シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

なめらかな社会、繊細な秩序にあなたはついていけるのか

 
昭和の日、繊細になりゆく令和の秩序について考える - シロクマの屑籠
 
先日の記事には、はてなブックマークで様々なコメントをいただき、進みゆく秩序について(はてなブックマークの)皆さんがどんな風に考えているのか参考になった。それらを記憶にとどめながら、社会ぜんたいの秩序がもっと繊細になっていった未来について、もう少し言葉を重ねてみたい。
 
社会秩序がどんどん繊細になり、暴力と呼び得るものが追放され、相手が傷ついたり不快になったりするかもしれない言動が制限され、自粛されるようになっていけば、その社会のコミュニケーションはどんどん円滑になり、トラブルも減っていくだろう。実際、昭和時代に比べれば令和時代のコミュニケーションは円滑だ。公の領域はもちろん、プライベートな領域でもコミュニケーションは円滑であるよう目指され、ノイズは少なくなった。DVやストーカーや体罰といった、古き悪しき言動も摘発されるようになった。それはとても良かった。
 
さて、そうやってトラブルの少ない、お互いに迷惑をこうむったり傷ついたり不快になったりする言動をもっともっと制限しあい、ますますノイズレスなコミュニケーションを実現していく社会、いうなれば、社会がなめらかになっていくとして、そのなめらかな社会のなかで私は、あなたは、他人に迷惑をかけたり他人を傷つけたりしない、不快な思いをさせない個人として、如才なく振る舞えるものだろうか。
 
社会がどんどんなめらかになり、私たちの通念や習慣が今以上に繊細になっていけば、コミュニケーションも人間関係もまたなめらかになり、トラブルや不快な思いも減るだろう。そのかわり、私たちはなめらかにコミュニケーションできる人間、他人に不快な思いをさせない人間、トラブルを起こさず他人に嫌な思いをさせることのない人間にならなければならない
 
社会から期待される要求水準は、高まらざるを得ない。一人の社会人としての言動・一人の親としての言動・一人の子どもとしての言動がハイクオリティであるよう期待され、そこからはみ出した言動が、批判されたり罰せられたり矯正されたりするようになるだろう。ときには、排除すらされるかもしれない。
 

 
粗い秩序の社会では社会人として・親として・子どもとして合格点がもらえていた人も、繊細な秩序のなめらかな社会では不合格になりかねない。というより、昭和時代と令和時代を比較する限り、社会人として・親として・子どもとして越えなければならないハードルはかなり高くなっているのではないか。
 
 
[関連]:テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人はどこへ行ったの? - シロクマの屑籠
 
 
勤め人かくあるべし、パートナーかくあるべし、子どもかくあるべし──そのようにハイクオリティを期待して構わない社会は、当然、私やあなたにもハイクオリティを期待する。もし、社会から期待されるクオリティに私やあなたが達していなければ、勤め人失格、パートナー失格、子ども失格ということになる。あなたは採用しません、あなたとは縁を結びません、あなたは子どもをつくるべきではありません、そういう風にダメ出しされる可能性が高まっていく。
 
はてなブックマークのコメントをみる限りでは、なめらかな社会にふさわしい言動をこなせない人は、なめらかな社会の敵とみなされても不思議ではなさそうだ。少なくとも、なめらかな社会の敵とみなす向きは確実に存在する。そこまで極端でなくとも、繊細な秩序を当然の前提とみなし、秩序は繊細であればあるほど良いに決まっている、と思っている人なら結構いるだろう。
 
うらやましい。
 
なめらかな社会にふさわしい言動が苦も無くこなせる人、他人を傷つけたり不快がらせたりするおそれの無い人には、こうした変化は良いことづくめなのかもしれない。
 
だが世の中には、なめらかな社会にふさわしい言動がこなせるかどうかギリギリのラインで社会適応している人、他人を傷つけたり不快がらせたりする言動が完全にはなくならない人もいる。いわば、ノイズレスになりきれない人は確実に存在する。
 
そういった人々は、社会がなめらかになればなるほど目立つようになるだろう。適応しづらく、批判されやすく、罰せられやすく、居場所を見つけづらくもなるだろう。そのような人々は、社会がなめらかになり過ぎると社会についていけなくなるし、秩序が繊細になり過ぎると職場や家庭や交友関係からこぼれ落ちやすくなる。
 
それだけではない。適応できないこと、批判されること、罰せられることが個人の自己責任として、「社会が悪いのでなく、お前が悪い」とみなされる未来が想像もできる。
 
社会がなめらかになるほど・秩序が繊細になるほど、そのとおりに振る舞えない人が増えたり、そのとおりに振る舞うためにより大きな努力を必要とする人が増えたりする側面を、私は、過小評価することができない。少なくとも、そうした側面を度外視してはならないと思う。もし、社会がどんどんなめらかになって、秩序が繊細になれば……そうですね、私だってなめらかな社会の敵とみなされ、ノイジーであるとみなされ、社会人失格、親失格、パートナー失格とみなされるかもしれません。
 
「適応できない人は医療や福祉によるサポートを受ければ良い」と答える人もいるだろう。これはひとつの考え方で、実際のところ、医療や福祉はそのようにサポートを行い、少なくない人の社会適応を手助けしている。統計*1をみる限り、そのようにサポートを受ける人の数は時代が進むにつれて増えている。
 

 
サポートが手広く行われること自体は望ましい。が、サポートを受けなければならない人が増えていることまで望ましいと言って構わないのかは、私にはわからない。
 
 
「社会に通用する奴」は多様化しなかった - シロクマの屑籠
 
 
2016年に書いた上掲リンク先の文章にある「社会に通用する奴」の条件もまた、なめらかな社会にふさわしいコミュニケーションができること、繊細な秩序にふさわしい言動がとれること、ではなかっただろうか。今以上になめらかな社会、今以上に繊細な秩序は、いったいどのような人にとって素晴らしく、どのような人にとって厳しいものなのか、私は考えこまずにいられない。勉強できる人しか便利に暮らせない社会を全面的に肯定するのが難しいのと同じような問題が、ここにも潜んでいるのではないだろうか。
 
今から10~20年後のなめらかな社会と繊細な秩序に、あなたならついていけるだろうか。
私は、あまり自信が無い。
 

*1:厚生労働省、患者調査より