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お盆の終わりに劇場版『Fate/stay night』を見に行った。映画館は満席になっていて、さまざまな世代のファンが集まっていた。本来、今年の春に公開するはずだった本作がようやく公開された爪痕がパンフレットに残っていて、その広告欄には劇場版『Fate/Grand Order 神聖円卓領域キャメロット』8月15日公開などと書かれていた。ともあれ、本作がどうにか公開されて、原作の桜編(Heaven's feel)が完結したのは嬉しいことだった。
Heaven's Feel、おそらくFGOから入ったであろう中高生が「???」ってなりつつも映像美を堪能して、俺の左斜め前に座ってたおじさん(おそらく月姫の頃に二十歳くらいだったんだろうね)が泣いてたあたりで、「やっぱ型月ってすげーわ」ってなった
— とど (@FeZS6mNpazh5xmm) 2020年8月16日
ああ、この泣いていたおじさんの気持ちはよくわかる。
原作と出会って16年、待ちに待った劇場版は、期待以上のものだった。
この感情はFateファンにしか伝わらないだろうけれども、わかる人にはわかるはずだ。
私も感極まったので、感極まっているうちに雑感を書き残すことにした。
・この作品は完全にFateファンのために作られたエンターテイメントであり、Fateに興味が無い人が視聴する可能性をフォローしていない。Fate系列の作品をまったく知らない人は観ないほうがいいだろう。最低でも、なんらかのFate系作品に触れたことのある人がみるべき映画だった。
2004年リリースの原作もややこしく、セイバー編・凛編をちゃんと覚えていないと桜編はわからなくなってしまう。そういう原作のなかから桜編(Heaven's feel)をピックアップしたのが劇場版三部作なので、ますます話の筋がついていきにくくなっている。それでも原作やFateシリーズを知っている人が話についていけるよう、親切なカットが多数用意されていたが、これらもFateファンでなければ理解できない内容だったので、Fateを知らない人はたぶん難破する。だからFateファンのためにつくられた映画だと言ってしまうほかない。
(日本で)映画化されるアニメはしばしば、原作ファンのほうをしっかり向いていて原作ファン以外のほうを向かない。それを批判している人がいるのを知ってはいるし、それが尤もだと思うこともあるけれども、原作ファンのほうを向いているからこそ出来ることもあるわけで、この作品は原作ファンをおもてなすことに徹していた。Fateシリーズをよく知り、聖杯戦争史を理解している人はもちろん、それこそFate/Grand Orderを遊んでいる人でもだいたいわかるようにつくられていた。
いやそもそもFate/stay nightの原作を遡ればエロゲーだったわけで、そのエロゲーから出発したアニメがこうして映画化されているのだから、日本全国の(それともワールドワイドの?)Fateファンだけを抱きしめる作風になっていて何が悪いというのか。素晴らしいとしか言いようがない。
・もともとの『Fate/stay night』は、サーヴァント・魔術師同士の戦闘シーンが華やかにみえて、ストーリーの要所要所は地味というか、意外と湿っぽい会話をとおして物語が進行していた。少なくとも昔のハリウッド映画のような、勇ましいヒーローがラスボスを退治してハッピーエンド……というようなつくりではない。今作もそうで、サーヴァント同士の戦いや魔術師同士の戦いは派手だったものの、最後の最後は割と地味というか、それこそエロゲーの選択肢によってストーリーが決まるかのような雰囲気が漂っていた。これは自分の記憶違いかもしれないが、大聖杯と対峙するシーンは原作のほうがまだ派手だったような記憶がある(あくまで記憶であって、実際にそうだったかはわからない)。セイバーオルタとライダーとの戦いが決した後はわりと落ち着いた展開だった。
・というか、第二作もそうだったけど、サーヴァント同士の戦いがあまりにも素晴らしく、見栄えという点では群を抜いていた。セイバーオルタは相変わらず無茶苦茶で、圧倒的なエネルギーをそこらじゅうにぶちまけていた。それをかわしつつ魔眼を光らせ、決定的瞬間を作ろうとするライダー。サーヴァントの破壊力とスピードを2020年のアニメテクノロジーで再現するとこうなるのか! という驚きと喜びで釘付けにならずにいられなかった。セイバーオルタは真っ黒に染まっていながらも武人の佇まいをも漂わせ、ライダーのベルレフォーンが真っ白なペガサスとなってスクリーンを描けた。こんな美しいベルレフォーンを映画館で拝めるとは眼福としかいいようがない。ライダーは本当にがんばった。
・十六年ほど前、Fate/stay nightをプレイし終わった時の私が一番好きなキャラクターはライダーだった。なにかと不遇で、ときにはあっけなく倒され、セイバー編では悪役の気配が漂い、けれどもマスターである桜にどこか似ていて、そんなマスターのために尽くし、セイバーオルタにも果敢に立ち向かうライダーはFate/stay nightの他のサーヴァントたちと様子が違っていた。原作では目隠しを取るとすごい美人とされていたが、今回の対セイバーオルタ戦でも目隠しを取り払い、戦闘中も美人っぷりを遺憾なく発揮していた。日本アニメ美人顔だったが本望だ、やっぱりライダーは美人、それも本作第一といって良い美人だったんだ! ライダーファンにとって、こんなにうれしいことはない。
・そして桜はちゃんと桜らしかった。滲み出る不幸な娘感、嫉妬、蓋をされていた欲望が爆発してみんな大迷惑、ところどころ鼻につくぶりっ子しぐさ、凛々しい遠坂凛とのコントラスト、等々が重なり、典型的な正ヒロインのイメージにまったくおさまっていなかった。バッチリだね桜ちゃん!
