シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「未成年と推し」について考える

 

 
 
2024年1月に出版された『「推し」で心はみたされる?』は年末になっても色々な方面からリアクションをいただいていて、底堅く読まれているなぁと驚いています。そうしたリアクションのなかには、学生さんから推し活について質問いただくものもままあり、業務のさしさわりにならない範囲であれこれ答えてきたつもりです。
 
そうして考えるきっかけが溜まってきたので、「未成年と推し」について私なりの意見を書いてみたいと思います。
 
推し活は、そのルーツをたどると、元々はアニメやゲームのキャラクターではなく、アイドルやタレント、歌手や役者さんを応援するような活動で。「推し」や「推し活」がまだオタク全体の言葉でも日本人全体の言葉でもなかった頃、その担い手の多くが成人、または18歳以上の人たちではなかったかと思います。
 
と同時に、そうした実在の人物を応援する活動にはトラブルもついてまわったのでした。たとえば「追っかけ」が高じて良くない行動に出てしまうとか、そういった逸話が聞こえてきたものです。現在でも、推し活が高じて身上つぶしてしまう人がいます。そして身上をつぶすような推し活になりかねないような課金システムというかコンテンツというかは、まあどこにだってあったし、今日でもどこにだってあるわけです。
 
こうした事情を踏まえると、成人が自己判断によって推し活を行うのと、未成年が保護者による保護のもとで推し活を行うのは、同じってわけにはいかないでしょう。それこそ、思慮分別をこれから身に付けていく未成年と、推し活の甘いも辛いもよくわかっているベテランのオタクの人を同列に論じることなどできません。ベテランのオタクの人ならば耐えてみせる経済的・精神的負担の大きな推し活も、未成年には荷が勝ち過ぎるかもしれません。20世紀末あたりまでは色々とおおらかでしたから、未成年が悪い推し活につかまって餌食になったって構わなかったのかもしれませんが、令和の今日ではそういうわけにもいかないでしょう。
 
では、未成年にも勧められる推し活とは、どのようなものでしょうか。ここでは、いわゆるコンテンツと呼ばれ得る部類のものを推すこと、なんらか経済的負担を伴う推し活であることを想定してまとめてみます。
私は、いきなりディープで無軌道で推しの対象との距離感があいまいになりがちな推し活は、おすすめはしないほうがいいかな、と思っています。ひとことで推し活と言っても、深いものから浅いものまでありますが、この場合、浅いものをお勧めするのが良いでしょう。望むらくは、浅瀬がどこまでも続いているのでなく、成人後にだんだん深いところまで分け入っていけるようなものがいいですね。実在の人物を推す場合も、これは可能なことだと思います:未成年のうちはおこずかいで買える範囲のファングッズを買い、未成年らしい範囲で動画をみたり友達と一緒に応援したりする、コンサートなどに行くのは年に一度、ぐらいだったら実在の人物を推す場合も適切な距離が保たれ、いきなりぬかるむ確率は低いのではないでしょうか。経済的・物理的・心理的な距離感がめちゃくちゃになりにくい推し活なら、いきなりリスキーなことにはなりにくいでしょう。
 
ゲームやアニメなら、そうした深すぎない推し活はもっと可能であるように思われます。小さな子どもから大人までファンのいる『ポケモン』のようなコンテンツはもちろん、『FGO』や『刀剣乱舞』のようなコンテンツでも、無体な推しにならない楽しみ方はいくらでもあると思います。保護者側は、それらのコンテンツを未成年が危なく推さないように手助けするのが本来は好ましいでしょう。しかし現実には、経済的・物理的・心理的に前のめりになり過ぎてしまう場面も、起こりえると思います。そのような時には、前のめりになり過ぎてしまいそうな背景がどのようなものか、なるべくわかったうえで保護者側が対処したいものですね。前のめりになり過ぎてしまいそうなリスクが高いと思われる未成年の場合、そうでない未成年に比較して推し活の安全マージンは広く設定せざるを得ないかもしれません。そのような未成年が、たとえばガチャ圧やコレクション圧の強い作品に触れる際、そうしたリスクがあることを早い段階から親子で話し合っておくのが好ましいと思います。
 
「それが簡単じゃないんだ」、というのはそうでしょう。未成年といっても思春期は、親の知らないところで知らないものを吸収してくる時期ですし、それが親からみて都合の良いものばかりとは限りません。そうでなくても、親のいうことに唯々諾々となる年頃ではないでしょうし、唯々諾々となり過ぎていてもそれはそれで心配です。ですから推し活に限らず、思春期青年期の未成年の楽しみに大人があれこれ言える度合いはそんなに多くないとも私は思っていますが、他方で子どもは親のいうこと・考えていることを意外なほど聞いているものなので、身を案じているという気持ちはきっと伝わると(少なくとも初手では)信頼していい気もします。だって、大人から信頼されていない時、その気配を子どものたちまち察知しますから。ですから、保護者側から見て少し心配かなと思う推し活を未成年が始めた場合も、初手はとにかく信頼、ではないかと思います。「ちょっと心配だけど、安全にね」ぐらいのことは伝えてもいいように思いますし、そういう会話が親子の間で可能なことのほうが肝心なのかもしれません(それを言ったらおしまいよ、という気がしなくもないですが)。
 
長くなってきたのでまとめましょう。
未成年の推し活は、はじめは浅いところからスタートできるものが望ましく、そのうえで成人後に拡張性のあるようなものが好ましいかもしれません。が、ともあれ当初はリスクが高すぎないものがおすすめではないでしょうか。ただし、深みにはまってしまうリスクの大小には個人差がありますから、保護者サイドとしてはその未成年の性質を踏まえて、必要であれば、推し活の安全マージンを広くとったほうが良い(つまり深みにはまりそうなコンテンツは推奨しないほうがいい)かもしれません。とはいえ、一番肝心なのは、保護者と未成年のあいだで、そうしたリスクなどについて話し合える状態であること、信頼関係が維持できていることかもしれません。これは推し活に限った話ではありませんよね。親子関係において信頼の重要性はひきもきらない──書いているうちに、そんなことを再認識しなりました。
 
 
*以下は、推し活について未成年の方の質問に答えた内容をちょっと書き換えたものです。わざわざ課金して読むものではないと思います。常連のかただけ、ちょっとご覧になってみてください。
 
 

この続きはcodocで購入