シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

Xで見かける「45歳狂う説」について私が思ったこと

 
togetter.com
  
最近、「45歳狂う説」なる言説をSNSで見かける。
曰く、45歳まで独身だと狂ってしまう、いやいや、既婚でも狂ってしまう、等々。
 
だいたい「45歳で」「狂う」ってなんだ? って話ではある。「狂う」とは世間の言葉で、精神医療のテクニカルタームではない。だから野放しにしておいて構わないよう思われるし、だからバズワードとして盛り上がっているようにも見えた。しかし、その盛り上がっている当人たちはいったいどんな内容の「狂う」を想定しているのだろう? 最近、そんなことを考えさせられる場面が増えてきた。
 
そこで、SNSで語られる「45歳狂う説」について、実際、私が精神医療の内側と外側でみてきたことを踏まえた文章を書いてみる。その際、キーワードとしてホメオスタシスという言葉を用いたい。ホメオスタシスとは、ここでは「身体的・社会的・心理的に安定した状態を維持する機能や維持している状態」を指していると解釈してやってください。
 
 

1.彼らは「45歳で狂う」というけれど

 
ひとことで「45歳で狂う」と言っても、その内容・程度・類型はさまざまだろう。最も重篤なケースでは精神疾患の不可逆な重症化、次いで重いものとしてはうつ病への罹患などがあるだろうか。生物学的加齢の影響、たとえば更年期障害のことも忘れてはならない。もっと社会的側面が強いものとして、立場や役割の変化、アイデンティティや心理的充足の布置の変化、等々もホメオスタシスを乱す要因たりえるし、それらが精神疾患の増悪因子や引き金になることも十分あり得る。
 
今年、あちこちのメディアで私は「中年期は人生のコーナリングの季節だ」と話した。実際、40~50歳ぐらいは身体的にも社会的にもさまざまなものが変化する。思春期が子ども→成人へのターニングポイントなのに対して、40~50代にかけては大人→高齢者へのターニングポイントとなる。昨今は高齢化が進みリタイアの時期も遅くなっているから、還暦を迎えても自分自身のことを老人と認識しない人が増えている。しかし身体の老化は自己認識よりも早く内蔵や内分泌系に起こり始めるし、出世や仕事の面でも夢の終わりがみえてくる。人生の終わりも意識されるかもしれない。身体的・心理的・社会的に無理のある社会適応を強引に続けてきた人が、中年期にその限界に至り、破綻してしまうことは珍しくない。
 
「中年がホメオスタシスを維持できなくなった」状態について、カタストロフの程度別に、いくつか挙げてみよう。
 
精神科医として最もカタストロフの程度が大きい、と感じるのは、統合失調症や双極性障害といった明確な精神疾患に該当している人が、今まではどうにか仕事や社会活動に参加できていたものが、この時期の再発や再燃によって病状が一気に悪化し、残遺性人格変化が進行したり、幻覚や妄想や気分変動がきわめて重くなってしまったものを連想する。
 
精神医療の充実のおかげで、若いうちから重症・難治性になってしまう統合失調症や双極性障害の患者さんは減ったように思う。しかし、種々の社会資源を利用しながら40代あたりまで生活できていた(それらの疾患の)患者さんが、この時期の再発や再燃が最後の一押しになって、慢性かつ重症の病態に陥ってしまうことはまだそれなりにある。
 
そうなってしまう要因は何か。熱心に面倒をみていた親が早逝したり病気になったりして援助が弱くなったせいかもだし、若さを失い異性からの援助や承認を獲得しづらくなったせいかもだし、もっとシンプルに、寛解と再発を繰り返すうちに中枢神経系にダメージが蓄積していたせいかもしれない。特に女性の場合、エストロゲンの分泌量が低下し、その神経保護効果が失われてしまうことで病状が悪化する一面もあるかもしれない。
 
こうした、もともと精神疾患を持っていた人が中年期に一気に増悪するケースは全体のごく一部だろうし、SNSにはなかなか現れないものだが、精神医療の領域ではひとつの類型ではある。
 
そこまで重篤ではないにせよ、うつ病などに罹患する人ならもっと多い。
中年期に初めてうつ病にかかる人も、その背景は多彩でひとつのテンプレートにはまとまらない。仕事・家庭・子育て・地域・介護といった色々な負担やストレスが重なった結果としてうつ病などにかかる人は、この世代にも多い。「自分だけでなく家族全体を支えなければならない」という責任感は、ある時点までは心の支えになるが、いったんうつ病に陥ってしまうと治療の重荷になることもある。子どもの巣立ち、親の介護の始まり、キャリア上の行き詰まり、そういったひとつひとつには耐えられる人も、全部同時に起こればたいていメンタルをやられてしまう。だから本当は、それらが同時にやって来ないような見通しと計画があったほうが良い……のだが、そんなことは学校でも習わず、親もたいていは教えてくれない。またどれほど用心深く見通しと計画を立てたとしても、偶然や不運が重なればどうしようもないことはままある。
 
そうそう、自宅の購入もリスクであることを書き添えておこう。マンションであれマイホームであれ、自宅の購入は大きな経済的プレッシャーをもたらすと同時に転居やライフスタイルの改変をも強いる。うつ病のリスクファクターが3つ同時にやって来るようなものだ。だから自宅の購入はお金の心配だけでなくメンタルの心配もしたほうがよくて、できるだけ他のストレス因の少ない時期に決行するのが(本当は)望ましい。
 
そうした社会的変化に加え、身体的変化も重要だ。たとえば生来健康で活発だった人が生まれて初めて大病をし、その大病をきっかけに精神のホメオスタシスまで崩れてしまうパターンは定番だ(もちろん、60~70代になってこのパターンを呈する人もいる)。そういう人は病気慣れしておらず、健康で活発な自分自身を当たり前だと思っているので、大病の経験は、今までの自己イメージやアイデンティティに動揺をもたらす。と同時に、今まで見て見ぬふりをして構わなかった身体的加齢をいきなり突きつけられ、「自分は老いていて、やがて死ぬ」という事実にもびっくりしてしまう。
いわゆる「初老期うつ病」の一類型でもある。抑うつ気分や不眠などに加え、身体症状や焦燥感を伴うことが多く、重症度が高くなりがちで、三環系抗うつ薬や少量の抗精神病薬を用いなければならない場合も珍しくない。それでも治療がある程度奏功した後、これからの新しい見通しを見いだせると比較的きっちり治ることの多い類型だ、と私は感じている。
 
