シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

あの頃のネットは貧しい土地で、俺らは火事花みたいなものだった

 
パイオニア樹種、という言葉をご存じだろうか。
パイオニア樹種とは、まだ植物が地面を覆っていない空き地や荒地にいち早く適応する、そういう樹木のことだという。火事の跡地などをいち早く緑で覆うのはこのタイプの植物だ。しかし、土地が緑でいっぱいになり、もっと多様な植物が入ってくるようになると、パイオニア樹種はほかの植物との競争力を失い、いなくなっていく<参考:こちら>。
 
ところで最近、以下のようなツイートを見かけた。
 


 
同感だ。
私も、「インターネットらしいインターネットをやった」という手ごたえを失ってだいぶ経つ。ブログもSNSもそれなりやっているけれども、自分がインターネットと呼んで愛したネットライフがここにあるとは感じない。上掲ツイートの人と同じかはわからないが、とにかく、2010年代の中頃あたりから、私は自分が愛したインターネットが失われつつあると感じはじめ、過去に郷愁を感じるようになっていった。
 
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現在のインターネットを上下水道や電気と同じ感覚で利用している人々に、私の郷愁が伝わるのかよくわからない。が、インターネットはアンダーグラウンドなものからパブリックでフォーマルなものに近づいた。あのtwitterでさえ、気が付けば企業がアカウントを所有しているのが当たり前で、国会議員や市会議員もアカウントを運営していて、さまざまな職業の人々が「フェイスブックとは違った、けれども結局フェイスブックと地続きのような」投稿を心がける場に変わっていった。
 
いまでもインターネットやSNSに仄暗い投稿、00年代以前に見かけた暗い情熱をみる場所はいちおう残っているけれども、圧倒的に強まったパブリックの光、フォーマルな光、マジョリティの光によって暗がりの占める割合は小さくなった。それだけではない。インターネット上でどのような暗さが許容される/許容されないのかの線引きが、それまでのインターネットの通念によってではなく、パブリックやフォーマルやマジョリティの基準によって、もっといえば【世間の基準】によって線引きされるようになった。それだけではない。何が楽しいのか、何がウケるのか、何が癒しになるのかも、世間の基準によって線引きされる。それは、00年代以前の決まりかたとは大きく異なっている。
 
そうだ、私にとって「ご無沙汰になって久しいインターネット」とは、世間とは異なった投稿や表現が、世間とは異なった価値基準や評価軸にもとづいて見定められ、自分も周りもその異なった価値基準や評価軸の一部であると感じている、そういうインターネットだったのだと思う。世間とギャップがあり、世間と異なった投稿や表現があり、世間と異なった受け止められ方をしていて、世間と異なった時間が流れている──「ご無沙汰になって久しいインターネット」というフレーズから私は、そういったインターネットの過去を連想する。
 
もちろん過去のインターネットでも、世間と同じ話題が流通することはあった。ただ、そのような場合でも、世間の世論とインターネットの世論には断層があり、世間での語り口とインターネットでの語り口にも違いがあった。

たとえばもし、2003年にトランプ大統領が当選したら。たとえばもし、2005年に新型コロナウイルス感染症と同等の感染症が起こったら。そのときのインターネットでの語り口は、世間での語り口とかなりの距離があっただろう。少なくとも2020年のような、インターネットが世間とシームレスになった……というよりインターネットが世間を引っ張っていくような社会状況とは異なったかたちで、種々のニュースは取り扱われていただろう。
 
その世間とインターネットの間にあったギャップを、私のような旧式のネットユーザーは愛していて、そのギャップのおかげで、世間との距離を保ったコミュニケーションがあったことを懐かしんだりする。この懐古は、インターネットと世間がシームレスになってから・世間の一部としてインターネットを利用しはじめた人にはわからないものだろう。そのような人々にとって、インターネットとは世間であり、インターネットとは世間でやるべきことをやるべき場所であり、「世間と距離があるから、世間とギャップがあるからインターネットはいい」などというセンスは理解できないし合理的でも効率的でもない。
 
こうした、世間とマジョリティに理解されそうにない過去のインターネットの話をすると、私は興奮してくる。今も、キーボードを打ちながら鼻息が荒くなって、はじめに考えていた文章の構成のこととか、過去の似たような投稿記事とどう違いをつくるのかとか、どうでもよくなってきた。過去のインターネットを懐古するのは、今の私には自己セラピーの一種なのかもしれない。口の悪い人は、自慰的だと言ってのけるだろう。ちっ。うっせーな。
 
そうだパイオニア樹種の話をしていた。
 
私たち旧式のネットユーザーはパイオニア樹種のようなものだったのかもしれない。
 
私たちはインターネットという更地に草木が生え始めた頃にやってきて、成熟しきっていない土地を愛し、成熟していない土地に我が物顔で繁栄していた。成熟した土地で栄えている者たちが侵入してくる気になるまでの、つかの間の繁栄。しかし、インターネットが豊かな土地へと変わり、成熟した土地で栄えている者たちが押し寄せ、根付くようになればつかの間の繁栄は終わる。森が豊かになるにつれてパイオニア樹種が衰退していくのと同じように、インターネットが豊かになるにつれ、旧式のネットユーザーはマジョリティからマイノリティへ、繁栄するものから衰退するものへと変わった。
 
これは、"旧式ネットユーザー史観"とでもいうべきものであることはわかっている。ほとんど詩のようなものに近い。や、詩としての体裁も技量も伴っていないから、これを詩と呼ぶのは失礼かもしれないが、ともかく、主観的な文章であることは心得ている。
 
それでも、世間とシームレスになってからインターネットを使い始めた人々とは異なった思い出を持っている者として、この史観はおりにふれて思い出しておきたいと思う。「こんな時代があって、こんな風にネットのことを覚えている人々がいた記憶」を蒸し返しておきたいとも思う。たとえ、「おかしな史観を壊れたスピーカーのように繰り返す人」と後ろ指をさされたとしてもだ。よろしい、ならば私は壊れたスピーカーであり続けよう。
 
私たちはパイオニア樹種のようなもの、火事花のようなものだった。マジョリティが栄え、切磋琢磨している土地では生きづらいと感じる私たちは、土地が豊かになれば次の新天地を求めて旅ただなければならない、のだろう。それか、マジョリティのあいだに入って、マジョリティの作法にのっとって同じ土地に暮らし続けるか。
 
一時期、マストドンというサービスが次なる新天地を予感させてくれた時期があったけれども、私はマストドンに居着くことができなかった。年を取って動けなくなったからかもしれないし、私も少しは世間というものに馴れてしまったからかもしれない。どうあれ私は、ときどき「ご無沙汰になって久しいインターネット」のことを思い出す。そして壊れたスピーカーのように、それについての郷愁やエモーションについて文章にする。世間からネットを取り戻そうとか、世間に抵抗しようとは、もう思わなくなった。