シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

なくなるのは、おれらのラクガキ。歴史資料はきっと残る(だが、それが問題だ)

 
orangestar2.hatenadiary.com
 
こんばんは、小島アジコさん。シロクマです。
次々にブログサービスがなくなり、綺羅星のようだったウェブサイトまで消えていくのは悲しいものですね。
 
リンク先でアジコさんが書いてらっしゃるように、 (株)はてな がネットメディアの金剛組のようになって、数百年後もブログサービスを保守してくれたらすごくいいなと私も思います。とはいえ、(株)はてな も営利企業のひとつではあるので、依存してばかりってわけにもいきません。
 
私は広告を消すためにはてなブログに課金をしています。インターネットに広告が溢れてしまっていること、単に広告があるのでなく、00年代などと比較しても苛烈な広告にさらされていることもインターネットという場の変質に関わっていることでしょう。ただし、広告を消してもプロパガンダは消えません。そしてインターネットはプロパガンダの場、動員の場でもあります。
 
話が逸れかけているのでやめましょう。
それより、個人がインターネットに書き記した電子データの喪失について。
 
ご指摘にあるように、00年代前半に個人によって書かれたブログやウェブサイトは、既にその多くが消えました。日常の記録、アマチュア地誌、生活の知恵、ユースカルチャーのイベント感想、等々はなかったことになってしまいました。ブログやウェブサイトが「消える」だけでなく、「検索しても引っかからなくなる」のもなかったことになってしまう一端ですよね。00年代から20年代にかけて、ワールドワイドウェブには加速度的にテキストやサイトが増殖し、アーカイブも増殖し、ビジネスサイトやプロフェッショナルサイトに価値があるとみなされ、アマチュアが書いたあれこれはプレゼンスを失っていきました。個人のブログやウェブサイトが消えてしまうことに加えて、個人のブログやウェブサイトのワールドワイドウェブのなかにおける位置づけが低下してしまったこともここでは問題です。
 
今後、AIの支援を受けてますます多くのテキストやサイトが生産された時、ビジネスでもプロフェッショナルでもない個人のサイト、アマチュアが書いたテキストやサイトは希釈され、本当に誰の目にも触れなくなっていくかもしれません。そうなってもなお、意味や意義のあるアマチュアのテキストやサイトはどこでどうあるべきでしょうか? discordのようなクローズドの環境は答えのひとつではあるでしょう。もうひとつは、2000年前後にあった「リンク集」的なものだったりしませんかね? そうなると、ぐるっと回って「おとなりブログ」的な機能が大切になるかもしれません。確か、noteにもそれに近い機能がありませんでしたっけ? アマチュアのテキストやサイトの接続手段として機械検索がますます頼りにならなくなるなら、近い意識や関心を持ったアマチュア同士を繋げる導線がクローズアップされる気がします。
 
 

歴史資料は残ります、研究者もいるし、記録媒体もあるからです

 
とはいえ、アジコさんのおっしゃる「21世紀は歴史資料がない時代になる」は大袈裟だと思います。
 
なぜなら、歴史資料という名に値する文献のたぐいは、たとえば大学などの研究機関で現在も生産され続けているからです。
 
研究機関における文献や資料の生産速度はあまり高くない、とおっしゃる人もいるかもしれませんが、それでもPCやプリンタやクラウドといった文明の利器によって、20世紀初頭に比べれば研究者の作業効率は相当高まっていると思われます。AIの普及がそうした作業効率をさらに向上させる、とみるべきでしょう。研究論文、研究資料、フォーマルな文献といったものの生産速度は20世紀や19世紀と比較し、十分なものがあるはずです。それらはしばしば紙媒体だったり、比較的堅固なメディアに記されていたり、国会図書館に所蔵されていたりします。正真正銘の資料というレベルでは、現在の歴史資料が20世紀や19世紀のそれに比べて劣るとは、私には思えません。
 
それから書籍や雑誌、新聞のたぐいがあります。フォーマルな文献のフォーマットに比較し、それらは学術的に不十分かもしれませんが、過去を振り返る未来人には十分に利用可能なものです。今日の出版点数が示しているように、このレベルでも未来人には多くの資料が遺されるでしょう。焚書や禁書のような問題もあるので万全ではありませんが、それでも、写本文化の時代に比べればアーカイブがどこかに残る可能性は高いと言えますし、少なくとも平時の場合、国会図書館に所蔵されればそれでオーケーです。
 
それらと同等のものとしてテレビフィルムや映画といった映像媒体も遺されるでしょう。「電子データ化したそれらが、適切なかたちで保存できるのか」は確かに問題です。でも、なにかしら残るのではないでしょうか。エンタメ作品のアーカイブもそうですね。今の日本で繁栄している漫画・アニメ・ゲームの繁栄っぷりがまるごと歴史から消えてミッシングリンクになる、とはちょっと考えられません。日本にめちゃくちゃヤバい体制が爆誕し、焚書や坑儒をきわめたとしても、世界のあちこちにアーカイブが残るでしょう。細かな作品のひとつひとつが残るか残らないかって言ったら、そりゃあ残らないと思いますが、それは20世紀も19世紀も18世紀も同じだったはず。
 
たとえばバッハとその楽曲は今日では有名ですが、バッハの時代に流行した作曲家の楽曲は(残存はしているにせよ)有名ではなく、だとしたらバッハの時代に売れなかった作曲家の楽曲の多くは散逸してしまったとみるべきでしょう。それは仕方のないことです。
 
そうしたわけで、歴史資料のことは、そんなに心配しなくても大丈夫なんじゃないですかね、と私は申してみます。そういう資料をつくるプロたちがどこかで頑張っているはずだし、複製技術がとても優れているから少なくとも代表的なもののアーカイブは地球上のどこかに残るはずだから、きっと大丈夫ですよ。
 
 

「おれらのラクガキが消えてしまう」という問題

 
……とかゴチャゴチャ書いてみましたが、アジコさんがおっしゃりたいことって、こういうことじゃないですよね?
 
gooブログやライブドアブログにみんなが書いていたことが散逸すること、ウェブサイトに個人が書き綴っていたアーカイブが消えてしまうこと、が、ここでは問題でしょう。ブロガーやウェブマスターのひとりひとりが、素人的ではあっても個人的に書き残したものが散逸してしまうのは残念なことです。それらは生きた証言です。情念の痕跡でもあります。失われていくことに哀惜の念をおぼえるのは私も同じです。
 
