今日の文章も、いずれ詳しくまとめたいけれども下書きしてみたかったものなので、有料記事コーナーを使って練習することにする。ただ、不特定多数に開かれた社会適応メソッドまでは、誰でも読める状態にまとめておく。
今も昔も、社会適応のためのメソッドについては色々なことが語られてきた。けれども社会に広く伝播し、実際に参照されやすいのは「陽」の社会適応メソッド、または不特定多数に開かれた社会適応メソッドであることは、みんな自覚しているだろうか。
昭和時代にヒットした漫画『北斗の拳』には、こんなくだりがあったよう記憶している──「南斗聖拳は陽拳ゆえ広く知られ、流派もさまざまに分派して使い手も増えたが、北斗神拳は一子相伝の陰拳ゆえにそうはならなかった」と。
社会適応のためのメソッドも、この南斗聖拳と北斗神拳に似て、広く知られ繁栄し分派していったものと、表に出てくることが少なく、一子相伝になりがちで模倣も困難なものがあるよね、と今日は確認をしておきたい。
不特定多数に開かれた社会適応メソッドには、ある程度再現性が期待できる
社会適応のメソッドのうち、不特定多数に開かれ、広く知られ分派していったものを挙げてみよう。
代表的なものは、礼儀作法だ。
エラスムスやクルタンの礼儀作法書が流行した近世ヨーロッパにおいても、『「育ちがいい人」だけが知っていること』等がベストセラーになる現代日本においても、礼儀作法は社会適応のメソッドのなかでも再現性が高く、汎用性が高い。はじめ、礼儀作法書が求められるようになったのはさまざまな人同士がコミュニケーションしなければならない宮廷社会と、それに連なるブルジョワ階級の世界だった。そのコミュニケーションの輪のなかに入っていきたい人は礼儀作法書を読み、メソッドを学んで身に付けたという。現代社会では、そうした礼儀作法の必要性があらゆる領域に及んでいて、仕事でも私生活でもしばしば問われるから、そのニーズはますます高くなっていると言える。それが現れている一端が『「育ちがいい人」だけが知っていること』がベストセラーになる現象であり、その一端はビジネスマナーについての研修や啓発が盛んな現象である。
「過去の礼儀作法書の著者も21世紀のマナー講師も、コミュニケーションの規範をますます押しつけ、エスカレートさせている」という批判は、それなり当たっているとは思う。でも、個人単位でみるなら、とにかくも社会で流通しているコミュニケーションのルールや規範をよく理解し、身に付け、それで円滑で効果的なコミュニケーションをやってのけたいニーズはあるだろう。
礼儀作法のなかでも、もっとも基礎的なものとして挨拶も挙げておきたい。私が書いてきた個人の社会適応に関する本*1には、挨拶について触れた箇所が必ずある。挨拶は職場でも私生活でもお互いの社会的欲求を充たしあい、社会関係を円滑にする効果がある。挨拶に相当する習慣は地球上のあらゆる民族・部族・共同体にみられるものなので、きわめて汎用性と再現性に優れていると考えられる。にもかかわらず、成人後もこれができていない人は意外に多い。
それから生活習慣。
生活習慣はコミュニケーションに直接は貢献しない。だが、毎日のパフォーマンスを高める効果があり、健康リスクを遠ざける効果もある。生活習慣についてのアドバイスや決まり事にはマジョリティ重視な姿勢がないわけではなく、たとえば夜型人間には適さず、そのような人にも現代社会の昼型人間っぽいタイムテーブルを強いる一面がある。とはいえ、大半の学校や会社が昼型人間に合わせて営まれていることを思うと、現代社会にうまく適応したければ昼型人間にあわせた生活習慣を、それも、なるべく健康リスクの少ない生活習慣を身に付けておくにこしたことはない。規則正しい生活、好ましい食生活、タバコも酒もギャンブルもやりすぎるな、睡眠時間を確保しろ、等々。
生活習慣という社会適応メソッドの面白いところは、それは、考えて実行する(ゲーム用語でいう)アクティブスキルではなく、考えなくても実行している(これもゲーム用語でいう)パッシブスキルであり、パッシブスキルとして身に付けなければたいして意味がないところだ。生活習慣は知識として読み取っただけでは意味がない。挨拶や礼儀作法もある程度はそうだが、生活習慣の領域ではそれが一層際立っている。そして本当のところ、体質や気質にも大きく左右されるところだろう。
社会適応メソッドとして生活習慣は、言語化可能だし、現代社会ではたいてい役立つ汎用性がある。ちゃんと身に付けられた時の実効性にも再現性があるだろう。ところがそれを身に付ける難易度には個人差があり、昼型人間と夜型人間の問題が示しているように、誰もが同程度のコストで身に付けられるとは限らない一面を持ち合わせている。
美容やファッションも、TPOのレベルまでは比較的同質のコストで比較的同質のパフォーマンスが獲得できる。だが、TPOのレベルを越えてくると属人性の高い社会適応メソッドになる。たとえば00年代に流行した『脱オタクファッション』のなかで、私は前者の領域について専らしゃべっていたが、少なからぬオタクたちは後者の領域を期待してやまなかった。ところが後者の領域は再現性が乏しい。美容やファッションを社会適応に役立てたいと思い立った人は、なにはともあれ、洗顔やスキンケアや身ぎれいな恰好、場面をわきまえた服装などをマスターするのが先決だろう。そして後者の領域をどこまで期待していいのかは、立ち止まってよく考えなければならない。
一子相伝の社会適応について考える
こんな具合に、不特定多数に開かれ、知識として流通している社会適応メソッドといえども、ある程度までは属人性に左右され、それがしばしば問題になる。万人に適用可能な社会適応メソッドについて考える場合には、属人性はしばしば厄介者扱いされ、再現性の邪魔になるものとみなされがちだ。
しかし、属人性を踏まえて社会適応メソッドを考える筋がないわけではない。一子相伝の社会適応メソッドの領域には、むしろ属人性をよく踏まえ、個々人の属人性に寄せたような社会適応を考え、実施する、または身に付けさせる……そういった思考が必要になる。だが属人性に寄せるがために、そうした社会適応は一子相伝の趣をなし、万人に再現可能なものでもなくなるし、広く世間に知られることもない。だけど、本当はそこも重要だったりする。
*1:例えば『何者かになりたい』や『「推し」で心はみたされる?』など
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