シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

ウマ娘プリティーダービーに片思いしていた。愛されてはいなかった。つらい

 
『ウマ娘プリティーダービー』というゲームを好きになって、頑張って時間とお金を費やしてきましたが、片思いだったことが最近やっとわかってきましてね。
 

 
(ソーシャル)ゲームの世界では近頃、「環境」だの「人権」だの物騒な言葉が聞こえてくるけれども、『ウマ娘プリティーダービー』にもそのような「環境」や「人権」に位置づけられるサポートカードがある。いわば、かつての『Fate/Grand Order』でいう諸葛孔明やキャスター・アルトリアのような存在、将棋でいえば飛車角に相当する存在だ。
 
そして11月、まさにその飛車角に相当するサポートカードのひとつ、「キタサンブラック」のサポートカードピックアップガチャが到来した。
 

 
まさにこの時のためにひたすらジュエルを貯めていた!よって、これをひたすら回すことにした。回すしかない。今回さずに、いつ回す。
 
ところがジュエルを費やしてもまったく「キタサンブラック」が出ない。本命の「キタサンブラック」はもちろん、選外のSSRカードすら、100連回しても一枚も出ない。結局、このゲームに設定されている「天井」に相当する、200連まで回してもかすりもしなかった。200連を回して出てきたSSRは、セイウンスカイSSRの1枚きり。なんの成果もなかったというしかない。
 
今回に限らず、今までジュエルを溜めてまでガチャを回すたび、本命のサポートカードが出たためしがない。ビコーペガサスやスーパークリークのピックアップガチャでも、それまで忍従を重ね、そこで一気にガチャを回してもカードを引くこと自体はできなかった。実のところ、じかにガチャを回し、目当てのサポートカードを引いた記憶が春頃から無い。ならば、小手先の工夫ではなく、札束で殴る以外に道はないということか。
 
どれほど優れたソーシャルゲームでも、ガチャでSSRを引くことができない限り、プレイヤーにとってそれはクソゲーでしかない。然るべき場所にリソースを集中させ、人事を尽くして天命を待ったところに不要なカードの山を築いている限り、プレイヤーにとってそれはクソゲーでしかない。そして私とウマ娘の間柄において、ウマ娘プリティーダービーはそのように振舞い続けているのだから、ウマ娘プリティーダービーといえどもクソゲーと名指ししなければならない。
 
今回、このゲームのことが好きになってしまって自分なりに時間とお金を傾けてわかったことがある:それは、このゲームのデザインを知れば知るほど、自分の貢ぐ程度の時間やお金では遊びきれない、ということだ。有力なピックアップガチャのたびに福沢諭吉を何枚も要求せんとするゲームデザインは、私が慣れ親しんできた既知のゲームの感覚を完全に逸脱している。
 
わかってきたぞ、おれはこのゲームのレースに参加できる客ではなかった。サイゲームスの運営さんから、声が聞こえてくる気がするんですよ:「お気の毒ですが旦那様、一流トレーナーになるには、お金と時間の寄付がまるで足りないようです。」
 
それと「天井」のある本格ソーシャルゲームに初めてムキになってみて、「天井」とは、慈悲ではなく租税であるということも理解した。青天井のソーシャルゲームももちろん厄介だが、「天井」があったらあったで、これは厄介だ。
 
なるほど、「天井」があれば数万円を費やすことで必ず目当てのカードなりウマ娘なりを一単位譲り受けることができる(断じてガチャで引いた結果ではなく、譲渡の結果である)。しかし「天井」があって目当てのカードやウマ娘を譲渡され得るということは、「天井」まで回して譲渡されなければならない、ということだったのだ。
 
「天井」が設定されているゲームデザインである以上、それはプレイヤーの救済などではなく「『天井』までおまえはガチャを回すべきである」という神(=運営)のお告げだったのだ。これに気づくのが遅かったのは、大きな失敗だったと思う。
 
「天井」が設定されていて、そこまでガチャを回すことが基本指針、いや、基本単位である以上、ウマ娘というゲームは数万単位で寄進することが基本ムーブになっていると自分は解釈することにした。もちろん、リセマラからやり直すという方法や一か月980円課金+チマチマとジュエルを運営からもらって天井を意識したガチャを回すという方法もなくはない。けれどもそれはお金のかわりに大きな時間的代償を必要とするし、なんやかや言っても豪華にカードを揃えている旦那様に対抗するのは至極困難なのである。
 
かてて加えて、豪華にカードを揃えている旦那様でさえ、チャンピオンズミーティングの前ごとにきめ細かい調整を行わなければならない点では変わらない。だからこのゲームは、お金と時間、双方にゆとりのある旦那様が主な想定顧客なのだろう。
 
ここまで読んだ人のなかには、「どうして、レースに勝つことを前提にウマ娘を語っているのか」「もっと気楽に遊べばいいのに」とおっしゃる人もいるだろう。
 
確かに、そうではある。
 
けれども良くも悪くも、ウマ娘というゲームにはレースというフィーチャーが設定されていて、毎日チームレースが行われ、毎月チャンピオンズミーティングが行われ、勝利は顕彰され、栄誉とみなされているのだ。このゲームデザインで勝敗を意識しないなど、どうしてできよう。できなくもないが、ゲームデザインからいって、勝敗を意識しないほうがこの場合不自然だ。
 
