シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

ブログを18年書き続けて思うこと (後編・社会のこと)

 
こちらの続き、後編になります。
 
前編ではブログを18年書き続けてきた自分自身について書いた。ここからはブログをとりまく18年ぶんの社会とか環境とかについて。
 
この『シロクマの屑籠』が開闢した2005年はブログブームな時期でアーリーアダプターからアーリーマジョリティにブログの書き手が広がっていく、そんな頃合いだった。ウェブサイトよりも書く敷居が低い、誰でも情報発信できるメディアとしてのブログ。それは確かに便利で、ウェブサイトからブログに本拠地を移したばかりの私は息を吸うほど簡単にありとあらゆることをブログに書き殴りまくっていた。アメブロやFC2ブログやライブドアブログに書き殴っていた人たちも多かれ少なかれそうだっただろう。
 
けれども「誰でも情報発信できるメディアとしてのブログ」の寿命は短かった。SNSが生まれ、インスタグラムが生まれ、tiktokが生まれた。ブログ以上に簡単にオンラインにアップロードできる方法が広がり、ブログ記事より写真や動画のほうが楽にアップロードできるかもしれない、そんな時代がやってきた。そうしたなか、今、ブログでわざわざ情報発信すること・ブログに文章をしたためることにどのようなアドバンテージがあるのかわかりづらくなった。簡便さだけでなく、大人数に読んでもらう・見てもらうという点でも今日のブログが優位性を持っているとは言えない。読者に有料の記事をサブスクしてもらうという点では、noteという媒体もある。
 
こうして考えると、「誰もがブログを書く時代」は二度と来ないと思わざるを得ないし、ブログを書くことにメリットのある人はすごく限られているようにも思える。少なくとも、このブログなるものを用いてお金儲けや立身出世を目指すのはやめといたほうがいいと思う──ん? この言葉はそういえば2010年代にも00年代にも言われていたし、私自身も言っていた気がする。ごく一部の、山師のような人々がブログdeお金儲けやブログde立身出世を煽って、それで「ゴールドラッシュでつるはしを売るような商売」を成立させていたのだった。
  
でも現在のブログの、ちょっと一歩退いた感じもこれはこれで居心地がいい、とも思ったりする。ここにはもう、つるはしを売るような商売をする山師は寄り付かないし。
 
twitterもそうだが、最前線の情報発信メディアはいずこも情報発信メディアとして最適化が進み過ぎてしまい、影響力や政治力や経済力の草刈り場としてあてにされすぎている。そこで活躍するプレイヤーは皆、その草刈り場での草刈りに最適化したスタイルを身に付けて、鉄の心臓で草刈りをやっている。彼らの洗練された草刈りをやってのける技量と鉄の心臓に尊敬を! が、正直、そこで草刈りプレイヤーとして最適行動を積み重ねるのは私にはしんどい。だいたい、最前線の情報発信メディアはどこもレッドオーシャン、それはもう食紅色といっていいほどの赤い海だ。そこでつるはしを売ったり影響力や政治力をかき集めたりするのは、大変すごいことだと思うが大変疲れることだとも思う。
 
最前線の情報発信メディアに最適化された振る舞いに終始するとは、人間味のないことである。一見、人間味のあるキャラクターを求められているアカウントの場合も、それが真の人間味を丸出しすることは決して意味しない。整形され、商品として出荷される人間味。実際に演じられているのは、超・人間味に相当するものだ。人間味のハイパーリアルが演じられ、消費されるのである。そのことを了解したうえで、最前線の情報発信メディアでキャラクターやっていく勇気が私にはない。バイタリティも甲斐性もスピードもない。あなたには、あるだろうか。
 