もっと身体的な次元でホメオスタシスが崩壊してしまう人も見かける。
人間は意外と頑丈にできているので、身体を顧みない生活を続けていてもある程度の年齢までは一応ピンピンしていられる。だが身体のホメオスタシスを維持する力は年齢とともに衰える。身体に無理をかけ続けている人の場合は、それが顕著で、40代あたりから高血圧、高コレステロール血症、高血糖といった異常が顕在化してくる。不摂生のきわみにあるなら肝機能や腎機能の障害も起こるだろうし、脳出血や脳梗塞や心筋梗塞に見舞われる人もいる。脳がダメージを受けた場合、認知機能の低下や性格変化をきたすことだってあるかもしれない。
 
身体的なホメオスタシスの崩壊はもちろん40代からのものではなく、不摂生が著しかったり、なんらか先天的な疾病を伴っていたりすればより早い年齢から起こる可能性もある。ともあれ、不摂生の請求書は中年期に唐突に突き付けられることが多い。
 
不摂生とは、心理・社会的なものでもある。不摂生なライフスタイルは、仕事上の理由や心理的な理由によって、やむにやまれず続けられていることが多い。若いうちは、それでも身体が許してくれた。ところが歳を取ってくるとそうはいかない。不摂生をやめ、心理・社会的に帳尻のあう新しいホメオスタシスの均衡点を探すか、それとも身体が破壊されるまで同じ生活を続けるのか。身体はメンタルの土台なので、身体の破壊はメンタルの破壊に繋がっている。そうでなくても、痛みや身体的不調はメンタルに負担をかけ続ける。こうして身体の側からホメオスタシスが崩れていく人は年齢とともに増加する。 
 
こうした、医療に直結したホメオスタシスの崩壊よりも軽いものも数多みられ、それらも「45歳狂う」説には含まれているのだろう。ではその、医療未満の色々はなんなのか?
 
 

2.医療未満の「45歳狂う」はホメオスタシスの破綻か、再生か

 
40代になって「人生終わった」と感じたり、「このままではいけない」と焦ったり、「夢や希望がわからなくなった、なんのために生きているのか」わからないと感じる人は少なくない。そもそも人は、しばしばそのような気持ちを抱くものである。ただ確かに、40代にはそうした気持ちを抱きやすい瞬間は数多い。子育てのこと、家庭のこと、仕事や業績のこと、趣味生活のこと、そのそれぞれが一瞬「無」になる隙間時間があり、そういう時は上掲のような気持ちになりやすい。また、身体的な衰えを感じた瞬間や若い世代に追い抜かれたと感じた瞬間に、メランコリックな気持ちになる人もあるだろう。
 
しかし大抵の人はそうした気持ちを乗り越えていく。新しい社会関係や楽しみを見つけ、これからの生活や仕事や身体に馴染もうとする。その際、ある程度のトライアンドエラーや社会適応の揺らぎはあろうし、それが第三者から「あの人は45歳でおかしくなってしまった」と観測されることもあるだろう。ライフスタイルを変更する以上、当人としてはうまくやったつもりでも、周囲を驚かせることは少なくない。この場合、他人がどう見ようとも、当人自身にとっては中年期以降に適合したライフスタイルへの刷新であり、ホメオスタシスの破綻というより再生というべきものだ。
 
ただし、全員が全員、そうしたライフスタイルの路線変更を穏当にこなしてみせるわけでもない。思春期もそうだが、ある年齢の自己イメージやアイデンティティを、別の年齢の自己イメージやアイデンティティに切り替えるのは簡単とは限らない。発達心理学の古典であるエリクソンの『幼児期と社会』などを思い出すと、そうした切り替えの難易度は、それまでの心理的な課題がどれだけこなせていたのかに左右されるよう思われる。だから、ライフスタイルの路線変更がうまくいかずに社会適応が行き詰まってしまう人もそれなりいるし、そうした人々は「45歳狂う」説に回収されやすいだろう
 
ライフスタイルの路線変更の失敗はどのようなものか? 離婚や家庭崩壊、趣味やアンチエイジングで身上を潰す、重たい精神疾患や身体疾患への罹患、などがわかりやすく思える。が、もっと地味にうまくいってない場合もままあるよう思われる。現実に迎合すること・仕方なく生きること・味気なく生きること、そして「自分のために生きるしかなくなる」こと。
 
「自分のために生きるしかなくなる」とは、個人主義社会において問題ないよう思われるかもしれないが、人は案外と社会的な動物だ。生きがいやアイデンティティは人間関係や社会関係のなかで形作られるし、ベタな言い換えをすると、友情や愛情や信頼や恩義のなかで人は心理的に生きている。だから、そうしたものが欠乏して「自分のために生きるしかなくなる」のは、個人主義者にとっても簡単とは限らない。
 
そして「自分のために生きるしかなくなる」状態は、既婚でも未婚でも起こり得る。たとえば表向きは立派な会社に勤め、子育てをしているけれども、主観的には「自分のために生きるしかなくなる」に陥っている人は案外いる。表向きは恵まれているがために、共感や理解を得ることは難しい。だから、「自分のために生きるしかなくなる」に陥るリスクを、未婚か既婚か、子持ちか否かで推し量り過ぎるのも考えものだ。それよりも、その人が「自分のために生きるしかなくなる」ではない状態を維持している、その安定性や可塑性をしっかり評価したほうが見誤らないんじゃないだろうか。
 


 
高須賀さんのこの投稿も、私はだいたいそんな具合に解釈した。人間の大半にとって、完全に自己中心な生き方はそれはそれで難しい。
 
 

