シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

今の若者が成長に必死なのは仕方ないと思う

 
最近の若い人たちが成長することに必死すぎる。 - Everything you've ever Dreamed
 
 リンク先、拝見しました。
 
 私も、最近の若い人を見ていて成長に余念がないというか、成長とかスキルアップにまっすぐな人が多いなぁと感じています。
 
 成長やスキルアップに真っ直ぐというより、「ボヤボヤっとしている」若い衆をあまり見かけないと言うべきでしょうか。学歴のいかんにかかわらず、成長します! レベルアップします! みたいな価値観に根差した言動が目立つといいますか。キャリアアップ志向でない人でも、結局、自分が大事にしている分野では精力的かつ効率的に自己開発しているというか。
 
 あと、再就労を目指している若い患者さんの言動を聴いていても、成長します!スキルアップします!みたいな物言いを結構耳にして驚いたりします。10~15年ほど前は、そうでもなかったのですが*1。精神科医を相手取っている時にも 成長します! スキルアップします! みたいな物言いになるってのはどういうことだろう? と考えさせられます。
 
 最近の若い人たちが成長に必死っぽく“みえる”理由について考えると、幾つか、背景として思いつくものはあります。
 
 
1.成長に必死にならなければ生きていけない
 
 まあその、バブル景気以前の世界観を知っている私やフミコフミオさんの世代からみると、今の若い世代の生きざまが必死にみえる、という部分はあるかもしれません。
 
 いわゆる「ロスジェネ世代」は90年代半ば~00年代にかけて、就労その他で大変な思いをしました。「生き残ったロスジェネ世代」とは、書くのもおどろおどろしい文字列ですね。
 
 そうはいっても、私たちの世代は大学生になるぐらいまではおっとりとした世界観のなかで生きてきたし、バブル景気が崩壊してもしばらくは過去の世界観を引きずっていたわけですから、今の若い世代とは世界観がそもそも違うのではないでしょうか。
 
 「サバイブしないと生きていけない」的な言説を小さい頃から耳にしてきた90年代生まれと、そういった言説に大学卒業してから出会った70年代生まれでは、見える景色も、住んでいる世界も違う気がするのです。
 
 たとえばの話、小中学生なんかを見ていても、昭和時代の子どもって、もっとおっとりしていたように思えます。それに比べると、平成末期の子どもは全体的に効率的・合理的に行動しているようにみえます。勉強にしても、遊ぶにしても、休むにしても、どうしてこんなに合目的的にできるんだろう? と思ってしまいます。効率的・合理的な行動をしなければならない社会圧が高いのでしょうか。
 
 そうした社会圧の高さも含めて、ready to growth な人間でなければならない必要性や、効率的な人間でなければならない必要性が高くなっているのだとしたら。それを羨ましがるべきなのか、憐れむべきなのか、私にはわかりません。
 
 
2.成長に必死なフリをしなければならない
 
 でもって、もうひとつ。
 
 本当は成長やレベルアップに必死になりたくなくても、周りの空気や同調圧力に強いられて成長に必死なフリをしている人も、いるんじゃないのかなぁ……と私は疑っています。
 
 今の学生さんや新社会人さんは、昔の学生や新社会人に比べて色々な場面で「成長やレベルアップにがんばる自分」を演じてみせるよう、求められているように思います。
 
 AO入試が制度化され、就活でもそういった姿勢を求めてやまない現代社会は、若い世代に「成長やレベルアップにがんばる自分」を自己演出するよう、要求しているようにみえます。「社会はそういう人材を求めている」というメッセージを人生の節目節目に押し付けられれば、世代全体として、そのような仕草を身に付けるのは自然なことでしょう。まして、若くて感受性の豊かな時期にそのようなメッセージを押し付けられるわけですから。
 
 そういう意味では、いまどきの成長志向の何割かは制度や慣習によってつくられた産物、と考えられます。
 
 でもって「成長やレベルアップにがんばる自分」って雰囲気が社会に蔓延すればするほど、表向きのポーズとして「成長やレベルアップにがんばりたくない自分」をカミングアウトするのは難しくなってしまいます。
 
 仕事に限った話ではありません。趣味や男女交際やSNSのフォロワー数も含め、前向きで、成長やレベルアップを良いこととする雰囲気のなかで暮らしていると、そうでない自分をカミングアウトしにくい場面がそれなり出てくるかと思います。少なくとも、周りの空気とか同調圧力とかが気になる人にとってはそうでしょうし、職場の先輩や上司に対しては尚更でしょう。
 
