シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

上等な百合アニメだった──『リコリスリコイル』、雑感

 
リコリスリコイルを上質な百合アニメだとみなすようになったのは、いつ頃からだっただろうか。
 
「そんなの最初からに決まっている」という人もいるだろう。序盤から千束とたきなの二人はかわいらしく、かしましかった。オープニングテーマの蹴りあうシーンは、何度見ても飽きない。
 
いや、そういうことじゃなくて。
 
「『リコリスリコイル』はとにかく上質な百合アニメとみなして眺めれば良い、それぐらいの目線で見るのがベストだ」と自覚して、視聴態度というか、視聴照度というかを変更したのはいつ頃だったのかな? と振り返ったりした。
 
それは中盤あたりからだったように思う。
 
はじめ、『リコリスリコイル』は、千束とたきなのかしましさや、ガンアクションが目を楽しませてくれる作品である……だけじゃなく、高度に統制された社会を裏側から支えるDA、アラン機関といった組織をも描きそうな気配だった。見栄えのする百合アニメであると同時に、ディストピアめいた近未来社会を描き、そのなかで主人公たちが活躍し、社会にコミットしたり、社会や組織との軋轢に歯ぎしりしたりする作品かもしれなかった。DAに所属するか否かを巡る千束やたきなのストーリーは、そうした作品世界と個々の登場人物について掘り下げていく、導火線のようにも見えた。そんな風に『リコリスリコイル』を眺めていた時期があったはずだった。
 
でも、途中からそういう視聴態度で私は観なくなっていた。
今作は、この高度に統制された社会について、とりわけ千束やたきなの成立与件と社会との関わりあいについて、深くメスを突き立てる作品ではないと感じるようになった。この作品で描かれる世界を、上質な百合アクションに並び立つものとしてではなく、あくまで上質な百合アニメに従属するものとみなすようになった……と言い換えられるかもしれない。
 
もちろんこれは「今期の」「今作の」『リコリスリコイル』についてのものだ。
いまどきの人気アニメにはメディアミックスだ、劇場版だ、二期だのが伴うことが多いので、続編としての『リコリスリコイル』のなかで、高度統制社会について答え合わせが行われる可能性だってあるだろう。
 
そうした続編やスピンオフへの期待も含めるなら、今作で社会についてサラッと流したのも、「社会を描けなかった」とみるより「あえて社会を描かなかった」とみたくもなる。電波塔のことも、延空木のことも、リコリスやリリベルのことも、後半に行けば行くほど曖昧になり、千束とたきなの百合ガンアクションの後景に退いていってしまったが、それは今後のために「とっておいた」のかもしれない。あるいは本作品の眼目は百合ガンアクションであると割り切って、とにかく、かわいい千束とかわいいたきなの物語に視聴者を集中させるべく退かせてしまったのかもしれない。
 
 

かわいかったから、それでいいんだよ

 
そうした百合ガンアクションアニメへの集中は良いことだったのだろうか?
 
人によって受け取り方は違うのだろう。
私ははじめ、社会を描いて欲しいと願ってはいたけれども、この作品がどこに向かうのかわからなかったので、作品の受け取り方を決め打ちせず、どう転がっていっても楽しむぞという姿勢で見守っていた。そうこうするうちにストーリーは進み、相変わらず千束とたきなはかわいく、喫茶リコリコへの親しみも増していった。で、気が付けば、めっちゃかわいい千束とたきなが跳ね回っているのを尻尾を振って眺めていたのだった。
 
……いいじゃないか。
これ、すごく良かったぞ。
 
社会を描くことに対して本作品はだんだん消極的になっていったと否定的にみる人もいようけれど、千束とたきなのかわいい掛け合いとその周辺を描くことに本作品は集中力を高めていった、と私は受け取ることにした。
 
でもって、本作品の千束とたきなは十分に、それはもう、かわいく描かれていた。明るく行動力のある千束と、その千束に引っ張られていくようで良いところで決断力や判断力をみせるたきなのコンビを、眺めているだけで楽しい。下着を巡るやりとり、水族館でのやりとり、そして真島との戦いを巡るやりとり。そういったシーンの積み重ねをとおして、千束とたきなはひたすら魅力的に・ピカピカに磨き上げられた一対の宝石のように輝き続けた。絵の動きや構図が良く、過不足なくイベントが挟まることもあって、終始、気持ち良く眺めることができた。高度統制社会のほうに意識が奪われなくなったぶん、メインの二人組と、それを取り巻く人々に意識を集中させやすくなった。この場合、その割り切りは正解だったんじゃないかとも思った。
 
 

良いアニメにも色々あり、そのひとつのかたちに今作品は着地した

 
良い小説、良い観光地、良いワインにも色々なものがあるのと同じように、良いアニメにだって色々ある。
 
キャラクターが魅力的な作品、その作品世界や作品社会について考えさせられる作品、リアリスティックな作品、なんだかわからない「めまい」や「オーラ」が揺らめく作品……。
 
そうしたなか、今作『リコリスリコイル』は、かわいい(百合)ガンアクションアニメとして申し分のないところに着地したのだと私は受け取った。もちろん、こうでない着地の可能性もあったかもしれないし、社会派な作品に拘る人、リアリスティックな作品に拘る人には物足りなく見えたかもしれない。が、これはこれで秀逸というほかないし、最終回は家族全員で食い入るように鑑賞した。毎週、エンディングテーマを聞くのが楽しみで、あのエンディングテーマもかしましさを楽しむ作品だと割り切る一助になっていたように思う。
 
全方位に詰め込みまくった作品もいいけれども、こうやって、千束とたきなのために捧げられたかのような作品もすごくいいよね。
 
でもって、繰り返しになるけれども、『リコリスリコイル』には余白がまだまだある。いつか、スピンオフや二期や劇場版をとおしてもっと色々な『リコリスリコイル』の世界、千束とたきなのもっと新しい魅力を見せてもらえると期待して待ってみたい。
 

 
 
[追記]:なんか期待の持てるツイートを見つけた! 更新歓迎!