3.友情や愛情や信頼や恩義のなかで生きる道はいろいろある

 
「自分のために生きるしかなくなる」を回避する方法は、案外と色々ある。子育てがそうだという人もいれば、子育てが終わった後、地域共同体に貢献することがそうだという人もいる。仕事がそうだという人も、趣味の付き合いがそうだという人もいる。友情や愛情や信頼や恩義の手ごたえを感じる時、「自分のために生きるしかなくなる」は回避できるし、ある程度器用な人はだいたいなんとかやってのけるものだ。
 
その一方で、友情や愛情や信頼や恩義の手ごたえが感じにくい、空白の時間がしばらく生じてしまうことも、だいたいの人には起こることだ。そうした時、空白の程度を軽くしてくれる居場所や社会関係を持っていると、人生の変わり目である中年期をサバイブする大きな助けになるように思う。たとえば良心的な飲食店や居酒屋や趣味の店などは、空白の時間の止まり木として機能する。他方で、そうした空白の時間が生じた人間を狙い撃ちにしようとする人や組織もある。そうした人や組織の餌食になってしまった中年も、「45歳狂う」という言説に回収されてしまうだろう。
 
長くなってしまったので、強引ですがまとめます。
中年期は思春期と同じぐらい心理・社会・身体的に変化が訪れ、それにあわせてライフスタイルを変えていく必要に迫られる。友情や愛情や信頼や恩義の手ごたえを感じるための居場所や活動内容も変わるだろう。変化にあわせて変わろうとする努力じたいが「おかしい」とみえることもあろうし、変わっていこうとしてトラブってしまった場合や変化を避け続けてホメオスタシスが破綻した場合も「おかしい」とみえるだろう。だから「45歳狂う説」のなかには、最も重篤なホメオスタシスの破綻からライフスタイルの変更に伴うちょっとした揺らぎまで、さまざまなものが含まれ得るように思える。事例によって、かなり内実は違うんじゃないだろうか。
 
どうあれ中年期は変化の季節なので、皆様、どうかご安全に。
 
 

人間が政治や権力に弱い動物であるさまは、ツイッターを見ればよくわかる

 
twitterがXに変わってから1年以上が経った。
 
Xのタイムラインを眺めていると、政治家や政府広報や大企業のステートメントが流れてくる。とりわけ、リポストをとおしてドナルド・トランプ氏やイーロン・マスク氏のそれが目にうつると、「ここは政治の舞台なんだな」と強く感じる。不特定多数が閲覧するメディアに政治家が語りかける時、それが(たとえばトランプ大統領の好物である)ファーストフードについてのツイートだったとしても、そこに政治的な意味合いや含意が発生せずにいられない。
 
いつからtwitterはこんな風になっちまったんだろうなぁ……と回想する。東日本大震災の頃や、コロナ禍が起こって間もない頃の記憶が蘇る。たとえばコロナ禍が極まっていた頃、どこまで行動自粛するべきか、すべきでないか、さまざまなステートメントが飛び交っていたと思う。東日本大震災後の原発稼働についてもそうだ。政治家はもちろん、専門家や運動家も様々なステートメントを繰り返していた。
 
それだけではなかった。そのいずれにも当てはまらない市井の人々も、まったく同じような文体でまったく同じようなステートメントを繰り返していたりした。リツイートやシェアをとおして誰かのステートメントを拡散する人、「いいね」をつける人はもっと大勢いたように思う。政治的なステートメントは狭義の政治・政策の話にとどまらなかった。表現規制の問題や、マイノリティの定義や処遇の問題を含んでいた。政治の舞台となったtwitterでは、アニメやゲームについてのツイートですら、ときには政治的色彩を帯びる。
 
00年代の頃、インターネットの片隅でゲームハードの優劣について熱心に舌戦を繰り広げていた人々の、やけに政治的な仕草はそれでも笑って済ませられるものだったし、2ちゃんねるの政治談議はいつも便所の落書きでしかなかった。黎明期のtwitterのつぶやきも同様だ──政治談議に耽る人がいても、それが政治的な威力を持つことはなく、一種の趣味でしかないとみることができた。
 
少し前のtwitterや現在のXはそうではない。言葉遣いが穏やかでも、冗談めかしていても、目が笑っていないステートメントが数多ある。影響力や政治力を宿したステートメントが拡散していくなかで、党派性を帯びたクラスタが生成・強化されたりする。大きめのクラスタの中枢には必ずなんらかのインフルエンサーが存在し、彼らは影響力を持っているだけでなく、影響力を持っていることを自覚し、自覚のうえで、行使することもできる。
 
 

どうしてこうなったかは、みんな知っているでしょ?

 
twitterのつぶやきが、いつしかステートメントになっていった。その過程は、ここ10~20年のインターネットを体験している人なら誰でも思い出せるだろう。人が集まり、それをあてにした人々も集まり、情報も集まり、声も集まり、そのうち政府広報などもSNSに相乗りするようになった。そうしたなかでtwitterという場が政治的な場に変貌し、つぶやきがステートメントに変貌していった。
 
じゃあ、twitterが政治的な場に変貌していったのは、つぶやきよりもステートメントを意識する政治的に意識の高い人たちのせいだったのだろうか?
私は、そういう一部の政治業者やインフルエンサーのせいだけではないと考えている。ましてや、政治的な書き込みを2ちゃんねるやブログにしていた人たちのせいだとも思えない。先にも少し触れたように、インターネットには政治的言動をしたがる人は昔からいて、2ちゃんねるやブログなどで政治を論じていた。そうした人々のなかで特に知られていたのは、たとえば「ネトウヨ」と呼ばれた人々だろう(その正反対、「ネトサヨ」とでもいうべき人々もいた)。
 
しかし、政治的に意識の高い人たちが2ちゃんねるやブログで政治を論じたところで、それらが今日のXほど政治的な場に変貌することはなかった。twitterが政治的な場に変わったのは、1.もっと影響力のある人物や組織がtwitterを利用するようになった頃であると同時に、2.みんながtwitterには影響力があると信じるようになった頃でもあった。1.2.のどちらが先なのか、どちらが卵で鶏なのかは私にはよくわからない。しかし1.2.は相互に影響を及ぼし合いながら急激に進んでいったようにも思う。
 
