シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

謹賀新年──平成31年の『シロクマの屑籠』について

 
 新年、あけましておめでとうございます。
 常連読者のみなさん、時々読んでくださる読者のみなさん、常日頃よりありがとうございます。
 
 平成31年、2019年が始まりました。元号が変化するまでもなく世の中は急激に変化し、昭和時代によって準備された平和の成った時代は複雑な局面を迎えつつあるようにみえます。20世紀後半以来の秩序の揺らぎという意味でも、少子化に歯止めをかけられなかった因業が迫ってくるという意味でも、先の見通しが難しいと、私は感じています。
 
 だから、というわけでもないのですが、今年からこのブログは少し読みにくくなる予定です。なぜなら、幅広い読者さんに読んでもらうために語彙を選ぶのでなく、自分自身が考えるのに便利な語彙を選んで、今、私が考えたいことを考えたいように考える場として、このブログをもっと使っていきたいからです。
 
 このブログの主題は、もともと「オタクの社会適応」でしたし、もちろん、これからもアニメやゲームやオタクの生態についての文章は書き続けるでしょう。そういったものも社会の一部ですし、現代人の適応の一部をなしてもいるわけですから、尚更です。
 
 ただ、個別の現代人の社会適応については、私のなかで納得のいく答えがだいたい出たというか、あとは加齢に身を任せて高齢の境地を体験すれば、それでいいのかな、と思うようにはなりました。承認欲求をはじめとする社会的欲求についてはだいたいの傾向がわかったし、あとは、人と人とをつなぐコミュニケーションの導線と、その人自身の個人精神病理によって社会的欲求のかたちとその成否が左右される……と考えて、大筋では間違いはないように思えるからです。
 
 他方、人と人とをつなぐコミュニケーションの導線──たとえばSNSやLINE、ブログや動画投稿サイトなどが良い例ですが──が変われば、社会的欲求の表現型は変わりますし、個人精神病理の露出の仕方も変わります。と同時に、発達障害ブームがよく現しているように、社会が与える与件によって何が個人精神病理の範疇なのか、そしてどのような見立てで個人精神病理を取り扱うのかの枠組みそのものが変わります。
 
 この、「枠組みが変わると社会的欲求も個人精神病理のあらわれかたや見立ても変わる」という土台の揺らぎは、もちろん他の事々にも当てはまります。健康と不健康、道徳と不道徳、常識と非常識、自由と不自由の領域なども、社会という土台の揺らぎによって、知らず知らずのうちに揺さぶられ、ゆっくり変化していることを私は意識するようになりました。
 
 オタクという言葉が空中分解を起こしながら、そう呼び倣われる人の社会適応のありかたを変えていったのと同じかそれ以上に、現代人と自らを呼ぶ、私達の社会適応のありかたとその土台としての道徳や常識や自由のありかたも、この数十年の間に大きく変わり、しかし、その変化はあまり省みられていません。
 
 国内外が大きく変わりゆき、たくさんの人々が社会適応の難しさに直面していくであろう近未来の社会適応を考える際には、私達の社会適応の土台とはどういうものなのか、どのように揺らいできて、どこへ向かっていくのかを考えてみるのもいいんじゃないか──そんな風に現在の私は考えています。
 
 なので、この『シロクマの屑籠』は、今までよりも幾らか、個人の社会適応の問題と、その根幹にかかわる諸々の土台の揺らぎについて、自分の考えを自分の使いやすい言葉で整理整頓するための下書き場として用いていこうと思っております。ぶっちゃけ、「読者優先ではなく筆者優先のブログ」化がますます進行するわけですけれど、私はブログでやりたいことを真っ直ぐに追いかけていきたいので、新年のご挨拶の場を借りて、一年の指針についてご報告申し上げます。
 
 このようなブログで構わなければ、本年も、どうかよろしくお願いいたします。