シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

あなたの文章を真剣に読んでいた人は、今はガチャを回すのに忙しい

 (※この文章は、はてなダイアリー~はてなブログの昔話、それも個人への返信なので、そのあたりにご関心のない人は読まないほうがいいと思います※)
 
「ここに書けば誰かが真剣に読んでくれる」という期待感が今のはてなにはない - あままこのブログ
 
昔、はてなダイアリーをはじめとするブログ界隈の一角には、真剣に文章を読んでくれる人がたくさんいたように思う。新しいブログ記事を書くたびに読んでもらえるだけでなく、過去ログを振り返ってくれる人、過去ログを読んだうえでブロガーの一人一人の性質を憶えておいてくれる人がいた。
 
そのことをノスタルジックに「あの頃は良かった」と思うことはたやすい。実際、楽しいひとときには違いなかったし、十年前に懐かしいと思えるようなひとときを当時のブロガーたちが創っていたことに疑問は無い。
 
関連:「十年後に懐かしいと思える今を、今のお前が創るんだ!」 - シロクマの屑籠
 
ここから、インターネットの変容とか、動画の台頭とか、スケールの大きな話は幾らでもできるように思う。でも、今日はもっと間近な、あの頃に真剣に文章を読んでくれていた具体的な一人一人、はてなダイアリーやはてなブックマークをとおしてブログ界を盛り上げていた人々のことを思い出してみたいと思う。
 
 

あの人はガチャを回すのに忙しく、あの人は登山に忙しい

 
インターネットの人の集まりは自然発生して自然解体していく。みんなが自由意志に基づいてひとつの場に集まり、強制力が無く、それぞれの人生を抱えて生きているのだから、それで構わないのだと思う。
 
だからブログの文章を真剣に読みあっていた往時の人々が、今はぜんぜん違うところで違ったことをしていることに、一抹の寂しさはあっても違和感はないし、違和感を持つべきではないのだろう。
 
具体的なハンドルネーム(やはてなid)を出さない範囲で、思い出話を書いてみる。
 
以前はみずからブログを書き、はてなブックマークの常連中の常連だったある人は、今はソーシャルゲームのガチャを回すのに忙しい。いや、ソーシャルゲームとはガチャを回す刹那の合間に長時間のマネジメントを伴うものだから、「彼はガチャに可処分所得を賭け、マネジメントに可処分時間を賭けている」と言い直すべきかもしれない。
 
また別のブロガーだったある人は、昔はサブカルチャーやネットカルチャーにも詳しい人物としてならしたものだが、今は自転車に乗ること・山に登ることに余暇を回している。オンラインからオフラインへ軸足を移したことで、きっと今までよりも健康・健全になり、あれはあれでうらやましいことだな、と思ったりする。
 
別のある人はtwitterで終わりのない言い争いの渦のなかでグルグル回転し続けているし、別のある人は作家として、あるいはライターとして商業的な文章を書き続けている。
 
もちろんインターネット上で消息が確認できなくなってしまった人も少なくない。
 
今にして思えば、たくさんの人がブログを書き合い、その文章を真剣に読みあっていたあの季節は奇跡のようなワンシーズンだったのだと思う。インターネットの普及期から現在にいたる時間軸のなかで、たくさんの人がブログを真剣に読みあっていた、奇跡のワンシーズンがあった。もちろんその少し前にはテキストサイトを真剣に読みあっていた、似て非なる奇跡のワンシーズンがあったから、長さとしては十年前後の長さはあったのかもしれない。
 
そこで出会った人たちのことを私は覚えているし、おそらくamamakoさんも覚えているだろう。それでいいのだと思う。栄枯盛衰の習わしを踏まえるなら、良いと思えるシーズンが十年前後も続いたなら、ましてや、それがサブカルチャーに属するムーブメントだとしたら、それは上出来だったのだと思う。
 
あの頃、拙くても真剣に書かれたたくさんの文章を、私たちは読んでいたし書いていた。ところどころにプロやセミプロの姿が混じっていたのも良かったのだと思う。そうやって成立していたブロゴスフィアという共同幻想、はてな村という共同幻想を私は懐かしく思う。
 
皆、それぞれの人生があり、それぞれに忙しく過ごしている。私はまだブログをこうやって書いているので、かつての共同幻想の墓守のような気分になることもある。
 
お互いが文章を真剣に読んでいた時代を取り戻すのは不可能だとしても、ひとりの墓守としては、そういうワンシーズンがあったことをよく覚えておき、語り継いでいきたいと思う。楽しいことも楽しくないこともあったけれども、間違いなくそれはインターネットの、サブカルチャーの一風景だったのだから。現在のインターネットとの比較対象としても、それは折に触れて思い出されて良いものではないかと思う。
 
今はガチャを回すのに忙しい人にも、登山の準備に忙しい人にも、ときどき思い出していただきたい。たくさんの人が一生懸命にブログに思いのたけを記し、お互いに真剣に読みあっていたあの時代のことを。功罪はあったにせよ、文章の巧拙や売り上げの大小だけでなく、思い入れの大きさやその人自身の文脈までもが注目されていたあの時代を、私は懐かしいと思う。