 あるいは、そういうカミングアウトをやってのける勇気の無い人がはてな匿名ダイアリーやtwitterの裏垢で愚痴っていることはあるかもしれません。また、「スローな生活志向」という反動もそれなり見受けられますし*2。それでも、社会的体裁として、成長やレベルアップにがんばる自分をみせる必要性がここまで知られてしまっている影響はぬぐえないように思います。
 
 
3.成長で必死になっている人が目に付きやすい
 
 みっつめ。
 
 「成長に必死になっている人は目立ちやすい」ってのもあるかもしれません。積極的に他人に声をかける・自己演出してプレゼンテーションする人は目立つものです。いまどき、成長やレベルアップを孤独にコツコツとやるなんて流行とは思えません。実際、成長やレベルアップのたぐいを効率的にやり遂げたいなら、それにふさわしいフィールドやパートナーや組織にリーチしなければならないわけで、リーチするためには声をあげなければならないし、自分がどういう人間で、何を望んでいるのかをプレゼンテーションしなければなりません。
 
 成長戦略やレベルアップ戦略に「自分を売り込む」という要素が加われば、声のデカい雌鶏や雄鶏が爆誕せずにはいられないし、実際、そういう騒々しい社会情況になっているのではないでしょうか。
 
 逆に言うと、いまどきは成長やレベルアップにがんばる姿勢をプレゼンテーションできない人間は、どんどん目立ちにくくなって、不可視になりやすいんじゃないでしょうか。
 
 みんながそれなり成長やレベルアップに開かれていて、自己プレゼンテーションしている状況では、相対的に、そうでない人間は目立たなくなっていきます。成長やレベルアップに後ろ向きで、非効率で、自己プレゼンテーションの不得手な若者が、それでもポジションを獲得できる余地はどれぐらいあるのでしょうか?
 
 こういう世相のなかで「だるい」「がんばらない」的なポリシーを貫き、それでいて社会競走にキャッチアップできる若者というのはよほどの切れ者と言わざるを得ません。そうでない大半は、そのまま目立たなくなり、せいぜい、はてな匿名ダイアリーやtwitterの裏垢を安住の地とせざるを得ないようにも思えるのです。
 
 

資本主義的主体として訓練されてはいても、若者は若者

 
 なので、いまどきの若い人々の過剰成長志向や過剰レベルアップ志向は仕方のないことではないかと私は思っています。コスパ志向、効率志向も同様です。その内実が、資本主義的主体として幼少期から訓練されまくった結果だとしても、今の世の中で資本主義的主体として訓練されていることは、訓練されていないよりは収入面でも繁殖面でも有利には違いないでしょうし。
 
 ただ、フミコフミオさんが指摘されたように、成長やレベルアップとは、本来、もっとわかりにくいもので因縁めいたものであろうと私は思いますし、目に見えやすく、他人に披露しやすいタイプの成長やレベルアップに偏ってしまうのは、あまり上手くない適応戦略ではないかと思います。
 
 「理解可能な成長やレベルアップにリソースを全振りしていく、それが効率的な成長だ」みたいな考え方をしていると、足元をすくわれると思うんですよ。オンラインゲームのようにあらゆるファクターが数値化・可視化されているならいざ知らず、自分も他人もはっきりと見えない娑婆世界では、そういう効率厨的な発想は危険であり、傲慢でもあります。
 
 たぶん、中年になっているフミコフミオさんにはそれがよく見えるから、若者の、良く言えば真っ直ぐな、悪くいえば傲慢な成長ストラテジーが気にかかるのではないかと推察しました。
 
 他方で、若者ってのは多少傲慢で猪突猛進な時期があっても良いようにも思えます。再起不能にならない範囲で、成長やレベルアップに向かって愚直に突き進む時期も必要でしょう。そういうのって、へたな知恵をつけてしまった中年には困難ですからね。
 
 あるいはフミコフミオさんは、そういう若者の真っ直ぐさ妬いていらっしゃいますか?
 私は、ちょっとだけ妬いています。
 でも、私にもそういう時期があったのだから、順番だよね、と思うことにしています。
 
 ともあれ若者がビカビカと輝きながら疾走する姿というのは良いものですよね。時代が変わっても価値観が変わっても、その輝き自体は変わらないと信じたいものです。
 
 飽きてきたのでこのへんで。
 
 [関連]:テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人はどこへ行ったの? - シロクマの屑籠
 
 

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

 

*1:ここは、「同世代の精神科医には本音が言えても年上の精神科医には本音が言えなくなった」、みたいな私自身の加齢による影響も考慮しなければならない点ですが

*2:でも、いまどきの若い方のスローライフプレゼンスというのは、いかにもプレゼンスといいますか、怠惰の産物のようにはみえません。スローライフであることに対して効率的・合理的であるといいますか。