ブログは情報発信メディアの栄枯盛衰のなかで一歩退いたメディアになった。でも、そのおかげで私はここで比較的好き勝手なことを書いていられる。ここは影響力や政治力や経済力の草刈り場としてはぜんぜんだし、最新の社会状況や時事にあわせて大喜利脊髄反射ゲームをやらなければならない度合いも少ない。
最近、しずかなインターネットなるメディアができあがったけれども、私には自分のブログがこうしてあるのだから、ここで勝手なことを勝手にやっていればいいのだと思う。それは大多数にステートメントしたり大向こうを動員しようと気張ったりするものでなく、自分の頭を整理したり、自分自身にアーカイブを残したりするための準備体操の場だ。それでいて、幾ばくかは第三者に開かれている、その空気感がこれまでのブログの、そして旧はてなダイアリーのいいところだったように思う。
 
 

ブログをキャッシュやストックと考えるとしたら

 
それとブログと人の存続限界について。
18年前、まだブログは書けばいつまでも残るものでグーグル検索すれば引っかかるものという期待が持てた。実際がそうではなかったのは周知のとおり。ブログはブログサービスごと次々になくなっていったし、個人がワードプレスなどで運営しているブログも次々に消えていった。ブログはインターネット上のオベリスクではない。筆者も、永遠の筆者ではない。この18年間に少なくない書き手が他界し、それより圧倒的多数がブログを畳んでしまった。ブログは残っていても書き手が書かない・書けなくなっているってことはある。
 
00年代と同じ感覚でブログをみるなら、これは重要な機能の喪失でがっかりすべきことだと思う。でも、そもそも個人ブログにオベリスクを幻視するのがどこかお門違いだった。そういう幻がみられた一時代はそれはそれで幸福だったが、インターネットの発展と変遷の道理にかなっていなかったのだから幻は幻と割り切って、これからの個人ブログにふさわしい使い方を見つけていくしかない。で、それはもっと移ろいゆくもの・定まらないものという前提で付き合っていくべきなんだろうなぁと思う。
 


 
そう考えた時、「SNSはフローでブログはストック(キャッシュ)」という考え方のストックやキャッシュとは、第三者にとってのストックやキャッシュではなく、自分自身の思考過程にとってのストックやキャッシュ、またはアーカイブと割り切るべきもので、オベリスクを幻視するのはもう時代に合っていない。となると、ブログには自分自身の振り返りと再思考に便利なツールであって欲しく思えてくる。
 
で、そのようなツールとしてブログに期待したいものは、自分自身にとってのストックやキャッシュやアーカイブの閲覧しやすさ、通覧しやすさ、一覧しやすさではないかと思う(もちろん自分自身以外の人がブログの過去ログを掘り起こすうえでもそれらは有用だろうけれども)。
 
SNSのように刹那に流れるのでなく、クラウドストレージとも差別化し、それでいてウェブサイトほど書くのが億劫にならない、そのような個人用メディアとしてブログが特異的に役立つなら、それはそれで需要があったりしないかなぁと思ったりする。逆に、他のどのサービスでも代替可能で、フローとしてもストックやキャッシュとしても半端であり続けるなら、それってブログじゃなくてもいいですよね? という声にあがらうのが難しい感じがするなぁと思ったりする。
 
「社会のなかのブログ」みたいなことを書こうと思っていたけど、これだって自分にとってのブログの話の延長線上ではある。まあでも私だって他のネットメディアたちとブログの役割分担や使い分けは考えなければならないし、それはきっと他のブロガーにとっても同じだろうから、ブログを書くならこういうことには意識的でありたいですねと呼び掛けてこの文章の結びってことにしたいと思う。
 
 

ブログを18年書き続けて思うこと (前編・自分のこと)

 
2023年も残り一か月になろうとしている。
今年、私はとにかく働いて、創作して、2024年を迎えるための諸準備に追われて、気が付けばブログ18周年だった10月も通り過ぎてしまった。赤ん坊が高校を卒業するぐらいの年月にわたってブログを書き続けるぐらいにはブログが好きなんだから、なにか自分の記憶に残る文章をまとめたいと前々から思っていた。が、中年の多忙と疲弊はそれすら許さないのですね。
  
