シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「ひきこもり」は現在も増え続けているのか?

 
最近、忙しくてブログがなかなか書けないなか、面白そうな話題がTLを駆け抜けていった。togetterに、それがまとめられている。
 
togetter.com
 
「昔の方が暴力が横溢していたのに、なぜ今になって不登校やひきこもりが増えているのか」について、いろんな人がいろんな意見を述べている。不登校、というのも意外に新しい概念で、昔は登校拒否という言葉が使われていて、それ以前には、農業手伝いなどの理由で親が子どもに学校に通わせない、なんてこともあった。昭和の終わりになっても、田植えや稲刈りの時期になると学校を抜けて家業を手伝うクラスメートがいたものである。もちろん、今日の不登校においては農業手伝いのために学校に行かない・行けないという事情は滅多になくなっているだろうけれども。
 
で、不登校については、増加し続けている。少しネット検索してもらえれば右肩上がりのグラフにいくらでも出会うはずだ。コロナ禍をとおして数字が跳ね上がっている点も含め、不登校の実数は増え続けている様子がうかがえる。
 
では、ひきこもりも増え続けているのだろうか?
私はひきこもりが本当に増えているのかどうか、2010年代から気にし続けてきたが、あまりよくわからずにいた。現在でもよくわからない。コロナ禍は、たぶんひきこもりを増やしたんじゃないか、と漫然と思う一方、日本社会の個人主義化や親の経済力の衰退がひきこもりという状態の維持を難しくしているのではないかとも思う。、また、特別支援教育や精神医療による支援によってひきこもりとは異なる状態へとガイドされるおかげで、少なくともひきこもりにはならない一群もあるのではないか、等々、ひきこもりを増減させそうな社会変化がいろいろ思い付くからだ。
 
少子高齢化もひきこもりの実数を変化させそうではある。ひきこもりは、不登校のように少子化が進んでいてもなお若年層において増え続けているのだろうか? それとも少子化が進むなかで若年層においては増え止まっているのだろうか。
 
これについて検索すると、NHKが内閣府の調査を報じている記事が引っかかった。
 
www3.nhk.or.jp
 
この報道では、ひきこもりになった理由としてコロナ禍の影響がかなり大きいことが挙げられていて、調査からはひきこもりの実数は146万人、女性にも広がっているといったことが書かれていた。興味深いのは、4年前の調査と比べて中年のひきこもりの女性比が大幅に増えている点である。
 

このうち性別では、4年前に公表された40歳から64歳までの調査では男性が4分の3以上を占めていましたが、今回の調査では、同じ40歳から64歳まででは、女性が52.3%と半数を上回り、15歳から39歳でも45.1%となっていました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230331/k10014025851000.html

なに、これ。
私はこれを見てまず、ちょっとおかしいんじゃないかと思った。中年以降のひきこもりの女性比率が四分の一以下から半数以上にひっくり返るなんてことが本当にあり得るだろうか? このことについて、同報道には
 

また、男性だけでなく、女性にも「ひきこもり」の問題が広がっていることについて「日本の伝統的な価値観の中で、女性は夢や希望を追い求めようとしても、家事や育児などで男性よりも高いハードルを課せられて、諦めてきた人が多くいる。そうした人たちが自分の状況を認識し、存在が顕在化してきたのではないか」という認識を示しました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230331/k10014025851000.html

という見解が書いてあったりするけれども、私はそうは思わなかった。かりにそうだったとしても、たった4年でこれだけ比率がひっくり返るほど考えが変わるのは何かが変だ。4年前の調査と比べて女性のひきこもりが多く見つかるようになったのは事実としても、たった4年で男女比が大きく変わるほど自己認識が変わるのは、おかしいと思う。
 
そう思って内閣府の調査を確認したら、これじゃないかと思うものがあった。
 
それは「調査方法」だ。
新しいほうの調査、令和4年の調査はインターネットや郵送物を利用して調査しているのに対し、平成30年の調査は民間調査会社の調査員が調査対象となった人の家に直接訪問して調査票を渡し、後日、それを回収するために再訪問するという方式を採っている。これは、無視できない違いじゃないだろうか。
 
男性ひきこもりの家に調査員が訪問した時、それをひきこもりではないと答えるのはかなり難しい。日本社会では、男性が家にずっといるのをひきこもりと呼ぶ以外の呼び方は少なそうだ。しかし女性はこの限りではなく、調査員を前にして世間体を気にする人は、当該女性をひきこもりと呼ばないよう言い逃れる余地はあっただろう。世間体を気にする場合、調査員が訪問した時にそのような言い逃れの誘惑にどこまで抵抗できただろうか。
  
いっぽう、令和4年の調査は家に調査員が訪問することがないから、世間体というバイアスがかからない。世間体からフリーであるぶん、調査員を介さない調査のほうがかえって実数に近づける部分もあるだろう。いずれにせよ、平成27/30年の調査の集計結果と令和4年の集計結果は調査方法に違いがあり、調査を受ける人々が世間体バイアスに曝される程度が異なっているから、これらの調査を比較してひきこもりの実数の増減を論じること、ひいては男女比の変化の程度を論じることは、けっこう難しいんじゃないだろうか。
 
 

調査方法と定義の変わるものの実態を追いかけるのは難しい

 
実は平成27年と平成30年の調査も、前者は「専業主婦・専業主夫・家事手伝いなどを自称する人はひきこもりから除外」という調査方法だったのが、後者はそれも除外しない調査方法になっていて、後者のほうがひきこもりに該当する人が増えるような調査になっている。いじめや虐待の統計もそうだが、こうした社会問題の調査ではしばしば、後の時代になればなるほど該当者の範囲が広がるような調査がなされがちで、従って後の時代ほど実数が多く抽出されやすくなる。
 
加えて、さきほど書いたように世間体のようなバイアスがどれだけかかるのかが調査方法によって異なっている場合がある。インターネットユースについての調査、流行の調査なども、こうした調査方法による「揺れ」の影響は本当は意識されなければならない。実数やパーセンテージの違いに加えて、調査方法の違いを比較することで、見えてくることがあるだろうし、逆に「これじゃ比較できないな」とあきらめなければならないこともあるだろう。
 
そうしたわけで、今回も私は「ひきこもりは増えているのかそうでもないのかは、なんだかよくわからないなぁ」という印象を得た。いつも調査方法が同一で、(ひきこもりにせよいじめにせよ)定義も同一なら、こうしたわからなさは回避できるのだけど、社会問題の調査では、それがしばしば難しいようにみえる。じゃあ、アップデートするな、と言い切ってしまっていいものだろうか。わからない。アップデートしなければならない事情はいろいろあるように思える。法務省の犯罪白書などに比べてグラグラとした統計を眺めながら、あれこれ想像せざるを得ないのは仕方のないことなのかもしれない。
 
そうしたわけで、「ひきこもり」が現在も増え続けているのか、それとも増え止まっているのか、については今回もわかりませんでした。もしわかる資料があったら教えていただきたいし、わからないものだとしたら、後世の歴史家はこの現状をどう分析するのだろう?