いい本に出会ったので紹介したくなりました。紹介します。
この本は「人はなぜ締め切りを守れないのか」という疑問から出発して、人間にとって時間とはどういうものなのか、ひいては「いい時間」「悪い時間」とはどういうものなのか等を論じている本だ。締め切りをひとつのキーワードとして、古今の哲学者や思想家のお話を引用し、はるか昔からの人間の時間観念を振り返り、時間に追われる現代人のありようを紐解いていく(そうしたうえで著者自身の展望も記される)。こう書くと重たそうな本に思えるかもしれないが、この本は内容に比してかなり軽やかだ。
本書には良い点がたくさんある。
ひとつは、時間について“哲学する本”なのに難読ではない点だ。
哲学と銘打った本、哲学に明るい人が書いた本は読みにくいことが多い。少なくとも20世紀までに書かれた哲学系の書籍は、どんなに「やさしい」と銘打ってあっても油断ならないことが多かった。そうした本も読者のことを考えているつもりなのか、リンゴや椅子や机といった身の回りの品を用いて説明していたりする。だが、その比喩がかえって読みづらさを誘発していて、喉に引っかかって飲み込めない本が少なくなかった。
本書はそうではない。哲学が好きな人でなければ知らなさそうな21世紀の哲学者や思想家も出てくるし、平易な文章のなかに、ときどきぎょっとするほど鋭利な言葉遣いが混じっていたりする。けれどもそれらが読みづらさに直結しないよう、巧みに論述を重ねていく。
本当は大切な誰かとゆっくり時間を過ごすべきなのに、あるいは趣味に没頭したいのに、スマホの通知に呼び出された経験がある人は多いだろう。それは価値あることを優先したのではなく、期限を、ひいては締め切りを優先してしまったのである。
さらにひどいバージョンもある。あなたの目の前には明らかに価値があること──読みたかった本、趣味で描いている絵の画材、子育てや大切な人と過ごすこと──ずっとやりたかったことがある。それなのにスマホを触ってしまう。ぼんやりテレビやYoutubeを見てしまう。30分、一時間が過ぎて、あなたはハッとする。なぜだったっけ。なぜこんなことに私は時間を使っていたのか?
私は著者である難波さんのXのアカウントをフォローしているのだけど、そこでの書き方は人文科学に詳しい人が自問自答しているような、なんだか難しそうなオーラが漂っていた。ところが本書はそうでは……ない! 難波さんは、こんなに易しい調子で難しいことを表現する人だったのか!
ふたつめの長所を挙げると、なんだか地に足がついている感じがすることだ。
哲学を語る本には、理念や概念や理論が前のめりになっていて、現実が置いてけぼりを食っていると感じてしまうことがある。哲学は、(俗にいう)リアルなモノやコトを馬鹿正直になぞるばかりではないから、それはある程度は構わないことだし、むしろそういう部分があるからこそ、ふだんの生活では考えないことが考えられるようになったりもする。
けれども、あまりに理念や概念や理論のレンズ越しに現実や日常について書かれてしまうと、私のような一般読者は戸惑い、迷子になったような気持ちになる。そこを、著者はうまく躱していると思う。
もしあなたが一般企業で働いているならば、特定の問題解決には知識と経験が必要であり、理論を学ぶだけではうまくいかないことはおそらく体に染み付いているだろう。一方で、思想家や哲学者は、理論を提示する仕事をしているのであり、それを実装する訓練を積むわけではないし、実装で評価されているわけではない。
念のために断っておくと、これは「アカデミアは机上の空論ばかりで役に立たない」というステレオタイプな批判ではなく、あくまで世間一般との乖離について確認しておきたいのである。
つあり、ビジョンを実際に実装するためには、誰かがその作業に取り組まなければならないのだ。では、誰が取り組むのだろうか。実務家だろうか。だが、実務家は理論を解釈することの専門家ではない。誰かが理論と実践の橋渡しをしなければならない。
本書の冒頭パートにはこうあり、実際、著者は理論と実践、ビジョンと現実のあいだの乖離について相当意識していると感じた。だから私が読んでもスルスル読めるし、哲学書を読む際に要求される一種独特な思考様式、あるいは「哲学書読書作法」にそこまで頭を切り替えなくても言葉が入ってくるのは嬉しいことだった。
みっつめは、タイトルどおり、時間について考える機会になること。
本書は「締め切り」を皮切りに時間について考えを深めていく。「締め切り」の次は「いい時間」「わるい時間」だ。いい時間と言っても色々なものがある。発売されたばかりのゲームを入手し、プレイするうちにどんどん自分が上達していく手ごたえが得られている時、それはきっと「いい時間」だろう。反対に、「本当はやりたくもない仕事の締め切りに追われ、やりたい仕事ができない」時間などは「わるい時間」だろう。