この、はてなブログ(旧はてなダイアリー)のブログである『シロクマの屑籠』は、私を当初予測よりずっと遠いところにいざなってくれた。20代の終わりにブログを書き始めた時、私はブログが自分の人生をこんなに変えてしまうとは想像していなかった。しばらくして「ブログだけじゃ足りない、本も書いてみたい」と思うようになってからも、じゃあ、ブログも本も書くようになったら何が起こるのか・逆に何が起こらないのかを想像できていなかった。そしてブログという媒体が何にとって代わられるのか、未来のインターネットはどんな風になっていて未来の日本社会でどんな流行り言葉が流行っているのかも想像できずにいた。
 
5年、10年、15年と歳月が経つにつれていっさいが変わっていった。社会の変わりようについては後編にまとめるとして、全編では私自身についてまとめようと思う。私と私の人生はブログと生活し続けるうちにすっかり変わってしまった。
 
といっても、たいして変わらなかったこともある。たとえば収入はブログをとおしてたいして変わっていない。本を書くこと、出版社をとおして書籍を出していただくことも、そんなにお金がもうかることではなかった。名誉はどうだろう? わからない。でも私の感覚としては、たとえば大学病院で研究や後進の育成に努めている同業者、研究業績で名をあげている同業者に比べれば、名誉といえるものがブログや書籍づくりをとおして転がり込んできたとは感じていない。臨床活動の重要性に比べた場合も同様だ。ブログを18年書いたからといって、同業者のかたがたと比較して秀でた何かを手に入れたとは思えない。二足の草鞋を履いたことで収入・名誉・貢献といった面で後塵を拝したという印象が残るし、寒い夜にはその印象が骨身にこたえることもある。
 
けれども18年続けて何も得られなかったわけでもない。
18年前のブログ記事を読むと、一生懸命にたくさんのことを喋ろうとしていたり、たいしたことでもないのにもったいぶった短文で何かを言ってみせたようにふるまっていたり、いろいろ恥ずかしい。それが多少マシになった。美文家のかたがたと比べて、相変わらず地を這うムカデのような文章だとは思うけれども、それでもかなりマシになったとはいえる。なにより、10万字前後の書籍サイズの構成を組み立てたり組みなおしたりするのがずっとマシになった。他人の書いた書籍を見る目が変わったのも大きい。新書、文庫本、学術書、小説などを読む時の読み方が決定的に変わった。その変化こそ、この18年で一番大きな変化だったようにも思う。読むスピードが若干早くなり、特に「資料として書籍を読むモード」なるものがようやく誕生した。関心を持ち過ぎてしまった書籍はけっきょく昔ながらのスローペースになってしまうのだけど、それでも私にとっては大きな進歩だった。
 
反面、18年の歳月は私を老いさせてしまった。
18年前の私の文章は稚拙でもエネルギーに満ちていて、疲れを知らぬ勢いでブログを書いて書いてかきまくっていた。この点にかけて、私よりたくさんブログを書いていた同時代のブロガーはたぶんあまりいないし、いたとしても現在までブログを書き続けている者は絶無だろう。無知ゆえになんでもかんでも言及して、その言及をとおして世の中のことやオタクのことや人間心理のことを知ったり意見交換したりすることに無類の満足を見出していた。そういうことの相手をしてくれるブロガーが無数にいた時代だったのも良かった。私は思春期の最後の余力をブログに捧げたと言っても間違っていないと思う。
 
それが今では、月に4~5本ブログ記事と呼べるかどうかも怪しいものを書き、それで手一杯というありさまだ。もちろん水面下ではいろいろな文章を作り続けているし、books&appsさんへの寄稿記事の作成もあるし、ワインブログもあるから実際にはそれなり手は動かしている、とはいえそんなのは言い訳にしかならない。00年代にはキラウエア火山の溶岩流のようにとめどなくわいてきたブログ記事とブログ愛は、今では阿蘇山火口の間欠的な噴火ぐらいのものになってしまった。
 