影響力がtwitterに宿っているという自覚は、そのまま政治力がtwitterに宿っているという自覚に繋がる。政治や人気取りのベテランたちがtwitterの影響力=政治力に可能性をみるようになり、ステートメントの場としてtwitterを利用するようになった時期と、そうでもない人たちまでもがtwitterがふるう影響力や政治力に気付いてしまい、自分たちのつぶやきやリツイートのひとつひとつが有意味だと自覚しはじめた時期は、控えめにいってもそれほどタイムラグがないように思う。
 
そうしてtwitterは政治的な場にますます変わっていき、ピュアなつぶやきは少なくなり、ステートメントが優勢な場となった。つぶやく人も、また然り。
 
つぶやきには影響力や政治力が宿る。それが泡沫アカウントによるものだとしてもだ。
人間は社会的生物だから、影響力や政治力のにおい、とりわけ自分がふるうことのできる影響力や政治力のにおいには悲しいほど敏感だ。早い段階から影響力や政治力を意識してしまっていた人はもちろん、それらと縁のない境遇にあった人のなかにも、その生臭くて強烈で魅力的なにおいに気付き過ぎてしまい、意識し過ぎてしまう人は珍しくなかった。00年代の頃は長閑なつぶやきに終始していたツイッターアカウントが、Xの時代にはろうたけた政治生命体に変貌していることなど珍しくもない。話題が政治の話ばかりになってしまう人もいれば、語り口が政治的になってしまう人もいた。かように人間は政治と影響力に(つまり権力に)弱い。
 
そもそもインフルエンサーという言葉が象徴しているように、人間が集まり、繋がりあえば、そこには影響力が生まれる。影響力が生まれるとは政治力が生まれることでもあり、権力が生じることでもある。その影響力や政治力や権力を束ねて行使するのは、もちろん政治家や行政組織や大企業のアカウント、さらに運動家やインフルエンサーのアカウントたちだ。しかし、twitterに生じた影響力/政治力/権力を、そうした「デカいアカウント」だけのものと勘違いするのは間違っている。まず、私たちひとりひとりのアカウントが獲得し、行使している影響力/政治力/権力が存在しているのであって、そのミクロな影響力/政治力/権力が草の根から支えるかたちで「デカいアカウント」の影響力/政治力/権力は成り立っている。
 
だから、twitterの権力の構図はどんなに「デカいアカウント」が扇動し動員しているようにみえる場合でも、ひとりひとりのアカウントが獲得し行使している影響力/政治力/権力はひとりひとりのアカウントのものであること、「デカいアカウント」がそのようなものとして成立するためにはひとりひとりのアカウントへの目配りや目くばせが必要不可欠であることは、見逃してはいけないように思う。
 
twitterひいてはXが政治の場に変貌し、政治や権力のにおいがぷんぷん漂うようになってしまったのは、つぶやきの時代を懐かしく思う人にはがっかりだろうし、私もがっかりしている。他方、私も含めて大半の人がSNSが政治の場たりえることに気付き過ぎてしまい、ひいては自分のアカウントのつぶやきに影響力や政治力が宿り得ることに気付き過ぎてしまい、そうした結果として単なるつぶやきをステートメントに変えていってしまった。つぶやきがステートメントへと置き換わた速度や程度には個人差があるが、十中八九、そのような変化を被ったように思う。*1 かように人間は政治と影響力に(つまり権力に)弱い。
 
twitterがXに名称変更するよりも早く、つぶやきはステートメントに変わり、何かに抗議したり何かを推したり何かを煽ったりする場に変わった。と同時に、私たちの政治する動物らしい仕草があらわになって、私たちはつぶやく動物からステートメントする動物に変わった。それで獲得されたものもあるから文句を言ってもはじまらないし、本当につぶやきを取り戻したい人は、つぶやきやすい場所に移住してしまえば良いだけだ。ただ、私が今夜ここで書き殴ったのは、そうした変化が草の根の現象であること、いわゆる泡沫アカウントまでもが政治や権力の渦に案外巻きこまれている(なんなら、泡沫アカウントが政治や権力の渦に巻き込まれていることこそが主たる問題かもしれない)ことを指摘したくなったのだと思う。
 
「デカいアカウント」にばかり注目してしまって、泡沫アカウントの泡沫なステートメントにも宿っている影響力/政治力/権力を見逃すと、実はボトムアップでもあるSNS上の影響力/政治力/権力の理解は片手落ちになってしまうんじゃないかなぁ。
 
 

*1:2024年のXにおいてもなお、ステートメントではなくつぶやきを貫こうと思ったら、よほど影響力/政治力/権力に鈍感であるか、よほどそれらを避けるような意図が必要になった。私が長年観測しているツイッターアカウントにうちに、そのように鈍感だったり意図的だったりする人はそれほど多くない

私が経験した縦の旅行/横の旅行(らしきもの)

 
 
先日、books&appsさんに寄稿した『エリートたちには「縦の旅行」が足りない | Books&Apps』という文章ははてなブックマークだけにとどまらない反響があり、それを読んで糧にした。ただ、こんなに読まれた理由はタイトルのおかげもあったのだろう。私の寄稿記事はほとんど全部そうだが、今回のタイトルもbooks&appsさんにつけていただいたものだった。私はバズるタイトルをつくるが苦手だ。
 
そうした反応のなかには、「そういう、p_shirokumaは縦の旅行をしてきたのか?」といった問いもあった。これに答えるのは簡単ではない。なぜなら、ある面では私は縦の旅行をしてきたと言えるし、別の面では不十分だったからだ。職業的にも来歴的にも、私は(たとえば)低学歴者から高学歴者、いわゆるアーリーアダプターから例とマジョリティやラガードまで、ある程度は見ているとも言える。しかし釈迦如来や阿弥陀如来が娑婆世界を観るように見ているわけではない。
 

 
私が体験してきた「縦の旅行」「横の旅行」のさまざまな場面は、上掲エッセイに書いておいた。毎週のように学校の窓ガラスが割られ、あらゆる子どもが雑多に混じりあった公立校、そして地域共同体が健在だった頃の田舎が私のルーツだった。高校大学時代にはゲーセンを棲み処とし、やがてインターネットに出会い、ブログをとおして多くの知遇を得た。『ないものとされた世代のわたしたち』の最終章では、そんな人生のなかで私が私自身のプレ近代性やポスト近代性について自覚を持つに至った経緯と、それを踏まえた現代社会に対する意見を書いた。
 
が、なにもかも書いたわけではないし、自分自身で整理してみたくもなった。こんな時ははてなブログの有料エリアをお借りするに限る。以下、常連さんだけ読む状態という意識のもとで少し書いてみる。
 
 

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インターネットで民主主義が加速して良かったですね

 
ビバ! デモクラシー!
 