そして自分の陣営のウマ娘たちに対し、どうして「勝負に負けてこい」という態度をとれるだろうか。
 
ウマ娘たちが切磋琢磨し、精一杯トレーニングしている。トレーナー側からみれば、精一杯育てたウマ娘ということでもある。おれたちの愛馬、愛するウマ娘たちがずきゅんどきゅんと走り出すゲームで、どうして負けるに任せていられよう。まして、レースというフィーチャーを敬遠することなどできようか。
 
である以上、ウマ娘というゲームを誠心誠意プレイしようと思ったときにレースを意識から逸らせるのはとても難しい。少なくとも私には難しかった。だからFGOの時よりもアグレッシブにゲームに取り組んだつもりだったけれども、そもそも自分の可処分時間と可処分ゲーム課金では太刀打ちできないのだった。
 
今後、新しい「環境」や「人権」サポートカードが来るたびにこれほど呻吟させられるか、さもなくば「天井」を前提としてシャトー・マルゴーやシャトー・ラフィットロートシルトほどの課金を求められるかするなら、やっぱりついていけない。自分は、もうちょっと時間やお金にやさしいソーシャルゲームをやるしかないのだと思う。それか、レースといった要素を気にしなくて構わないソーシャルゲームか。
 
もう、目当てのSSRの出ないガチャに苦しむのも、うちの陣営のウマ娘たちの俯き顔を見るのも、疲れてしまった。
アンインストールするしかない。
 
 
【それにつけても、ウマ娘の尊さよ】
 
そもそも、こんなことなってしまった一番の原因はウマ娘のかわいらしさ、尊さのためだ。
 
ウマ娘はみんなかわいい。わずかに気に入らないデザインのウマ娘がいないわけでもないが、それでもレース場を走っている時にはたいしたことはない。というか、多分私にとってウマ娘プリティーダービーのキャラクターデザインは至上最高といって良いほど好みなのだと思う。
 

 
特にこの人、マルゼンスキーは特別だ。マルゼンスキーはいい。昭和から平成の古語を喋ることから「まるおば」などと言われているようだが、これほど美しいおばさんはどこにもいない。私服姿がまたいい。完璧だ。固有スキルは格好良く、水着モードもはっちゃけていて良い。
 
このマルゼンスキーを筆頭に、オグリキャップも、メジロマックイーンも、ビワハヤヒデも、ツインターボも、ヒシアマゾンも、みんな格好良くかわいい。そして尊い。
 
自分は「萌え」の世代のオタクだったから、「尊い」という言葉を当てはめることに抵抗感をおぼえる。ところがウマ娘にだけは「尊い」という言葉を当てはめたくなる。決して素手で触れてはいけない宝石のような物語とキャラクターたち。このウマ娘たちにはいつまでも尊い存在であって欲しい、そんな気持ちがふつふつと沸いて来る。こういう気持ちは、たとえばFGOや艦これでは全く無かった感覚だったので、だから自分のなかではウマ娘は尊いことになっている。
 
先日、ウマ娘の運営から二次創作についてのお触れが出て、暴力、グロ、エロを戒める内容だったが、これは、少なくとも自分にはすごくわかる。私にとってウマ娘世界は尊く、その尊さを何者かに脅かされることに怖さをおぼえる。でもって、思うに、ウマ娘世界の想像力というか想像世界というかは、案外脆いような気がするのだ*1
 
ウマ娘の二次創作のお触れの主な狙いは、たくさんの人が言及しているように、サイゲームスと馬主の問題なのかもしれない。大人の世界だから、それは考えられることではある。けれどもウマ娘の想像世界を尊いと感じている自分からみると、それは暴力やグロやエロによって簡単に手折られてしまうウマ娘の尊い想像世界を守るための切なる願いのようにも思える。
 
それなら尚更、ウマ娘という宝石箱をそっと心のなかに閉まっておくべきなのかもしれない。そのほうがきっと、ウマ娘たちが尊いままでいてくれるだろうから。
 

 
それでも私は、このオグリキャップどんぶりを買ってしまうほどにウマ娘たちが好きになってしまったから、ウマ娘というゲームにも愛されたくて、けれども愛してもらえる旦那様にはなれないことに気づいてしまった。ラーメンを食べている時のオグリキャップどんぶりだけが、ぼくを裏切らない!
  
ソーシャルゲームにおいて、人間がゲームを遊戯するのでなくゲームが人間を遊戯し、人間がガチャを回すのでなくガチャが人間を回しているとは周知の事実ではある。ところがこのようにウマ娘プリティーダービーに恋慕してしまった結果、またしてもガチャにいいように回され、レースにいいように走らされてしまった。
 
2021年のゲームで一番思い出に残ったのは、文句なしにこのウマ娘プリティーダービーだ。けれどもプレイヤーとしての自分の馬力が足りず、臥薪嘗胆する強い心も足らず。ついていけなくなってしまいました。
 
 

*1:これが艦これなら、暴力、グロ、エロが混じっても想像世界はたいして揺るがない。はしたない中波絵の艦娘もいるし、彼女たちは戦争しているのだ。だからよそはよそ、うちはうちと割り切るのはたやすい