個人のブログやウェブサイトにしか書いてないこと、ありましたからね。
例えば平成××年〇月△日の秋葉原のどこそこでこんなものを見た、あんなことがあったという記録。同じく秋葉原のとあるPCショップでメモリの何某が幾らだったとか、新入荷はこういう商品だったとか、そういった細々とした記録は学術の人たちではフォローしきれないものがあります。SNS以前の小さなイベントの記録情報、地方レベルの小さな集まりの活動情報などもそうですね。フォーマルな文献をフォーマルにパブリッシュしている人たちの視界にすら入らない細々としたことが、電子の藻屑になろうとしています。
 

歴史に残る写真は保存されるだろうけれども、市民生活を伝える資料というものは、殆ど失われてしまうだろう。

まさに、アジコさんがお書きになったとおりですね。
 
また、フォーマルな文献には残りにくい、個人の情念や心情もあります。ビジュアルノベル全盛期において、それぞれの作品に当時の愛好家がどんな感想を持ったのか。どのエロゲやエロマンガのどんなところが良かったのか。そういった一瞬の気持ちが一番残されているメディアはSNS以前においてウェブサイトやブログの日記でした。アマチュアの日記にこそ、そういった一瞬の気持ちが記されていたし、そういう場所でなければ記されようのないものだったとも言えます。『魔法少女まどか☆マギカ』のリアルタイム視聴の感想ならtwitter(現X)の奥底に残っているかもしれませんが、『けいおん!』あたりからは記録は少なくなります。そういえば、2ch(5ch)の過去ログって、ちゃんと残っていていつでも閲覧可能なんでしたっけ? まとめて残っているなら、あれはあれで学術の研究対象として案外大事な気もしますが……。
 
フォーマルな文献に比べて風化しやすいそれらを曲りなりにも記録していたのが、往時のウェブサイトやブログの日記だったと思います。それらをチラシの裏のラクガキと言ってしまえばそれまでです。それでも貴重な証言だったり、そこにしか書いてないことが含まれていました。なにより、そこには情念が宿っていて、血の通った営みの痕跡が遺されていたのです。
 
いわば「おれらのラクガキ」が消えていってしまうわけですね。
案外、そういうものも記録として面白いかもしれないのに。
また、同時代人にとって回想するに値するかもしれないのに。
 
そうしたアーカイブが失われることを危惧したり、寂しく思ったりするのなら、私も同感です。
 
 

「おまえが語り部になるんだよ!」

 
では、私たちはどうすれば良いでしょうか。
個人にもできることが色々あると私は思っています。
 
はてなブログで書いている私たちにできることの第一は、はてなブログをもっと使うこと、はてなブログを読んでくれる人や書いてくれる人が一人でも多くなるよう努めることだと思います。(株)はてな が1年でも、いや1か月でもはてなブログをサービスとして長く維持できるよう、ユーザーとしての私は努めます。アジコさんをはじめ、はてなブログのユーザーであれば多かれ少なかれそのためにできることがあるでしょう。小さな努力と言われればそれまでですが、でも、何もしないよりはいいし、ブログサービスが少しでも先まで保たれていることには意義があると思います。
 
はてなブックマークも、案外貴重だと思いますよ?
本文が消えてしまっても、はてなブックマークユーザーが遺した書き込みは残る。はてなブックマークコメントはまさに「おれらのラクガキ」なわけですが、この「おれらのラクガキ」が長く残っているのは凄いことだと私は思います。たとえば00年代のウェブサイトの記事のはてなブックマークとか、まだ残っているじゃないですか。20年ぐらい前のはてなブックマークのコメントって、まさに歴史の証言ですよ。なので、日本一のソーシャルブックマークサービスでもあるはてなブックマークを、私はしぶとく・大切に使い続けていきたいものです。
 
それから、これが私たちの目が黒いうちは一番大事だと思うのですが、
 
みなさん自身が「語り部」になりましょうよ。
 
00年代、10年代に書かれたことが失われていくことは避けられません。それはもう、どうにもならない。でも、私たちの記憶のなかにはまだ00年代や10年代が残っています。もちろん20年代だって。それらを書くこと。語ること。配信すること。誰かの目や耳に届けること。それが、私たちにできる一番強い手段だと思います。ユースカルチャーの領域の、細々としたことはどんどん忘れられ、フォーマルな文献だけがピカピカと残って、そのピカピカの周囲に嘘や誇張がはびこるかもしれません。ファクトとトゥルースのわかりづらい今の時代にあって頼りないことですが、それでも、憶えている人間が憶えていることを語らなくて誰が語るんですか。
 
もちろんこれは20年代にも当てはまります。2020年代の最前線を語るのは、私やアジコさんのような中年より、もっと若い世代が似つかわしいでしょう。「語り部」は老人だけのつとめではありません。今の風景を今の気分で切り取るのは、きっと10~30代の方に似合うはず。ドシドシやっていただきたいです。
 
 

もっと凝ったアーカイブにする手もある(かもしれない)

 
ときには、そうした「おれらのラクガキ」がひとまとまりになるチャンスも巡ってくるかもしれません。
 

 
上掲は、フォーマルな文献に残りそうにない私の体験をそのまま書いたものです(こんな出版企画が成った幸運を感謝するほかありません)。でも、こういう本ってそんなに珍しくないし、色んな人が色々と書いておられます。こうしたことを書き残せる状況の人には、それをやっていただきたいものです。
 
アジコさんは、
  
10年代に、10年代のブロゴスフィアの片隅をまるっと作品化する記念碑的事業を残されました。これは、ハイコンテキストで当時の事情を知らない人が読んでもわかりにくい作品ですが、10年代の、あの時代にしか生まれ得なかった何かです。フォーマルな文献に絶対に残らない、「おれらのラクガキ」の典型と言えるでしょう。
 
「おれらのラクガキ」をひとまとまりにするには馬力が必要です。チャンスや巡り合いも必要かもしれません。でも、やれる人はやったらいいんじゃないかと思うし、私は、そういうことにも値打ちがあると思いたいです。だって、私たちは生きていて、何事かをいつも考えていて、経験したことはみんな本当にあったことなんですから。忘れたくないし、残したくもありますよ。じゃ、残しましょうよ? 少なくともできることはしておきたいと、私はいつも思っています。アジコさんにおかれてもきっとそうでしょう。お互い、生きているうちはがんばって「語り部」やりましょうね。ではまた。
 
 
(※本文はここまでです。有料記事パートには、ほとんどの人にはあまり関係のないことしか書いてありません)
 
 

