シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

『「育ちがいい人」だけが知っていること』が売れる社会に逃げ場なし

 
「育ちがいい」とトクして「育ちが悪い」と損をする、この社会の現実(熊代 亨) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
 
 
リンク先の文章は、マナー書『「育ちがいい人」だけが知っていること』が30万部を売り上げるに至った現状を踏まえて、いまどきの不平等、いまどきの格差について記したものだ。
 
 

「育ちがいい人」だけが知っていること

「育ちがいい人」だけが知っていること

 
 
「育ちの良さ」とみなされ、実際、生育環境をとおして親世代から子世代へと世襲されるマナーや礼儀作法にもとづいた所作のひとつひとつが、いまどきの複雑化した能力主義(ハイパーメリトクラシー)のもとでは、逐一点検される。
 
たとえば就活生や婚活希望者は、そのことをあらかじめ知ったうえで就活や婚活に臨むから、自分自身の振る舞いを点検し、マナーや礼儀作法にかなった振る舞いをしようとする。「育ち」が良く、もともと礼儀作法が身に付いている人には苦も無くこなせる所作も、そうでない人は熱心に学んで身に付けなければならない。『「育ちがいい人」だけが知っていること』のようなマナー書は、これから学ばなければならない人の参考書になる一方、マナーや礼儀作法を巡る競争を煽り、みんなが身に付けなければならないマナーや礼儀作法のアベレージを押し上げる。
 
なぜならマナーや礼儀作法をみんなが身に付け、能力のひとつとみなされるほど、マナーや礼儀作法の欠落は能力の欠落、または能力の欠落を予感させるものになるからだ。そのような社会はマナー講師にとって望ましいものだろうが、マナーや礼儀作法をあまり身に付けていない人、マナーや礼儀作法が難しい人にとっては厳しいものになるだろう──。
 
『「育ちがいい人」だけが知っていること』がベストセラーになる現状は、「育ち」によって身につく様々なものが能力として、個人のポテンシャルの一関数として評価されるようになったことを示唆している、と思う。
 
いまどきの能力主義は、個人の生得的な資質そのものを問うものというよりも、「育ち」という社会環境による差異、もっといえば「育ち」によって履かされる"下駄"に左右されやすいものになった。だからこそ「育ち」というキーワードが焦点となり、『「育ちがいい人」だけが知っていること』というタイトルがベストセラーへの推進力ともなる。
 
 

「育ち」「学力」「体力」「容姿」の果てしない格差

 
ところで、さまざまなところで出会ういまどきの20~30代の人を見ていると、なんと優秀で、粒ぞろいなのだろう、と私はため息をつきたくなる。
 
以前、books&appsに私はこんな記事を寄稿したことがあった。
 
最近の新人は「好青年」と「才媛」ばかり。けれど素直に喜べない私。 | Books&Apps
 
ここに書いたように、いまどきの研修医は勉強ができるだけでなく、要領も良い。明るいふるまいをそつなくこなす。
 
それだけではない。彼らはマナーや礼儀作法をよく身に付けているし、しばしばスポーツや文化活動にも造詣がある。twitterには非モテキャラクターの若い医者アカウントが跋扈しているけれども、実際に出会う若い医師たちからは非モテらしさがほとんど感じられない。あらゆる点に優れた、前途有望な若者たちだ。
 
医療以外の職種でもそうだ。しかるべき大学を卒業し、しかるべき仕事に就いている年下の人々に出会うたび、そのマナーや行儀作法の良さに驚かされる。「学歴だけ優れた一点集中型の若者」も、どこかにいるのかもしれない。だが実際に私が出会う高学歴・高収入な若者たちは、みんなマナーや礼儀作法に優れ、スポーツや文化活動にも造詣がある。学歴の卓越性が、ふるまいの卓越性や容姿の卓越性、精神的文化的卓越性を伴っていることは、私が大学生だった頃はこれほど顕著ではなかった。ところが平成の終わり頃から令和にかけて、学歴の卓越性は学歴以外のさまざまな卓越性と相関しているようにみえるようになった。
 
学歴に優れた者が、マナーや礼儀作法にも優れ、スポーツや文化活動にも優れているのなら、なるほど、「マナーや礼儀作法に優れた若者は他も優れているに違いない」と想像しやすくもなろうし、マナーや礼儀作法が人物像の見立てに貢献する度合いも高まるだろう。
 
他方、なにもかもを独占した前途有望な若者たちの世界とは対照的な、学歴もマナーも礼儀作法も乏しい世界がある。
 
読み書き能力が不十分、四則演算もできない人がいる。マナーや礼儀作法を身に付けていない、身に付ける機会が乏しかったとおぼしき人がいる。そのような人々がスポーツや文化活動に通じていることはまずない。ゲームや漫画といったサブカルチャーも含めてだ。
 
なにもかも優れた若者がいる一方で、なにもかもを持たない・持てない世界も遍在しているこの状況では、「育ち」という言葉はいかにも重たい。「育ち」を挽回して下克上するためには、勉強するだけでは駄目で、マナーや礼儀作法やその他も身に付けなければならないのだ。そうしなければ、なにもかもを独占した前途有望な若者たちの世界に食らいつくことはできない。
 
学歴だけでなく、あらゆるものに世襲の兆しがみられ、それぞれの若者が自分の手持ちカードで精いっぱいの競争をしていかなければならない2020年の社会のなかで、『「育ちがいい人」だけが知っていること』というマナー本はどのように受け入れられ、位置付けられるのだろうか。
 
『「育ちがいい人」だけが知っていること』のタイトルを知った瞬間、私はすぐに反発と苛立ちを感じた。だが、実際に手に取って確かめてみると、この本が売れるのがよくわかるし、この本を切実な気持ちで買い求める人がいることがみてとれた。きっとこの本によって助けられる人も少なくないだろう。
 
それでも反発と苛立ちは消えない。「育ち」が切羽詰まった語彙になるような社会ができあがっていて、たぶん、この本はそうした社会の趨勢を加速することはあっても減速することはないからだ。マナーや礼儀作法が社会適応のバトルフィールドとして広く認知され、私生活領域も含めたあらゆる所作が評価され、値踏みされるとしたら、私たちは、いつでもどこでも、あらゆる領域で競争するしかないではないか。