」といえば異世界じゃないか

 
ところで、ゲームが現実とシームレスになっていくのをよそに、異世界転生の物語は現実と隔絶している。そこに登場するノウハウやテクノロジーは現実からの借用かもしれないし、魔法やスキルはゲームからの借用かもしれない。それでも、現実との行き来が不可能か、ものすごく困難な異世界の物語は、読者を「現実の向こう側」へといざなう。少なくともそのような、現実を気持ち良くシャットアウトした異世界転生の物語は存在する。
 
そのような異世界転生の物語の魅力とは、案外、オフラインゲームの魅力や、もっと古典的な物語の魅力に近いものかもしれず、ことさら新しいと喧伝するほどではないかもしれない。いずれにせよ2020年において、オンラインゲームを通じて幻想するよりは、「現実の向こう側」の想像や幻想を炸裂させるには手堅いように思う。
 
 

残り時間を気にしながらいつも走っている

 
president.jp
 
4月に入ってからいろいろ忙しいため、しばらく読むのを後回しにしていたけれども、読んで得心するものがあった。そうか、私はこれを読むのを怖がっていたわけだ。
 
リンク先の文章は『裸の大地 第一部 狩りと漂白』という書籍からの抜き出しであるという。そこに書かれている、冒険家の筆者が43歳という年齢を迎えて思うこと・実行することは私には身近なことと感じられ、他人事で済まされるものではなかった。
 
四十代になって見えてくるいくつかの問題。
 
ひとつめ、厄年の問題。
 
古来、日本では42歳は厄年と言われ、忌み嫌われてきた。実際には、女性の厄年としての33歳、子どもの厄年としての13歳もあり、それら厄年みっつの合計数である88が、四国遍路の霊場の数だったりする。
 

「四十二歳は日本人にとって不吉な年なんだろ。ナオミだって死んだ。カナダで氷に落ちて死んだのもいただろ。日本人はみんな四十二歳で死ぬんだ。たぶんあんたも北方の旅から村にもどる途中、イータの地に立ち寄り、そこで命を落とすことになる。あんたの遺体はオレが六月に鴨の卵を取りにボートでイータにむかったときに発見することになるだろう。本当だよ」
(上掲リンク先より)

この、イヌイットのシャーマンの言葉をひいたうえで、筆者は日本の探検家たちが43歳前後で相次いで命を落とした事実を振り返る。確かに、それぐらいの年齢で亡くなった探検家は多い。でもってリンク先の文中にも書かれているように、これは、職業によっていくらかのズレを含むものでもあるのだろう。たとえば瞬発力を必要とするスポーツなら危機の年齢は早まり、たとえば結晶性知能で勝負の職業なら危機の年齢は遅くなるだろう。eスポーツ選手などは、もっともっと早くに危機の年齢が訪れるのかもしれない。
 
危機の年齢と言って語弊があるなら、人生の曲がり角、とでも言えばいいか。とにかく、発展と発達の一途にあった人でさえ上り坂から下り坂に変わりやすい時期を、いにしえの人々は厄年と名付け、注意を払った。思春期の盛りを過ぎた後、人間の肉体は少しずつ衰え、いっぽうで経験は少しずつ蓄積していく。その能力の総和として、これから下り坂に入っていく直感が得られる時期が厄年のあたりなのだろう。
 
ふたつめは「今ならできる」という問題。
厄年のあたりで自分が下り坂に入っていくという直感が得られたとて、本当に衰えてしまう時期はまだ遠い。これも職業によるが、基本的にあと何年かは全盛期に近いアウトプットが期待できるし、衰えを補えるぐらいの経験蓄積も期待できる。全盛期そのもの、ではないかもしれないが全盛期に近いアウトプットを、残り何年かは叩き出せるという目算が立つ。
 
これも私自身にはわかる感覚で、今の私は30代の頃にできなかった幾つかのことが楽々とできるし、30代の頃には読めなかったものが読め、書けなかったことが書けるようになっている。ああ、もし今の私ぐらいの能力が20代や30代の私自身に宿っていたらどんなことができたんだろう、という思いと、いやいや、40代になってようやく今の私ぐらいの能力なのだから、この先は知れているという思いが相半ばする感じだ。と同時に、おそらく人生のなかで現在ほど高い打点でヒットやホームランを狙える時期は無いはずだ、という直感もある(これが、後述する残り時間に対する焦りをも生む)。
 
