【フォートナイト】ライトセーバーでついにビクトリーロイヤル!?【ヒカキンゲームズ】【スターウォーズ】
先日、いろいろあってヒカキンのゲーム実況を久しぶりに眺めた。ヒカキンがフォートナイトを実況するさまは、滑らかで、楽しそうで、ゲーム内容をきちんと紹介もしていてとても良かった。
ゲーム実況中のヒカキンは、テンションが高い。
大げさに笑い、大げさに驚き、よく喋り、ポジティブだ。口調にもよどみがない。
そのおかげで視聴しやすい、というのはあるだろう。
でもこれって、まるで軽躁状態じゃないか?
軽躁状態とは、双極性障害などの精神疾患でしばしばみられる、ハイテンションな精神状態だ。上機嫌で、頭の回転が速くなって、心身が好調だと感じることの多い反面、この軽躁状態の最中に迂闊な決定をしてしまい、金銭トラブルや人間関係のトラブルなどを起こす人も多い。だから精神医療の現場では軽躁状態はハイリスクな状態のひとつ、とみなされる。
もちろんヒカキン自身は軽躁状態ではなく、ゲーム実況の振舞いは演技・演出に違いない。そもそも軽躁状態っぽいハイテンションでポジティブで滑らかなトークは、ゲーム実況者にほとんど共通しているじゃないか。少なくとも有名なゲーム実況者はだいたい軽躁的で、たとえば、お葬式のようなゲーム実況が人気を博することはまずない。
ふと、違うものが見たくなってテレビをつけてみると、バラエティ番組が目に飛び込んできた。ああ、ここでも皆がハイテンションだ。お笑い芸人、クイズの司会者、ちょっと大げさなドラマの登場人物。いずれも軽躁状態っぽさがある。まじまじとバラエティ番組を眺めなおすと、出演者はもちろん演出やスタジオのつくりまで、やけにハイテンション、大げさなアクション、流れるようなトークに眩しさを感じてしまう。
そういえば、ブログやツイッターの世界もたいがい軽躁状態めいている。少なくとも人気のブロガーやツイッタラーが鬱々としたことを書き綴っている、ということはない。いつもペチャクチャとお喋りで、しばしばハイテンションで、休むことを知らない。いや実際にはブロガーもツイッタラーも休んではいるのだけど、ペチャクチャとお喋りしている時間しかオンライン上には映らないから、軽躁状態のごとき投稿だけが私たちの目にうつる。そして人気を集める。
だからこれは特定のメディアでだけみられるものではない。大抵のメディアで軽躁状態っぽい表現が演じられ、選ばれているのだろう。世間ではうつ状態やうつ病が増加の一途を辿る一方で、メディアはハイテンションの花園。これは、一体なんなのだろう?
ずっと昔、精神科医の偉い先生がこのギャップに問題意識を向けているのを読んだ記憶があるけれど、古い邦語論文だったので今すぐ思い出すことはできない。……が、自治医科大学名誉教授の加藤敏先生のインタビュー記事に、以下のようなテキストを見かけた。
■背景に、「適応性軽躁状態」の常態化
そういう人の睡眠レベルを調べてみると、まず睡眠時間が短い。短くても、昼間、疲れを知らず、いつも以上に声は大きくなり元気にたくさんの仕事をこなす、私はそれを「適応性の軽躁状態」と言っていますが、いまの社会は、働く人みんながそうなるように仕向けられているようなところがあるように思います。朝礼でお祭りのように元気な掛け声をかけて、テンションをあげる。そうして「適応性の軽躁状態」をつくって、仕事を乗り切っていくということがね。
その仕事の速度についていける人はいいんだけども、ついていけない人が結局脱落し、気分の失調が生じる。昨今の日本の経済発展を支えているのは、働く人の適応性軽躁状態ではないのか、とさえ思うんです。
────社会の「適応性軽躁状態」がうつ病の病態を変えている より
この「適応性軽躁状態」になぞらえるなら、ゲーム実況者も、バラエティ番組の出演者も、ブロガーやツイッタラーも、みんなメディアの状況に適応するために軽躁状態を演じている、と言えそうだ。
