50代に自分の人生とか数十年前の時代のことを振り返るとちょうどいい気がするんだけど、じゃあ40代後半は何をすればいいのかな
— pha (@pha) 2024年12月29日
50代ほど枯れ切らない、もうちょっと現在のこととか生々しいことをもう少しやるべきなのだろうか
— pha (@pha) 2024年12月29日
このツイートを見かけた時、年末に時間があったらphaさんに何か伝えたいな、と思ったんですがためらっていました。ところがうちの嫁さんがphaさんの近影を見て、「phaさんも年を取った」などと言ったんですよ。それに背中を押された気がするので、ありきたりではありますがメッセージを届けます。
さきほどの「phaさんも年を取った」という嫁さんの発言は、私たち自身が年を取ったことを踏まえた発言でした。みんなみんな、年を取っていくんですね。そんな当たり前のことに驚いたり嘆いたりする。人間の生って、長いようで長くもないのだなぁとしみじみと感じます。私は一足先に50代にさしかかりますが、気分としては既に40代卒業です。数年前と比べても、私は外見的にもバイタリティ的にも老化してしまいました。最近の私の口癖は「この身体はもう駄目だ」です。じゃあ、代わりの身体があれば大丈夫なのか? そんな吸血鬼みたいなことは現実にはできないので、私の身体はもう駄目です。
ちょっと前に、gigazineで「人間の老化は44歳頃と60歳頃に急激に進む」って記事があったじゃないですか。私の場合、ちょっと遅れてきて3年ほど前から身体が急に駄目になりました。今まで血液検査で引っかかったことのなかった項目で引っかかるようになったり、午後9時ぐらいまで原稿を書いていたら夜に眠りづらくなったり頭が痛くなったり。それでいて、何もしなければ9時ぐらいに眠くなり始めるんですよ。やばいよこの身体。
不摂生や無理や生活リズムの乱れに対して、自分の身体が寛容じゃなくなったと感じています。言い換えになりますが、この身体は簡単にホメオスタシスが崩れてしまうようになったんだと思います。こんなにホメオスタシスの崩れやすい身体で無理を続けたら、比較的短期間で身体は壊れてしまうでしょう。
私より一回り二回り年上の人たちは、しばしば「年を取っても勉強も仕事もレジャーもできる」とおっしゃいます。でも、それって条件付きのものですよね? これから先はもっともっと身体をかばいながら生きていかなければならないし、それができた人だけが60~70代になっても活躍・活動できるのだろうなと今は想像しています。昨今、たくさんの高齢者を街で見かけますが、彼らはみんな身体のホメオスタシスを保つ才能か努力か習慣に優れていたのでしょう、そうでない高齢者は、既に亡くなっているか街の表舞台からは消えている。
長く健康に生きることが人間にとってどれぐらい大切なことなのか、私にはよくわかりません。ともあれ、もうしばらくでも生きていたければ身体に無理をさせないための努力と技法が求められる年頃なのだと今は自覚しています。無分別に生きてしまったら、この駄目な身体がたちまち壊れてしまう。
たぶん更年期、たぶん意欲の変化
それから男性更年期かもしれない話も。
ちょうど血液検査で引っかかるようになった頃、私は意欲や欲求の面でもどこか混乱し、不安定になっていると感じていました。性的なことに極端に嫌悪感を感じたり、逆にあり得ない興味を感じたりするような、へんてこな時期です。少しだけ具体例を出すと、『ウマ娘プリティーダービー』のカレンチャンでしょうか。
私はカレンチャンみたいな造形のキャラクターってあまり好きじゃないんですが、妙にグッと来る時期がしばらくありました。「ストライクゾーンがおかしい」「これは異常だ」って自覚しましたし、実際、今となっては信じられない感じです。で、そのストライクゾーンがおかしくなった一時期を除けば、性的なことへの興味、異性への興味が少しずつ・はっきりと低下しているのがわかります。このまま行くと、私は性機能を失うより早く性的関心を失ってしまうでしょう。
