シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

「こわいのは、コロナより世間」

 
 

私の交際範囲のなかでは、こんな言葉が流行っている。
 
 
「こわいのは、コロナより世間」
 
 
高齢者や基礎疾患を持っている人にとって、COVID-19は命にかかわる疾患だ。とはいえ私の年齢、私の子どもの年齢なら、これが命取りになる可能性はそこまで高くない。この病気よりも恐ろしい病気なんていくらでもある、という気持ちを持っている。
 
それより、感染したときの社会的・世間的インパクトのほうが恐ろしい。
 
私自身が感染したらどうなるか、想像してみる。
 
職場は大変な混乱に見舞われるだろう。一人のCOVID-19感染者が出たら、私の部署、私の職場はだいたい機能不全に陥る。だいたい機能不全になった職場の噂は、あちこちに伝わっていく。「あの会社でコロナが出た」「あそこの支店が閉鎖された」といったかたちで街じゅうが知ることになる。ひとつの職場の機能不全は、ほかの職場にも機能不全を波及させていく。だから、うまく言えないのだが、「私が感染したら、いろんな人に申し訳ない」に近い気持ちが、私のなかで強いブレーキとなって働いている。
 
私の職場には、もちろん発熱のある人がいらっしゃることもあり、そのような場合、できるかぎり感染防御を施したうえで私もフロントラインに立つことになる。私生活でどれだけ感染予防を心がけていたとしても、職務の性格からいって、誰かが感染してしまう可能性はゼロにはできない。そうしたなか、私たちは「感染一番乗りは避けたい」とだいたい思っている。"勇敢な職務にともなう名誉の感染"だったとしても、感染一番乗りは大きな社会的インパクトをもたらしてしまうだろうからだ。
 
「もし感染が起こるなら、上の人からだと気が楽なのにね」
 
そういう冗談が出ることもある。9時5時の退社を上司が率先してくれると部下もそうしやすいのと同じロジックで、私たちはそんなことを言い合ったりする。あるいは、上司が長期休暇を率先してくれると部下も長期休暇を取りやすくなるのと同じロジックで、「感染一番手は上の人だと助かるなぁ……」とぼんやり口にしたりする。実際のところ、ボスが感染したほうが大変な事態になりそうだが、とはいえ「職場の感染一番乗り」という、社会的にも世間的にもばつの悪そうな立場を自分で引き受けるのは避けたい、恐ろしい、という思いはある。
 
イギリスやロシアでは首相が感染したけれども、ボスが感染したことで部下が安心するようなメンタリティは彼らにもあるのだろうか? それとも、日本の世間を生きている私たち固有のものだろうか?
 
世間には、感染に対して恐ろしい態度を取る人がいる。石を投げられる、いやがらせをされる、うつすなと言われる、等々の話はオンラインでもオフラインでも耳にする。COVID-19に感染して生物学的に重症に至る可能性の低い人でも、社会的・世間的に重症に至る可能性はぜんぜん高い。しかも、その社会的・世間的なダメージは自分自身だけでなく、職場を、地域を、家族をいとも簡単に巻き込んでしまう。
 
COVID-19で自分が命を落とす未来を想像することはあまりないが、COVID-19で社会的・世間的に深手を負う未来を想像するのは簡単だ。だから私は命を守るためにCOVID-19と戦っているというより、世間体を守るためにCOVID-19と戦っている、それが私の感染対策の本態のような気がする。
 
案外、ほかのご家庭、ほかの職場の皆さんも、「こわいのは、コロナより世間」と思いながら感染対策につとめていたりしませんか。
 
こうした、世間をおもんぱかるメンタリティ、世間体に従って行動してしまう性質の是非や善悪についてはここでは考えない。それでも、強制力の乏しい自粛要請に多くの人が従い、街が閑散としているのは、為政者が強力なリーダーシップを発揮しているからでも、日本人が特別に感染症に詳しいからでもなく、世間の空気を読み合い、その世間から自分自身が浮き上がってしまう事態を避けたがってやまない、あのメンタリティのせいだったりしないだろうか。
 
感染症を防ぐための正確な知識を理解している日本人はまだまだ少ないかもしれないが、自分が感染したときに世間体がどのように損なわれるかを正確に理解している日本人なら、とても多いと思う。私もそういう日本人たろうと、息をひそめるようにこのゴールデンウィークを過ごしている。