シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

井芹仁菜と後藤ひとりという"野生動物"

 


 
X(旧twitter)のタイムラインを眺めていて、バンドをやっててロックというキーワードの出てくる二人の主人公についてあれこれ言っているのが聞こえて、思ったことを30分一本勝負にて。
 
「ロックとは何か」というややこしそうな話題はさておき、『ガールズバンドクライ』の井芹仁菜と『ぼっち・ざ・ろっく!』の後藤ひとりはどちらも、なんだかヒリヒリしていて、社会適応が上手とは言えない主人公なのは共通していますよね。
  
その姿をみていると、私みたいな人間は、「ああ、二人とも現代社会に馴致されづらい、なんだか野生動物みたいな主人公だなぁ」と思ってしまうのです。
 
ホモ・サピエンス、とりわけ現代社会を生きるホモ・サピエンスにとって重要な脳内物質はセロトニンです。セロトニンの作用があれば、より穏やかでより協力的で、より落ち着いた生活が可能になります。ストレスを軽減させる・不安や抑うつを改善させる点でも、セロトニンの作用は重要です。ホモ・サピエンスは、自己家畜化と呼ばれる進化の過程をとおしてこのセロトニンが増え、より穏やかで協力的で落ち着いた性質に変わっていったと考えられており、これがなかったら現代の都市生活に耐えられなかったでしょう。
 
でも、それはホモ・サピエンスという種全体の話。当然、個人差があります。現代社会にもセロトニンの作用が不十分な人、足りてない人がいるわけです。『ガールズバンドクライ』と『ぼっち・ざ・ろっく!』の主人公は、どちらもその足りてない人っぽさがあるのです。
 
たとえば後藤ひとりは、以前にも書いたように社交不安症によく似た性質を持っていました。あの性質を見ていると、「後藤ひとりにSSRI(セロトニンの作用を増す抗うつ薬の一種)を飲んでもらったら色々改善するんじゃないか」などとつい想像してしまいます。
 
同じく井芹仁菜も、セロトニンが少なそうですね。なんだか攻撃的で、協調性に欠けていて、イライラしていて、激しやすい。じゃじゃ馬、という言葉がありましたが、彼女もじゃじゃ馬ではないでしょうか。自己家畜化のロジックに基づいて考えても、作中描写から考えても、彼女はセロトニンの作用が足りなそうであると同時に、副腎から分泌されるアドレナリンやコルチゾールといったストレスホルモンが多いんじゃないでしょうか。芯の強いところがある一方で、案外、うつ病になりやすい傾向もあるかもしれません。
 
だから二人の共通点を(進化生物学の)自己家畜化のロジックで眺めると、「二人ともセロトニンの作用が弱そう」「二人ともストレスホルモンが多そう」になり、「二人ともストレスを司る体内の調節軸*1が家畜っぽくない。野生みがある」といった風に想像したくなるのですよ。
 
そうかあ、ロックな世界で活躍するキャラクターって、現代社会に馴致されやすい家畜みのある人間でなく、じゃじゃ馬めいた野生動物みのある人間なのかぁ、という思いがします。ロックとはセロトニンの不足なり?……いやいや。
 
ここに書いたことは、『ガールズバンドクライ』や『ぼっち・ざ・ろっく!』を楽しむ際に必要な着眼点だとは思いません。が、『人間はどこまで家畜か』という書籍を書いている私には、そんな風にあの二人のことを考えてしまう瞬間があるのですよ。
 
 

でも、二人は同じってわけでもない

 
それでいて、あの二人って対照的でもありますよね。
 
後藤ひとりの尖り具合って、承認欲求モンスターで、コツコツとギターの練習をし続けることができるあたりにありそうですが、井芹仁菜の尖り具合は(今のところ)そんな風に描かれてはいません。「内向きに爆発する後藤ひとりと外向きに爆発する井芹仁菜」、みたいなことも思いつきます。
 
家族、という視点で見ても違います。後藤ひとり、ひいては結束バンドのメンバーには家族とぶつかっている様子・家族に対する抵抗としてバンドをやっている感じがなくて、むしろ家族がバンドを応援しているまであります。ところがトゲトゲはそうじゃなく、特に井芹仁菜は家庭とバンドがぶつかっていて、その葛藤がバンドの活動や彼女自身の尖り具合に結びついている感じがあるじゃないですか。
 
だからセロトニンが足りないっぽい点は共通していても、それぞれを囲む環境も、それぞれの尖り方も違っていて、違っているから見比べると面白いですね。
 
『ガールズバンドクライ』は単体でもまったく楽しめる作品で、毎週、どんなことになるのかハラハラしながら視聴していますが、似て非なる作品として『ぼっち・ざ・ろっく!』も思い出しておくと、色々と気付きがあって面白いかなぁと思っています。
 
 

*1:HPA系、HPA軸とも