シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

上京し、コロナ騒動で奪われていた楽しさを思い出した


 
先週末、上京していろいろな人に会って打合せなどをこなしてきた。
 
報道では、東京では新型コロナウイルスに感染している人が再び増えているという。特に若い人の感染率が高いのだとか。そういったこともあって、戦々恐々としながら出かけた。ただ東京は随分と久しぶりなので、街を歩いて飲食店の賑わいとか、そういったものを眺めてみようとも思った。
 
まず電車。土曜日だからか、かなり空いていた。いや、土曜日だということを差し引いても、ターミナル駅の人の数は少なめで、山手線などでは苦もなく座ることができた。ほかの乗客もだいたい座っていたから過去の土曜日に比べれば空いているほうだろう。
 
アトレなどを見ていても、お客さんが混んでいる、という感じではなかった。特に長距離旅行客が使いそうな駅弁などの売られているコーナーは空いていた。通りがかった長距離列車を見ていても空いている様子だったから、首都圏に遠くから入ってくる人、首都圏から遠くに出かける人はあんまりいないのかもしれないと感じた。
 
飲食店は。
これは混雑していた。
今回は新橋~有楽町周辺、池袋周辺の飲食店の様子をウォッチしてきたのだけど、飲み屋やラーメン屋は結構混雑していた。もちろん、店員が路上に出てお客さんを呼んでいる閑散としてそうな店も一方ではあったのだけど、混んでいる店はとことん混んでいるというか、感染が蔓延する前を彷彿とさせるような賑わいをみせている店も結構あった。
 
自分自身も夕食をとり、少し飲み屋にお邪魔して周囲に耳を澄ませて聞いた限りでは、警戒が解除されているから羽を伸ばしている、といった感の人が多かった。飲み屋で年上のおじさん(おじいさん?)と喋ったのだけど、3-5月の間は世間体もあるし感染が恐ろしいしで外食は控えていたのだという。特別警戒も解除されたから久しぶりに外飲みに出てきたとおっしゃっていた。隣の隣のおじさんも似たようなことを話していて、私も外飲みは久しぶりだったので相槌を打った。
 
他方で、路上ですごく大きな声をあげてたむろしている人の姿もみた。あれは絶対に酔っぱらっていただろう。酔っぱらった若い男女が交差点脇の狭い場所でえらく接近してでかい声をあげていたのは三密っぽかった。いや、外でしゃべっているから三密とはちょっと違うか。
 
いずれにせよ、やっぱり人は集まって飲食をともにし、喋りたい生き物なのだ、と思った。久しぶりの外飲みには、zoom飲みには無い臨場感と即興の出会いがあった。ある種の飲食店には、近い席のお客さんとコミュニケーションが発生して、案外、一緒に酒を飲むなんてイベントが発生したりすることがある。その偶然性と、においや飲食物を共有する感覚にはzoom飲みには無い喜びがあった。ウイルスを媒介するおそれがある状況は、zoom飲みよりも多くの情報をも媒介して、意外性のあるコミュニケーションを発生させることもある。その偶発的な楽しさに、私も乗せられてしまった。
 
苦手な人もいるだろうけど、私は思わずにいられない。
ああ、人と会って飲食を共にするってのはなんて楽しいんだろう、と。
あの日私が東京で見かけた楽しそうな人々も、きっとそう感じていたに違いない。裏返せば、感染症の蔓延によって失われた(または抑圧された)ものは決して少なくなかったわけだ。
 
人命を優先させることを思えば、人と会って話す楽しみが制限されるのもやむなしではある。個人的には、やむなし、だなんて言いたくないのだけど医療の秩序に私は従う。東京で感染の度合いが高まっているとしたら、楽しそうに飲食する人々の光景もしばらくは見られなくなるなるかもしれない。
 
繰り返すが、人命を優先させなければならないわけだから、仕方のないことではある。
それだけに、この厄介な感染症はつくづく陰険で、命や経済に悪影響をもたらすだけでなく、楽しみまで奪ってしまうのだなと改めて認識し、ウイルスを憎悪した。