シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

教養としての『ダンジョンズアンドドラゴンズ(D&D)』

 
 
 

はじめに

 

 
アニメ『ダンジョン飯』が人気ですね。
 
ダンジョンで飯を食うという非常識がグルメにもギャグにもなっていて、いちおうシリアスな話も進行していく『ダンジョン飯』。今日のお題は、そのインスパイア元っぽいRPG『ウィザードリィ』のさらにご先祖様の『ダンジョンズアンドドラゴンズ』(以下『D&D』と表記)です。
 
今、『D&D』の雰囲気をいちばん簡単・忠実に味わえる作品といえば『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』でしょうか。
  
『アウトローたちの誇り』は、種族も性格も技能も違うキャラクターたちが喧嘩したり協力しながら旅を続ける物語ですが、TRPGゲームとしての『ダンジョンズアンドドラゴンズ』らしさがあちこちに見受けられます。こうした『D&D』の雰囲気は『ウィザードリィ』に限らず、孫やひ孫や玄孫に相当するような作品にまで受け継がれています。
  
たとえば『ファイナルファンタジー』シリーズの魔法体系や魔法システム、モンスターの名称なども、相当『D&D』から輸入していますし、オープンワールドRPGの名作『Skyrim』をプレイした時も、『D&D』の世界が具現化したみたいだったので驚きました。web小説に登場する"異世界"にしても、その先祖を遡っていけば『D&D』にぶち当たるのは避けられません。
 
そもそも『D&D』は『指輪物語』などと並んで今日のRPGゲーム、ひいてはRPG風作品のご先祖様みたいな立ち位置にあるので、影響を受けていないと言える作品のほうが少ないかもしれません。だとしたら、ゲームカルチャーやRPGゲームやファンタジー小説を楽しむにあたって、『D&D』は教養になる一面があったりしないでしょうか。
 
 

モノ書きは『D&D』をしばしば知っている

 
「教養としての『D&D』」と言う時、私は2つの可能性を思い描きます。
 
1.ひとつはD&DをとおしてゲームやRPG風の物語を楽しむ際に元ネタを思い出したりしやすいこと。なにしろRPGやいわゆるファンタジー風の世界の根っこのほうに位置しているので、『D&D』を知っていることで作中の魔法や武器やモンスターや職業にニヤリとできる場面は増えるかと思います。漫画もアニメも大人気の『葬送のフリーレン』にもそういう場面はあって、たとえば一級魔法使い試験編に登場するユーベルは、『D&D』のスペルキャスターのなかで言えばウィザードではなくソーサラーですよね。
 
察するに、ゲームやRPGやRPG風の作品を創っている人は『D&D』やその子孫たちのことをよく知っているのではないでしょうか。実際、2023年の奈須きのこさんのインタビューにも「『D&D』をプレイしていた」という記述があったりしますし、web小説を読んでいても「この著者、『D&D』を思い出しながら書いてるな」と思える瞬間はしばしばあったりします。そういうことを知っていることでゲームや漫画やアニメや小説を楽しむ足しになる一面はあると思います。
 
 
2.もうひとつは、会話や文中に直接登場する『D&D』についてのくだりを理解できることです。
 
たとえば『万物の黎明』『ブルシット・ジョブ』などの書籍を記したグレーバーという学者は、著書のなかで『D&D』について熱く語っています(以下の引用文はそんなに真面目に読まなくてもいいと思います)

 熱烈なファンいうところのD&D(ダンジョンズ&ドラゴンズの略称)は、あるレベルでは、想像しうるかぎりでもっとも自由な形式のゲームである。というのも、キャラクターたちは、ダンジョンマスターの創作した制約、すなわち、書物、地図、テーブル、そして、町、城、ダンジョンズ、そして自然領域などのようなプリセットされた空間の内部で、いさいの自由を許されているからである。多くの点で、それは実際にまったくアナーキーである。というのも、軍隊に命令をくだす古典的な戦争ゲームとは異なり、そこにみられるのは、アナキストが「アフィニティ・グループ」と呼ぶもの、すなわち、能力を補い合って(ファイター[戦士]、クレリック[僧侶、聖職者]、ウィザード[魔法使い]、ローグ[盗賊]などなど)共通の目的にむかって協働するが、はっきりとした命令の連鎖はない、個人からなる一団であるからである。それゆえ、社会的諸関係は非人格的な官僚制的ヒエラルキーとは真っ向から対立しているのだ。しかしながら、別の意味では、D&Dは、反官僚制的ファンタジーの究極の官僚制化を表現してもいる。そこには、あらゆるもののカタログがある。たとえば、さまざまなタイプのモンスターがいて(ストーンジャイアンツ、アイスジャイアンツ、ファイアジャイアンツ……)、詳細な一覧表であらわされたパワー(殺すことの困難度を示す)と、ヒットポイントの平均数をそなえている。そして、人間の能力のタイプ(筋力、知力、判断力、敏捷力、耐久力……)、さまざまな能力のレベルに応じて利用可能な呪術のリスト(マジックミサイル、ファイアーボール、パスウォール……)、神々やデーモンたちのタイプ、さまざまな種類の防具や武器の効力、モラル上の属性までも(ひとは、秩序にして中立でありうるし、混沌にして中立でもありうる。あるいは、中立にして善でもありうるし、中立にして悪でもありうる。これらを組み合わせて、九つの基本的な道徳的性格が生成する)が存在している。書物は中世の動物寓話集や魔術の書を彷彿させる。しかしそれらも大部分が統計からなっている。すべての重要な特性は数に還元されうるのである。
『官僚制のユートピア』P268-269

