シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

わかってもわからなくても、信仰は生活のなかにあるよ

 
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黄金頭さんが、books&appsにて「おれたち日本人には『信仰』がわかるのだろうか」というタイトルの文章を寄稿してらっしゃった。そこに登場する宗教の話は、前半はドーキンスや無神論とその周辺の話、後半は吉本隆明や鈴木大拙などを引用した日本で宗教について真剣に考えた人の話だった。
 
日本人にとっての仏教や神道は、ひいては私自身や黄金頭さんにとっての仏教や神道がどこまで信仰たり得るのか、たり得ないのかを考えるにあたって、東西の宗教論は参考になる。それらの宗教論に基づき、あの人のは信仰たり得る、あの人のは信仰たり得ない、といったことを考えることは可能だ。
 
私も大学卒業の前後ぐらいから仏教についてお勉強をしたから、宗教や信仰の輪郭について考えてみたことがある。そして浄土真宗の家に生まれた者としてや、日本の大乗仏教全般を思想として好んでいる者としても、私なりに色々考えたこともある。
 
でも、「それってなんだか不完全だ」とも思ってきた。仏教って、いやたぶん神道やキリスト教やイスラム教もだけど、書物をとおして思弁するのはなんか違うと思う。宗教や信仰ってやつは、もっと素朴な実践が大きなウエイトを占めているんじゃなかったか。
 
そういう気持ちを強く思い出す番組がNHK+でリコメンドされていた。新日本記「四国 花遍路」という番組だ。
 
この番組では、四国八十八か所巡礼に携わるさまざまな人々の信仰のありようが登場する。その巡礼は、必ずしも歩いて八十八か所札所を巡ることにこだわるものではない。札所の近くの民宿を運営する者、お接待として絵を描く者、全体のごく一部の札所だけお参りする者、お大師講に集まりもはや何の儀式なのかもわからぬまま儀式を行う者、それらも四国八十八か所の信仰の一部で、ひいては弘法大師信仰の一部なのが伝わってくる内容だった。
 
これは、実際に四国八十八か所を巡礼している時にも強く感じることだ。四国八十八か所を巡礼していると、般若心経やご真言を唱和したり、とにかく没入感がある。ただし、いまどきの巡礼は仏教色の強いものではないので、人によっては信仰には見えないし、わざわざそう見るべきでもないのかもしれない。
 
他方で、四国八十八か所で目にする信仰は、しばしば素朴だ。
 

本堂や大師堂にはしばしば折り鶴や水子供養?のためのぬいぐるみといったものが沢山飾られている。旅の道中にあるお地蔵様には、みかんが備えられていたり毛糸で編んだ帽子がかけられていたりする。
 

弘法大師も、高野山奥の院のような荘厳なイメージを喚起するのでなく、このもみ大師のように、ご利益を連想させる姿をとっているものが珍しくない。
 
巡礼者たちにしても同様だ。現世利益を求める者、自分を見つめ直すために旅に出る者、いつしか巡礼が病みつきになってしまった者、等々さまざまだ。それでもお経を唱え、納経をし、行く先々のお寺の本尊を拝み、ここに仏様やお大師さまがいると感じ、巡礼の決まりごとを守っている点は共通している。
 
西国三十三か所観音霊場巡礼も割とこれに似ていて、「私は一度身体を壊したけれども、観音様の御力でやっと元気を取り戻せました。以来、時間があったらこうして巡礼をくりかえしているんです」と嬉しそうに語っている中年の男性に出会うことがあった。そして西国巡礼でも四国巡礼でも、いまどきは生真面目にお詣りするだけでなく、その土地の食べ物に親しみ、同じ旅路を行く者とのコミュニケーションを楽しんでいる一面が伴う。
 
もちろん、こうした素朴な信仰らしきものは巡礼に限ったものではない。私が生まれ育った地域では、子どもの頃から地元のお寺の行事に連れられていくのが当たり前だった。そこでお菓子をもらったり、連れられて来た子ども同士で遊んだりする。隣の町のお寺には寺子屋がまだ残っていて、読み書きそろばんやお経をお寺で勉強させてもらう風習が残っていた。
 
