シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

『月姫 -A piece of blue glass moon-』備忘録

 

 
我が家にもswitch版『月姫R』がやってきて、合計3本のエンディングを読み終わるのに1か月ぐらいかかった。すごい分量、すごい演出、すごい歳月を感じた。この『月姫R』がトータルでどうなのかは、数年後にリリースされる後編を体験してみないことにはなんともいえない。とはいえ、月姫ワールドの住人に再会できてうれしかった。いつか来る後編に備えて、ここに個人的な備忘録を残しておく。
 
 
※なお、ここからの文章はネタバレを一切顧慮していないのでネタバレが心配な人は読まないでください。それとこの文章は
今甦る真月譚,新生「月姫R」クリエイターインタビュー。奈須きのこ&BLACK両氏が語る世界の裏側,そしてこれからを読んだ後に書いているので、たびたびそちらを引用した書き方となっています。
 
 

全体について

 

  • 今回の『月姫R』はアルクェイドルートとシエルルートの2人ぶんでしかないのに、たいへんなボリュームだ。バトルの最中、23時30分頃までテキストを読んでしまったことがあったけど、夜通しでビジュアルノベルを読める年齢でもないので泣く泣く中断した。が、バトルのテキストに夢中になった後は冴えてしまってなかなか眠れない。エキサイティングなゲームを寝る直前までやるのは健康によろしくないですね。

 

  • 序盤から懐かしさでいっぱいだったが、歳月のためか、リニューアルだらけだからか、新鮮さが勝る場面も多かった。ネロ・カオスがいなくなりヴローヴに差し替えられているあたりから新鮮さがいや増し、シエルルートで拍車がかかった。結果、新作に近い感覚で読むことになった。

 

  • 声優さんの声。自分の場合は違和感がなかった。アルクェイドは初手からアルクェイドらしい声でしゃべり、秋葉は秋葉らしい声でしゃべっていた。ちなみに自分は昔のアニメ版をまったく見ていない。どうしてこんなに違和感をおぼえないのだろう? おかげで作品に没頭することができた。脇役の皆さんの声も良かった。

 

  • 演出。ビジュアルノベルもここまで豪華になったのか。聞くところでは、TYPE-MOONの先発作品『魔法使いの夜』でも優れた演出が観られるんだとか。でもそちらはプレイしていないので、自分が直近に比較できるビジュアルノベルは『シュタインズ・ゲート』やソーシャルゲームの『Fate/Grand Order』になり、それらと比べればクオリティの高さは歴然としている。バトルシーンでは氷塊がびゅんびゅん飛んだりアルクェイドやシエルや志貴がぴょんぴょん飛び跳ねたりして、へたなアニメよりよほど勢いがある。派手な場面だけでなく、遠野家の人々の会話シーンでも絵の動かしかた・切り替えかたに嬉しくなる場面があった。特にアルクェイド、翡翠&琥珀さん、秋葉の魅力のかなりの部分はこの動かしかた・切り替えかたのおかげのように感じた。

 

  • とはいえ、どれだけ絵が動いても『月姫R』はアニメじゃなくビジュアルノベル、とにかく文章を読ませにかかってくる。FGOなどに比べればはっきりと長文とはいえ、ほとんど引っかかりどころなくテキストが読め、そのテキストを補佐するように絵が動いてくれて至れり尽くせり。どんなにビジュアルが優れていても、ビジュアルにテキストが添えられているのでなく、テキストにビジュアルが添えられているのがよくわかる読み心地だ。でもってバトルシーンになると遠野志貴の状態が人間離れしていき、それに伴って語彙の使い方もだんだんおかしくなっていく。これが異常に盛り上がる。アルクェイドルートの前半から抜粋してみると、

 

活動限界まで残り2分。
────興奮が恐怖を駆逐する。
死の物狂いのあがきに、死生観が逆転する。

 
この、「死生観」の使い方みたいなちょっとズレた語彙の使い方が、作中ではかえって気持ち良く感じられる。
 

  • これは年齢制限をわざわざ貼ってあるから当然だろうけど、グロ注意、な作品でもある。あっちこっちグログロしていて、悲鳴、残虐、スプラッタでいっぱいだ。吸血鬼対殺人鬼だから当然とはいえ、グログロしたものが苦手な人にはきついかもしれない。あと、エロゲとしてつくられた同人版に相通じるところがあり、エロゲではないのだけどその気になればエロゲに作り替えられそうなつくりになっていて、そういう雰囲気が嫌いな人は避けたほうがいいのかもしれない。

 
 

キャラクターについて

 

  • 遠野志貴。シキとのかかわりも含めて設定山盛り、殺したくなったり自動的に戦ったり、楽しい主人公だ。しかし声優さんの声はまともな人間っぽく、頭のなかが中二ドライブしているのだなぁと感じた。また、作中で「昆虫みたい」と評されていたけれども、それは殺人鬼うんぬんのくだりだけでなく、恋慕・発情という点でも志貴は昆虫みたいだと思う。というのも、志貴のメインヒロインたちにたいする恋慕・発情の軌跡は直線的で、(エロゲじゃないけど)いい雰囲気になった時のリビドーの励起も迅速だからだ。(メイン)ヒロインたちを惹きつけ、必要時にはすみやかに恋慕・発情スイッチが入る遠野志貴なる存在に、在りし日のエロゲ主人公を思った。