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害獣が当たり前に侵入してくる地方生活と、クマが揺さぶる社会契約の論理

 
www.nikkei.com
news.yahoo.co.jp

 
クマ害に悩む秋田県で、とうとう自衛隊要請が出た。
上の記事によれば、自衛隊による駆除自体は法的権限からみてできないと認識したうえで、自衛隊にしかできない仕事を要請するという。下の記事によれば、防衛省は派遣の方向で考えていると。
 
地方都市に住んでいる私にとって、秋田県の報道は他人事ではないから動向は気になっていた。ただし、今年の秋田県の報道を眺めているとスケール感が違うというか、東北地方のクマの出没頻度と被害が桁違い過ぎて驚くしかない。
 

 
ところが、田中淳夫『獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち』によれば、本来、江戸期から日本列島では獣害があるのが当たり前で、19~20世紀にかけて獣害が少なかったほうが特別なのだという。
 

……時代をさらに遡り、江戸時代の様子をうかがうと、現代とまったくそっくりな、むしろ今以上に獣害が苛烈を極めていた状況が浮かび上がる。
『鉄砲を手放さなかった百姓たち』によると、江戸時代は武士より農民のほうが鉄砲を持っていたそうだが、その理由は獣害対策だった。
この本では農山村から出された多くの行政文書から実例を紹介しているが、なかには「田畑の六割を荒らされた」「作物が全滅した」という嘆願書が並び、年貢が納められなくなって大幅に減免してもらった記録もある。だから、藩や代官に駆除のため鉄砲の使用を願い出ているのだ。
『獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち』より

同書によれば、1772年には秋田藩は藩をあげて大規模な害獣駆除を行い、27000頭の鹿を獲ったという。害獣が大量に出現し、人間の生活の脅威になっている状況下では害獣を直接駆逐する力が必要になる。その一端が農民自身による鉄砲の使用で、その一端は藩をあげての害獣駆除だったのだろう。
 
このほか、八戸藩で起こった猪飢饉の話や、1700年にスタートし全島からイノシシと鹿を駆除した対馬藩の害獣駆除の話など、すぐに調べて出てくる江戸時代の獣害と獣害対策の話はスケールが大きい。当時の獣害は、その地域の生活に加えて、主要産業をダイレクトに脅かすもの、もっと言えば租税に直接響くものだったから、本腰を入れて対処したのはわかる気がする。
 
現在は大都市圏はもちろん地方都市においても農林水産業は主要産業……とはいいがたい。それでも生活をダイレクトに脅かす点ではさして変わらない。他方で、地方と地方都市は長年の過疎化や大都市圏への主要産業の集中などもあって衰退している。だから里山が荒廃して人と獣のニッチが重なり合うようになったとも言えるし、県庁所在地にまでクマが降りてくるようになり、それを妨げるものが何もなくなってしまったとも言える。
 
 

クマの出没する生活圏

 
ところで、今年のクマ害の報道をとおして、「害獣の出没する生活」、特に命や財産が害獣に脅かされる生活について我が身を振り返ることも増えた。
 
北海道や東北地方に比べれば知れているが、私の住む地域でも獣害は頻繁に報告されている。イノシシや猿に作物を荒らされたり、鹿に衝突してしまったりはぜんぜん珍しくない。
 
クマの出没情報もよくある。私の生活圏内でもクマの出没情報は年に何回もあり、つい先日もクマが出たから気をつけろと情報が回ってきた。クマが出るのは人口密度が低いエリアや山間部だけでない。ターミナル駅や繁華街のすぐ近くまで降りてくる。イノシシや鹿や猿はニュースにすらならない。


 
前島賢さんが、「クマに怯えず学校に通える(た)連中に何がわかるんだ」と書いていらっしゃったけど、学校を卒業してもクマをおそれる生活は変わらない。なぜなら、近所のコンビニに行く途中で「森のクマさん」しちゃうかもしれないから。クマが目撃される場所と私たちの生活圏は完全に重なり合っている。地方は自動車で移動する機会が首都圏より多いから、自動車を使えばクマに襲われる心配は少なくなる。しかし「クマに襲われるかもしれないから」という理由で近くのコンビニに出かける時まで自動車に乗るということ自体、クマに怯える生活に他ならない。
 
私自身は、山の動物たちが私たちの生活圏に降りてきている度合いがドシドシ高くなっているのでは? と感じている。なぜならキツネやタヌキに近所で遭遇する場面が明らかに増えているからだ。
 
00年代前半ぐらいまで、私の地域ではタヌキはともかくキツネは山間部まで出かけなければ出会えないと言われていた。実際問題、00年代に私がキツネに出会ったのは山間部の、夜は人が住んでいないようなエリアだ。ところが近年、キツネが何食わぬ顔をして近所をうろつきまわっている。キツネは犬にも似ているが、絶対に見間違えないのはあの豊かな尻尾だ。立派な尻尾のキツネたちを、近所の道路や公園で年に一度は見かけるようになった。タヌキの遭遇頻度はそれよりずっと高い。自宅のすぐそばの道端でタヌキの糞を見かけたり、タヌキのペア(親子?夫婦?)にばったりと出会ったり。
 
こうした遭遇は昼間よりも夕方~夜にかけてが多い。夜の地方郊外は彼らにとってうろつきやすく、競合する動物がいない場所なのだろう。野良犬が減り、屋外飼育の犬も減り、野良猫すら少なくなった地方郊外は、クマはもちろん、キツネやタヌキと競合する動物すらほとんどいない。人間も、そうした動物たちに襲い掛かるではなく、遠巻きにするだけになった。そのうえ里と山の境界線が緩くなってくれば、野生動物が人里に闖入してくるのはそりゃあ「自然」なことだろう。
 
 

「自然」は社会契約を、法を忖度しない

 
しかし人里、いや、都市は、そうした「自然」を受け付けない空間だ。都市は「人間」のものであり、「人間」の道理で成り立ち、「人間」の法に基づいて成り立っている。そこに「自然」が闖入してきた時、「自然」は「人間」の道理を忖度しない。
 


 
そうなるとどうなるか。
上掲ポストは少しネタっぽさがあるけれども、案外、笑えないと私は思った。「人間」の道理で成り立っている都市の安全は、人間自身が銃で武装したり帯剣したりして成り立っているわけではない。都市では暴力を国家が独占していて、市民は暴力で(自助的に)事態に対処してはいけないことになっている。実際、銃刀法のような法律をとおして市民は武装解除させられているし、殴り合いの喧嘩や決闘もやってはいけないことになっている。
 
