日本の漫画やアニメやゲームはガラパゴスなのか? - 狐の王国
少し前、twitter上で「日本のアニメ・ゲーム文化はガラパゴス(だから良い/悪い)」といった言い合いのようなものを見かけた。これについて、上掲リンク先のこしあんさんは、「日本の漫画やアニメはガラパゴスとは言えない。なぜなら20世紀の段階から海外に輸出され、人気を獲得しているからだ。もし(批判的な意味で)ガラパゴスだというなら、制作体制や投資やマネジメントのお粗末にある」といったことを述べている。
一連の話を読んで、私は「いやいや、やっぱり日本のアニメ・ゲーム文化は(肯定的な意味で)ガラパゴスでしょ」という思いを強めた。日本のサブカルチャーの作品は海外に輸出されて一部のマニアを熱狂させるだけでなく、子どもや、現在では大人までをも魅了しているし、海外のクリエイターにまで影響を与えている。そういう意味では、もう、グローバルに流通し消費されている作品と言って差し支えないだろう。
しかし、グローバルに流通し消費されているからといって、それは純粋にグローバルな作品だと言ってしまえるものだろうか。
たとえば寿司や豆腐や醤油はすっかりグローバルな食べ物になっていて、海外でも作られていたりする。とはいえ、流通はグローバルでもそれらを育んだのはローカルな日本文化圏だ。そして海外で作られたり模倣されたりしている寿司や豆腐や醤油は一部に過ぎなくて、日本国内から出ていかない・出ていけない寿司や豆腐や醤油もたくさんある。
アニメやゲームだって同じだ。任天堂のような素晴らしい企業に後押しされ、どんどん世界じゅうで愛されているポケットモンスターやゼルダの伝説のような作品があるのと並行して、「小説家になろう」由来の深夜アニメのように、海外ではあまり知られていないし海外の視聴者のほうを向いてもいない作品もたくさんある。そして新海誠の作品のように、どう考えても日本の視聴者のほうを向いていたはずなのに、やがて海外に知られ、だんだん売れていく作品もある。
こうした、「一部の目立った作品や強力な後ろ盾を得た作品がグローバルに流通し消費される一方で、それよりずっと多くの国内向けの作品が作られ、なかには新海誠作品のようにときどき新しい作品が海外の人々の目に留まる」みたいな状況に、私は文化のガラパゴスをみずにいられない。繰り返すが、ここでいうガラパゴスとは、肯定的な意味のガラパゴスである。
ガラパゴスは悪・ガラパゴスをなくそうっていうのは、とある島にしか住まない陸や海のトカゲなんかはガラパゴス過ぎるので駆逐して、世界中で最もポピュラーで人気のあるネコとかがたくさんいる島にしましょうってことなんだよ。同じことを文化に対して言うことがどれほど愚かか。
— 音楽ナスカ (@m_nsc) 2020年7月7日
グローバルなトレンドに染まっていない国内市場で盛んに作品が生み出され、その一部が海外に羽ばたいていくというガラパゴスな構図を、私は頼もしいことだと思う。このことを考える際、私はイタリアワインのことを思い出さずにいられなくなるので、以下、「国内市場のほうを向いた作品がたくさんつくられ、一部が海外にも評価されるガラパゴス」の一例としてイタリアワインにも触れてみる。
イタリアワインは素晴らしいガラパゴス
ワインを作っている国のなかで、イタリアのワインはいつも異彩を放っている。
少なくない国がフランスワインやカリフォルニアワインをお手本とし、グローバルなぶどう品種であるカベルネソーヴィニヨンやメルローやシャルドネを植えてワインを作っているなかで、イタリアはグローバルを意識していない独特なワインをたくさん作っていて、イタリアワインじたい、ひとつの世界をつくっている。
だからフランスワインやカリフォルニアワインに慣れた人でも、イタリアワインを飲んだ時に「なにこれ?」と戸惑うことはあるし、グローバルなワイン品種の尺度からみれば薄っぺらいワインやしようもないワインがたくさんあるようにみえるだろう。
その結果、イタリアワインをあまり評価しない人も多いし、「ワインは好きだけどイタリアワインは無視」という人も多い。
そのかわり、イタリアワインには絶対にイタリアにしか存在しないワインや、どうにもイタリアとしかいいようのないワインがたくさんある。もともとイタリアには数えきれないほどのぶどう品種が存在していて、それらのぶどう品種を使った地ワインがそこらじゅうに存在している。もちろんローカルな地ワインの大半は、フランスやカリフォルニアの有名ワインと肩を並べる品とは言えない。素朴だったり、チープだったり、グローバルなトレンドを逸脱していたりする。そして無名だ。以下に貼り付けたワインは、私はイタリアの良い地ワインだと思うけれども、グローバルなトレンドとはだいぶ違う。
クズマーノ インソリア シチリア
ケットマイヤー ラグレイン アルトアディジェ
チレッリ チェラスオーロ アブルッツォ
でも、それがイタリアワインのたまらないところだ。フランスワインやカリフォルニアワインは、幸か不幸かグローバルなワインの基準となってしまった*1。対してイタリアワインはグローバルなワインの基準とはズレたワインを、国内向けにたくさん作っている。なかにはフランスワインやカリフォルニアワインの影響を受け、グローバルな味覚のトレンドにモディファイされている品もあるけれども、そういった品も含めて、土着のぶどう品種を地元に植え、地産地消する独自世界をけっして失わない。