 

  • アルクェイド。めちゃくちゃかわいい。絵の数が増えていて、手数のぶんだけかわいくなっているようにみえる。猫らしさにも磨きがかかり、怒った時の怖さも破壊的に高まったが、いずれにせよ猫なのである。今作のアルクェイドはいろいろな状態・形態になるが、どれほどむごたらしい場面・形態でも造物主に愛されている感があり、優遇されているなーと思った。たとえば『Fate』シリーズのアルトリア・ペンドラゴンを見ていても優遇感を想起することはあまりない。というより、後でもまた触れるが『月姫R』のキャラクターはだいたいみんな造物主に愛されている感があって、そのこと自体もありがたいのだ。アルクェイドにしてもシエル先輩にしても、作中でどんなにグチョゲロスプラッタになることがあったとしても、粗末に扱われる心配はしないことにした。
  • ところで、シエルエキストラルートの怪獣形態アルクェイドについては、それに似た凄さを数か月前に『三体』で経験していたのでタイミングが悪かった。本作にも『三体』にも本興味のある人には、『月姫R』のシエルエキストラルートを読み終わってから『三体』を読むのをおすすめしたい。

 

  • シエル先輩が眼鏡じゃなくなっている! 時々眼鏡はかけるが、もはや眼鏡ヒロインとはいいがたい。眼鏡ヒロインを出していいのはキャラクター枠の多いソーシャルゲームの世界だけなのか! そのかわりアルクェイドに並び立つ正ヒロインとして折り目正しくなった。あいかわらずカレー先輩ではあるけれど。
  • 彼女の贖罪がシエルルートの大きなウエイトを占めているのだけど、ノエル先生という新しい脇役が入ることで読み応えのある感じになっていて良かった。しかしノエル先生のことはさておいてシエル先輩には幸福であって欲しい、という遠野志貴の気持ちはよくわかる。
  • 同人版の『月姫』では人気投票で振るわなかった彼女をメチャクチャテコ入れした結果がたぶんこうなのだろう。しかしアルクェイドに伍する正ヒロインになったからといって、遠野家の人々に対抗できるものなのか? ……たぶん勝てないと思う。というか、それだけの魅力を続編に期待したい。
  • 翌日追記。そうだ、シエル先輩は正ヒロインなのだけど(アルクェイドとの比較において、いや、遠野秋葉との比較においても)エレガンシーが足りないのだった。彼女はちょっと粗忽だ。それがいいってファンもいるだろうけれど、人気投票的にはこれは弱い要素かもしれない。

 

  • で、遠野秋葉。今の段階でも正ヒロインの風格が漂っている。人間としての卓越に加えて作中のさまざまな仄めかしに、夢が広がる。同人版では秋葉ルートがいちばん好きだったのでとにかく楽しみだ。続編では加速していただきたい。

 

  • 翡翠さん。原作とあまり印象は変わらない。声はとても似合っていると思う。この人も後編に期待。

 

  • 琥珀さん。うまく言えないのだけど、今回、琥珀さんの立ち絵、特に画面やや右側から左を向いている時の立ち絵がめちゃくちゃ好きだ。同人版を思い出した時、この人の後編はいったいどう改変されるのか期待と不安でいっぱいになる。ひまわり畑よもう一度。 

 

  • さっちんこと弓塚さつきはほとんど出番無し。冒頭リンク先によれば後編で新ルートがあるっぽいけど、この人にはもともと興味が無かったので後編をどんな気持ちで読むことになるのか予想つかない。

 

  • 新キャラノエル先生。メインヒロインではないのだけど魅力的で、忘れられない存在だった。怪獣大戦争もいいところな月姫ワールドに紛れ込んでしまった一般人A。アルクェイド、シエル先輩、阿良句先生、強力な吸血鬼たちの凄さを引き立てるためのかませ犬として大車輪の活躍、この人のおかげでいったいどれだけ他のキャラクターが引き立てられただろうか。主要なキャラクターたちの次元に全く到達していない感じもすごく良い。
  • じゃあ、かませ犬であるこの人が地味&凡庸キャラクターかといったらそうでもなく。むしろ異様にキャラが立っていてきめが細かかった。悲惨な過去話や若返った状態のバトル以上より、そうでない時の振る舞いのひとつひとつを積み重ねてキャラクターをこしらえてゆく感じが好ましかった。口元のほくろもチャーミングだ。私生活でも適度にめんどくさそうなのもいい。

 

  • 聖堂教会の皆さんはキャラクターがはっきりと役割を担っていて、物語のパーツとして必要と感じた。組織としての聖堂教会を意識させてもらえなかったら、シエル先輩とノエル先生の結びつきがイマイチな感じになっていたかもしれない。

 
 

『月姫R』と向き合っている自分自身の態度について

 