では、都市において暴力を差配し市民に代わって代行するのは何か? それは近代警察組織だ。社会契約の論理に基づき、市民に代わって暴力で事態に対処すべきは警察、さらには(軍隊や自衛隊も含めた)国家ということになっているはずだ。であれば、都市で暮らす(いや、山のなかの一軒家で暮らしていたとしても)市民の命や財産を守るべきは第一に警察組織、第二に自衛隊であるべきで、市民がさすまたや素手でクマに立ち向かうよりは警察機構がさすまたや素手でクマに立ち向かうほうが道理にかなっている。
 
もし、それが警察機構や自衛隊にできないとしたら。それは社会契約の論理の実践上の後退ということになるし、警察機構があてにならない・できないなら、市民は自衛のための武装を余儀なくされるだろう。クマを自然災害のようなものとみなすことも可能だろうけど、その場合も、クマが法を守ってくれるわけではない点、台風や豪雨とは対処法がかなり異なっている点、人間に直接暴力をふるい、人間を直接破壊する点には留意しなければならない。
 
クマが街に出没するとは、話の通じない通り魔のたぐいが出没することにかなり近い。少なくとも私と私の周辺はそのように感じている。そうしたフィーリングを、どうか大都市のド真ん中のお屋敷やタワーマンションに住んでいる人々にも共有していただきたいし、そういう目線で地方のクマ出没のニュースについて議論を進めていただきたいと、私は願わずにいられない。そしてクマがこれ以上社会契約の論理をゆっさゆっさと揺さぶらないよう、早急に法制度を現実に追いつかせ、「人間」の世界に闖入してくる「自然」に断固とした対抗措置をとっていただきたいと願う。
 
 
 
私は、霞が関の人々が秋田県を見捨てるのではないかと心配していたが、そうした対抗措置のひとつとして防衛省から前向きなメッセージが出たのを私はうれしく思った。これから先、地方と地方都市はもっと衰退し、放置すれば獣害が増えるのは避けられないよう思われるので、中央集権国家の真ん中らへんにいらっしゃる人々にも危機感を共有していただきたいと願う。
 
 
……ついでに少しグチグチと書くと、「クマがかわいそう」などといった、地方の暮らしよりもクマのほうがかわいくて仕方ないらしき人々の声が大きくならないように私は期待するし、そうした声が小さくなるよう私自身も努めたく思う。私は「人間」の道理が通じず、にもかかわらず「人間」の道理で動いている空間にまで闖入し人間の命や財産を脅かす害獣は駆除すべきと考える。それから私は、クマよりもクマに闖入されてなすすべなく傷つき、財産を失う人間のほうをかわいそうだと思う。いや、かわいそうというのは適切な表現ではないな、気の毒だし、理不尽だし、痛ましく思う。なにより、私や私の知人友人にとってぜんぜん他人事ではない。
 
人間が、自衛が許されない社会契約のもとに置かれているとしたら、話が通じず暴力をふるう害獣から(中央集権国家をとおして)ちゃんと守られてしかるべきだ。
 
 

オタクが動物化したのか、動物がオタクになったのか──『動物化するポストモダン』再読、それからコジェーヴ

 

 
最近私は「近代社会ってなんだろう?」ってことに関心があって、近代社会とその続きについて書いてある本を再読してまわっている。ゆうべは東浩紀『動物化するポストモダン』を数年ぶりに読んだ。ただ懐かしいだけじゃない。読むたびに発見があって「こんなことを著者は書いていたのか!」と驚いた。それからインスピレーション。自宅の本棚のいちばんいい場所には、読むたびにインスピレーションが刺激される本を並べておきたいよね。
 
昨日の私は「動物化したオタクって、どのあたりのオタクまでで、どこからのオタクは元々動物だったんだろうか?」ってことを読みながら考え続けていた。
 
『動物化するポストモダン』でいうところの「動物」とは、コジェーヴという哲学者の言っていた「動物」のことらしいが、私はこのコジェーヴという人自身の本を読んだことがない。ただ、『動物化するポストモダン』に書かれていることとその周辺情報から察するに、コジェーヴのいう「動物」とは、近代社会のあるべき人間の特徴にそぐわない、そんな人を指すらしい。
 

 コジェーヴは、戦後のアメリカで台頭してきた消費者の姿を「動物」と呼ぶ。このような強い表現が使われるのは、ヘーゲル哲学独特の「人間」の規定と関係している。ヘーゲルによれば(より正確にはコジェーヴが解釈するヘーゲルによれば)、ホモ・サピエンスはそのままで人間的なわけではない。人間が人間的であるためには、与えられた環境を否定する行動がなければならない。言い換えれば、自然との闘争がなければならない。
 対して動物は、つねに自然と調和して生きている。したがって、消費者の「ニーズ」をそのまま満たす商品に囲まれ、またメディアが要求するままにモードが変わっていく戦後アメリカの消費社会は、彼の用語では、人間的というよりむしろ「動物的」と呼ばれることになる。そこには飢えも争いもないが、かわりに哲学もない。
『動物化するポストモダン』より

ここでいう近代社会然とした「人間」とは上掲の否定を含む人間、理性に基づいてそのままの人間に対して批判的な視点を持ち得る人間、理性を用いてそのままよりも良くなろうと思える人間だ。関連して、他人との比較のなかで何かを欲しがったり、何かを動機づけられたりすることも可能な人間だ*1
 
たとえば、おいしそうなものを欲しがるだけ、美しい異性に見とれるだけでは近代社会然とした人間とは言えない。それは、この文脈でいうところの「動物」にあたるだろう。
 
あるいは、現状の人間に対して批判的な視点が持てずに現状肯定にばかり甘んじる人間、他人との比較のなかで何かを欲しがったり動機づけられたりすることのない人間も、この文脈でいうところの「動物」にあたる。だから、他人の目線など意識すらせず、自分の欲しがりたい「萌え」や「泣き」をしゃにむに追いかけたオタク、他人の目線を意識することなく趣味や消費活動に耽溺してばかりのオタクは、なるほど動物化した人間、動物化したオタクってことになりそうだ。
 
なお、こうしたオタク像は1990年代~00年代初頭のそれに当てはまるはずで、今日の、オタクとパリピの区別すら判然としない2025年の現状には当てはめきれないかもしれない点に、留意が必要だと思う。この文脈で登場するオタクは、オタクvs新人類といった20世紀末のパースペクティブのもとにある。つまり、ここでいう新人類はオタクとは対照的に、他人の目線を意識しながら趣味や消費活動をやってのける人々だった点で、*1に記した人間の条件により当てはまっていた。
 
どうして今、私がこんなことを蒸し返して『動物化するポストモダン』を再読しているのか。それは、『動物化するポストモダン』が参照しているコジェーヴの本がようやく再販される運びになったからだ!
 