グレーバー先生、熱くなりすぎて『D&D』を語っているのでしょうか。それとも自分の本を読んでくれる人なら『D&D』を知っているという前提で語っているのでしょうか。どちらにしても、『D&D』を知っていたほうが『官僚制のユートピア』のこのパートは読みやすいでしょう。
 
 
小説からも『D&D』に出会う瞬間をひとつ。
映画化された近未来SF小説『火星の人』には、水不足に悩む主人公が『D&D』の魔法「クリエイト・ウォーター」について思い出してグチグチ言う場面が登場します。

 ぼくは高校時代、ずいぶんダンジョンズ&ドラゴンズをやった。(この植物学者/メカニカル・エンジニアがちょっとオタクの高校生だったとは思わなかったかもしれないが、じつはそうでした。)キャラクターはクレリックで、使える魔法のなかに"水をつくる"というのがあった。最初からずっとアホくさい魔法だと思っていたから、一度も使わなかった。あーあ、いま現実の人生でそれができるなら、なにをさしだしても惜しくはないのに。

 
『官僚制のユートピア』や『火星の人』は『D&D』のことを知らなくても読めないわけではありません。でも、知っていればニヤリとできるし、著者の伝えたいことがよりよくわかるでしょう。本や小説を読みやすくする・著者の主張の解像度を高めるという点でも、『D&D』が教養として機能する場面はあるように思います。
 
 

今、『D&D』を知る・プレイするのは大変だが

 
いまどきのゲームや小説やアニメを観る際にも、それ以外に際しても教養として役立つかもしれない『D&D』ですが、どうやって『D&D』について知れば良いでしょうか。
 
残念ながら、『D&D』そのものをプレイするとなると、結構大変です(追記:やりやすくなっているとご指摘いただきました)。
 

 
これは我が家にある『D&D』のプレイヤーズハンドブックですが、なかなか大判で分厚く、値段も安くありません。第3.5版、というバージョンが示すように『D&D』は繰り返しバージョンアップを遂げていて、その内容も微妙に違っています。……ということは、『D&D』を友達とプレイしようと思ったら、全員が同じバージョンの『D&D』を持っていて、知っていなければなりません*1。そのうえ現行の『D&D』は20世紀のバージョンに比べてルールが厳格で、適当に遊んでみるにはあまり向いていません(注:いろいろな方からの情報によれば、最新のバージョンは適当に遊んでみるのに向いているのだそうです。情報をくださった方、ありがとうございました)。
 
そのうえ『D&D』そのものについての知識やノウハウにアクセスしやすい時代は過ぎてしまいました。
 
1980~90年代にかけての日本では、『D&D』も含めたテーブルトークRPGが流行し、プレイしやすい環境ができあがっていました。田舎の小中学校ですら『D&D』を教わるチャンスがあったぐらいです。そうした流行のなかで、『D&D』についてのガイドブックや『D&D』に基づいて描かれたファンタジー小説なども目に留まりやすかったのでした。その例が、『D&Dがよくわかる本』*2や『アイテムコレクション』、『ドラゴンランス戦記』などです。
 

 
『D&D』に関連したガイドブックや物語は『D&D』本体よりもずっと安価だったので、直接プレイする前に雰囲気をイメージするには最適でした。ですが、テーブルトークRPGの盛期を過ぎた今では、『D&D』そのものにアクセスしたくなる機会は当時に比べて少ないでしょう。
 
『D&D』の血が流れる子孫たちが大繁栄している一方で、源流に位置する『D&D』そのものを体験するためには、ちょっと頑張らなければならない時代なのだと私は考えています。
 
そのかわりと言ってはなんですが、『D&D』の血潮を感じられる作品へのアクセスは悪くない、といえます。
  
そうしたなかで一番お勧めなのは、なんといっても『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』です。誰が見ても楽しめるように作られているし、それでいて剣と魔法と知恵と勇気と正義と小悪党と大悪党が活躍する『D&D』の世界にとても忠実です。
 
完全には『D&D』に忠実でなく、固有の要素を含んでいることを承知なら、『ダンジョン飯』だって悪くないと思います。『ダンジョン飯』は『D&D』の直系子孫である『ウィザードリィ』っぽさも濃厚な作品で、どこまで『D&D』っぽくてでどこから『ウィザードリィ』っぽいか判断に迷う感じですが、その『ウィザードリィ』自体がもともと『D&D』の血が濃いので、あるていど参考にはなると思います。『ダンジョン飯』の世界観が気に入った人が『アウトローたちの誇り』を見れば、なんらか、『D&D』について掴めるものがあるんじゃないでしょうか。
 
『D&D』を「教養として履修しなければならない」なんてことは決してありませんが、触れておくと色々と理解がはかどったり他作品が一層楽しめたりすることはきっとあると思うので、『ダンジョン飯』が楽しかった人には『アウトローたちの誇り』をご覧になっていただきたいし、『D&D』のことも記憶にとどめて欲しい、と思ったりするのでこれを書きました。
 
 

*1:加えて「プレイヤー同士で集まらなければならない」という大きな問題がありますが、これはwebの普及によって緩和されました

*2:ちゃんと新しい版に合わせたバージョンが後日発売されていたことを今知りました