  • こうやって月姫Rの所感をブログに残す行為は今風ではない。SNSで感想をつぶやいて作品との付き合いを終えてしまう、いや、SNSでつぶやきながら、作品と現在進行形で付き合ってゆくのが当世流なのだろう。けれども今回、ネタバレが恐かったこともあって作品とほとんど一対一で向き合うことになり、その向き合いかた自体もなんだか懐かしかった。

 

  • 本作は作中描写を積み重ねて事態についていろいろ推測する余地のある作品だったらしく、冒頭リンク先にも「彼の状況については推理できる材料をバラまいているので,ある程度推測できるんじゃないかと思います。実際,真相に辿り着いている人もいて,作り手として嬉しい限りです」と記されていた。そうなんだー。しかしエヴァンゲリオンから始まり、ひぐらしのなく頃に・うみねこのなく頃にと訓練されてしまった私には、作中描写を積み重ねるとか、推測とか、そういったアングルは失われて久しかったのだった。
  • 脱線するが、私にとってのひぐらし&うみねこは、そうしたきめ細かい深読み可能性を丸ごと焼き畑にしてしまう作品経験で、また、キャラクターに対する愛情を粉砕するものでもあった。懲りずにひぐらしのなく頃の新編を私は見てしまったが、主要登場人物が何度もむごく殺され、金属バットで頭を割られて平べったくなっているのを見て、最終的にひぐらしのキャラクターへの思い入れのゲージはゼロになってしまい視聴を中断してしまった。結局あのシリーズはどういう態度で楽しむのが正解だったのか、よくわからない。この点ではTYPE-MOONは大丈夫そうで、個々のシーンやルートは惨たらしいとしてもファンのついたキャラクターをびりびりに破いてしまわないようにみえる。というか、ファンがついたキャラクターへのアフターケアを怠らない感があり、たとえば、ばらばらになってもケダモノになってもアルクェイドは正ヒロインなのだった。

 

  • どんなグロが出てくるのか、それともハプニングエロが飛び出してしまうのかと懸念して、Switchをモバイルモードにして陰でコソコソとプレイしていた。実際はコソコソするほどではなかったのだけど、隠れてプレイする感じもなんだか懐かしくて、『月姫R』の受け止め方を変えていたかもしれない。しかしモバイルモードでは画質も音も大きく見劣りするのでおすすめできない。大きなディスプレイ&マシな音で確認したらずっと良かった。

 

  • 舞台が2010年代の都心に映ったとはいえ、遠野家の人々もシエル先輩やアルクェイドもまったく年を取らず、いっぽう私自身は年を取ってしまった。この、加齢によるキャラクターの受け止め方の変化はどうにもならない。遠野志貴もシエル先輩も高校生で、アルクェイドも見てくれは若く感受性も瑞々しい。で、2001年頃の私はそうした高校生的感性からたった7年の距離しか隔たっていなかったのだけど、それから20年の歳月が流れ、彼我の年齢的隔たりが四半世紀を超えてしまったことで、彼らの日常、彼らの感性、彼らの行動原理がすっかり他人事になってしまった。
  • こうしたことから、キャラクターは年を取らなくてもプレイヤー自身は容赦なく年を取ってしまう問題、または、キャラクターは年を取らなくてもリメイク作の置かれたパースペクティブ自体が古くなってしまう問題を、直視してしまったと私は感じた。案外、これが個人的感想として一番重たかったかもしれない。『月姫』Rにこういう感情を抱ける(または、抱いてしまう)のは、ストーリー改変があったとはいえキャラクターたちが20年前に観た時とほとんど同種の輝きを保っていたからで、たとえばファンと一緒に年を取っていく、または変質していく感じのあった劇場版ヱヴァンゲリヲン四部作ではこういう感じにはならなかった。遠野家をはじめ、在りし日の美しい中二病庭園が、より輝きを増しつつ自分の手の届かないところへ行ってしまう──なんだろう、この寂寥感は。でも仕方のないことではある。

 

  • 後編をプレイするにはオリンピックぐらい待たなければならないという。今作と同じクオリティだとしたら、さぞ良いものを拝めるだろう。でもその頃の私は今以上にキャラクターたちを遠い存在として感じてしまう、そのことを今から覚悟しておかなければならない。でもって、そもそも後編がリリースされるまで無病息災でいなければならないなどと意識してしまうのが中年のサガ。20代の頃は無病息災とは努力なしでも達成できるもので、生命保険料の値段に象徴されるような安いものだったが、今はあと数年の無病息災が重たい。おれの加齢臭のように鬱陶しい意識だ。

 

  • いろいろ体裁が保てなくなってきたのでもうやめるが、かように『月姫R』は私にとって歳月を感じさせる作品で、今、思春期の真っただ中にいる人がこれをどう咀嚼し、キャラクターとどんな交わりを結んでいくのかさっぱりわからない。もう私は、年齢からいって10代や20代の人と胸襟を開いて語り合う機会が減る一方とみるべきで、こうやって私はおじさんの箱にますますおさまっていくわけだ。いけない。こんな立派なリメイクをプレイさせてもらっておきながら、なんて後ろ向きなことを書いているのだろう。がっくし。