シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

絵本の周波数で宮崎駿アニメを観てみませんか

(この文章は『君たちはどう生きるか』のネタバレをあまり含みません。終盤にちょっと含みますが、twitterほどは含まないでしょう。それから宮崎駿アニメ全体の話についてがメインです)
 
 

 
 
『君たちはどう生きるか』が公開されて一週間が経った。SNSやnote、はてなブログなどにはたくさんの感想や批評や見方がズラリと並んでいる。個人的には、博覧強記で経験豊かなアニメ愛好家が読み解いたネタバレ記事に惹かれた。専門家みたいな読み解きかたは難しい。それだけに、それが出来る人の文章にはリスペクトを感じる。
 
反面、あまり楽しめていない人、つまんないって言っている人も結構みかけた。インフルエンサーによる「駄作だ」というメンションに「いいね」が集まっていることも。それもわかる気がする。もはや国民的アニメでもあるいにしえの宮崎駿アニメ、『天空の城ラピュタ』や『風の谷のナウシカ』などに比べれば、今作は「フニャフニャしている」と私も思う。そういうフニャフニャしているところが駄目な人にはわけがわかんないかもしれない。
 
ところで。
私はこの作品をかなり楽しんだ。楽しめたのは、私が『君たちはどう生きるか』を普段アニメを観ている周波数で観ていなかったからだと思う。私は絵本を読む時の感覚で観ていたから、存分に楽しめた。だからアニメ専門家でない人が本作を楽しむ方法のひとつとして、絵本を読む時の周波数に切り替えて鑑賞してみることをすすめてみたい。
 
 

『崖の上のポニョ』で宮崎駿アニメの絵本らしさに気付いた

 
私がはじめて宮崎駿アニメを観たのは小学生時代に観た『風の谷のナウシカ』だったと思う。『未来少年コナン』のことはあまり記憶にないし、『ルパン三世 カリオストロの城』を観たのもずっと後のことだった。『風の谷のナウシカ』→『天空の城ラピュタ』→『となりのトトロ』の順番で観たのが、私の宮崎駿アニメとの付き合いはじめだ。
 
で、高校生から大学生ぐらいの頃の私は、宮崎駿アニメを「すごくお話のしっかりしたアニメ」だと考えていた。絵もいいけれど、ストーリーもいい。何度観ても見応えがあり、ナウシカも、クシャナ殿下も、ムスカ大佐も、パズーとシータも、みんな好きになった。
 

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それから『魔女の宅急便』や『紅の豚』や『もののけ姫』も観た。『ナウシカ』や『ラピュタ』の頃と何か違った作品になってるなとは感じていたし、それが『千と千尋の神隠し』ではかなり高まっていて違和感にさえなっていた。宮崎駿という人が巨匠みたいに言われはじめて、それで作風が変わったのかな……ぐらいに思っていた。でも面白いし、絵やシーンは相変わらず良いし、あまり深く考えていなかった。
 
それをぶっ壊す・ぶっ壊してくれた作品があった。それが『崖の上のポニョ』だった。
  
この作品には期待していなかったのでテレビで観た。うーん……わけがわからない。何か、夢のなかの出来事を見ているようだった。絵柄やキャラクターは宮崎駿アニメっぽいし、まあその、ストーリーもある。でも、これはなんだ? 自分は夢でも見ているのか?
 
この津波アニメが夢だとしたら、それは悪夢だろうか。悪夢だろう。とりとめのない、つかみどころのない、理不尽な物語。ひょっとして、宮崎駿監督のタガが緩んで、せん妄めいた作品になってしまっているのではないか──そんなことも考えた。
 
でも、全部見終わってみると不思議と辻褄が合っている気がした。うねる悪夢のような作品だけど、絵本や説話、神話のようでもある。そういえば絵本や神話って、私たちにもわかるストーリーがある一方で、ストーリーが追えないこともあるし、ついていけないところもあるし、ところどころ妙に印象に残ったり、怖かったり、不気味だったりする。『崖の上のポニョ』は、そういう作品のたぐいに分類すると納まりの良さそうな作品にみえた。「これ、一般的なアニメとしてみたら滅茶苦茶だけど、絵本や神話だと思って観たら、いけるんじゃね?」
 
宮崎駿アニメって、本当は絵本や神話として観てもいけるんじゃないか?
 
