シロクマの屑籠

はてな村から引っ越してきた精神科医シロクマ(熊代亨)のブログです。

編集者という種族とコミュニケーションできなかった頃の話

 
 
 
昨日、twitterの片隅で「書籍を出版することについて」の問答を見かけた。
 
出版社をとおして書籍を出版したいと思う程度は人それぞれで、私は自分の考えていることを書籍にして、ぜひ世に伝えたいと思っていた。けれどもなかなか出版には至れず、ヤキモキした時期が数年続いていた。無駄にした原稿は10万字や20万字では済まない。
 
しかし今思うと、あれは完全に失敗だったし当時コンタクトを取った編集者の皆さん、およびコンタクトの口利きをしてくださった皆さんにご迷惑・ご面倒をかけて申し訳なかったと思っている。今日は、その頃の失敗について書く。

 
 

失敗その1:文章が下手だった

 
失敗その1。単純に、文章が下手だった。一冊の本は10万字前後必要だけど、10万字のボリュームを読み物にしきれてなくて、第一章と第三章でだいたい同じことをリピートしていることがあった。当時の私は今以上に文章が長ったらしくて、およそ不特定多数の読者に届けられるものではなかった。
 
わかりやすい表現で済ませられることを、難しい言い回しやボキャブラリーで書いてしまっている場所もたくさんあった。もちろん、難しい言い回しやボキャブラリーでなければ表現できないこともあるし、そういう時は難しい言い回しやボキャブラリーを選ばなければならないわけだけど、不必要に難しい言い回しやボキャブラリーを用いれば読みにくくなってしまうだけだ。また、ナルシスティックな文体にもなりかねない。
 
そういうことが十数年前の私にはよくわかっていなかった。当時の原稿を手に取った編集者さんは、読みにくくナルシ―な文体に閉口したことだろう。あれじゃあ出版なんてできっこない。ところが当時の私はそのことがわかっていなかった。
 
 

失敗その2:書きたいことと売り物になることの区別がついていなかった

 
失敗その2.自分が書きたいことと売り物になることの区別がついていなかった。これは今でもあまり区別がついていなくて、編集者さんの企画力でパッケージを整えてもらって、どうにか出版にこぎ着けているのが現状だ。
 
編集者さんとのコミュニケーションがうまくいっていなかった頃は、編集者さんの企画力を借りられなかったので、とにかく私は自分が書きたいものを書きたいように書いていた。
 
でも、自分が書きたいものを書きたいように書いて読んでくれるのは、ブログの常連さん、せいぜい数十人ぐらいでしかない。数百~数千人に読んでもらおうと望むなら、書きたいように書くだけでなく、読む人が読んで何かを得るように書かなければならない。それがわかっていなくて、とにかく書きたいことばかり書いてしまっていた。
 
私は今でも書きたいことと売り物になることの区別があまりわからない。これまでの個人ブログではそれは長所たりえたけれども出版の世界では短所、それもかなりの短所だと思う。たぶん私が編集者さんを介さずに(独りで)電子書籍や同人誌を出版しても売り物にならないと思う。
 
 

失敗その3:編集者さんとのコミュニケーションに失敗していた

 
失敗その3.私は編集者さんとのコミュニケーションがわかっていなかった。たとえば原稿を受け取った編集者さんが「ここの箇所は、こんな風になっていますね」と言った時に、それが手直しをしたほうがいい……というか手直しをしなければならない重要なポイントを指摘していることがあって、にも関わらず私は重要だと思っていなかった。
 
いや、重要なポイントかどうかがわからなければ編集者さんに尋ねればよかったのだ。けれども2000年代の私には、それができていなかった。それこそ今の私だったら遠慮なく編集者さんに「おっしゃっている点は、手直しが是非とも必要な箇所とお見受けしました。なら、どんな風に直したものでしょうか」などと食いついていただろうけれども、どこかで私は編集者という種族に遠慮していたというか、怯えていたのだと思う。
 
それと、編集者という種族が進捗を気にすること、それでいて進捗ペースについては筆者に裁量をある程度委ねようとする種族であることも当時の私はわかっていなかった。編集者さんが進捗を気にし、かつそのペースを筆者に委ねてくる以上、締め切りの時期を明らかにしたり進捗について報告したりしたほうが編集者さんとのコミュニケーションは上手くいく。というか信頼関係ができやすくなるというべきか。十数年前の私にはこれがわかっていなくて、進捗が曖昧になるうちに企画の卵が死んでしまうケースがあった。その時は担当編集の方には迷惑をかけてしまったと思うし、私も進捗があいまいになってヤキモキした。完全に、ディスコミュニケーションだったと思う。
 