「日本のアニメはイタリアワイン」で比喩するなら、さしずめ宮崎駿はバローロ、新海誠はブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、量産型深夜萌えアニメはカラフで出てくるハウスワインといった感じで、一部が国際的に認められブランド化するだけでなく、地産地消されて大衆文化を作ってる点が豊かと感じる
— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2020年7月8日
アニメでいえば宮崎駿や新海誠、ゲームで言えばポケモンやゼルダに喩えらえるようなワインはイタリアにも存在する。上掲ツイートに挙げた、バローロやブルネッロなどはフランスやカリフォルニアの名だたるワインとも渡り合える素晴らしいワインだ。でもイタリアワインはバローロやブルネッロだけで成り立っているのでなく、その足元にはもっと無名な地産地消ワインがひしめきあっている。世界的によく知られた上澄みだけがイタリアワインなのではない。地方の日常生活や大衆文化に結びつき、遍在しているのがイタリアワインなのであって、そうした大きな文化的土壌のうえにバローロやブルネッロがいわば高級どころとして輝いている。
だから私は、イタリアワインも良い意味でガラパゴスな世界だ、と思う。グローバルにも名の通った高級ワインが作られる一方で、無名な地産地消ワインがどっさり存在していて、地方を旅すると変わったワインがぞろぞろと出てくる。土着のぶどう品種、地方の日常生活や大衆文化、食文化と密接に結びついたローカルなワインがグローバルな味覚のトレンドに感化され過ぎないまま生き残り、文化として存命している。そうした地産地消系のワインも最近はそれなり輸出されているけれども、ワイン自体はどうしようもなくイタリア的で、フランス的でもカリフォルニア的でもない。そこがたまらない。
日本のサブカルチャーコンテンツだってイタリアワインみたいなものでは?
こうしたイタリアワイン観を持っている私には、日本のサブカルチャー作品がイタリアワインとダブって見えて仕方がない。
イタリアワインの一部が世界的に人気を集めているのと同じように、日本のサブカルチャー作品の一部も世界で人気を集めている。
- 作者:アン アリスン
- 発売日: 2010/08/01
- メディア: 単行本
アメリカの文化人類学者が書いた『菊とポケモン』によれば、日本のサブカルチャー作品は戦後まもなくから海外で人気を集めていたが、「メイドインジャパン」という刻印は忌避され、しばしば欧米向けに改変されなければならなかった*2。しかし、二十世紀末から二十一世紀にかけて、いくつもの作品がグローバルに羽ばたいていった。世界的な人気を手に入れたという点では、ポケモンやセーラームーンや遊戯王はまさにグローバルな作品といえる。
しかし、じゃあそのポケモンやセーラームーンや遊戯王がどこで作られたのかといったら、ローカルな日本のサブカルチャー世界としかいいようがない。それらの作品の出自を遡れば、地産地消されるアニメやゲームや漫画や玩具にたどり着かざるを得ない。それらは八百万の国の文化や四季、日本の生活習慣にも多くを依っている。アニメ『君の名は。』や『天気の子』などはその最たるもので、遡れば国内需要向けの、それもニッチな作品にたどり着く。
『菊とポケモン』を読んでいると、ポケモンやセーラームーンや遊戯王が海外に広がっていった背景には、それらを海外に広めるために工夫した人々の奮闘があったことがわかるし、最初は「メイドインジャパン」を名乗ることさえ許されなかった作品が少しずつ海外に地歩を築き、のちにポケモンなどが受け入れられる下地をなしていった歴史に思いを馳せたくなる。
それでも、ポケモンやセーラームーンやスプラトゥーンはどうにも日本のサブカルチャーコンテンツ然としていて、そのテイストは、地産地消されるアニメやゲームや漫画や玩具と繋がりあっている。言い換えるなら、ポケモンやセーラームーンや君の名は。は、日本のサブカルチャー文化圏の一部分でしかなく、それらを海外受けしていないプロダクツたちと完全に分けて考えるのは適当とは思えない。
それらの成立を考える際には、もっとマイナーな作品や海外受けしない作品との繋がり、または加護のようなものを想定せずにはいられない。
なお、任天堂のゲームに見てとれるように、最近は日本のサブカルチャー作品のなかにもグローバル受けを意識したものはあるし、むしろグローバルなトレンド優先でつくられたものもあるようにみえる。これはイタリアワインにも見受けられることで、イタリアらしさを守りながらもグローバルな味覚のトレンドに寄り添ったワイン、フランスワインやカリフォルニアワインの真似をしたようなワインも存在する。
それでも日本のサブカルチャー作品やイタリアワインには良い意味で拭いがたいガラパゴス性があって、そのガラパゴス性はどこからきているのかといえば、海外での受けやグローバルなトレンドに流されることのない、地産地消の土壌があればこそなのだと思う。だからグローバルで評価されるされないは別として、この地産地消の土壌がこれからも豊かであって欲しいものだ。
※しかし、イタリアワインも日本のサブカルチャー作品も、少子化によって失われかねず、あるいは、今のうちに味わっておくべきものなのもしれない。