シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

『戦闘妖精雪風』から、SFの奥行き・果たした役割を思う

 

 
師走に入ってからとにかく忙しくて、原稿をやっているか臨床をやっているかの日々が続いている。そうしたなか、アマゾンプライムにアニメ版『戦闘妖精雪風』がリストされているのに気付いた。OVA版で、全部あわせても3時間あるかどうか。じゃあ少しずつ観ようと思って手を出したら、たちまち全話を見る羽目になった。この後、小説版を確かめることになるだろう。
 

 
これは非常に豊かな体験で、過去と現在と未来のアニメやゲームやライトノベルに思いを馳せたくなった。
 
 

アニメ『戦闘妖精雪風』について

 
はじめに、アニメ『戦闘妖精雪風』について。この作品は、早川書房から出た小説『戦闘妖精雪風』をベースにつくられた、2002~2005年のOVAアニメ作品だ。アニメとしては『新世紀エヴァンゲリオン』よりは後で『涼宮ハルヒの憂鬱』よりは前ということになる。
 
原作小説とはストーリーや設定に違いがあるため、原作が先か・アニメが先かで印象が変わるとも聞く。とはいえアニメ版がたった3時間足らずで同作の入門になるなら安いものだと思い、視聴を決めた。
 
で、実際に視聴してみると良いアニメじゃないですか。
 
2022年から見ても色あせない部分もあれば、さすがにちょっと古臭いと思う部分もある。でも、総体としては見事な作品だし、原作小説が1980年代前半までにできていたことに驚かずにはいられない。
 
たとえば雪風をはじめとする戦闘機同士の空戦については、CGがたくさん使われていそうだが、意外とヘッポコな感じがしない。
 
大空を駆ける戦闘機たちは、くねくねと身をよじらせながらミサイルを避け、あるいは被弾・爆散するのだけど、これがなかなか見栄えが良く、丁寧なシーンもあって、今見ても格好良い。少し前につくられた『ガンダムSEED』のCGに比べると雲泥の差だ。進歩したのか。OVAだからお金がかかっていたのか。当時のCGの水準でも戦闘機の挙動なら描きやすかったのか。
 
2022年に私が見た限りでは、アニメ空戦は、これぐらいの湯加減でもおなかいっぱいと感じる。リアルタイムで観たら印象が違ったかもしれないが、こちらはCG慣れした2022年のアニメ視聴者であり、目が慣れているのかもしれない。第四話の日本海軍の戦闘も味わい深かった。
 
他方、時代の流れを感じる部分もある。それは登場人物の配役だったり、細かなセリフだったり、アルコール度数12.5%のスパークリングワインのコルクにASTIと印字されている点だったり*1、手書き描写パートの粗い部分だったり、この時代のアニメならではの顔貌や体格だったりする。メカの部分でも、アニメ版がスマホのない時代につくられ、原作小説が携帯電話すら珍しかった時代に書かれただけあって、おやおや?と思う場面がなくもない。なかでもフロッピーディスクが登場したのには驚いた。これだけの戦闘機がつくられる時代に、フロッピーディスクとは!
 
とはいえ、全体的にみれば、そんなのはどうでもいいことだ。むしろフロッピーディスクが登場することで、そのような時代にもかかわらず先進的なSFであり続ける本作と、その原作小説版の素晴らしさを際立たせる小道具にすらなっていると私は感じた。人工知能問題、無人機による有人機の駆逐問題、無人機のハッキング問題、PCの音声入力といった、今ではあって当然のものがちゃんと描かれている。ジャムとの戦いのなかで問われる諸問題は小説版のほうが面白い様子だが、アニメ版でさわりに触れるだけでも楽しげで、こうしたことも1980年代前半に準備されていたのかと思うと、凄いというほかない。
 
でもって、雪風がかわいいのである。1980年代前半に、こんなかわいい「ぱそこん」*2が存在していたなんて! もちろん雪風は人間ではないし、その挙動も人間のそれではなく、ただかわいいだけでは済まないのだが、それでも主人公と雪風のやりとりをとおして、雪風がかわいらしく見えてしまう。この雪風は、推しの対象ではなく萌えの対象としてふさわしい。ジェイムズ・ブッカーと主人公と雪風の間柄も悪くなかった。スピンオフ作品がつくられるのもわかる。
 