筆者として能動的に進捗を報告したり締め切りを提案したりするようになってから、編集者という種族とのコミュニケーションはだいぶマシになったと思う。でも、はじめのうちはこれが本当にわかっていなかった。
 
あと、「出版企画として通るか通らないか」についてもよくわかっていなかった。
 
超絶有名人なら、何も書かないか、紙きれ一枚ぐらいの企画書でも社内の出版企画会議はパスするものなのかもしれない。しかし、木っ端ブロガーでしかない私が出版企画会議をパスするためにはかなりの手続きが必要だった。
 
少なくとも私の場合は、出版企画会議をパスするまでに最低限2~3万字クラスの「原稿のミニチュア」を提出するか、いっそ最初から10万字以上の「原稿のプロトタイプ」を提出するかしなければ通らないと思っている。これらをやっても通らないこともあり、憤慨したくなることもある反面、通らなかった「原稿のミニチュアやプロトタイプ」を後で確認するとだいたいツメが甘く、通らなくても仕方ないと思ったりもする。
 
編集者という種族は、書籍を書く助けになると同時に、売れる本を目指さなければならない使命を持っているのだから、売れそうにない企画は中止するしかないことだってある。逆に言えば、編集者という種族とコミュニケーションする際にはそのことを念頭に置いて、できるだけ編集者さんが企画をプッシュしても社内で困らないように(そして売れるように)意識しないわけにはいかない。
 
現在でも、編集者さんとコミュニケーションをとった結果として、企画の卵の卵ぐらいのものが消えてしまうことはしばしばある。企画の卵の運命は、筆者としての私の力量と知名度と都合、編集者さんの思惑や出版社の状況などによってさまざまに決まる。ただ、筆者としての自分にも編集者さんと出版社にも都合や責任があり、そのなかでできる限り良いコミュニケーションを心がけていかなければならないとは感じる。
 
たとえそれが、出版に結びつかない出会いと別れだったとしてもだ。
 
 

失敗その4:しぶとさが足りていなかった

 
失敗その4.しぶとさが足りていなかった。編集者さんにアドバイスを貰ったり「もう少しがんばりましょう」と言われた時に、私は粘るよりも折れてしまっていた。臆病な自尊心があってのものでもあると思う。「もう少しがんばりましょう」と言われたら、編集者さんが少しびびるぐらいがんばるべきだったのだ。熱意を見せるべきだった、と言い換えるべきか。
 
編集者という種族もまた人間の一種だから、熱意を検知するセンサーは装備しているはずだ。というか装備しているようにみえる。10万字書いて「もう少しがんばりましょう」なら、大幅に改造した10万字を再び送るべきだった。あるいは企画を固めていく段階なら、できるだけ早く・できるだけ充実した・できるだけ編集者さんの意を汲もうとした新しい企画書を書いて送るべきだった。
 
 

まだわからない部分もあるけれども

 
これまでに出会った編集者さんは、雑誌やネット媒体も含めて30人ぐらいではないかと思う。これでもって、編集者という種族のことがわかった、などとは言えない。まだわからないこともあるし、ときには失礼や非礼を働いてしまっているのではないかとも思っている(すみません)。
 
それでも、はじめの頃に比べればコミュニケーションの作法行儀や編集者という種族ならではの呼吸や都合について、いくらかわかるようになったと思うし、自分が一番書きたかった本をほとんど書きたいとおりに出版する幸運*1を掴むこともできた。編集者さんをとおして色々なことを教わったりもしたと思う。
 
この文章を書いているうちに、編集者という種族とうまくコミュニケーションをとるための作法書やプロトコルがあればよかったのに、と思ったりもした。いやでも作法書やプロトコルはしょせん形式でしかなく、もっと言葉にしづらい、何かが通じ合うような体験があってはじめてコミュニケーションが成ったと言える気もする。なぜなら編集者さんだって人間なのだから。
 

*1:『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』は、日本の娑婆世界について私が書きたいことを85%の純度で書きたいとおりに書けた稀有な企画で、もう、このような幸運は二度とこないかもしれない。本当はもっと時間をかけてみたくもあったが、時機を逃すわけにいかないので2020年の東京オリンピックを目標期限としていた。結果としてオリンピックは消えてしまったけれども。