若いから書けたこと・たぶん年を取ったことで書きづらくなったこともある。せっかくブログを書いているのだから、間違いをおそれず自分が書きたいことを書きたいように書く、まだ確証がとりきれていない実験的なことを実験的に書いてみる、等々を忘れないようにしているけれども、10年以上前に比べればなんだか抑制的になってしまった。それは後編で書く社会の変化やネットの変化に由来するだけでなく、私自身が臆病になったり怠惰になったりしたせいなのだと思う。かつて、あるブロガーが別のブロガーを怠惰と呼んでいたのを私は見たことがあるが、そのブロガーが怠惰と呼んだそれに現在の私は該当していると思う。もし、ブログを言論のメディアの一端と考え、運用するなら、いまの私はもう少し勤勉になるべきではないか?
 
けれども、もうそれも無理なのだろうなとも思う。ブログを自由な言論の場所としてもっと尖った運用をしてみたいという思いがないわけではないけれども、それはもうすぐ50歳を迎える身には冒険的に過ぎる。たぶんはてなブログの運営のかたは、ブログを自由な言論の場所として用いることに最大限の配慮をしてくださるとは思っているけれども、とはいえ、あまりご迷惑はかけたくないしかけるべきでもないだろう。それに、言論ってのは尖ればいいってもんじゃないことを、この18年間で私は強く感じた。自由な言論、なかでもラディカルな主張ってやつは、やるのは簡単だがうまくやるのは恐ろしく難しい。同じ内容を主張するでも、もっと穏当な主張を時間をかけて練り上げていくこと、じわじわと草の根的にやってネットの言説空間のなかで言霊としての流通率を高めていくことのほうが安全で、効果としても勝るのではないか、とさえ思えてきた。怠惰は、ここでは巧遅ときちんと鑑別されなければならない。南無八幡大菩薩、どうか私に有効性のある巧遅を。
 
多くの有望な書き手がブログをやめてしまったり、やめないとしてもたびたびブログの本拠地を変えてしまったりしているなか、それでも私は18年も同じ場所でブログを書き続けることができた。これはすばらしい幸運だったと思う。ちょうど今日、はてなダイアリーをはてなブログに転換する作業にたずさわった方の「父さんまたブログを書こうと思うんだ」という記事を拝見したけれども、この場を借りて、筆者の大西さんには「ブロゴスフィアにおかえりなさい!」という挨拶と「息を吐くようにこれまでブログが書けたのはあなたがたのおかげです、ありがとうございます」という謝意を伝えたい。
 
未来のことはなにひとつわからない。でも、諸事情が許すなら、私は20年目も25年目もこうして『シロクマの屑籠』を更新し続けたい。自分の考えをいったんまとめたり、他人の目をくぐらせることの可能な備忘録として運用したりできるのはブログの強みで、ブログ以外のいろいろな媒体で試してみてもいまひとつしっくり来ないからだ。それに幾人かの常連さんはこのブログを今でも結構読んでくださっている。ブログがそうした場所であり続ける限り、きっと私はブログでしか書けないことを書く能力を失いはしない。そんな風に思える2023年を迎えることができたのが、ほんとうはブログを18年続けていて一番幸福なことなのかもしれない、と思う。
 
2005年のp_shirokumaよ、これを見てみるがいい、おまえは18年もブログを書き続けて、相応の代償を支払うと同時に相応以上のものを手に入れた。それでいて、まだ書く気持ちを失っていないのだぞ、おれたちの冒険はここからだよ、な!
 