 
コジェーヴ『ヘーゲル読解入門:『精神現象学』を読む』は、『動物化するポストモダン』に書いてあるこうした事々をもっと詳しく知るうえで、きっと役に立つだろう。と同時に、私の「近代社会ってなんだろう?」という疑問にアプローチする材料になってくれるに違いない。もう予約注文してあって、楽しみにしている。
 
 

オタク個々人が動物化したのか/オタク界隈が動物化したのか

 
この文章のメインは『ヘーゲル読解入門:『精神現象学』を読む』が楽しみだよね! って感じなのだけど、余白で益体も無いことを書いてみる。
 
 
オタクの動物化について。
 
『動物化するポストモダン』は、このオタクが動物化していったことを示す材料として、キャラ萌えやビジュアルノベルを挙げている。昔のオタクはいざしらず、90年代後半のビジュアルノベルのキャラクターに真っすぐに「萌え」たり、「泣ける」シナリオに素直に泣いたりしていたオタクたちは、コジェーヴの論に沿って考えれば動物的であって人間的ではない、といった感じになるだろう。
 
しかしこの時期には、そうしたビジュアルノベルやビジュアルノベルに萌えるオタクをやけに賢く高尚な存在として語る人々もいたし、もっと難しい論評に基づいて批評する向きもあったと記憶している。ビジュアルノベルと言っても色々あり、付き合い方も色々だろう。実際、『Air』『Kanon』『CROSS†CHANNEL』といった作品には感情の工業生産品でしかないと片付けることを許さないニュアンス、それから同時代性が宿っているようにもみえた。『月姫』や『沙耶の唄』といった作品も含んでいた当時のビジュアルノベルというジャンルを軽々に扱うのも、それはそれで違うと思う。
 
他方、どうにも単純なファンや消費者がいたことも事実だ。さきに挙げたゲームタイトルについても、シンプルな受容の仕方をしている人などいくらでもいたのだった。当時、オタクたちが皮肉交じりに用いていた「全米が泣いた!」という文句を鏡で映したような、判を押したような萌え方をしているオタクたちは実在した。当時の段階で既に、エロゲーやビジュアルノベルの世界の裾野は90年代にオタクと呼ばれ得た人々の外側にまで広がりつつあり、いわゆるライトなオタクはもちろん、当時の言葉でいえばヤンキーと呼ばれ得る人々にも届きつつあった。
 

 
私は、オタクともサブカルともヤンキーともつかない人々について過去に本をまとめたことがある。しかし時期尚早過ぎたし、準備も不足していた。もう数年寝かしてから、もっと勉強してからこのテーマで書けば良かったと今は後悔している。
 
さておき、『電車男』や『涼宮ハルヒの憂鬱』や『ニコニコ動画』などが登場しオタクの裾野が一挙に広がったと言われる前夜の段階でも、ビジュアルノベルやエロゲーは裾野を広げ始めていて、そのなかには90年代にイメージされたオタクのコア層にすら合致していない人々も含まれ始めていた。これも当時の言葉を借りるが、たとえば00年代前半の段階でも*2、オタクDQNと表現するのが似合いのハイブリッドな人々がそれなりいたことは、彼らが基本的にサバルタンであることを踏まえて繰り返し言っておきたい。
 

ところが、2000年ごろから僅かずつ観測されるようになり、近年まちがいなく観測頻度が増えているのは、ゲーセンではなくオタク文化圏のかなり深い場所にも出没する、オタクヤンキーな人達だ。
このようなオタクとヤンキーのハイブリッドのような人達には、旧来のオタクっぽい問題解決方法 (あるいは生徒会的問題解決方法、とでも言うべきか) が通用しない。このため、たった一人のオタクヤンキーの侵入によってさえも、オタクコミュニティ内の人間力学が大きな影響を蒙ることがある。彼らの多くは、睨み合いで先に目を逸らせるような人間の言う事をすんなりとは聞いてくれないので、オタク的知識の多寡や既存の秩序 (ああ、なんと生徒会的な響きだろう!) でコントロールできる相手ではないのだ。歴史のあるオタクコミュニティであれば、こうしたオタクヤンキー的な人物と上手に付き合ったり、コミュニティに迎え入れたりする方法を知った人物が混じっている場合もあるが、そうでない場合、ややこしいコンフリクトに発展する場合もある。 

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20100202/p1

そうした人が地方の、垢ぬけないオタクコミュニティに闖入してきたりすると、それまで平和裏に続いてきたかにみえた生徒会的問題解決方法は瓦解する。
 
オタクなるものが都市部のエリートの子息に限定されていた頃には、そうした生徒会的問題解決方法が瓦解する事態は珍しかったのかもしれない。が、90年代以降にオタクが拡散・大衆化し、地方の国道沿いの若者にまで受け入れられていった過程で、萌えるという観点でも、コミュニケーションの趨勢という観点でもより動物的なオタク、あるいは、近代社会のディシプリンを内面化していないオタクが増えていったのは、たぶんそうなのだろうと思う。この文章の文脈に沿って言うなら、それはオタクが動物化していった過程であると同時に、オタクが*3動物然とした人々にまで広がっていった過程でもあったように思えたりもする。
 
 

オタクカルチャーにみる近代思想の射程距離、あるいは近代の浸透度合い

 
こうしてオタクの拡散と大衆化、および再読した『動物化するポストモダン』と近代について思い出すと、近代化を成し遂げ、“一億総中流社会”が成ったといわれた日本に、どこまで近代の精神が浸透していたのか、怪しい気持ちになってくる。
 
『動物化するポストモダン』以前のオタク、特に、自己表現のすべを持っているオタクの領域には、確かに近代の精神は根付いていたのかもしれない。
 

 
ブルデューの『ディスタンクシオン』には、文化資本やその継承についてだけでなく、支配階級に優勢な趣味、中間階級に優勢な趣味、労働者階級に優勢な趣味の特徴についても書かれている。この、各階級における趣味のなかで近代の精神に最も妥当するのは、もちろん支配階級のそれである。ブルデューは、同じジャンルを愛好している者でも、その趣味性や鑑賞の仕方は階級によって異なると述べており、それはメインカルチャーだけでなくサブカルチャーでも認められる現象であることも示している。
 
