シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

本当は途上国みたいな地球連邦政府と、その政治風土(を想像してニヤニヤする)

  


 
 
ハサウェイはタクシー運転手と戦うべきだった→ハサウェイが戦うべきはシステムだった、に関して。
 
これに対する模範解答は、『Zガンダム』の作中でハヤト・コバヤシがシャアに言った「10年20年かかっても地球連邦政府の首相になるべきです」ってやつに限る……ように見える。ハサウェイが戦うべき相手はタクシーの運転手ではなく、無制限カードを生むようなシステムで、そのシステムを変えていくには政治しかない、いやあ、確かにそのとおり。現在の議会制民主主義な日本から眺めるとそんな風にみえるし、そう見るのが正しいような気がする。
 
でも『閃光のハサウェイ』のアニメ版を見て以来、そういうアングルをかなぐり捨てて、何か違った目線でガンダムの宇宙世紀世界と地球圏について考えたい気持ちが高まっている。
 
議会制民主主義をとおしてシステムと戦っていく、そういう政治改革の(お行儀良い)姿勢って、じつは、あの宇宙世紀世界では着想困難だったりしないだろうか。Zガンダムの時代のジャミトフ准将やブレックス准将が象徴していたように、ある程度政界に馴染んだ者でも結局は武力による解決を求めてしまう、そういう政治風土が宇宙世紀ガンダムの地球圏にはあるようにみえる。思えば、ジオンダイクンが倒れてジオン公国が戦争を始めた流れもそうだし、宇宙世紀元年の出来事だってその一部だったのかもしれない。アクシズ落としに至ったシャア・アズナブルの短気っぷりと闇落ちっぷりが目立つけれども、宇宙世紀ガンダムに出てくる主要な政治プレイヤーは、だいたい短気で武断的だ。
 
となると、あの地球圏の政治風土が、実は武力や革命が絶えない、現在でいう発展途上国の、そういった政治風土のようにみえてくる。まがりなりにも民主主義に基づいて改革が施行されるアメリカやイギリスや日本ではなく、改革といえばクーデターや革命や戒厳令になってしまう、そういう途上国だ。
 
見栄えとしてはハイテクで、連邦という響きもなんだか先進的にきこえる地球連邦政府が、じつは、すごく途上国寄りの政府だと考えるのは案外楽しい。地球連邦の実現には紆余曲折があったはずで、その紆余曲折のなかで国家のありようが"いわゆる"先進国に似るより途上国に似るというのは、あってもおかしくない気がする。いや、先進国と途上国の悪いところ取りというのまである。『閃光のハサウェイ』の舞台であるダバオを見ていると、とりわけそんな気持ちになってくる。

そういう政治風土に生まれながらに漬かりきったインテリやエリートが、優秀な人物であるほど、歴史に残る人物であるほど、その改革の手段が民主主義よりもクーデター的・革命的になってしまうとしたら。でもって、ブレックスやジャミトフやシャアだけでなく、ハサウェイもおのずとその風土に感化され、その一部になってしまっているとしたら。
 
改革の試みは、その政治風土の様式をなぞらえるようにしか出現せず、政治風土そのものを打破しようとするメタ的な試みは必ず頓挫する──そういう構造のなかにハサウェイとマフティーがあって、あのような改革のようで改革でない、どこかで見たようなテロい運動をやってしまっているとしたら、彼らは泥濘のなかで一歩も進めずにもがいている、ということになる。いいね! シャアが言った「人は同じ過ちを繰り返す」とは、この場合、個人の資質の問題ではなく地球圏の政治風土という問題、まさに無制限のカードを生み出してしまうそのシステムの問題ということになる。確かに、これと闘うことこそが肝要ではある。だが、どうやってこれと戦う?
 
まるでそれは、アメリカの有力者がアメリカの政治風土そのものと闘うということ、日本の有力者が日本の政治風土そのものと闘うということのようだ。転じて、日本が外圧によって政治風土を強制的に変更されてきたように、地球圏もまた、内輪もめではなく外圧によってなら変わり得るのかもしれない。ここでいう外圧とは、もちろん同じ地球圏の者同士では駄目で、つまり宇宙人の襲来、ということになるが。しかし実際には地球圏に宇宙人が襲来することはなく、だんだん地球圏は駄目になっていく。そういう悲しい物語として宇宙世紀ガンダム全体の年表など眺めていると、砂をかむような思いがして、ワクワクしてこないでしょうか。私はします。
 
 

もう一枚メタに構えてみるならば

 
さらにもう一枚メタに構えるなら、ガンダムが活躍するような状況、つまり戦乱を必要としている宇宙世紀の物語構造そのものがハサウェイの戦うべき敵で、行き着く先は、繰り返し戦乱の物語を綴らずにいられないガンダムの版元こそが無制限のカードを生む構造ではある。戦乱を生むような政治風土をなにより必要としているのは、ガンダムの物語にお金とアテンションを支払い続ける我々ファンなのである! ということはだ、ハサウェイが戦うべきは、討つべきは、我々ファンではないだろうか。 「アニメじゃないんだよ!」
 
つまらないものを書いてしまいました。
  
いやしかし、しかし宇宙世紀ガンダムを愛する者の過半数は、ああいった政治風土の泥濘が本当は好きで好きでたまらないと思い、寝不足の頭がつむぎ出したこの文章が誰かに届くようにと祈りつつ投稿した。