みずからのテンションをコントロールし、特定のテンションでコンテンツを視聴者に提供しなければならないという意味では、ゲーム実況者やバラエティ番組の出演者はまさに「感情労働」に従事しているのであり、インテンシブに「感情労働」を繰り返せば、それこそうつ病や双極性障害といった気分障害を患うことになりかねない。
表現者のメンタル病み問題と、軽躁状態が生む鋭利なアウトプット
古来、小説家や作曲家といった表現者のなかには、うつ病や双極性障害を経験する人が珍しくない。サブカルチャー領域でもそうした精神疾患を患い、なかには命を落とす人すら存在するから、軽躁状態そのものにも、軽躁状態を演じることにも、慎重であるべき、と私は言わなければならないのだろう。
他方、まさに軽躁状態のさなかに鋭利な表現が生まれる、ということもよくある。
先日、メンヘラJPの編集長である小山さんが、ツイッター上でやたら切れ味の良い『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』論をぶっていて、目を見張ったことがあった。
レズンあたりがクェスのことぶん殴って姉貴分やってくれたら大分違ったろうと思うんだけど、88年ってもうそういう時代じゃないんですよね。79年はまだそれができた。ブライトとかリュウみたいな兄貴分が許されない時代。精神的孤児にとってはつらい時代ですよね。
— 小山晃弘(軽躁状態) (@akihiro_koyama) 2020年1月29日
クェスと同じような境遇だったアムロは、ブライトが兄貴分やってくれたり、カツレツキッカみたいな近所のガキの面倒見たりして、ホワイトベースという疑似家族の中で少しずつ成長していくんですよね。でもクェスの時代のネオジオンにはそれがない。個人主義と恋愛しかない。ここが違いかなと思う。
— 小山晃弘(軽躁状態) (@akihiro_koyama) 2020年1月29日
ガンダムファンで無い人にはチンプンカンプンかもしれないが、けだし『機動戦士ガンダム』評論としては興味深いものではないだろうか。
小山さん、やけにキレッキレだな……と思って自己紹介欄を確かめてみると、いつの間にか(軽躁状態)と記されている。ああ、だからキレッキレなんですか。
私は、この(軽躁状態)にある種のシンパシーを感じる。というのも、私もたいがい”境界線上の人間”で、気分の波があり、気分が乗っている時には間違いなく文章に色艶が出るからだ。高揚している時にはレトリックや韻の運び方がはっきり向上する。文章の骨格が強靭になり、ふだんは絶対設計できないような大掛かりな原稿をデザインできたりもする。
だからこれは深甚な問題だと思う。
メンタルヘルスを守るという意味では、軽躁状態は避けるにこしたことはない。しかし創作のクオリティは気分によって間違いなく左右され、精神疾患によるものであれ、適応性の一時的なコンディションによるものであれ、気分によって創作が介添えされることは少なくない。
いや、創作だけではあるまい。営業のサラリーマンも、プログラマも、プロスポーツ選手だって、気分によってアウトプットが介添えされることは多々あるだろうし、まただからこそ、さまざまな職業において適応性軽躁状態とでもいうべき現れが遍在しているのだろう。
これを書いているうちに、ヒカキンの明るく楽しいゲーム実況が、私たちが社会のなかで暗に期待し期待されているものを象徴しているように思えてきて、引きこもりたくなってきた。
ヒカキンや、そのほかのゲーム実況の人びとにおいては、オフタイムの時は是非ゆったりと過ごしていただきたいとも思った。ハイテンションな時間と同じぐらい、人はローテンションな時間を必要とするものだと、私は思うからだ。
- 作者:HIKAKIN
- 出版社/メーカー: 主婦と生活社
- 発売日: 2013/07/19
- メディア: 単行本