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先日、books&appsさんに寄稿した上記記事について、「フランスのひきこもりってどうなのか?」「日本のひきこもりと異なる概念ではないか?」といった質問がはてなブックマーク上にみられたので、2011年の精神神経学会のシンポジウム『ひきこもりの国際比較 欧米と日本』についてのhtmlファイルを再度公開することとしました。
・『ひきもりの国際比較 欧米と日本』を見てきた――汎用適応技術研究
・日本のひきこもり、ヨーロッパのひきこもり――フランスとイタリアの現状に触れて――汎用適応技術研究
・フランスの「ひきこもり」の現状について&ドイツにひきこもりはいるのか――汎用適応技術研究
・日本のひきこもりの公的支援の動向と課題をさぐる――汎用適応技術研究
これらのファイルは2011年にウェブサイト上で公開していましたが、ワードプレスの取り扱いに失敗し、ウェブサイトを潰してしまって読めなくなっていました。最新ではない内容であり、一参加者が速記したものを書き起こしたものではありますが、「こんな議論が学会であったんだ」的にご参照いただければ幸いです。
議論をみてのとおり、日本のひきこもりとラテン語圏のひきこもりには相違点があり、ドイツやアメリカでは、ひきこもりを自国の問題としてみるより、日本の現象としてみているふしがうかがわれました。今、読み直して改めて私が思ったのは、「ひきこもりには、文化症候群としての性質が濃厚にあり、文化や時代背景の影響を強くうける」ということです。
これらのシンポジウムが行われた2011年から約7年の時が流れ、日本の社会・文化的状況や精神医療のトピックスも移ろっていきました。当時に比べても、日本では発達障害が注目される度合いが高まり、と同時に、90年代~00年代に比べると「学歴さえあればコミュニケーション能力に難があっても何とかなる」的な期待は親の側からも子の側からも無くなり、学歴に関してもAO入試等の占める割合は高くなりました。
7年ぶりに読み返して、私は、当時のアメリカメディアが日本のひきこもりに対して抱いていたのに近い印象を現在の自分が持っていることに気付きました。日本社会が幾分にせよアメリカ社会に近付いたからこそ、そういう印象を持つようになったのかもしれません。また、昨今の高齢ひきこもりへの注目は、このシンポジウムの後の出来事として整合性のある流れであるなぁ、とも感じました。
ともあれ、ご興味のある方は読んでみてください。
※精神神経学雑誌がpdfで読めるようになったので、シンポジウムについてのテキストがそのままネットで読めるようになりました。afcpさん、ご指摘ありがとうございます。