シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

行き詰った時、ときめきやきらめきを

 
 
緩募:「煮詰まった中年男性」の気分転換の方法 - いつか電池がきれるまで
 
うちのブログにリンクが貼られていることに気付き、どうお返事するのが適切だろう? と数日考えました。 fujiponさんにはfujiponさんの、私には私の中年期があるのだから、私が返事を書くことにどれほどの意味があるのかわかりません。が、それは書く側ではなく読む側が判断すればいいと思い、私が思っていること・やっていることをとおして「行き詰った中年男性」の気分転換について書いてみます。
 
 

ときめきやきらめき……をお勧めする前に

 
fujiponさんの文章を読んだうえで私が言ってみたいことをまとめると、「ときめきやきらめきを追いかけようよ」「ドーパミンのある生活をしようよ」になるのですが、その前に、確認していいんじゃないかと思うことがあるので先に書きます。
 
50代を迎えた頃の私の師匠筋が言っていたことがあります。それは「サプリを飲め」と「ナッツを食べろ」でした。
 

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実際、その先生は医局でもナッツをよくかじっていて、特にアーモンドがお好きでした。サプリメントも、亜鉛ーマルチミネラルーマカ系のものをぐるぐる飲んでいたよう記憶しています。中年期になって不足してくるものを補っているんだ、とのことでした。
 
30代の頃の私はそれを「ふーん」と眺めていたのですが、体力の衰えを感じるようになった40代の中頃に思い出し、真似てみるようになりました。健康を害している人の場合はサプリメントではなく薬が必要になるでしょうけれど、そうでなければ、一種のおまじないとして手ごろではないかと思っています。私の場合、これらをローテート的に飲むようになってから睡眠の質が良くなった気がします。
 
あとはヨガでしょうか。一生懸命にやるほどではないですが、あの、筋肉と呼吸が気持ち良くなるあの感じは捨てがたく思います。プリミティブな気持ち良さ。
 
案外、fujiponさんの「何もやる気が起きないのに、何もしていないことに焦りを感じ、煮詰められていくような感情」の解決に一番近いのは、こうした身体領域のモディフィケーションだったりするのかもしれませんが、本当のところはわかりません。
 
これに限らず、中年~老年にとって健康状態って切実ですよね。私は、健康が至上命題になっていくことに警戒感を持っている人間ですが、健康状態が体験や活動を左右するのも事実。逆に考えると、健康状態が体験や活動に反映されやすいような、そういう年取った人間がどしどし増えているから(日本社会では)健康が至上命題っぽくなっているのでしょうね。大多数がピンピンしている若い国の人々は、健康についてあまり意識しないでしょうから。
 
でも我が身を振り返ると、そうはいっても健康状態をキープしたい・元気をあげていきたいって思いを捨てることはできません。何をやるにも健康がベースになるし、若い頃に比べて、その健康を維持するためのコストはじりじり高まってきているのですから。私自身は無理のない範囲で自分の健康を意識しながら、「ときめきやきらめきの追求」「ドーパミンのある生活」を目指しています。
 
 

それでも世の中は驚きや感動に満ちている

 
ここからが本題です。中年男性に限らず、閉塞感のある日常を変えるのは、驚きや感動や好奇心だと思います。ときめきやきらめき、ドーパミンが出るような体験だとも思います。もし、私が閉塞感のある日常に置かれているとしたら、そのような体験を突破口とみなし、それらを求めにかかるでしょうし、今までもそうやって生きてきたつもりです。
 

40代、花譜さんに出会って人生が変わった - orangestarの雑記
 
そして、今年の8月、その花譜さんのライブに行きました。先にも書いた通り、日本武道館でした。初めてのライブでしたが、花譜さんの主なファン層は10代~20代。そういう中に行くなんて…、と逡巡していたのですが、そういう自分を嫁が背中を押してくれました。いい嫁です。ありがとう。そしてライブに行ったのですが、本当に素晴らしかった。人生初の体験でした。

そうはいっても自分はやっぱり魔法にかかりにくい人間なので、おそらく本当にライブを楽しめる人ほど楽しめては無いのですが、作り手や観測者(花譜さんのファンのことをこう言うのです)が頑張って魔法を作ろうとしてるのを感じていたら自分も魔法を使えるようになりました。
構成もすごく良かったです。
始めてライブに行って思ったのは、スクリーンで見るのと違って、そこに生身の肉体があり、そして其れから伝わる圧力というものが凄く重要なのだと思いました。やはり生身の人間がそこにいるというのは強い。
スクリーンに映された絵、だというのは頭ではわかっているのに、でも、確かにいるんですよ。そこに。