それから野心。野心も混乱していました。意欲や努力の矛先がわからなくなり、あっちこっちに気が散って、それでいて踏み込みきれていませんでした。あと、情熱の不足。情熱が足りなくても原稿は書けますが、情熱的に原稿が書けませんでした。それって、なんだかおもしろくない。
そう、なんだかおもしろくなくなりもしたのです。性的な事柄も社会的なことも執筆的なことも。できなくはないけれど、あの頃あったはずの爆発的な何か、たぶん、おもしろさが戻ってこなくなりました。ブログも続けているし、商業出版だって続けているけれども、私の内側で何かが変わってしまいました。総合するに、これってテストステロンの低下ではないでしょうか。ものわかりが良くなって、穏やかにもなったけれども、大事な何かを私は失いつつあるのだと思います。で、それは今後も低下していくのでしょう。それって老人ってことじゃないでしょうか。
www.nhk.or.jp
NHKのウェブサイトを見ると、世間の人は「初老」を60歳ぐらいとみているようです。が、これは世間の人が誤っていると私は確信しています。生物学的に考えるなら、40歳こそ初老で50歳はだいぶ老人で60歳は老人の最たるものではないでしょうか。40歳が初老じゃないように思えるのは、外見的な若作りが進んでいるためや、社会的加齢が遅くなっていて現役期間も伸びているからでしかありません*1。例えば女性の平均閉経年齢は、女性の平均寿命ほどには先送りできていません。11年前にも書きましたが、伸びたのは余生であって若さではないのです。
phaさんは、30代の頃にも『病気と健康の話ばかりする中年にはなりたくなかった』というブログ記事を書いておられました。私と同じく、元々phaさんも自身の変化に対して敏感な感性をお持ちなのでしょう。でも、30代に起こった身体的変化と、この更年期らしき40代の身体的変化では、後者のほうが質的変化が大きい気がします。たぶんphaさんも、それはお気づきなんじゃないかと推察します。
phaさんには人生の情景を言葉にする力がある
ですから、少しだけ年下のphaさんに私が言いたいのは、「今できることを、一番うまい具合にやってください」です。
もう私にはできなくなっていても、phaさんにはまだできることがきっとあるように思います。そのなかには、phaさんが50歳や60歳になった頃にはできなくなっていることもあるでしょう。phaさんの身体ももっともっと変わっていくでしょうし、それに連動して野心や情熱も変わっていくのでしょう。だから、今できることを、悔いが残らないようにやっていただきたいと願うのです。それを、phaさんにとって一番うまい具合になさることを田舎から祈っています。
それと、これからはますます身体が要件になるので、今まで以上に身体の声を聴いてあげて、身体が悲鳴をあげた時にはご無理されないようにしてください。身体を大切にしてくださいと言いつつ「今できることを、うまい具合にやってください」とは矛盾した物言いだと思うのですが、そう言うほかないし、たぶん、上手くやっている中年はだいたいその矛盾を折り合いづけているだろうとも思うのです。
パーティーが終わって中年が始まった後も、人生の情景は変わっていくし、折々に戸惑いや哀しみや喜びはあります。ご近著でも、phaさんはそれを結構あれこれ記してらっしゃったように思います。そうした折々の情景を、これからphaさんはどんな風に表現していくのでしょうか。私はそれを読んでみたいので、勝手なことを申しますとphaさんには生きながらえていただきたく思います。そして中年の情景、ひいては老年の情景を記していただきたいのです。私も、2050年のphaさんのエッセイが読めるよう、できるだけ生きながらえられるように努めたく思います。どうかよいお年をお迎えください。
[たぶん関連]:体力や健康も才能のうち - シロクマの屑籠
*1:あと、社会全体が老いてしまって相対的に40歳が“若手”とみられやすいせいもあるかもしれません