こうした桜の性質は、第一回Fate/stay nightの人気投票の結果にも反映されていて、ほんらいFate/stay nightの正ヒロインと言っても過言ではないお姫様的ポジションにもかかわらず、人気投票第6位とセイバー*1や凛に大差をつけられていた。今、こうして映画館で桜の熱演をみていても、やはり桜は正ヒロインたりえないというか、罪深いヒロインの十字架を背負っていて、もちろんエンディングを迎えた後もそれは変わらなかった。
そのような桜の姿を、今、新世代のFateファンが凝視しているわけだ。桜の行いの善悪是非は、十数年の時を経て年下のFateファンの知るところとなっている。メタな視点になってしまって申し訳ないが、これこそ、衛宮士郎が語ったところの「生きて罪を償い続ける」ということではなかったか?
桜の償いは他にもある。Fate/Grand Orderにおいては、桜の眷属たちはひねくれた・めんどくさいヒロインとしての座を占めていた。凛やセイバー(この場合はアルトリア顔というべきか)の眷属がFate/Grand Orderのなかで獲得しているステータスと、桜の眷属がFate/Grand Orderのなかで獲得しているステータスには歴然とした差がある。いわば、Fate/Grand Orderの地において、桜は前世のカルマを支払い続けているのである。とりわけ、大奥イベントで大暴れしていた桜の眷属・カーマは非常にひねくれたサーヴァントだった。桜のカルマは今もこうして引き継がれ、裁きを受け続けている。
・ただ、そうやって後世のゲームにまでカルマが引き継がれて裁きを受け続ける桜の身の上には不憫なものを感じる。Heaven's feelではひとつの救済がなされたとはいえ、巨大IPと化したFateシリーズのなかでひねくれヒロインとしてこれからも語り継がれていくとしたら、なんと悲しい女性なんだ! 間桐桜!
他方、そういうキャラクターを貫徹してきたからこそ、こんな桜を慕うファンや桜に救われるファンがいることも想像がつく。桜というキャラクターが生きている限り、桜は罪を償い続けると同時に桜を慕うファンや桜に救われるファンに何かを提供し続ける。それは、凛やセイバーには提供できない種類のものだ。Fateファンのうちに桜を嫌う人や嘲笑する人がいるとしても、まさにその性質によって桜を慕い、桜に救われる人もいるのだとしたら、それは衛宮士郎のいう「生きて罪を償い続ける」の良い面だと思う。
メタ視点に立って考えるなら、桜が生きていて本当に良かったし、衛宮士郎の決断とFateシリーズという大河の流れはそれを可能にしてくれた。これからも桜は、胸を張って桜であり続けていいのだと思うし、ライダーが好きだった私としては桜は桜であり続けて欲しい。ライダーを触媒なしで召喚した桜は、桜であっていいのだと思う。
・そういえば、桜と私の付き合いもこれで16年になったわけか。新世紀エヴァンゲリオンの惣流/式波アスカラングレーに比べれば短いとはいえ、桜もまた、自分と一緒に年を取っていくタイプのキャラクターになった。これから桜はFateの世界でどんな風に変わっていき、どんな風に年を取っていくのだろう? どちらにせよ、Fateが今後もシリーズとして続いていくとしたら(商業上の理由から、その可能性は高い)、きっと私はこれからも桜の物語に出会えるのだろう。個人的には、いつかは桜のカルマも洗い清められ、もう少し明るいキャラクターになる日が来たっていいとも思う。
桜とFateの話を続けていたらきりがないので今日はこのへんで。
いいFateを観れて良かったです。
*1:注:この頃はまだ、アルトリア・ペンドラゴンというフルネームでセイバーのことをわざわざ呼ぶことは少なかった