それから私は『トトロ』や『ラピュタ』や『魔女の宅急便』を何十回も観た。子どもと観るためにDVDを買い、ことあるごとに再生していたからだ。ああ、そうだったのか。あんなにストーリーのちゃんとしているようにみえた昔の宮崎駿アニメでさえ、絵本や神話として観れることに気付いた。もちろん子どもは食い入るようにそれらの作品に魅了されていた。ムスカ大佐をネタとして面白がることも知らず、ニシンパイがうまいのかまずいのかも知らない年頃の子どもも魅了する周波数が宮崎駿アニメにはあるように思われた。ああ、私は宮崎駿アニメの魅力のA面しか知らなかったのかもしれない。
 
それから少し後に『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』を観て、そういう思いがますます強くなった。特に『千と千尋の神隠し』は絵本や神話にしかみえなくなってしまった。宮崎駿アニメは、後に作られた作品ほど絵本や神話としての顔貌があらわになっていると思う。その変化が、宮崎駿という人がだんだん神がかってきたせいなのか、若かりし頃は作品の堅牢なつくりに隠されていたためなのか(そして年を取るにつれてつくりが緩くなってB面としての絵本性・神話性が目立つようになってきたのか)、それはわからない。ともあれ、子どもを惹きつけた『トトロ』や『ラピュタ』の魅力、私が『ポニョ』をとおしてようやく気付いた新しい宮崎駿アニメの魅力は、範疇的なアニメの魅力より絵本や神話の魅力に近い何かだと思う。
 
そうした心持ちをセットしたうえで私は『君たちはどう生きるか』を観に行った。はたして、『君たちはどう生きるか』は絵本や神話として存分に楽しませてくれる作品だった。そうでない楽しみ方・鑑賞の仕方もあったのだろうけど、私は『君たちはどう生きるか』の絵本的な魅力、神話的な展開に恍惚とした。登場する小道具や大道具、セリフ、登場人物、それらはみんな、恍惚とさせる絵本のなかに溶け込んでいる化合物みたいだった。一般のアニメ作品だったらここはもっと短く表現しそうだと思う箇所、ここは勿体付けすぎだろうと思う箇所、検証勢からツッコミが入りそうな箇所も、絵本や神話としてみるなら、なんだか辻褄が合っている気がした。
 
もし、現時点で『君たちはどう生きるか』を観に行くつもりでいて、なおかつ自分には楽しめる自信があまりないと思っている人がいたら、私は絵本の周波数で『君たちはどう生きるか』を観てみませんかとオススメしてみたい。もちろん、そうしなければならないわけでないし、これが褒められた鑑賞態度なのかも私にはわからない。でももし、視聴している最中に当惑したり、どう受け止めていいのかわからなくなったら、普段観ているアニメと同じチャンネルの周波数で観ようとせず、子ども時代に読んで印象に残った絵本を見ていた時の周波数、理不尽だけど胸を打つ神話に出会った時の周波数にあわせてみるのはアリだと思う。大昔の『まんが日本昔ばなし』を憶えている人なら、あれを観ていた時の周波数でもいいかもしれない。
 
うまく周波数が合えば、私が『ポニョ』を観た時みたく、うねるような悪夢だけど印象に残る経験になるかもしれない。それはストーリーや伏線を逐一検証するような鑑賞態度ではなく、輪郭の不確かなサーガに波乗りするような鑑賞態度だ。でも、そういう見方があってもいいんじゃない?
 
 

よくできたアニメに、絵本性・神話性はどこまであるか

 
今作をはじめ、宮崎駿アニメには絵本や神話の魅力が伴い、それが隠し味に、それかメインソースになっている。『天空の城ラピュタ』のように筋書きのしっかりした作品だって、絵本の周波数にあわせて観ると絵本として楽しめるし、象徴的なシーン、寓話めいた展開、メカや人物の動きのひとつひとつの過剰かもしれない描写がそれに貢献していると感じたりもする。
 
そもそも、宮崎駿アニメはだいたい絵本になっているのだった。
 

もともと絵本的な魅力を備えたこれらが絵本になるのは自然なことにみえる。幼い子どもは、範疇的なアニメの周波数を覚えるより前に、絵本の周波数を覚える。だからうちの子どもはごく幼いうちから作品に強く惹きつけられていた。
 
こうした絵本性・神話性は、アニメが優れているための必要条件だろうか?
 