 
民主主義が三度の飯より好きな人には、ともあれ好ましい選挙だったのではないだろうか。高い投票率。若い世代の意思表示。多くの識者が予想していなかった選挙結果。これらは、普段は投票に行かず選挙活動に関心を持たなかった人たちまで、民主主義が届いていることを示しているからだ。
 
先日の兵庫都知事選に限らず、昨今、識者やマスメディアが予想していなかった結果となる選挙が相次いでいる。そうした選挙で勝つのは“良識派”を嘆かせる候補だ。選挙活動の公正性は問われるべきだろう。が、そうした候補が登場してより多くの人が選挙活動に関心を持ち、それが高い投票率に繋がること自体は民主主義の観点からみて良いことだった、はずである。
 
 

「インターネットはテレビになった」わけではなかった

 
少し遠回りになるが、「インターネットはテレビを超えた」という話をする。
 
2015年1月1日、私は『ネットは“コミケ”から"“テレビ”になった。 - シロクマの屑籠』という文章をブログに書いた。インターネットが多数派のものになり、大多数を相手取ったメディアに成長したことでテレビに近い機能を持つようになった、といったことを書いたし、当時はそういう理解が似合う部分があったと思う。だが今日のインターネットがテレビに近いとは、あまり思えない。
 
なぜならインターネットの双方向的メディアらしさが際立つようになったからだ。テレビは、番組制作者と番組視聴者がほとんど一方向的なマスメディアで、どんな番組をみせるのか、どのような番組を見るべきなのかは製作者側の判断にかかっている。テレビ局はひとつではないとしても、テレビという業界、テレビ人という職業には一定の共通項が(倫理の基準なども含め)あるようにみえる。対してインターネットは、文章を書く側や動画を配信する側だけでなく、視聴者の側もコメントでき、「いいね」や「シェア」をとおして見るべきもの・みせるべきものを視聴者が選別できる。その選別は、テレビの視聴率以上にダイレクトだ。
 
インターネットは双方向的であるだけでない。その双方向的な状況に参入する敷居がものすごく低い。
その最たるものが「いいね」と「シェア」だ。文章では何も書けない人、イラストを描けない人、魅力的なSNSアカウントを作れない人でも、「いいね」や「シェア」を用いて著者や配信者やコンテンツを推せる。ひとつひとつの「いいね」や「シェア」はささやかでも、何十万~何百万も集まれば大きな影響力や政治力をなし、コンテンツビジネスなら売り上げを、選挙なら集票を左右する。そのうえ「いいね」や「シェア」がもたらす感覚は、テレビの選挙速報の数字よりもずっと主観的に体験されやすい*1。この、著者や配信者やコンテンツとの一体感や、他の支持者との一体感を体験しやすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。
 
SNSや動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸なコメントでも、論理的に破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判や非難のコメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったかも重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。
 
だから、メディアとしてのインターネットが成りおおせたのはテレビとは異なる何かで、今日の言説空間はテレビの時代とは異なるどこかだ。私はそれに気づくのが遅く、不十分だった。インターネットのそうした性質は、2016年には『シン・ゴジラ』や『君の名は』をとおしてコンテンツビジネスの領域で露わになっていたし、政治の領域でも、一期目のトランプ政権が生まれる過程はそうだったのだろう。それらは従来型のマスメディアが機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットがテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。
 
 

みんな投票&選挙活動に参加できて良かったですね

 
で、昨今の選挙に立ち戻ると、双方向メディアとしてのインターネットが果たした貢献は大きいと思わざるを得ない。2024年のアメリカ大統領選挙や兵庫県知事選挙は、従来型のマスメディアが主導し期待したのとは異なる結果に終わった。インターネットでは大きな声が飛び交い、「いいね」や「シェア」が繰り返された。門外漢からみて、いったい何がフェイクで何がファクトなのか全くわからない様子だったが、ともあれ投票率は高かった。年齢別にみると、若い世代が斎藤前知事に投票していて、識者は今回の選挙結果に果たしたインターネットの影響をさまざまに語った。
 
フェイクやファクトの問題、県職員アンケートの結果等々があるため、この選挙が良かったのか悪かったのかは私にはまだよくわからない。それでも良かったと言えそうなことはある:それは、インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的で必要不可欠なことでしょう?
 


 
上掲動画のなかで、選挙の渦中にあった立花氏が集票について持論を展開している。彼は「バカな人たちをどう利用するか」といったことを語っている。バカという言い方は礼を欠いている。が、バカという語彙を「普段は選挙活動に参加しない人」と読み直すなら、真剣に読み直しておくべき話ではないだろうか。
 
つまりバカかどうかはさておいて、普段は投票しない人・選挙活動に参加しようとも思わない人々を投票させたり選挙活動に参加させたりできた側が選挙に勝つのは民主主義における道理のはずだ。それはアメリカでもイギリスでも日本でも同じだろう。そして今の時代にはSNSや動画をはじめとするインターネットがある。それは双方向メディアとしての性質を持っているから、インターネットを介した選挙活動とは無縁な人を投票させるだけにとどまらない。あわよくば、そうした人々を自陣営の運動員に変えてしまう。
 
「バカを利用する」と言えば口が悪いが、「選挙活動に普段は参加しない人を掘り起こす」と言えばデモクラティックだ。さらに進んで「これまで選挙活動に参加できなかった人を参加させる」といえば、啓発的にすら響く。立花氏がやったことをバカの動員と言ってしまうのは簡単だが、別の一面として、有権者として自覚と経験の少ない人をも選挙活動に参加させた、という点ではデモクラティックなことじゃなかっただろうか。
 
民主主義体制下において、動員と参加はコインの表裏みたいなものですからね。
 
有権者が有権者であることを自覚し、自分で考えて投票や選挙活動をするのは民主主義の基本だ。さまざまに問題含みの選挙ではあり、結局何がどうなっているのか外部からうかがい知ることのできない選挙ではあったけれども、「従来は民主主義に十分に参加できなかった人たちが参加するようになった」こと自体は、喜ばしかった、いや、喜ばしいと言わなければならないでしょう?
 