ちょっと昔の精神医療思い出話2(有料記事)

 
2023年11月23日現在、ブログを書いてられる状況ではなくなってきているので、事前に書き溜めてあったこちらの続きをアップロードします。時代は1999年~2000年頃、私が研修医をやっていた頃の季節です。サブスクしている常連読者のかただけ、どうぞ。
 
 
 

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いつまでも あるかわからぬ 長寿の国

 
 
今日、ある方から「日本人のエイジングについて」質問をいただいたこともあり、久しぶりに日本人の平均寿命についてググってみたんですよ。そうしたら、以下のような読み取りやすいグラフがあって。
 

*こちらのグラフは高齢者住宅ジャーナルさんが出典となります*
 
皆さんは、この表を見て何を感じますか。病院に勤務している人なら、2020~2021年あたりは高齢者があまり亡くならない年だった、そのぶん2022年は亡くなる高齢者が多かった、などと思い出すかもしれません。コロナ禍の影響はここにも現れていますね。
 
私は、ぼんやりグラフを眺めながらこう疑問に思いました。「20年後、同じぐらい高齢者の平均寿命は長いものだろうか?」と。
 
このグラフの目の付けどころはどこでしょう? 医療行政の充実や医療技術の発展によって平均寿命が延びているさま、ひいては国民の健康が促進されているさま、と着眼する人は多いでしょうし、それ自体、事実でもあるでしょう。実際、そうした変化の経済的基盤であるところの、医療費や介護費も順調に伸び続けているわけですからね。
 
しかし、我に返った私はこうも思ったのでした──「これって、人間の寿命が人工的な手段でここまで延びに延びたってことだよね?」とも。
 
男性81歳女性87歳の平均寿命は、太古の昔からそうだったわけではありません。それぐらいの年齢まで生き残る幸運な人は、狩猟採集社会や農耕社会にも稀にはいたでしょう。けれども平均寿命はもっともっと短かったはずで、その短かった平均寿命を延長したのは人工的な手段によるものです。それは医療技術やインフラ技術のおかげだったり、社会保障制度の浸透だったり、経済的基盤のおかげだったりします。人々の健康に対する意識の変化、死生観の変化もあるかもしれません。
 
ともあれ、こうした平均寿命の長い状況が成立しているのは人工的な手段のおかげに違いないのです。けっして! 自然が・勝手に・このような平均寿命の長い状態を生み出しているわけではありません。このグラフが示しているのは、1980年との比較で男性の平均寿命が8年延びるぐらいには人工的な手段と人為が積み重ねられたってことでしょう。大正時代や明治時代の平均寿命と比較すれば、その差はもっと大きくなるに違いありません。
 
が、しかし。
その人工的な手段は持続可能でしょうか?
 

 
上掲の国立社会保障・人口問題研究所さんのグラフを眺めながら、日本を長寿の国たらしめている人工的な手段が持続可能かどうか考えてみましょう。なんだか無理っぽくないですか。現在でさえ、国債を刷りまくって今という瞬間をしのいでいるのに、社会保障費は今後もドシドシ増えていくでしょうし生産年齢人口はドシドシ減っていくでしょう。もちろん未来においても社会保障制度は健在で、無敵で、正しいはずです。が、いくら将来にわたって社会保障制度が健在でも私たちに提供される社会保障の内実が2023年のソレと全く同じとはあまり思えません。かりに同じだとしたら、生産年齢人口にあたる現役世代が強いられる負担と出血は今とは比較にならないほど高まるでしょう。
 
案外、それこそが国民の合意なのかもしれないな、と今宵は思ったりもします。日本って、20世紀から「理想の社会主義国家はソビエト連邦ではない。理想の社会主義国家は日本だ」って言われてたじゃないですか。それで言うなら、現在の日本は理想の社会主義国家、ですよね。で、未来においても理想の社会主義国家のはず。以下のツイートのように。
 


 
「働けない人を働ける人が食わせる。働ける人から働けない人に再分配を行い、一億総活躍社会をやっていく。」 日本には、これをやっていくってコンセンサスができているんですよね? そのことの是非を私はここでは判断しません。ただ「現下の政治状況からいってそのようなコンセンサスが存在するに違いない」と勝手に思い込んでいるだけです。国民のコンセンサスは民主主義国家にとって尊いものなので、どうあれ、理想の社会主義国家をやっていくのも尊い営為であるはずでしょう。
 
