シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

スマホが普及した頃に起こった「ネット文化圏の融合」について

 
 ネットコミュニケーションが変わっても、「私」はあまり変わらなかった - シロクマの屑籠
 
 昨日アップロードした文章を読み直してふと思ったんだけど、スマホが普及してきた時期あたりから、二つのインターネットサブカルチャー、あるいは二つのネット文化圏が融合したんじゃないのかとか思い始めたので、備忘録として書き留めておく。
 
 
 ※断っておくけど、機能の話は人と人との結びつきの話。今回は、ネット上のサブカルチャー文化圏の違いや融合の話。
 ※まだまとまっていない話なので、誰かがスマートにまとめてくれたら or 既にまとまったものを紹介してくださると嬉しいです。
 
 

スマホ以前の地図とスマホ以後の地図

 
 昨日も書いたように、かつて、PCやネットブラウザを前提とした(旧来の)インターネットを愛好している人間からは、携帯電話を中心とした文化圏の様子や習俗はなかなか見えにくかった。見えにくく、サブカルチャーとしての行儀も異なっているからこそ魔法のiらんどはネット原住民から軽んじられていたのだろうし、速水健朗さんの『ケータイ小説的。』も高く評価されたんじゃないかと思う。
 

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

 
 で、この『ケータイ小説的』が出版された年が今にして思えば絶妙で、2008年とある。2008年ってのは2ちゃんねるで『やる夫』シリーズが全盛期を迎えていた時期で、iphoneが日本に上陸した年でもある。スマホが青少年の嗜みになるのはこれ以降で、ゲーム機を使ったインターネット接続が本格化しはじめるのも、この前後あたりからだ。
 
 そんなわけで、この時期のインターネットは(比較的にせよ)オンライン接続するために使っているマシン*1ごとに文化的な棲み分けが成立していた最後の時期にあたるんじゃなかろうか。
 
「サブカルチャーとしてヤンキー文化圏に近い人々は、ガラケーでオンライン接続しガラケー的な文物を消費し。
 サブカルチャーとしてオタク文化圏に近い人々は、PCでオンライン接続しオタク的な文物を消費する。」
 
 こういう切り分けはきわめて大雑把に過ぎないが、とはいえ大雑把な切り分けが一応成立したのは、せいぜい、00年代後半までのことじゃないかな、と思えるのだ。
 
 でもって、2010年以後に何が起こったのか?
 
 ガラケー対PCというマシンの棲み分けはもう成立しなくなった。なぜならスマートフォンがモバイルインターネットの標準装備として、少なくとも若い世代には圧倒的に普及してしまったわけだ。偶然か必然か、二つのインターネット・二つのサブカルチャー文化圏の対立みたいなものは語られることは減っていった――00年代までは、主にインターネット原住民サイドからガラケー文化圏側に対する違和感がしばしば表明されていて、ケータイ小説が槍玉にあがることがあったけれど、10年代も中ごろの今日では、そういう事はなくなった。それぞれのジャンルやネットサービスのユーザー同士による貶し合いは今でもあるにせよ、オタクかヤンキーか、PCかガラケーか(スマホか)といった区分で誹謗中傷が起こる景色は見かけない。
 
 そういえばスイーツ(笑)みたいな表現も消えちゃいましたよね?
 
 そうなった理由の一端はスマホの普及によるのだろうけど、もちろんそれだけじゃなくて、ニコニコ動画、pixiv、小説家になろう、等々が若年層に幅広く普及した事とも無関係ではないのだろう。あとは各種SNSと。それと、手前味噌ながら
 
融解するオタク・サブカル・ヤンキー  ファスト風土適応論

融解するオタク・サブカル・ヤンキー ファスト風土適応論

 
 そもそもの話として、オタク・サブカル・ヤンキーといったサブカルチャーの線引きが陳腐化してしまい、そうした見立てでネットカルチャーを分類する発想そのものが有意味ではなくなっているのかもしれない。
 
 どうあれ、ガラケー/PCそれぞれによるネットユース→スマホ中心のネットユースや、アマチュアがネットに文章を投稿する際のデバイスとしてスマホも用いられるようになった影響は、インターネット上のサブカルチャーの風景に必ずや影響を及ぼしているはずではある。
 
 飽きてきたのでそろそろやめるけど、とにかく、十年ぐらい前まではガラケーとPCの文化圏があんなに違ったかたちで言及されていたものが、今日では相違点がほとんど論じられなくなったって事は、ときに思い出しておいて良いように思う。ネット上のサブカルチャーや文化習俗の地図はまちがいなく塗り変わった。今も変わり続けている。
 

*1:マシンという表現が、既に私が旧来のインターネット文化圏の出自であることを示唆している!