オタクがまだひらがなで「おたく」と書かれ、極少数派だった頃、オタクのコア層は都市部の富裕な子女、首都圏の私立高校に進学するような子女だったと聞く*4。そうした子女のうち、おたくとして作品や批評を残した人々は、ブルデューのいう支配階級の趣味とハビトゥスを身に付けていた可能性は高く、文化資本にもともと恵まれていたケースが多かったのではないかと思う。少なくとも、同時代の地方都市で公立高校に進学するような子女に比べたらそうだろう。彼らが所有する文化資本のなかには、富裕な家庭で身につけたものもあれば、私立高校や進学校で身につけたものもあるだろう。
 

 この種の能力はだいたいにおいて、それと気づかぬうちに習得されていくものであり、それは家庭や学校で正統的教養を身につけていくなかで獲得される一定の性向によって、可能になるものである。つまりこの性向は、一般に応用できる一連の知覚・評価図式をもっているので、他の分野にも転位することが可能であり、したがって他のさまざまな文化経験へと向かい、それらをこれまでとは別のしかたで知覚し、分類し、記憶することを可能にしてくれるわけだ。
(中略)
彼らは二つの集団によって指針を与えられる。ひとつは自分の属するグループ全体であり(「あの映画は見たかい?」とか「この映画は見なくちゃいけないよ」といった言いかたで仲間の秩序に従うことが要求される)、もうひとつはこのグループが正統的な分類=等級づけをおこない、「批評」の名に値する芸術鑑定作業には不可欠の付随的言説を生産するにあたって、その力を借りる批評家集団の全体である。 
『ディスタンクシオン I』より

マスボリュームが小さく、首都圏にそのメンバーの大半が集中し、コミックマーケットやSF研究会や漫研などで繋がり合っていたオタクがこうした条件にある程度まで合致していたのは想像にかたくない。
 
対して、90~00年代にオタクが大衆化していったなかで新規参入した裾野にあたる人々は、そうでもあるまい。そうした裾野にあたるオタクたちも、首都圏のオタク・エリートが鑑賞しているのと同じジャンルに接することは可能だ。しかし『ディスタンクシオン』に基づくなら、同じジャンルの作品を鑑賞するとしても、その鑑賞の仕方、その作品の選好、鑑賞に際しての趣味やハビトゥスが異なっていても不思議ではない。
 
余談だが、『ディスタンクシオン』的に考えた場合、ある種のオタクにありがちなやたらと一生懸命な態度は、中間階級的な趣味、あるいはハビトゥスということにもなろう。知識を蓄積すること・一生懸命に暗記すること、それらがオタクとしての優越であるとする感覚は支配階級のハビトゥスや趣味とは相いれない。それは中間階級(ちなみに『ディスタンクシオン』における中間階級とは、プチブルとも称される)のハビトゥスや趣味である。
 
ミダス王の呪いにも似て、支配階級はどのようなジャンルに触れても支配階級のハビトゥスや趣味を発露し、中間階級はどのようなジャンルに触れても中間階級のハビトゥスや趣味を発露し、労働者階級はどのようなジャンルに触れても労働者階級のハビトゥスや趣味を発露する。オタク・エリートは別にオタクでなかったとしても支配階級然とした趣味を発露しただろうし、大衆化した後のオタクは別にオタクでなかったとしても中間階級的~労働者階級的な趣味を発露しただろう。だとしたら、『動物化するポストモダン』以降の大衆化した時代のオタクたちが趣味をとおして発露していったものとは、趣味の領域における近代が行き届かないありさま、つまり、ブルデューのいう支配階級ほどには近代の精神が内面化されていないありさまだったんじゃないだろうか。
 
さきに出した“一億総中流社会”という言葉が象徴したように、近代社会の恩恵は日本じゅうにトリクルダウンし、その産物である自動車やスマートフォンといった利器は津々浦々にまで行き渡っている。しかし、近代の精神はどうだろう? 支配階級が最もよく内面化しているとされ、最も近代の精神に妥当しているとされるハビトゥスや趣味は日本じゅうにトリクルダウンしたのだろうか?
 
していないよね、それって。
近代社会の利器はともかく、近代の精神のある部分は、どう見ても日本じゅうにまでトリクルダウンしていない。昨今の国際情勢をみるに、たぶん他の先進国においてもそうだし、今まさに先進国になろうとしている国々においてもそうだろう。その近代の精神のある部分とは、ブルデューのいう支配階級の趣味やハビトゥスだったり、コジェーヴが「動物」と対置させた「人間」という概念に相当するものだったりする。
 
今日の私は、そういう一兆候として『動物化するポストモダン』に記されたオタクの「動物」っぽさを思い出す。そしてそのオタクの「動物」っぽさなるものは、2020年代においてはもっと広く観測されるものに違いないし、今更、批判的に検討するのも億劫になるものだ。少なくとも私は批判的に検討することに億劫さをおぼえる。
 
 

近代の精神がトリクルダウンしない/しなかったという事態

 
それより私が批判的に検討したくなるのは、じゃあ、近代社会の恩恵が日本じゅうにトリクルダウンしていった一方で、近代の精神がトリクルダウンしなかったのはなぜか、ということだ。あるいは哲学の偉い人たちが述べたところの「人間」が21世紀になってもたいして増えず、「動物」に相当する人が私も含めてこんなにたくさん存在し続けているのはなぜか、ということだ。
 
近代が生み出した自動車やスマホや、近代と切っても切れない資本主義の精神については、私たちは驚くほど簡単にこれを自らのものにしている。ところが近代の精神はそうなってはいない。近代の精神は、思想の次元では現代社会をいまだ支え続けているし、社会規範や道徳や正義とも接続し続けている一方で、私たちの大半は「動物」であることをやめていない。というより昨今のネットメディアをみるに、私たちのほとんどは「動物」でしかなく、「人間」などというハイカラを貫いているようにみえた人の正体も、案外「動物」であることがしばしばバレてしまっていたりもする。
 
これは、社会の建付けとしておかしいなことではないだろうか。
それともこれは、おかしいと思ってはいけないものなのだろうか。
そのあたりについて考える材料としても、くだんの『ヘーゲル読解入門:『精神現象学』を読む』を読むのを楽しみにしている。
 
 

