シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

限界編集者さんと過ごした日々

 

 
 
これから、ある編集者さんと本づくりをしていた頃のことを書いてみる*1。あらかじめ断っておくと、これは私個人の感想であって客観的な論述ではない。すべての編集者さんがそうだとも、そうであるべきだとも思えない。ただ、私はその編集者さんに引っ張られて、感化されて、凄い経験をさせていただいた。そのことを文章化したものだ。
 
 

「限界さん」という編集者

 
これまで私はさまざまな出版社の編集者さんと本や記事を作ってきたが、編集者という職業のイメージが今でも掴みきれていない。彼らは個性的で、それぞれのポリシーや性質に基づいた、それぞれの仕事の進め方を確立している。
 
これから話す編集者さんのことは、旧twitter(現X)にならって「限界さん」と呼んでおこう。
 
限界さんはとある出版社に勤務し、たくさんの出版物を手掛けている。著者としての私から見た編集者さんは、複数の著者を相手取って同時進行に仕事をしているから、顔や手がたくさんあるように思える。イメージとしては、阿修羅や十一面観音菩薩のような感じだ。
 
そうしたなかでも限界さんの仕事ぶりは際立っていて、限界ギリギリまで働いているように見えた。実際たくさんの書籍が限界さんの介添えのもとで産み出され、そのうえ社内のいろいろな決め事に関与したり気になる書籍をチェックしたり、果てはイベントのお手伝いまでしている風だった。
 
……とはいえ限界さんも人の子。ときどき、働き過ぎて身体がギクシャクしているご様子だった。私は「人生には健康リスクを冒したり加齢リスクを冒したりしてでも戦う場面が存在する」と考えるほうだが、それでも限界をこえて働けば体調が崩れると心配するし、身体がギクシャクする兆候には敏感でなければならないとは思う。限界さん、どうか自分自身の身体兆候には敏感になって末永くご活躍ください。
 
 

限界さん、私を中年危機から引っ張りあげる

 
その限界さんと私がファーストコンタクトを果たしたのは2022年のことだった。
 
その頃の私は「自分の書きたいことを書籍化できる自信が無い」が極まっていて右往左往していた。その結果、いろいろな人に迷惑をかけたり、不慣れな小説を書いてみたりしていた。ある人は、当時の私を「シロクマさんもとうとう中年危機に陥ったみたいだね」「でも、小説を書くぐらいで済んでいるならマシなほうだよ」と評していたけれども、そのとおりだったと思う。
 
そんな私の右往左往をじっと見ている人がいた。限界さんだ。限界さんからメールをもらった頃の私は気力が乏しかったので、「まずはご挨拶を」と返信しつつも気持ちは消極的だった。自分が何を書きたいのかわからなくなっているのに、新たに編集者さんと会って何ができるというのか。
 
打ち合わせにしばしば使われる新宿の某喫茶店で、挨拶もほどほどに雑談をした。人間はどこまで動物か。人間の向かうべき未来は法人格のような「理想気体のごとき存在」なのか。ウェルベック『ある島の可能性 (河出文庫)』の面白がりどころはどのあたりか? 現代人が有性生殖生物の本能に従ってではなく、経済合理性に従って行動するのはなぜか。最終的に、人間はどこに向かおうとしているのか。
 
私の小説にも話題が及んだ。現代社会の延長線上として、妊娠・出産・性行為が国家反逆になる未来はあり得るのか。あり得るとしたら、それはどんな倫理や政治に基づいてなのか。村田沙耶香『消滅世界 (河出文庫)』のような、男性が妊娠する社会がやってくる可能性はあるか。ハラリ『ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来 ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来 (河出文庫)』の3つの未来予想それぞれに、どのような説得力があり、どのような説得力の無さがあるのか。
 
結局、二時間ほど未来の話をしていたように思う。何を書けば良いのかわからないままだったが、私が未来の話をしたがっているのはよくわかった。限界さんはすべてを聞き終えてから、「熊代さんの未来の色々がひとまとまりの論説になるといいですね」とおっしゃった。まずは意見交換、そして漫画でいうネームのようなものを。結局、2022年のうちは限界さんと文通やオフ会みたいなことを続け、原稿を書くことはなかった。スタートラインよりずっと手前のやりとりが続いたけれども、それは当時の私に必要なリハビリテーションだった。
 
 

限界さんのペースに乗ったら私も限界になった

 
2023年。限界さんとの原稿のやりとりが始まった。去年、さんざん意見交換をしていたので一回目のドラフト原稿はたちまち仕上がった。が、原稿を見つめる限界さんの目は厳しい。限界さんが指摘する問題点はしばしば厄介だった。調べなおしに時間のかかりそうなもの、複数の資料や文献を見比べなければ片付かなそうなものも多い。あちこちの図書館に出向いたり、本を買って読んでは捨てるを繰り返したりして2023年の春は過ぎていった。
 
章構成もどんどん変わっていく。限界さんは、造作もないことのような口ぶりで原稿がひっくり返るような大改造手術を提案した。これ、ほとんど全編書き直しではないか? びびっている私のびびり具合を、限界さんはどのぐらい見透かしていたのだろう? 菩薩のような表情を浮かべる限界さんの胸中はまったくわからない。
 
なにくそ、どうなっても知らないぞ!
半分やけっぱちのような気持ちで、限界さんのアドバイスどおりに原稿をひっくり返し、一から書き直してみた。あれ? なんか凄いのができてきたぞ? やけっぱちで作った仮組み原稿は、元の原稿よりずっとよくできていた。まるで、はじめからこうなるよう計画されていたかのようだった。これが編集の力ってことなのか!?
 