とはいえ、日本を長寿の国たらしめている人工的な手段が持続可能じゃないとしたら、結局、何かを変えていかなきゃいけないのでしょう。そういえば最近、退職金課税の見直しについての報道がありましたよね。
 
www.nikkei.com
 
報道から察するに、就職氷河期世代が退職するぐらいのタイミングで退職金への課税が厳しくなるみたいです。理想の社会主義国家をやっていくためには仕方がないことだと、皆さん割り切るしかなさそうですね。しかし、こういうことが今後繰り返されて、ますます国債を刷りまくって、そのうち一万円札がもっとぺらっぺらのお札になって、だというのに人口減少が約束されているとしたら、どんなに重税を課したところで、未来の高齢者の生活って2023年よりも苦しいですよね?
 
社会保障制度が提供してくれるもの&社会保障制度に支払わなければならないものも含め、日本を長寿の国たらしめている与件は、15年後・20年後には今よりずっと厳しくなっているんじゃないでしょうか。
 
日本人のエンゲル係数を眺めていると、そういう予感がどうしても禁じ得ません。2023年のエンゲル係数はどのレポートを見ても26%を上回っていそうな勢いで、第一生命経済研究所によれば、高齢者や低所得世帯においてその度合いは一層激しい、といいます。エンゲル係数が高くなれば、摂取する栄養素は偏りやすくなり、それはきっと健康の基盤をも左右するでしょう。人は健康のことだけ考えていればいいわけではなく、色んなことにリソースを割かなければならないので、経済的基盤が厳しくなれば健康にとってあまり良くない食生活や食習慣が増える可能性は高い、と想像せざるを得ません。
 
それはきっと、余暇やスポーツについても当てはまります。就職氷河期世代の老後を想像した時、現在の高齢者たちと同じぐらいの割合の人がフィットネスジムに通っているとは、どうにも思えません。現在の高齢者たちに比べて、フィットネスジムに通える人の割合は低下するでしょう。登山やトレッキングを楽しむ余裕のある高齢者も低下するでしょう。メンタルヘルスにとってプラスになる活動だって、経済的基盤が弱くなれば難しくなるかもしれない。余暇やスポーツや娯楽だって健康の基盤の一端をなしているんですよ。で、それらが今後、だんだん難しくなっていくとしたら……。
 
そうやってひとつひとつ考えていくと、今日の平均寿命の長さを成り立たせている与件、その人工的な手段が私たちの世代が高齢者になった頃にはすっかり弱り果てているよう、思えてならないのです。そうなった未来において日本の平均寿命が今日と同等であるとしたら、びっくりするほかありません。テクノロジーの進歩に期待する向きもあるでしょうけど、どんなにテクノロジーが進歩したって、良質なたんぱく質にはお金がかかりそうだし、介護にも医療にもお金がかかりそうだし、少子化と経済的縮小はキツいんじゃないか……という予感を今宵はぬぐえません。
 
 

繰り返しになりますが、「長寿=豊かさ」だったんですよ。

 
七年前、私は以下のようなことをブログで書きました。
 

「長生き」=「豊かさ」なんですよ、わかっているんですか - シロクマの屑籠
 
現代の高齢者は、とにかく長生きである。80~90代は当たり前で、100歳超えも珍しくない。昔の精神医学の教科書には「アルツハイマー型認知症は予後不良、五年以内に亡くなる人が多い」と書いてあったが、最近のアルツハイマー型認知症の患者さんは、レーガン大統領のごとく、十余年の歳月を生き延びる人もザラにいる。高齢者の多くは、病院に通って診察や投薬を受けながら、あるいは種々の健康診断などを利用しながら、とにかくも健康を維持して老後生活をおくっている。
私は、このこと自体が現代の高齢者の「豊かさ」だと指摘したいのだ。
命、とりわけ高齢者の命は無料で手に入るものではない。
高齢者の命は、医療や介護によって守られている。バリアフリーや宅配サービスといったアメニティも、部分的には高齢者の命を支えている。昭和時代には60代70代で死ぬ人が多かったが、平成時代に入って80代90代で死ぬ人が多くなった背景には、そうした諸々の進歩と普及があったことを忘れてはならない。
医療・福祉分野の出費が増えているあれは、そのまま命の値段である。