 
小島アジコさんがお書きになった突破口もそうですね。感動した、良いものを見た、何かに気付いた、そういった体験をとおして中年期がリブートする。
 
こちらでいぬじんさんが挙げてらっしゃる「おしゃべり」や「違う仕事をする」にも近いニュアンスがあるよう思われます。
 
たぶん、私もそうだと思うのです。
これまでの人生を振り返ってみても、何か行き詰ったと感じた時には違うことをやるようにして、違った場所、違った人、違った活動に手を染めてみるようにしてきました。そうやって、人生の風景の風通しを良くしたり、飽き性な自分の閉塞感を打ち破ったりする。そうしたことのなかには、過去、私たちブロガーやテキストサイトの人間がやってきたことも含まれていたはずだと思います。たとえばブログを初めて書いた時。ツイッターのアカウントを初めて動かした時。
 
若い時って、勢いや好奇心に任せて何か違ったことをして、そこでときめきやきらめきを獲得する(悩みも獲得するのですが……)のはそれほど難しくなく、無意識のうちにやれていたよう記憶しています。でも、年を取ってからはそうもいきません。なかには50代になっても勢いや好奇心に任せて色々挑戦できる人もいるんでしょうけど、私はそうではありませんでした。だから、行き詰ってきたな・袋小路っぽくなってきたなと思ったら、意識的に違った場所、違った人、違った活動に自分を曝してみなければならない、と思っています。
 
生活が一変するようなものである必要はありません。それこそ、髪型を変えるとか今まで着なかった服を買ってみるとかでもいいのかもしれない。ちょっと違った景色・ちょっと違った体験・ちょっと違ったコミュニケーションが得られるものでもいい。とにかく、今までとは違った何かをやる・見る・試すを、どっこいしょとやるようにしないと、私などは、ときめきやきらめきが干からびてしまうように思います。
 
なかには、干からびたって構わない人、それぐらいがちょうど良い人もいるでしょうし、同じ仕事・同じ趣味から一定程度のときめきやきらめきが産まれ続ける場合もあります。また、中年危機の一類型として、若い愛人にお金を貢ぐことにときめきやきらめきを見出し、人生をコースアウトさせてしまう人もいるので、無闇矢鱈にときめきやきらめきを追いかければいいってものでもないのでしょう。
 
私の場合、それが人生の操縦法みたいになっていて、定期的にときめきやきらめきの新スポットを探求することになっているし、なにか行き詰った印象を持った時が探求の時、と思うようになっています。すべての行き詰った人におすすめできるものではありませんが、これで気分一新できる人も、またいることでしょう。
 
 

世界はときめきやきらめきを掘り尽くすにはあまりに広い

 
こうした、ときめきやきらめきを探求する生き方が何歳まで通用するのか、中年期危機のソリューションと言えるのかは、わかりません。また、書いているうちに「これはfujiponさんのお悩みに応えきれていないな」と思い始めてきました。結局ここでも、私はとても個人的なことを回答していますね。
 
それでも、これは言えるんじゃないかと思うことがあります。
「世の中にはまだまだ未見・未知のときめきやきらめきの鍵が眠っている。」
世界にはときめきやきらめきの鍵が満ちていて、それを掘り尽くすには世界はあまりに広く、人の寿命はあまりに短い。
 
人間、別にときめきやきらめきのために生きているわけではないでしょう。でも私はそれらに導かれ、助けられ、時々足元をすくわれながら生きてきた人間のひとりなので、身体が許す限り追いかけてみたいなと思っています。そうですね。まだ行ったことのない台湾の南のほうにも行ってみたいし、長い間会っていない人とも再会してみたいし、2040年につくられたワインも呑んでみたい。
 
そう思うと、もうしばらく生きていたいなとか、もうちょっと健康に気を遣っておくかとか、そういう気持ちも沸いてきます。してみれば、ときめきやきらめきを求める気持ちとは執着なのですね。執着は人を苦しめる源であると同時に、人をどこかに連れていく駆動力でもあります。できることなら、私はときめきやきらめきに執着する人間でい続けたいです。