他にも、お葬式の帰りには塩を蒔く・年越しには地元の社に集まって酒を飲む・大事なことがあった時には神社でおはらいをしてもらう、等々の風習が残っていた。子どもだった私は当然として、大人たちにしても、それらの風習の宗教的意義を理解してやっていたとはあまり思えない。ただ、そうするのが当たり前で、神仏をうやまうのも当たり前で、そういうことをするのが自然だったからそうしていたのだと思う。
 
私が地元を飛び出した後も、そうしたことがなくなってしまったとは言えない。
 

こうしたお守りを購入して子どものかばんにつけておく、お札を購入して鬼門に貼っておく、といったことは今もやっている。初詣やお盆の墓参りも健在だ。正直、それらが私自身の仏教/神道信仰においてどんな宗教的意義を持っているのかわからない。特に私の家は浄土真宗だから、教理に忠実に考えるなら初詣は不要だし、四国巡礼や西国巡礼で購入したお守りを身に付けておくのは教理に反する気がする。しかし、このゴチャっとした、ロジックでは説明できない、「そうすることが自然と思えるこれら」が私の信仰の本態なのだと思う。私ほど仏教や神道を意識しない人でも、初詣やお盆の墓参りやお守りやお札といったかたちで信仰の残滓を残している人は珍しくないだろう。
 
 

生活に残っている残滓たちを信仰ってもっと呼びたい

 
こうしたことを、もっと巧みに専門家の見地から書いた書籍もある。『日本の庶民仏教』という本だ。この本の著者は、文化としてピカピカに残されている仏教と対置するものとして、民衆の生活に寄り添ってきた仏教について、以下のように表現している。
 

 
 支配者や僧侶は深遠で煩瑣な教理を思弁したり、荘厳華麗な仏教芸術を鑑賞する優雅な生活ができた。したがって日本各地に、世界にほこるべき仏教文化がのこされたのである。それは多数の経典や論疏や、大伽藍や仏像仏画、あるいは法会儀式としてのこっている。しかし私がここで不用意に「のこっている」といったように、それらは仏教の遺物・遺跡として存在するといったほうが適切ではないだろうか。
 一方、民衆の側は、農民や漁民や職人や商人として、その日その日の生活に追いまわされ、哲学や思想や芸術をもてあそぶほどの、優雅な余裕はもちあわせていない。それでも生活上の不安や苦痛、悩みや不幸があれば、かれらが平素からささえてきた仏教に、救済を求める権利はある。それを仏教は葬式仏教ではないと軽くあつかわれたり、祈祷仏教ではございませんとことわられたのでは、民衆は立つ瀬がない。

仏教の教理経典を理解すること、世界的な仏教芸術を見て学ぶこともいいだろう。けれども世の人々に親しまれ、心の支えとなり、人と人とを繋ぐ紐帯として役立ってきた仏教は、そこまでご立派なものではない。なかには迷信と紙一重のもの、迷信そのものもあっただろう。だとしても、そんな信仰が民衆を助け、民衆の生活の一部として生きられてきたんだ、という話はよくわかる。
 
でもって、そうした民衆の生活を助ける宗教、民衆の生活の一部として生きられる宗教は案外とまだ残っている。それは四国巡礼や西国巡礼のなかにも、いわゆる葬式仏教のなかにも、お盆やお正月に私たちがほとんど本能的に手を合わせたり、神棚を祀ったりする習慣のなかにもまだ残っている。管見では、イタリアでも台湾でもフランスでも、こうした民衆の生活の一部として生きられている宗教は健在のようだ。ドーキンスあたりに、そういった生活の一部として生きられている宗教や信仰がどう見えるのかはわからない。しかし本来、宗教ってのは大上段に構えるべきものでも、高尚なものでもなかったはずだと思うので、私なら、そういうものも信仰のうちにカウントしていきたいし、自分の内側に残っているそうした信仰とこれからも付き合っていきたい。そんなことを、冒頭リンク先を読んで思いました。