 

本当に全員参加したら壊れる民主主義なら、壊れるしかないんじゃない? 

 
こう書くと、「それじゃあ民主主義政体がもたない」とか「良い民意もあれば悪い民意もある」みたいな意見も出るだろう。そうかもしれない。なら逆に、今までうまくいっていた民主主義政体と"良い民意"なるものが一体どういう与件に支えられていたのか、思い出して点検する必要があるよう、私には思われる。
 
民主主義は古代ギリシアや中世の都市国家にもあったが、それらの民主主義では投票者が限定されていた。近代以降の民主主義も全員が投票する普通選挙制として始まったわけではなく、たとえば男性ブルジョワが投票するものだった。女性や貧乏労働者に選挙が開かれるようになったのはもっと後のことだ。普通選挙制ができあがった後も、投票と選挙活動を誰もが平等にやっていたとは思えない。地方の田舎では、地元議員の話を聞くために公民館に集まった人々が素朴に地元議員に投票していたし、都市部の投票率が低いエリアには投票しない人・できない人がいた。選挙への関心には年齢差もある。時間がたっぷりあって経験も豊かな高齢者ほど選挙に関わりやすく、そうでない若者ほど選挙に関わりにくい構図は、少子高齢化の進む現代日本では注視されなければならない。
 
こうした民主主義の来歴を思い出すと、民主主義にかかわる人がだんだん広がっていったとはいえ、現実には投票が難しい人や投票する気になれない人もいて、選挙活動をやれる人はもっと少ないのが実態だったように思う。立花氏がバカと呼んだ人のなかには、投票慣れしていない人や選挙活動慣れしていない人が多く含まれているだろう。そうした人々に投票を促し、自陣営の運動員にすらしてしまう双方向メディアが今日のインターネットだ。毀誉褒貶はあるにせよ、今日のインターネットはこれまでよりずっと多くの人々に投票を促し、選挙活動に(「いいね」や「シェア」をとおしても含めて)参加させる土壌になっている。
 
で、もし、今まで投票や選挙活動に参加できなかった人々が参加するようになり、それで民主主義政体がもたなかったり"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか。でもって、民主主義に基づいて民主主義が壊れてしまったことを有権者は誇ればいいんでしょうかね?
 
民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。
 
しかし、そうやって民主主義政体がうまく回っていた時にも、本当の本当に全員参加でやっていたわけではなく、物言えぬ人(サバルタン)が存在していたのではなかったか。高額納税者だけに選挙権があった時代はもちろん、普通選挙制が導入されてからも投票しない人/できない人はいたし、選挙活動ができる人は限られていた。それだけではない。民意を問うプロセスにはマスメディアが関わり、これが制御弁のような役割を果たしていた。マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう。しかしマスメディアという制御弁が機能する民主主義政体において、マスメディアはまさに第四の権力で、統治の片棒をも担っていて、民意は、マスメディアの提示する疑問文に基づいて問われなければならなかった。ちょっと前の時代の選挙とは、そういう、マスメディアからの影響が現在よりもずっと強く、マスメディアが問題提起能力の大きな割合を占めている選挙だった。
 
そうした過去と比較すると、昨今の選挙はもっと草の根っぽさがあり、ひとりひとりが投票や選挙活動に参加できて、(インターネットの仕組みのおかげで)参加している手ごたえを感じやすいものだった。それで投票率が上がり、選挙活動が盛んになり、民意がダイレクトに選挙結果に反映されるとしたら……民主主義の理念に基づいて考えれば結構なことである。しかしもし、従来の民主主義の正体が「本当の本当に全員参加するとぶっ壊れてしまう政治体制や統治様式」だったとしたら……その理念は間違っていたか、理念はあくまでタテマエでしかなく、本音としては投票する者も選挙活動する者も限定されているぐらいがちょうど良かったと疑わざるを得ない。
 
いまどきの民主主義の理念を作り上げた人というと、ロックやルソーやジェファーソンといった近世~近代の思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆の選択までもが民意にフィードバックされる民主主義を想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?
 
それでも長らくは問題なかった。普通選挙制ができあがるまでには時間がかかったし、普通選挙制になってからも全員が投票できるわけではなく、ましてや選挙活動できるわけでもなかったからだ。普通選挙制が浸透した後の民主主義政体にはマスメディアという制御弁がついていて、第四の権力として民意の調整をおこなう仕組みが組み込まれていた。だから、立花氏がバカと呼んだ人まで投票し選挙活動するような「剥き出しの民主主義」に(近現代の)民主主義が慣れていたとはあまり思えない。*2
 
 

ビバ! デモクラシー!