*1:この、他者との比較のなかで~について、『動物化するポストモダン』では右のように記している:"しかし人間はまた別種の渇望をもっている。それが「欲望」である。欲望は[動物的な]欲求と異なり、望む対象が与えられ、欠乏が満たされても消えることがない。(中略)……というのも、性的な欲望は、生理的な絶頂感で満たされるような単純なものではなく、他者の欲望を欲望するという複雑な構造を内側に抱えているからだ。平たく言えば、男性は女性を手に入れたあとも、その事実を他者に欲望されたいと思うし、また同時に、他者が欲望するものをこそ手に入れたいとも思うので、その欲望は尽きることがないのである。人間が動物と異なり、自己意識をもち、社会関係を作ることができるのは、まさにこのような間主体的な欲望があるからにほかならない。動物の欲求は他者なしに満たされるが、人間の欲望は本質的に他者を必要とする──ここでは詳しく述べないが、この区別はじつはヘーゲルからラカンまで、近代の哲学や思想の根幹をなしているきわめて大きな前提である。コジェーヴもまたそれを踏襲している。"

*2:もっと言えば、00年代前半の地方都市のレベルにおいても

*3:より正確には、オタク的な消費やオタク的とみなされていたコンテンツが、というべきだろうか

*4:via 宮台真司

早起きできるようになった。年を取った 

 
日の出が遅くなってきたのに、朝、早くに目が覚めてしまう。昔は早起きが苦手だったはずなのに、午前6時、なんなら午前5時半には起きだしてジョギングしたり、『艦これ』のデイリー任務をこなしたりするようになった。
 
早朝には、人の気持ちを引き締める効果があると思う。
ひんやりとした、人気の少ない路地の空気を思いっきり吸う。薄暗い10月の朝でも花々は一生懸命に咲いていて、草むらからは秋の虫の声が聞こえる。紅葉は始まっていないが、路上の落ち葉や広葉樹の葉がいくらか黄色くなりはじめた。毎年あれを見るたび「人間の白髪みたいだな」、などと思う。
 
そういう涼気をたっぷり吸い込んでから仕事に向かうと、始業時間からフル稼働できるように整う。10~20年前なら眠たさを引きずっていたはずの午前8時も、今は苦ににならない。一日のタスクに素早く取り掛かれるのは幸先良いことだ。できることが増えるし心にも余裕が生まれる。昼食と小休止を挟み、午後の仕事へ。小休止を挟めた日には午後の仕事も加速する。残った時間でできるだけやってしまいたい。
 
で、21時にもなれば「そろそろ難しい本は読まないようにしないと」と思うようになり、22時を過ぎると眠たさの帳がおりてきて抵抗できなくなる。アラフィフの就寝は健康的だ。
 
 

これでは老人ではないか!

 
こう書くと良いことづくめのように思われるし、たぶん今の私の毎日の生活は健康的だと思う。ついでに言えば、最近、アルコールは心拍数が上昇するほど飲んでしまったら失敗だと感じるようになったので、その手前で引き返すのがマイブームだ(もちろん、たまに「やらかして」しまうことはあるが)。心拍数が上昇するほど飲んだら睡眠がかえってとりづらくなったり、睡眠の質が著しく劣化したりするように思う。こういうことを意識するのも早起きが習慣になってきたおかげだ。
 
でもこれって老人のライフスタイルだよね。
年を取ったんだなぁ、自分。
50歳って、年上からみれば小童だろうけど、20歳、30歳からみれば完全に老人の領域じゃないか。実際になってみたら、ライフスタイルが勝手に老人のそれになってしまっていたのだ。
 
夜更かしの限りを尽くしていた頃を思い出す。
学生時代の私は、週に4回ぐらいは24時の閉店までゲームセンターにたむろしていたし、そうしたこともあって朝の臨床実習がしんどくて仕方が無かった。当時の医学部の授業は「いろいろ頑張ればけっこうサボれる」ようにできていたが、臨床実習だけはそうもいかないので死人のような顔をして大学病院に通っていたものだ。
 
なんとか通いきって夏休みを迎えてしまえば、晴れて、昼夜逆転の生活が待っている。お昼過ぎに起きだし、その後もグズグズとしているから、ゲーセンに出かける頃には夕方になっている。そういう生活をしていると、午前0時が真夜中という気がしない。本当の真夜中とは、午前4時である。あの頃は午前4時が就寝するのに一番都合の良い時間だった。
 
インターネットが繋がり、テレホーダイが来てからは23時から社交の時間が始まった。オンライン空間のはるか遠くまでネットサーフィンしていく。日曜夜でも午前2時まで起きてしまうことなどざらだった。研修医になってからはさすがに控えるように意識していたが、それでも鬱憤がたまっている時にはつい、インターネットに深入りしてしまい、翌朝、辛い目に遭うパターンをやらかしがちだった。私はインターネットから本当にたくさんの機会をいただき、インターネットで人生が変わったことを感謝しているけれども、こと、健康面ではインターネットで蝕まれていたものものも多かったように思う。
 
そんな真夜中のインターネットが徐々に修正されて、まっとうな時間に就寝しそこそこのコンディションで出勤できるようになったのが私の40代だった。長らく私はそんな自分自身を「毎日の積み重ねをとおして生活習慣が改善してきた」などと思っていた。でも、こんなに早起きになってしまった今は違う風に感じる。これって単なる加齢の影響じゃないの? そのうち、朝の3時や4時に起きるようになったら、正真正銘、老人の仲間入りということになろう。
 
 

職場って、案外老人にあわせてつくられている?

 
早寝早起き人間になってしまった今、勘繰っていることがある。
 
それは、社会の仕組みって案外老人にあわせてつくられているんじゃないか? ということだ。年配のベテラン勢がやたら朝早くに出社する・職場に現れる風景はどこにでもあり、それは若手としてはあまりうれしくない傾向だろうと思う。医療の世界でも、朝の8時から抄読会なんてのはよくあったパターンだ。8時の抄読会に間に合わせるには早起きし、早くに出勤しなければならない。20代の頃はそれが嫌で嫌でたまらなかった。なんでこんな朝早くに眠い目こすって勉強なんだ? と思っていた。ところが今の私には、朝8時から勉強するのもたいしたことではない。いつものように朝6時に起床すればいいだけである。どうってことはない。
 
仕事に限らず、朝早くから行われる活動は多い。夏休みのラジオ体操もそうだし、廃品回収や清掃といった地域行事も朝が定番だ。朝早くからの活動は、生活リズムの維持や健康増進やタイパの向上といった観点からも好ましい風に語られがちだ。
 
でも本当は、世の中全体がもっと遅寝遅起きになったって構わないはずである。若い人が好むような生活リズムにあわせて、出勤時間も退勤時間も営業時間もぜんぶ1~2時間遅らせた社会を想像していただきたい。そんな社会でも、その社会にあわせて皆が生活リズムを維持していればそれで構わないはずである。みんながそのリズムに合わせている限り、それほど不健康でも、それほど非ー生産的でもないはず。
 
しかし実際にはそうならず、若い世代には眠くてしかたがないリズムが社会全体に定着しているのは、中年~年配世代にとって好都合なように社会全体のリズムがつくられてしまっているせいではないだろうか?
 
