シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。現在、忙しいうえブログは実験モードに移行しています。

ブログと過ごした10年で、変わらなかったこと・変わってしまったこと

 
最近ブログを書く気持ちになれなくて、二週間近く放置してしていた。こんな時は誰かが与えてくれるお題に沿ってみるのがいいのかなと思い、【はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」】にかこつけ、この10年で変わらなかったこと・変わってしまったことについて書いてみる。
 
 
こと「書く」という点では、私にとってこの10年は、ブログと書籍を書き続けた10年だった。
 

何者かになりたい

何者かになりたい

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最初の書籍『ロスジェネ心理学』が出版されたのがちょうど10年前の2011年で、最新の書籍『何者かになりたい』が出版されたのが2021年。気が付けば書籍の数は7冊になり、今も書籍づくりに執念を燃やしている。書籍づくりは辛いこともあるけれども楽しいこともあって、そういう点ではブログと共通点もある。ただ、全体のサイズがブログより大がかりなので量産できないし、商業出版上の制約がないわけでもない。
 
だからこの10年の前半には、「書籍づくりは不自由なところが多くて、ブログのほうが自由にものが書ける」という気持ちだった。
 
ところがこの10年の後半、特に2018年頃からは「ブログで自由にものが書けるってのは本当なのか?」と考えてしまうようになった。正確には「ブログで自由にものが書けないわけではないが、その反動・その代償は速やかなので、実際には難しい」と言い直すべきか。
 
今でも自由奔放にブログを書いている人はたくさんいらっしゃる。けれどもこの10年間でネットの風向きは結構変わり、ネット全体でブログが占めているポジションも変わった。そうした変化に加えて、私自身も変わっていった結果、私にとってこのブログこそが一番自由なメディアと言えなくなってしまった。
 
今、私にとって一番自由なメディアは、ぐるっと回って書籍かもしれない。たとえば以下の書籍は限りなく自由に書かせていただいた。
  
もちろん書籍にはさまざまな制約があり、不自由ではある。けれどもその不自由さの多くは構成や、(商業出版としての)企画や、文体に由来した不自由さで、その不自由さをフォーマットとみなしてしまった向こう側には、自分の考えや知見や願望を真っすぐ投げ込める境地が広がっている。文字数もブログよりずっと多い。ひとつのテーマにたくさんの言葉を費やせるし、たくさんの言葉の制御を編集者さんが手伝ってくれる。
 
客観的に考えるなら、依然としてブログのほうが書籍より自由で、もちろんSNSより自由だろう。そのことはわかっている。それでも今の私には、やっぱりブログを書くことに不自由な感覚が伴う。不自由だと感じるから、たとえば書籍づくりの憂さ晴らしの場としてブログが機能していないとも感じる。今の私は、息抜きとして上手にブログを使えていない。
 
……じゃあブログを悪く言えるか、やめられるのかといったら、それも違う。
 
私がこうして書き続けていられる土台には、はてなダイアリー/はてなブログの恩恵がある。ものを書く基礎トレーニングになったのは間違いないし、今の交友関係があるのも、出版までの導火線をいただいたのもブログのおかげだ。それらの土台のうえに今の(ぜいたくな)悩みがあることを忘れるわけにはいかない。それに、なんだかんだ言って1000~6000字の文字数のメディアには、それ独自の取り回しの良さもある。書籍、ブログ、SNSなどを、つべこべ言わずに用途や気分によって使い分けていくのがたぶん最適なのだろうとも思う。
 
 

ただ、体力の低下はどうしようもない。

 
それともうひとつ。
私の場合、この10年間、書くことに対する意欲はあまり変化しなかった。10年前も書くことが好きで、今も書くことが好きだ。たぶん世の中の99.9%ぐらいの人と比較しても、私は文章を書くことそのものが好きなのだと最近やっと認められるようになった。
 
ところが文章を書いていられる時間、文字数には限界がみえるようになってきた。10年前は、一日の総アウトプット量が10000字を越えることも珍しくなかったけれども、今はブログで5000字、商用原稿で3000字を越えることはまずない。そうなった一因は「書きっぱなし」が減って「推敲したり書き直したりすること」が増えたせいもあるけれど、体力の低下が主因だと思う。
 

 
以前、腱鞘炎やってひどい目に遭ったので、職場や自宅のキーボードはREALFORCEに買い替えた。それでもたくさん打ち過ぎないよう、結構気を付けている。それと、真夜中や早朝にガバリと起きて書きまくることも今はない。それをやれば確かに筆が進むのだけど、翌日以降が辛くなってしまうからだ。四十代の書き手にとって、発作的に文章を書く仕草はサステナビリティの面で問題がある。
 
それと、本業が忙しい日に全く文章を打たない……というより打てない日も増えた。10年前は、何がなんでも365日休みなく文章を書いていて、友人の結婚式の往復中もブログを書いているほどだったけれども、最近は、飛行機や新幹線のなかで目をつむっていることが多い。10年前より筋トレやジョギングの量は増えているにもかかわらずだ。このあたりはもう、どうしようもない。
 
自分は、ゆっくりと書けなくなっていくのだろうと思う。
 
「60代になっても活躍している書き手がいる」とおっしゃる人もいるだろう。けれども私が眺めるに、その60代になっても活躍しているとされる書き手のうち、本当の意味で現役と言える人はそれほど多くない。晩節を汚す書き手、時代や世間の変化についていけず厳しい評価に曝されている書き手もたくさんいる。自分より年上の書き手の後姿を見ていると、書けなくなっていくという事態にどう身を処すべきか、真剣に考えたくもなる。躓き、転び、泥だらけになってもなお書き続ける年上の書き手をロールモデルとするのは難しい。
 
こうやって考えると、あと10年足らずかもしれない現役期間中に何を書くのか、真剣に考え、取捨選択しなければならないのだと思う。競走馬が何歳になっても現役でいられるわけでないのと同じ道理で、書き手だって何歳になっても現役でいられるわけがない。だから1年1年にかけがえのない重みがあるとも言える。
 
振り返っている暇はない。
なるべく悔いを残さないよう、ブログも書籍も書きたいことを書きたいようにやっていきたいと思う。