 
誰もが参加し、誰もが討論し、誰もが政治活動することで政治が行われるタテマエの政体が民主主義で、それが尊いものだとしたら、今、私たちの眼前で繰り広げられている民主主義も尊いはずだ。修正すべき点は修正しつつ、それを寿ぐべきだろう。
 
もし、尊いわけでないとしたら、民主主義なんてやめてしまい、寡頭制や独裁制を望むべきだろうか? いやいや、それも極端だろう。それなら「制限民主主義」や「修正民主主義」みたいなものを考えるべきだろうか? 本当は、そうやって人を選びたがる民主主義こそが従来の民主主義の正体で、全員参加のタテマエがタテマエでしかないなら、いっそそう言い切ってくれたらいいものを、と思う。でも、大人の世界ではそんなことは起こらないので、せめてインターネットが深く介在する民主主義でもちゃんと機能しつつ、それでいてタテマエも尊重できる制度設計を進めて欲しいですね(というより私たちが進めなければならない)と思う。
 
個別の選挙結果が未来の制度設計の材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義のドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。
 
 

*1:自分がシェアやいいねしたメンションがもっと「いいね」や「シェア」を集める過程を、いつでも眺めることができるからだ

*2:それに近いインパクトがラジオや映画が普及した直後のヨーロッパのどこかで起こっていたかもしれない。しかしそれとて、双方向メディアの特質に依っているわけではない

『犬の日本史』をとおして自己家畜化と文化を振り返る

 
少し前に、ある人から拙著『人間はどこまで家畜か』に関連した話題として「犬の自己家畜化」の話と「日本社会・日本文化の進展」の話について、いろいろなご意見をうかがう機会があった。
 
犬は日本人にとって身近な動物だ。
しかし、その犬は日本でいつ頃からいて、昔はどんな感じで日本人と共存していたのか? これについて拙著では寄り道する機会が乏しかった。そんな私に、ご意見を下さった方が勧めてくれた本がある。
 

 
本のタイトルは『犬の日本史』、犬と日本人との付き合いを歴史学の先生が紐解いている新書である。これが良かった。進化生物学的な視点、文化的な視点、どちらで眺めても面白いので、両方の視点から紹介してみたい。
 
 

進化生物学的な面白さ:日本で自己家畜化した犬という動物について

 
『犬の日本史』の前半には、日本人と犬の馴れ初めが書かれているのだが、まずここで私は驚いた。かつての犬についての記述について、著者が、犬が自己家畜化した動物であることを知っている書きぶりをしているからである。
 

 犬の祖先と人間との交渉がどうやって開始されたかは想像がつく。人間が攻撃する意思をもっていないことがわかれば、犬たちは人間の群の近くをうろつき、人間の残飯のおこぼれにあずかったであろう。
……そうした犬たちのなかでも、性質が人間に対して服従的な個体、あるいは特別な形質をもった個体が、好んで飼われるようになっただろう。色が変わっているとか、目がかわいいとか、耳が垂れているとか、そういう特別な個体が人為的に選別され、犬は家畜への道を始めたものだろう。
『犬の日本史』より

この記述内容は、犬が進化生物学的になしとげた、「自己家畜化」という生物学的変化に合致している。そして歴史学の先生が使い慣れていなさそうな「個体」や「形質」といったボキャブラリーが並ぶ。これらは生物学、とりわけ進化生物学で多用されるボキャブラリーだ。こうした犬の自己家畜化については『人間はどこまで家畜か』でも少し触れていて、
 

 
 自己家畜化が始まった頃のイヌやネコにとって、人間との共生それ自体が新しい環境で、過度に怖がったり攻撃的になったりする個体が定着できなかったのは想像に難くありません。なぜなら動物たちから見た人間はとても大きく、危険そうな動物だからです。その環境に居続けられた個体だけが人間と共生するメリットを享受しながら子孫を残し、そのプロセスをとおしてベリャーエフのギンギツネ同様、従順さのある個体が子孫を残し続け、みずから家畜化症候群を起こしていった=自己家畜化していったのでしょう。
 たとえばイヌとオオカミは祖先が共通していますが、その共通祖先のなかで人間に慣れ、人間の周囲で暮らせたのは一部でしかありません。その一部だけがイヌへと進化する道、つまり自己家畜化の道を歩んだのでした。
『人間はどこまで家畜か』より

人に慣れることのできた祖先が今日の犬へと進化していく過程をこのように書いた。『犬の日本史』が出版された2000年頃は、2010年代に比較して自己家畜化についての資料が整っていない時代だったが、同時代には自己家畜化に関連した書籍出版が国内で相次いだ。そうした当時の流行もあってかもしれないが、ともあれ、『犬の日本史』の著者が進化生物学について調べた形跡が伺える。
 
生物学的な自己家畜化に関して、『犬の日本史』でもうひとつ興味深い記述がある。それは縄文時代の犬についての記述だ。
 
2010年代の著作『家畜化という進化』によれば、日本は犬の自己家畜化が起こった「はじまりの地」のひとつと目されているが、結論はまだ急ぐべきではないとされている。一方、『犬の日本史』では、魏志倭人伝を引用したうえで「縄文時代の家畜は犬が唯一のものだった」と書き記している。その縄文時代の犬は、
 

……縄文時代の犬は、肩の高さが40センチ前後の小型犬で、現在の日本犬でいうなら柴犬くらいの大きさだった。ただし、茂原信生氏によれば、現代の犬とは、つぎのような点で相当の差があった。
1.頭蓋骨・四肢骨ともに頑丈である。
2.前頭部から鼻にかけての段差(ストップ)が小さい
3.頬骨弓の幅が小さく、顔の幅がせまい。
4.口吻部がふとい。
5.歯の異状萌出などがほとんどない。
6.歯の摩耗や生前の破損がいちじるしい。
7.雄と雌の差が現代の犬よりも大きい。
『犬の日本史』より

とあって、自己家畜化や家畜化症候群*1が起こった動物たちの特徴と一致するように読める。2010年代に出版された自己家畜化に関する書籍群によれば、自己家畜化や家畜化症候群が起こった動物はまず、(のちに品種改良などを経て大型化することはあるにせよ)野生種よりも体格が小さくなる。また、自己家畜化が進行すると性差は小さくなるとされるが、縄文時代の段階ではまだ、犬の性差は現在よりも大きかったという。
 
ここに登場する茂原信夫氏は獨協医科大学でアジア地域の家畜の広がりや進化、ひいては人間自身の自己家畜化について研究を続けてきた人で、だからだろうか、2010年代以降の資料と照らし合わせても違和感はない。
 
それから、これは著者が知らずに書いていることだろうけれども、『枕草子』に登場するかわいそうな犬・翁丸についての論述も、自己家畜化した動物としての犬らしさを反映している。『枕草子』のなかで清少納言は、「人に同情されて泣いたりするのは人間だけだと思っていたのに、哀れみの言葉をかけられると、身をふるわせて鳴き声をたてた翁丸の様子は、いじらしく感動的だった」と書いているのだが、実はこれ、自己家畜化案件である。
 