そこから更に、著者は「時間正義」について考えを深めていく。普段の私たちは、「時給●●円」といったかたちで、時間を貨幣のように計算し、価値づけしたがる。これはある面では理にかなっている──社会の誰もが共通の物差しで時間について考え、違った価値観やライフスタイルを持つ者同士が足並みを揃えて作業し、契約するうえでは向いているだろう。工場やコンビニや病院といった、いつでも動いているよう期待され、いつでも動いていることが社会全体に大きな恩恵をもたらしているシステムは、この、時間が共通規格の貨幣のようになった考え方に依っている。
けれども私たちの主観において、すべての時間が同価値とはまったく思えない。余暇ひとつ取っても、楽しすぎて飛ぶように過ぎていく時間もあれば、Xをダラ見しながら泥のように過ぎていく時間もある。働いている時だって同じだ。身体的にはきつくても充実した労働時間がある一方で、心も身体もたいして使っていないがウンザリする時間もある。
「いい時間」をいい時間とみなし、「悪い時間」を悪い時間とみなしたうえで、「いい時間」が増えるように考え、対策し、あるべき時間の姿について議論することは可能か:こうした著者の問いは、「時給●●円」という考えに毒されている私たちには難しいものだと私は思った。けれども、実務ではすぐさま実現できなくても、理論が先回りして考える余地はある。まず、「いい時間」や「悪い時間」と私たちが感じる一面があること、にもかかわらず「時給●●円」や「タイパ」といった考え方によって「いい時間」が蔑ろにされていることは指差し確認できるし、本当は解決に持っていったほうが人類のためになると思い出すことも可能なはずである。
理論でしかないじゃないか、という人もいるだろう。しかし歴史を振り返れば、少し未来の社会通念や常識を哲学が先行して考え、問題提示していたパターンは珍しくない。理論が実務の世界に届くには時間がかかるし、届くまでの道のりは直線的ではないかもしれない。けれども、理論が実務に届く前段階では、著者のように考える人──この場合は「時間正義」といった概念をポップアップさせて(先行する議論を踏まえながら)まとめていく人──が必要となるだろう。
本書は、読者が「いい時間」や「悪い時間」について考えていくプロセスであると同時に、著者が時間についての考えを深めていく、そのプロセスを垣間見せてくれるものだとも感じた。きっと著者はこの本を書きながら新しく読んで、新しく考え、「いい時間」を過ごしたんじゃないだろうか? そのあたりが、本書の読みやすさや親しみやすさになんらか拍車をかけているんじゃないかなぁ、と勝手に思った。
私にとっての『なぜ人は締め切りを守れないのか』
こんな感じの書籍なので、時間に追われている人、締め切りに恨みを持っている人、「いい時間」とは何かについて考えたい人には本書はおすすめだ。哲学しているのに読みやすく、身近に感じられるテーマの本なので、哲学というと敬遠したくなる人にもすすめられるかもしれない。面白い本である。
最後に、私自身にとって、この書籍との出会いがどうだったのかについて少しだけ書く。
「時給●●円」という考え方がよく示しているように、現代の時間についての一般的な考え方は、かなり資本主義に毒されている。あるいは近代社会の成り立ちと不可分のかたちにある。
著者が述べるように、それは案外政治的なことで、案外私たちをコントロールするものでもある。「タイパのことしか考えられない現代人」とは、長年にわたる統治の産物だとみることもできる。じゃあ、誰が政治や統治をやったのか? 王やキリスト教会、ではないと思う。じゃあ企業や資本家か? ある程度はそうかもしれない。でも、労働者の側だって次第次第に「タイパのことしか考えられない現代人」になっていったんだよね? とも言える。控えめに言っても、「タイパのことしか考えられない現代人」が、専制君主の一声で爆誕したわけでないことだけは間違いないだろう。

この本の途中には、「時給●●円」や「締め切りに追われる私たち」の世界の時間の流れ方が一方向的であって、たとえば中世の農民の時間の流れ方が循環的だったさまが図示されてもいる。円環的な時間の流れ方は、今日でも農業などをやっていれば当てはまることだし、ほんらい命はつねに循環的だった。輪廻や六道や生老病死にしたってそうじゃないか。人の命までもが一方向的になったから、人は生にすがりつくことはできても死を世界のなかに位置づけづらくなった。本当は、人の命だってコオロギや朝顔とそんなに違わないはずなのに。
本書のなかで批判的に検討されている(現代の)時間のありようは、近代以降にできあがってきたものだから、本書に記される時間概念は、近代社会ってなんだったっけ? と考えたい現在の私のニーズにもよく合っている。つまり「締め切り」について考えることは、現代社会、ひいては、近代という大きな物語について考え直す契機にもなる。これは、私にとって非常に刺激的でタイムリーな体験だった。
ちなみに本書の参考文献とそのページ数の記し方は簡明で、リファレンス性は高いように思われた。著者の思考の道筋を追いかけるパンくずが拾いやすいのはありがたいことです。










