シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

末期戦を戦う艦娘、艦これ、おれたち

 

 
ゲーム『艦隊これくしょん 艦これ』は今年10周年を迎えたという。なんともおめでたいことだ。


この節目にあたる2023年初春のイベント海域は相変わらず難しく、ただただ苦痛な「潜水ー航空支援攻撃マス」なるものも登場し、ブラウザゲームとして末期戦のていをなしている。当初、こんなに長くサービスが続くと想定されていなかったに違いない『艦これ』が、増築に増築を重ねた姿で、よろめきながら、それでも私たちプレイヤーの愛憎を一身に浴びながらサービスを提供しているさまは、醜くも美しい。
 
そうしたなか、アニメ『「艦これ」いつかあの海で』を最終回まで視聴した。
 
kancolle-itsuumi.com
 
率直に言って、アニメとして優れた作品ではなかったかもしれない。が、ずっと艦これと付き合い続け、今回のイベント海域でも苦しい戦いを強いられた私には異様に刺さる作品、気づきのある作品だった。
 
この作品をとおして思い出したのは、ゲームの艦これも、艦これアニメ版も、私たちも、末期戦を戦っているということだ。
 
まずアニメ『「艦これ」いつかあの海で』について。これがいろんな意味で末期戦だった。繰り返される放送の延期も、Toshiが歌う主題歌も、これが末期戦であることを指し示しているようだった。内容は? もちろん!
 
深海棲艦たちの猛攻によって、戦場はレイテ沖から日本近海へと近づいていく。次々と傷つき、「退役」していく艦娘たち。この「退役」は、ゲーム中で艦娘が死亡したことを意味する「轟沈」ではないが、本当は「轟沈」を比喩しているようにみえてならなかった。
 
そうしたなか、夜戦瑞雲や時雨改三といったif武装やif改装が登場し、末期戦に投入されていく……のだが、第二次世界大戦の末期に登場した新兵器たちと同じく、戦局をひっくり返す切り札とはならない。呉鎮守府は大規模な空襲に遭い、防空戦闘機の数は少なく、そこでも艦娘たちが傷つき、力尽きていく。時雨たちの属する第二水雷戦隊は南西諸島海域に突入し、深海棲艦本隊と戦うが、およそ生きて帰って来れている描写ではない。信じていいかわからないが、2023年4月現在、wikipediaには「こうして深海棲艦の前に艦娘達は全滅。鎮守府に大勢いた艦娘は一人もいなくなり、全ての戦力を失った。」と堂々と記されている。
 
最終回エンディングもたまげた。ここでもwikipediaの記載が情況をよく説明している。

エンディング終了後、登場した一部のキャラクター紹介として、キャラクターの姿と名前、モチーフとなっている第二次世界大戦において実在した軍艦の進水した年(または就役した年)~撃沈した年(または退役した年)が遺影のように流され、最後に『未来を生きる人たちへ』というメッセージが表示されて話は終わる。

実際、それは告別式のようなエンディングだった。主題歌を思い出さずにはいられない。「ありがとう ありがとう 何度も言うよ」──そのようにToshiは歌っていた。未来の礎となって散っていった過去の人々のことを思えとToshiは歌っているように聞こえた。と同時に艦隊これくしょんと艦娘たちの過去と現在を思い出した。末期戦の果てにアニメ版は全滅エンドを迎えて、ありがとうありがとうされた。こんな全滅エンドをはじめから制作陣は作りたかったのだろうか? そうではないんじゃないか。本当は暁の水平線に勝利を刻みたかったところが、末期戦のような制作状況のなかで変更に次ぐ変更を余儀なくされ、まさに艦娘たちを特攻させるほかやりようがないところまで追い詰められたのではないか? ……などと想像が広がってしまう。
 
これだけだったら、未完成で終わった泥沼アニメ作品でしかないのだけど、『艦これ』には『艦これ』の文脈がある。視聴に際しては、赫々たる人気とともに始まり増築に増築を重ねて運営され続けてきた『艦これ』の歴史と、何年も戦い続けてきたプレイヤー=提督それぞれの歴史が重なりあう。ぬかるんだ末期戦アニメと艦これの現状、プレイヤーとしての私自身の足跡が重なりあい、そこにToshiの歌声が流れて「ああ、艦これはもうおしまいなんだ」と「わかった」ような気がした。
 
このアニメで図らずも描かれた末期戦とは、おれたちの遊び続けている『艦これ』の運命、艦娘の運命、そしてプレイヤーとしてのおれたちの運命ではないか?
 