どういうことかというと、犬や猫の顔は自己家畜化をとおしてかわいくなっていて、犬にはオオカミにはない表情筋すら発達している。犬が表情筋を用いるのは、犬同士のコミュニケーションのためでなく、人間を相手取ってのコミュニケーションのためだ。いわば犬は人間と意思疎通するために表情をつくるのであって、清少納言はそれを敏感に読み取ったのだろう。
 
 

文化的な面白さ:日本社会における犬の位置づけ

 
その翁丸に限らず、犬たちは人間に飼育され、人間の都合によって虐げられたりかわいがられたりした。
 
かわいがられるの最たる例として同書に記されているのは、徳川五代将軍綱吉による『生類憐みの令』だ。その最盛期には江戸郊外に犬を養うための巨大な建物がつくられ、白米や味噌や干イワシなどが集められたという。江戸の街中で犬を殺そうものなら大事になり、密告も横行した。では、それで犬たちが幸福になったかというとそうでもない。合わない食事と運動不足で犬たちは早死にする羽目になったという。『犬の日本史』の著者は続けてこう書く。
 

 犬を捨てるな、犬が病気になったら医者にみせろ……、このような犬のあつかいかたは、現代の愛犬家にすれば、ある部分あたりまえに映るかもしれない。しかし、これは江戸時代の話である。江戸時代までの日本には、動物愛護のような文化は、ほとんどないに等しかった。その点をみあやまってはいけない。
 よしんば、百歩ゆずって、江戸時代にも、その程度の犬愛護がなされてもいいではないかとしよう。問題は、犬を重んじるあまり、犬にかかわる人間を軽んじた、という側面にあった。
『犬の日本史』より

犬を重んじ、犬にかかわる人間を軽んじ、さかんに罰する。その結果、犬は憎悪の対象となり、『生類憐みの令』が終わった後には迫害の対象となった。犬を勝手に持ち上げたり迫害したり、人間とその社会は犬に対して勝手なものである。
 
のみならず、人間は犬に対して勝手であり続けている。狂犬病が流行すれば犬を殺し、昭和時代にはどこにでもいた野犬たちは殺処分の対象になって激減した。今日では動物愛護の精神にもとづいて繁殖の抑制が行われ、犬の室内飼いが増え、犬小屋反対運動なども起こっているが、これらも人間の勝手であって、勝手でしかない。少なくとも、犬たちにそう懇願されて実施したものではない。
 
そして人間は犬を食べてもいた。『犬の日本史』には、昔から日本人が犬を食べていたさまが記されている。犬は自己家畜化し、人間のそばに暮らすようになり、そのおかげで野生種であるオオカミよりも繁栄している。しかし、それは人間の勝手にさらされることをも意味していて、生殺与奪を人間に握られた状態──まさに、家畜というほかない状態だ──での繁栄だったわけで、今日の犬たちは、繁栄はしていても人間から自由ではなく、今まさに人間の完全な管理下に入ろうとしている。
 
対して、昔の犬はもう少し人間の管理から距離を置いていたし、そもそも人間自身があまり管理されていなかった。なにしろ、犬の側もしばしば人間を食べていたぐらいである。
 

 達智門の捨て子の話では、捨て子が生きているのが不思議なこととされている。なぜ不思議なのかは、達智門周辺に居ぬが多くいるのに生きているからであり、すなわち、捨て子は犬に食べられるのが常識だったのである。
 ……病人もまた、抵抗する力をうしなっているのことは捨て子と同じであり、犬はそうした人の側の弱者を食うのである。ある状況下での人と犬との間には、まさに弱肉強食の世界が現出するのである。
『犬の日本史』より

犬が人の家畜になったといっても、しょせん、人間と犬の間柄とはこの程度だった。人が犬を食ったり殺したりするのと同じく、犬が人を食ったり殺したりすることもある。「犬や猫や人間に生物学的な自己家畜化が起こった」「生物学的な自己家畜化が進んで、犬も猫も人も穏やかになり、協力関係がもてるようになった」と言っても、ほんの数百年前まではこんな調子だったし、おそらく現在でさえ、人も犬も野性的な一面を残している。
 
そうしたうえで近代以降の犬、ひいては人を振り返ると、生物学的な自己家畜化の進展よりも迅速に、文化の側が、より穏やかで・より生命を大切し・より生命を管理するかたちで人と犬を包み込もうとしているさまがみてとれる。
 
今日、犬を食べる人はほとんどいないし、いれば変人扱いされるだろう。と同時に、犬はケージに繋がれるべきであり、愛護されるべきであり、管理されるべきであるとされている。『犬の日本史』の文化面から読み取れるのは、色々あったにせよ、人も犬も次第に管理されるようになり、野生的な一面を抑えて生きるようになったということだ。
 
著者は、明治から幕末にかけて放し飼いになっていた犬たちについて、「善悪は別にして、日本の犬は『あるがままの犬』であった。」と記している。逆に言えば、今日の犬は、もう、あるがままの犬ではない。物理的なケージに覆われているだけでなく、文化的なケージにも覆われ、管理されなければならない何者かである。おそらく人もそうだろう。そうした犬と人とが二人三脚で管理されていく歴史の流れを、私は『犬の日本史』から読み取った。手前味噌で恐縮だが、拙著『人間は、どこまで家畜か』とセットでお読みになると理解が深まるだろうと思う。
 
 
【もっと詳しく読みたい人には】
 

日本における犬の生物学的・文化的な歩みを通覧できる。古い本だが、生物学的な記述はそこまで古めかしくは感じない。面白いです。
 拙著。こちらは人間の生物学的な自己家畜化と、文化によって引っ張られている部分とを記した本です。
  序盤に犬の自己家畜化が結構すごいさまが記されています。中盤以降のお話も面白い。
 自己家畜化&家畜化症候群をおこした動物をたくさん挙げているので、色んな動物について知りたい人はこちらを。
 
 
 

*1:家畜化症候群:自己家畜化も含め、家畜化が起こった動物に起こる身体のつくりや行動の変化。