そうとも思わない。こうした絵本っぽさ・神話っぽさが目立たなくても優れたアニメはあるからだ。もちろんジャンルにもよるだろう、とも思う。
 
ジャンルを度外視するなら、アニメ『推しの子』などは絵本性・神話性が目立たなくても秀逸なアニメの例として挙げやすい。原作もアニメもよく設計された、現代風の精巧な作品だけど、神話性がグワングワン脳を揺さぶる作品、ここではないどこかへ脳を連れて行ってくれる作品ではない。毎週SNSを賑わせていた『機動戦士ガンダム 水星の魔女』も、絵本性・神話性が期待できる感じではなかった。
 
中間ぐらいなのは『魔法少女まどか☆マギカ』あたりだろうか。
 

 
因果が巡る物語。人魚姫。代償と奇跡と人類史。この作品や続発の『Fate/Zero』には絵本性・神話性がわかりやすくチラついているが、それに頼りすぎているでもなく、絵本の周波数で観なくても楽しめる。また、表向きの筋書きが堅牢で、絵本性・神話性がそれにかみ合うよう計算ずくで組み込まれた気配もあり、『ポニョ』や『君たちはどう生きるか』みたく、周波数に合わせるとユワーンと世界が変わるほど絵本性・神話性が突出しているようにはみえない。
 
いまどきの私たちは、ドラマを見るでも、アニメを観るでも、すっかり文明化した大人としてそれらに接しがちだ。だから絵本や神話の周波数でそれらを観ようとしても忘れている人がいるかもしれないし、なかには子ども時代から絵本や神話に馴染んでいなくて、背筋をおばけに撫でられるような読後感に出会ったことのない人もいるだろう。だから現代社会の作品で表向き、重要なのは『推しの子』の優れたプロットのような、現代的で計画的で堅牢なストーリー、そしてキャラクターなのだろうと思う。
 
だからといって絵本や神話の魅力が途絶えたわけではない。宮崎駿アニメをはじめ、ときにアニメは、絵本や神話の良さを繰り出してきて、面白さの主旋律、または対旋律や伴奏を任せていたりする。絵本や神話には、いまどきのコンテンツ論になじまない、別種のコスモスをみせる力がある。で、この『君たちはどう生きるか』でもその別種のコスモスがどどんと提示されていて、絵本や神話の周波数に合わせるときれいに像を結ぶようにできていた。
 
宮崎駿という人は、晩年になるほど、そういう絵本や神話の周波数で別種のコスモスを描く、それか、別種のコスモスに開く"ゲート"を備えたアニメをつくるようになっていった感じがあって、そうしたなかで『君たちはどう生きるか』がつくられ、たぶん絶作になるのだと思うと、なんだか胸が熱くなる。この人は最後の最後に絵本と神話の世界に帰っていったのかなぁ……。
 
この作品に登場する、白いフワフワ、ホーミングミサイル、魚と包丁、便所、門、本、部屋、ジャムパン、黄色い通路、飛び石、ドア、オウムたちの挙動、そういったものはしばしば過剰だったり冗長だったり唐突だったりする。でも、絵本や神話の周波数で捉えるぶんにはそれらも必要で、辻褄が合っているようにもみえる。だからひとつひとつの表現に当惑したら、絵本や神話の周波数に頭を切り替えてみると、飲み込みやすくなるかもしれない。
 
なお、もう一度繰り返しておくけど、ここに書いたことが『君たちはどう生きるか』の鑑賞態度として好ましいのか、そうでないかは私にはまったく判断できないのであしからず。こういう鑑賞態度もあるのでもし迷ったらご参考までに、という話、宮崎駿アニメをそういう鑑賞態度で眺めると面白いかもよ、という話として書いた。