 
そうしたわけで、アニメ版『戦闘妖精雪風』視聴は大当たりだった。地球外生命体とのコンタクトものという点でも、空戦モノという点でも、雪風がかわいいという点でも、私が見たいと思うものがぎっちり詰まった作品で、良い意味で古く、良い意味で古すぎない、そんな作品だった。
 
こういう系統のSFアニメに出会ってみたい人にはオススメだ。へたな新作を観るよりは、こっちのほうが手堅いと思う。
 
 

『雪風』やSFが、果たしてくれた役割

 
この『戦闘妖精雪風』に限らず、最近の私は、新旧のSFを定期的に見たり読んだりしているのだけど、作品を鑑賞するたび、作品そのものの面白さに加えて、SFというジャンルの奥深さ、そのSFが周辺ジャンルにもたらしたものの大きさに思いを馳せずにいられなくなる。
 
たとえば、この『戦闘妖精雪風』の小説版とアニメ版は、その後のSF、およびその周辺ジャンルにどんな影響をもたらしたのだろう?
 
現在のアニメ愛好家なら、本作品を見ていろいろな作品を連想したくなるはずだ。ジャムは『ストライクウィッチーズ』のネウロイや『艦これ』の深海棲艦のようだし、なんなら『マブラヴ』シリーズのBETAっぽくもある。雪風自身は『ちょびっツ』の「ぱそこん」めいているし、『艦これ』や『アズールレーン』を知る者からすれば、偉大なご先祖様という印象を避けられないだろう。この作品から、『涼宮ハルヒの憂鬱』の長門有希や『新世紀エヴァンゲリオン』の特務機関ネルフのことを思い出す人もいるかもしれない。
 
もちろんそれらは本作品から丸ごとコピペされたわけではなく、一部分がアイデアとして借用されたり、創作のヒントになったりしただけなのかもしれない。なにより、SFとは元ネタについて言い始めるとたちまち『ガリバー旅行記』や『宇宙戦争』の昔まで遡りかねないジャンルでもあるので、遡り始めたらきりがなくなってしまう。
 
だから先ほどの問いは「『戦闘妖精雪風』を生み出すようなSFジャンルは、その後のSFおよびその周辺ジャンルにどんな影響をもたらしたのだろうか?」と言い直したほうが適切で、でもってSFジャンルがもたらした影響はめちゃくちゃ大きいようにみえる。それこそ『Fate』や『月姫』の那須きのこにしても、『君の名は。』や『雀の戸締まり』の新海誠にしても、SFから色んなものを受け取っているふしが作品から感じられるし、ライトノベルも(少なくない部分が)SFの力を借りているようにみえる。そもそも、ライトノベルやビジュアルノベルの幾つかはSFそのものだ。
 
私はゲーム愛好家として第一にゲームをプレイしてきたから、SFというジャンルを再発見するのが遅れてしまった。そうなった理由は、「1000冊読むまでSF語るな」的な敷居の高さを耳にしていたからだし、過去において、『あなたの人生の物語』や『順列都市』といったSF通の人がおすすめする作品に、結局、自分が心酔できなかったからだろうとも思う。
 
けれども今、こうやって自分勝手に過去のSF作品とその周辺に触れるたび、私は感銘を受けたり唸らされたりする。その想像力の豊かさにうろたえ、現代のサブカルチャーシーンに残した影響の痕跡に驚かずにいられない。SFは、こうやっていろんな人々の想像力を喚起する巨大な坩堝なんだろう。過去においても、現在においても、たぶん未来においても。
 
 

*1:ASTIと印字され得るのは、イタリアはピエモンテ州でつくられたアルコール度数5%のデザートスパークリングワインであって、アルコール度数12.5%のワインには印字され得ない。このような食い違いは、2020年代のアニメでは起こらないだろう。

*2:『ちょびっツ』風の表現