ぬかるんだ末期戦を戦っているのはアニメ版とその艦娘たちだけではない。ブラウザ版『艦これ』も10周年を迎え、戦いはいよいよ熾烈をきわめている。
 
この10年間に『艦これ』にはいろいろな事が起こった。
はじめ、破竹の勢いで人気が出てサーバ増設も間に合わないほどだった。艦娘たちも大人気となり、一時期は当該日本艦艇の名前でgoogle検索すると艦これのイラストに占拠されていた。しかし時間が経ち、後発のゲームも現れるなかで『艦これ』の黄金期は終わった。それから長い長い時間、『艦これ』も艦娘もプレイヤーたちも暁の水平線に勝利を刻むべく戦い続けてきた。Flashを用いなくなってからもシステムはどんどん複雑になり、フィーチャーの建て増しが繰り返され、深海棲艦はどこまでも強化され続けた。艦娘も、その搭載兵器もだ。阿鼻叫喚のイベント海域が繰り返され、プレイヤーの可処分時間と可処分所得を容赦なく吸い上げ続けてきた。
 
狙ってか偶然か、イベント海域が日本近海で戦われることが増えたように感じられる。もちろん昔も、ミッドウェーに遠征したら本土が攻撃されました、なんてイベントがあった気がする。が、最近は日本近海がとみに多い。2023年2月末からのイベント海域も、四国沖だの、八丈島沖だの、小笠原だの、日本近海が舞台となっている。艦隊の出港ポイントも佐世保や横須賀らしき場所からだ。こうしたイベント海域の傾向からも、『艦これ』とそのプレイヤーたちが末期戦に向かって突き進んでいることを私などは想像せずにはいられない。
 
で、この非道なフィーチャーである。
 

 
今回のイベント海域から、潜水艦が襲ってくるマスで「航空後方支援」なるものが(しばしば)行われる。このスクリーンショットの、右下に表示されている軽空母がそれだが、こいつは無敵で、せいぜい艦載機を枯らすぐらいしか対策がない。水中からも空からも攻撃を受け、しかも空からの攻撃が基本無敵というのは末期戦を演出するフィーチャーとしては「らしい」が、実際にプレイしてみるとクソオブクソでしかない。艦これの運営陣は、高所大所からこのフィーチャーを導入したのだと信じたいところだが、一方的に殴られる痛さと怖さはまったく楽しくなく、プレイヤーとしては「もう深海棲艦に降伏せよ、というメッセージだな」としか思えない。これは本当にマゾゲーだ。
 
10年の歳月のなかで艦娘たちは魔改造といって良いほどの改造を受け、実験兵器や仮想兵器のような兵装を受領し、それなり強くなった。しかしそれと同等以上に深海棲艦は強くなり、駆逐艦が先制魚雷を撃ってくるようにもなり、イベントは長く重たくなり続け、どう見ても敗色濃厚な戦局になってきた。こうした情況のなかでアニメ版『艦これ』が大本営発表のようにオンエアーされ、その内容も全滅エンドだったとして、どうして他人事のようにこれを眺めていられるだろう?
 
改装に改装を重ね、少しずつ戦友を失いながら、なおも戦い続け、いつか来る最後の戦いに向かっていく艦娘と提督の姿は、おれたちの似姿ではなかったか? アニメ版に映っていたのは、本当はうちの鎮守府の艦娘たち、それと、おれたちの末期ではなかったか?
 
こうした感慨を共有できるのは、ゲーム版『艦これ』の現役のプレイヤーと、比較的最近までプレイしていた元プレイヤーだけでしかなく、そうでない大多数にとって今回のアニメ版は凡庸な作品に過ぎない。けれども艦これを愛し続けてきたプレイヤー、サービス終了の日が先かプレイを投げ出すのが先か、そうした気持ちを胸にブラウザを立ち上げ、呉や佐世保や舞鶴のイベント会場を詣でているプレイヤーにとって、本作はみぞおちにグーパンチが入るようなクリティカルヒット性を秘めていて、一見に値するかもしれない。
 
これを書いている今も、頭のなかでToshiの歌う主題歌『時雨』がずっとリピートしている。どんなに『艦これ』のことが好きでも、いつかは別れの時が来て、艦娘たちは思い出の向こう側に行ってしまう。公式のアニメをとおしてそれを痛烈に感じ、ありがとうありがとうしか言えなくなってしまう体験は稀有のものだった。『艦これ』が好きで、昨今の現状に末期戦を感じている人にはメチャクチャお勧め。