 
それから七年が経って、日本の経済的先細りがそろそろ見えてきたきたんじゃないでしょうか。平均寿命の長さを成立させていた「命を買う」という営み、その経済的基盤がいよいよ失われようとしています。かりに社会保障制度そのものが存続してもそれ以外の経済的与件、さらに精神的与件等々が現在より厳しくなっていたら、私たちが20世紀から積み上げ続けてきた「命を買う」という営みの内実は細くなってしまいます。日本は理想の社会主義国家であるはずなので、浮かぶ時も沈む時もみんな一蓮托生のはず。そんな未来においても長生きする人は長生きするでしょうけど、私たちのひとりひとりが男性81歳女性87歳まで生き残る蓋然性は低くなっていると想像せざるを得ません。
 
いちおう繰り返しますが、理想の社会主義国家であるとするコンセンサスが成っているのであれば、民主主義国家としてそれは尊いもののはずなので、そこは批判せず、尊んでおきましょうね。
 
平均寿命がこれから低下に向かうとするなら、これからの私たち、人生、どうすればいいんでしょうね?
 
数年前ぐらいでしょうか、60歳を「第二の人生の出発点」みたいなことを言っている人がいっぱいいたように記憶しています。いや、今でもそう言える人はいるでしょう。60歳を過ぎても働かなければならない時代ですから、それはそれでわかる気もします。
 
でも、私たち、60歳から先、だいたいどれぐらい生きられるんでしょうかね?
 
ここまでお読みになって「未来のことはわからないじゃないか」とおっしゃる人もいるでしょう。
 
ええ、そうですとも。未来のことはわからない。だからこそ、男性81歳女性87歳まで生きられるって前提で「人生設計」するとか、わけわかんなくないですか。今の日本がドシドシ経済発展していて、ドシドシ医療や社会保障がやれるご時世だったら、そういう「人生設計」も良かったかもしれない。でも今はそういうご時世ではありません。日本は斜陽の国です。そのうえでまたまたパンデミックが来るかもしれないし、「国際的緊張」があるかもしれない。未来のことはわからないですからね。
 
いや、だからって結論らしい結論があるわけではありません。結局私たちのひとりひとりは生きるだけ生きるし、死ぬ時には死ぬのでしょう。それを正確に予測することはできないのですから。ただ、今日の平均寿命の長さに基づいて万事を計算したつもりになるのは、これからを想定するにあたってなんだか違いませんかと、そういうことを今宵は考えずにいられなかったのです。
 
未来はわからない。そのことに対して私たちがとる態度や行動はさまざまであるはずです。ひたすら貯蓄する人もいれば、今をこそ太く生きようと考える人もいるでしょう。そのひとつひとつの是非善悪や成否はここでは考えません。ただ、この長寿の国とされる日本を長寿の国たらしめているのは人工的な手段で、その成立与件がぶっ壊れてしまえば長寿だってぶっ壊れるのはたぶんそうなんです。そのことを憂いながら、屋根を叩く雨の音を聴いています。
 
 

ちょっと昔の精神医療思い出話1(有料記事)

 
これから有料記事スペースを使って、「ちょっと昔の精神医療思い出話」と銘打った小話を3~5か月ほどかけて連載してみようと思う。二十余年という月日は精神科医という職業のなかではそんなに長いものではないけれども、ここらで昔を振り返って、自分のこと、精神医療のこと、社会のこと、それぞれが交叉してきた二十年間について、あまり無理のないかたちで文章化してみたいなどと思ったからだ。
 
ただ、少し恥ずかしさもあるのでとりあえず有料記事スペースに設定しておく。常連のかただけお読みになってください。
 
今回はプロローグ、研修医になる前の1998年のことです。たいしたことは書いてありません。あと、以前に書いたブログ記事の内容とここは少しダブっています。
 
 

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