だから、物書きとしての私は今、全力で、できれば、全裸で走りたいと願っている。おそらく人生のなかで一番高い打点でヒットやホームランが狙えるのは、今を置いて他にないからだ。私よりもずっとずっと偉大な物書きの先人たちを見ていても、代表的な作品が50代を過ぎてから出ている人はいないわけではないが少数だ。だから統計的に推定しても、自分自身の直感に問いただしても、まさに「今ならできる」だとしか思えない。
 
しかし、リンク先にはその「今ならできる」について以下のように記されている。
 

実際にできるかどうかより、たぶんできるはずだと思えるようになるところがポイントだ。

若くて経験値がひくく想像力が貧困であれば、実際の経験の外側にある未知の世界は、純粋に未知で、予測がつかないぶん恐ろしく、そこに手を出すことなど考えられない。あるのは体力だけ、だから思いつく計画のレベルもたかが知れている。

ところが経験値が増して世界が大きくなると、その外側にある未知の領域のこともなんとなく予測できるようになり、いわば疑似既知化できる。予測可能領域がひろがり、本当は未知なのに、なんだか既知の内側にとりこんでしまっているような感覚になり、それなら対応可能だろう、と思えてくるのだ。だからカヤックの経験が皆無でも、北極で長期の旅を何度もこなしていれば、つぎは北極をカヤックで旅するか、という発想がおのずとうまれる。経験と予測の相関関係はこのような仕組みになっている。

この文章を読むと、中年期の「今ならできる」の感覚のなかには、経験の蓄積や世界の拡大に伴って可能になった、ある種の先読みによる疑似既知化が含まれていると記されている。つまり「本当はやっていないことでも」「これまでの経験と照らし合わせて、おそらくこれぐらいでできる」という読みをきかせてしまっている部分。
 
たぶん、ここが中年が人生を滑落を滑落させるポイントのひとつなのだろう。中年の「今ならできる」という手ごたえの内側には、先読みによってだいたいできると推測しているもの、逆に言えば、本当は踏破していないものが含まれている。「今ならできる」と思ってトライするものに対する予備調査能力も若い頃よりは高まっているに違いない。けれどもそれはどこまでも推測の域であり、予備調査でしかない。それらに基づいて大股なトライをした時、何%の確率かはわからないが、足を滑らせたり、脱出不能の穴に落ちたりする可能性は否定できない。だのに、「今ならできる」と思い込んでいると、推測や予備調査にうつらない穴の存在を忘れてしまう。
 
なにより、みっつめは残り時間の問題。
どんなに「今ならできる」と思っていても、中年には残り時間がない。

このように四十になると、人の世界は経験によって拡大膨張し、その大きくなった世界をよりどころに様々な局面を想像できるようになり、冒険家にはなんでもできるという自信がうまれる。つまり経験値のカーブは上昇線をえがく。その一方で、肉体は衰えはじめ、体力や勢いや気力などが低下し、個体としての生命力は下降線をしめす。

リンク先の筆者は、経験が増えても体力が、気力が、生命力が落ちていく、その交叉点として40歳か41歳を挙げている。繰り返すが、これは冒険家の場合で、スポーツ選手なら、医者なら、それぞれまた異なった年齢が交叉点になるだろう。いずれにせよ、その交叉点を越えてからは経験の蓄積を生命力の衰えが凌駕していくようになり、総合的なスペックは下降線を辿るようになる。
 
「今ならできる」という感覚と、総合的なスペックの翳りが重なる時、人は焦りを感じる。「今ならできる」が「今やらなかったら、もうできない」になっていく。ゆえに筆者はこう書いている。
  

南極大陸犬橇横断を最終目標としていた植村直己が、やらなくてもいいように思える冬のデナリにあえてむかったのは、なんでもいいから身体を動かしておかないと、南極が、すなわち彼固有の、彼にしか思いつけない最高の行為が遠のくという焦りがあったからだ。北極点から愛媛の自宅に帰るという旅に出発した河野兵市にも、おなじような焦燥があっただろう。
 
すくなくとも、二〇一八年三月に私をシオラパルクにむかわせた原動力として、この年齢の焦りは確実に作用していた。私がやりたかったのは、北極で狩りをしながら長期に漂泊することだ。それは今年やらなければ、もう永久にできないことだと思われた。