そうやって卓球のラリーのようなやりとりを続けているうちに、私は限界さんのペースに慣れていった。限界さんは、『響け!ユーフォニアム』のなかで北宇治高校吹奏楽部を鍛え上げていく名指揮者*2のようでもあった。痛いところを指摘してくるけれども、それを直すたび、原稿の完成度が高くなっていく。しんどいのだが、ぎりぎり自分もついていける気がした。自分が何かうまいものを作っている気持ちが高まってきて、テンションがあがってきた。
 
本を作るのは、厳しいことでもあるけど楽しいことでもある。
私のなかで何かが爆発した。ひたすら原稿づくりと資料読みに夢中になった。2023年の夏頃からは、限界さんが他の仕事で忙殺されている間に未来の企画の原稿まで書き始めるようになった。books&appsさんに「50歳が近づいてきた中年の人生は、前に進むしかない「香車」のよう。 | Books&Apps」を寄稿した頃はそれが最も甚だしかった時期で、「うぉおおおん、おれは原稿を書く人間発電所だ」などと口走りながら毎日原稿を書いていた。寝るときも仕事の時もチラシの裏などにアイデアを書きまくる。持続可能かどうかはわからないけれども、確かにあの頃私は充実したひとときを過ごせていた。こないだ書いた「40代最後の全力疾走の季節」をもたらしてくれたのも、限界さんだと思う。
 
でも、限界さんのペースに乗っていると私も限界になる。books&appsさんに威勢の良い記事を届けて間もなく、私はインフルエンザにかかり、それからたいして時間を置かず風邪を引き直した。体力や免疫力の低下は明らかで、精神力が尽きる前に体力が尽きてしまった。「世界は限界さんの思うようにはできていない」。限界さんのペースに乗ると楽しい一面もあるけれども危ない一面もある──そんなことを思いながら2024年のお正月を迎えた。
 
 

限界さん、3時間おきに「チェックお願いします」の連絡をよこす

 
2024年初春。限界さんとの本づくりは最終局面を迎えていた。初校ゲラのチェックも終え、さて一安心……と思いかけたけれども、限界さんの場合、そうはいかない。SNSのメッセージやメールをとおして、「ここは変更したほうが良いですか」「こことこことここを再チェックしてください」と矢継ぎ早に連絡が舞い込んできた。1月の中~下旬になると限界さんからの連絡はますます加速し、最終的に3時間に一度ほどのペースになった。修正の期日も短くなっていく。「明日のお昼までになんとかなりませんか」と言われちゃったぞ、どうする?
 
「これが、限界さんの限界編集術か?」
 
矢継ぎ早のチェック要請のおかげで、小さなほころびが次々に修理されていく。しかし楽な作業ではない。初校ゲラが終わってからの仕事は、たぶん著者よりも編集者のほうが多いはずだ。私は自分のタスクの多さにびびってしまうと同時に、限界さんがどんな仕事状況にあるのかを想像して空恐ろしい気持ちになった。
 
 

命を大切にご活躍ください

 
そうして迎えた2月1日。ようやく、「著者サイドの作業はすべて終わりです」というお知らせを私は限界さんから受け取り、私と限界さんの本づくりの日々は終わった。
 
「限界まで働くって、変な脳汁が出るな」
 
限界さんのペースに引き込まれていた私が感じたことはこれに尽きる。アドレナリンやドーパミンをまき散らしながら本を作っている時、あらゆる文献、あらゆる資料が輝きを帯びて、着想と着想、資料と資料を縫い合わせる力が高まる。そのような本づくりを体験できたのは、著者として、いや一人の人間として幸福なことだったと私は思う。
 
ただ、そういう働き方の恐ろしさ・限界労働の深淵を覗いた気にもなった。限界さんのペース、限界さんから伝染したオーラは全身全霊で原稿に取り組むことを可能にしてくれるが、体力や精神力を持っていく。"比喩として"言わせてもらえば、私は限界さんに血を捧げていたのだと思う。あるいは自分自身の寿命を。多かれ少なかれ、創作活動にはそういった一面があると思うけれども、今回のミッションはとりわけそれを意識させるものだった。
 
これは限界さんご自身のお仕事ぶりにも当てはまる。本づくりをそこまで導いてくださったことを私は深く感謝する。と同時に、限界さんに幸多からんことを祈らずにいられない。限界さん、どうかこれからもご活躍を。でも、その限界編集術は命を削る魔術のたぐいではないでしょうか。志半ばで倒れてしまわぬよう、どうかご自愛ください。
 

 
限界さんと限界本づくりをして完成したのがこちらの本になります。よろしければお手にとってみてください。
 

*1:ご本人にも承諾いただきました

*2:滝昇