我ながら、うがった見方ですねえ。
でも、社会の決まりごとを決められる権力を持っているのは若者よりも老人だ。だとしたら、この、若い世代には朝が眠くて仕方がない社会の取り決めは、朝がへっちゃらな年上世代によってつくられ、また、維持されているものじゃないか、という気がしなくもない。少なくとも年上世代は、若者世代が「もっと朝の遅い社会になりませんかねえ」とぼやいたとしても、それを無視するか、叱咤するのではないかと思う。
 
ともあれ、私自身にはもう関係のないことではある。なぜなら早起きしづらい私がどこかにいなくなって、早起きしやすい私ができあがってしまったからだ。早朝っていいですね。いいですね、じゃねーよ! あーあ、夜更かしを取り戻したい(無理だろうなあ)。
 
くだらない話を書いてしまいました。
 
 

ブログ『シロクマの屑籠』は20周年を迎えました

 
2025年10月17日をもって、このブログ『シロクマの屑籠』は20周年を迎えました。
 
私が20年間ブログを続けられたのは、第一に、このブログを読んでくださる方々、特にはてなダイアリー・はてなブログ・はてなブックマークをとおして繋がり合ってきた知己の皆さんと常連読者さんのおかげです。長きにわたってご一緒してくださった常連読者の皆様、ありがたいトラックバックやリンクを送ってくださる方々、暖かい言葉をかけてくださったり、貴重なご教唆をわけてくださったりする方々に、深く御礼申し上げます。
 
しかし振り返って、20年という歳月は短くはありません。
この間にブログブームは沈静化し、Youtube、ニコニコ動画、そしてSNSが代わって栄えていきました。歳月は、私と私をとりまく環境を変えてしまい、ネットコミュニケーションの趨勢まで変えてしまいました。20年前と同じインターネットを『シロクマの屑籠』でやってのけることは、もはやできません。今の私、今のネットコミュニケーションの趨勢にふさわしいことしか書けなくなってしまったことを歯がゆく思う夜もあります。そして幾人かの知己は鬼籍に入り、より多くの人がブログをやめてSNSに立ち去ってしまいました。インターネットも諸行無常ですね。古い時代のウェブサイトが丸ごとごっそりなくなってしまうニュースを見かけるたび、そのように思います。

それだけに、当たり前のようにブログが書けることはありがたいこと・かけがえないことです。大事なことなので書きますが、こうして空気を吸うようにブログが書けるのは、 (株)はてな が はてなブログ というネットサービスを継続してくださるおかげでもあります。私は、(株)はてな に足を向けて寝られない感じです。ありがとうございます、いつも大変お世話になっております。そしてこれからもよろしくお願いします。
 
 

これからの『シロクマの屑籠』と私の方針について

 
ブログが20周年を迎えた一方で私は50歳となり、自分が文章を書ける時間の残り少なさを自覚するようになりました。もしかしたら、60歳になっても健筆をふるっている可能性はあるかもしれません。ですが、インターネットも人の命も諸行無常ですし、私は自分の集中力の減退や持久力の減退についてはっきりと自覚するようにもなりました。ですから、もうしばらくは『シロクマの屑籠』を現在と同じ指針で書きますが、ある時期からは、現在とは異なる指針と更新頻度に切り替えようと思っています。
 
まずひとつ。
すぐではありませんが、私は、この『シロクマの屑籠』で「連載」を始める可能性があります。「連載」は論説文かもしれませんし小説かもしれません。どちらの場合も各章の最初のパラグラフを無料公開とし、残りの文章はサブスクリプションの対象とするでしょう。「連載」を始める理由は、商業出版に馴染まないものや、商業出版にどのみち手が届きそうにないもので、ひとまとまりの作品として出力してみたいものを出力する場が欲しいからです。もしかしたら、まったく同じ内容をカクヨムやnoteあたりで公開するかもしれませんが、基本的には、手に馴染んだインターフェースであるはてなブログで先発することを検討しています。
 
ふたつ。
更新頻度が維持できなくなるかもしれません。『シロクマの屑籠』には現在、不特定多数の方に読んでいただくことを想定したもの・常連読者さんやリンク先の方に読んでいただければ十分なもの・私自身が再読できさえすればそれで構わないものが混在しています。このうち、不特定多数の方に読んでいただくことを想定したもののカテゴリーの文章は、ますます少なくなると思われます。私には時間がもうあまりないので、私が考えたいことを・考えられるうちに・考えなければならないと思うようになりました。それが上手くいくのかいかないのかはわかりません。が、もっと自分自身の関心事に利用するかたちでブログを書かなければならないと、最近は危機感を募らせています。
 
みっつ。
私が現在集積中の知識のストレージとして、サブスクリプションの対象領域、要は有料領域をもっと活用します。この歳になってもなお、私にはインターネットの調子者がやめられないところがあって、自分の知識のストレージについても、誰かの目に留まる状態(それでいてそこまで多くの人が読まない状態)にしておいたほうが、その知識のストレージ作業にやる気が出るのです。これからに向けて知識を集積させるプロセスの一環として、無料記事と有料記事の双方をもっと活用し、未来の自分に知識を残しつつ、もらってきたばかりの知識をいったん(キーボードをとおして)身体化する過程として生かしたいのです。
 
 
これらが、私の選手生命ならぬブロガー生命を延ばすのか縮めるのかはまだわかりませんし、本当にこのとおりにできるのかも定かではありません。しかし、私の50代は一度きりで、60代になれば体力的制約やワインの悪影響などから、きっと今ほど文章は書けないものと推定します。そもそも、私がいつまでブログを書けるのかなんてまったくわからないのです。なので、これからはもっと私自身のためになるようなブログの書き方、更新の仕方を心がけて、命の炎をここで燃やしたいと思います。
 
おかげさまで、短いようで、すごくすごく長い20年間を過ごさせていただきました。読者の皆さんに、改めて深謝申し上げます。
『シロクマの屑籠』は、まだちょっとだけ続けるつもりです。引き続き、どうかよろしくお願いいたします。