植村直己の挑戦とご自身の挑戦とを、筆者はここでダブらせている。「今年やらなければ、もう永久にできない」。私もまた、それにシンパシーを感じた。私も物書きとして、今年とは言わないにしても2020年代にやらなければ、もう永久にできないという気持ちを抱えている。「今なら書ける」が「今書かなかったら、もう書けない」になるきわの淵に、私は立っている。
 
 

中年期危機のリアリティ

 
中年期危機(midlife crisis)とは、言い古された言葉ではある。
アメリカ精神医学の教科書である『カプラン精神医学』では、日本語版第二版までこの言葉が使われていて、第三版からは人生中期の過渡期(midlife transition)とソフトな言い回しに「改正」している。「改正」とは同教科書の編集陣から見てのことで、政治的にあまり正しくない私がこのソフトな言い回しを改正として鵜呑みにするのはやや難しい。というのも、内容的にはだいたい同じで、そのボリュームを縮小したうえで、言葉遣いをソフトにしているからだ。まるで、今日日の世の中みたいだし、私はここに、アメリカの加齢フォビアな世相に対する、精神医学界の配慮や譲歩を勘繰りたくなってしまう。
 
さておき、中年期危機や人生中期の過渡期のリアリティに、私はようやくたどり着いたという手ごたえが今はある。
 
43歳の時、私は中年期の面白さやできることの増えるさまに感化され、『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』という一種の賛歌を作ったが、この時点では、「今ならできる」→「今やらなかったら、もうできない」の感覚がまだよくわかっていなかった。今は、それがビシバシわかる! 中年には、残り時間がもうないのだ!
 
ここに、私の場合は「今もこれからもすべきこと」が加わる。本業のこと、家庭のこと、物書き以外でなすべきこと、そういった事々を背負った状態で、私は私だけの南極大陸犬橇横断に挑まなければならない、いや、挑みたいと思ってしまう。こういうイカロスの太陽特攻じみたトライアルに心惹かれる感覚は、43歳時点ではほとんど感じなかった。中年期は比較的長い穏やかな時期という人もいるが、いやいや、たった数年でも景色は結構変わるものじゃないですか。
 
その景色の変化を楽しみにしている、と数年前の私は言ったし、実際これも新鮮に感じるのだけど、心身ともに少しずつ衰えていくなかで、手持ちの、もはや20代の人々からはアナクロとみられるであろう手持ち兵装で全力撤退戦をやる時の景色には、ほろ苦さと、アドレナリンを伴った加齢臭が伴っていて、ちょっといたたまれないものがある。けれども、それをやるっきゃないし、今やらなかったらもうできないのだから、私は老骨(失礼、もっと年上の人々からみればまだ若い、けれども20代からみれば気力集中力もそぞろになった、と訂正する)に鞭打って手を動かすのだ。もう、それすら十年後には思い出になってしまうと確信しながら。
 
こうなってみると、中年期危機の項目に書かれていた、「人生最後の勝負と銘打ってみずから人生をひっくり返してしまう中年」のことが他人事ではなくなってしまう。数年前までの私は、中年期危機のうち、抑うつや空の巣症候群や男性の更年期障害などは恐れていたが、「人生最後の勝負」のたぐいをせせら笑っていた。ところが今の私はそういう心境にシンパシーを感じてしまう。『機動戦士ガンダム』シリーズで言えば、旧式モビルスーツをかき集めて一旗あげようとするジオン残党と今の私はたいして変わらないのかもしれない。
 
と同時に、かつてここで書いた、駆け抜けるような研究人生や臨床人生の彼岸にたどり着いた50代の先輩がたを思い、ああ、あの先輩がたはこの危機のサバイバーだったんだな、とも回想する。走り抜けて50代にたどり着くことを、今の私はまだ羨ましいと思いきれていない。まだ戦いはおわっちゃいない──たとえその思いが、遭難してしまった冒険家たちの思いに相通じるものがあるとしても。
 
戦わなきゃ、と思う。
誰と?
自分と。
迫りくる時間と。
何かを書く、何かを表現する、何かを伝えるということと。
あるいは世間と。
  
後悔は、どのようにも起こるものだ。だとしたら私は、走って、走って、前のめりに転んでも構わないから走って、そのうえで後悔というものを手にしてみたい。中年の危機ではなく、人生中期の過渡期、か。ふん、悪い言い回しじゃないのかもしれない。そう思いながら、今日も私は、ありとあらゆる空き時間を文章を書くためのタスクで埋め尽くす。