シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

あの頃を無かったことにしないためにブログを書く

 
 時代は移ろい、人は昔のことを忘れていく。
 

 

目で見る新宿区の100年―写真が語る激動のふるさと一世紀

目で見る新宿区の100年―写真が語る激動のふるさと一世紀

 
 この写真は『目で見る新宿区の100年─写真が語る激動のふるさと一世紀』から抜粋したものだ。版元は郷土出版社、郷土の風景や文学をおさめた書籍を多数出版していたが、2016年に廃業となってしまった。この出版社のこと自体も、やがて忘れられていくだろう。
 
 2018年も、2068年には50年前のことになり、2118年には100年前になる。記録されないものは速やかに忘れられ、無かったことにされる。無かったことにされないためには、まず、記録しなければならない。
 
 私がブログを書いている理由は複数あるが、「あのことを無かったことにしないために書く」というのは重要度が高い理由のひとつだ。
 
 西暦2006年。
 
 インターネットの片隅では、「脱オタクファッション」や「非モテ」を巡って喧々諤々の論争があった。「脱オタクファッション」「脱オタ」という言葉を覚えている人は、今のインターネットに一体どれぐらいいるだろうか。
 
 西暦2008年。
 
 秋葉原の日曜歩行者天国は、コスプレをはじめ、様々な演し物で賑わっていて、その賑わいをいいことに、過激なパフォーマンスをする者や狼藉を働く者が問題になりはじめていた(参考:1. 2.)。個人的には、秋葉原が、最も無秩序で熱量のあるオタクカルチャーの焦点と化していたのは2007年ぐらいだと思う。そして2008年の夏に連続通り魔事件の起きて以降、あの頃の無秩序さと熱量はいよいよ失われた。
 
 西暦2010年。
  
 気の早いネットユーザーはtwitter上で新しい楽しみを享受していた。今日の、あまりにも多くの人が参入して、あまりにも政治的な言論装置と化してしまったtwitterとは異なっていたあの景色。あの景色を、みんなは覚えているだろうか。
  
 

 
 諸行無常は世のならい。
 
 そうこうするうちに、はてなユーザーには馴染み深い「はてなダイアリー」も、いよいよサービス終了を迎えることになった。
 
 ブログと一言で言っても、「はてなダイアリー」はひとつの世界だった。むろん、「アメブロ」や「FC2」もひとつの世界なのだが、ともかくも、「はてなダイアリー」というブログサービスがあり、はてなブックマークという仕組みが乗っかっているおかげで、「はてなダイアリー」はひとつの世界たりえた。
 
  オフ会や揉め事をとおして、多くのブロガーが気脈を通じあわせて、あるいは敵愾心を燃やし合った。対立やトラブルに倦んでブログを閉鎖した者もいた。それ以上にたくさんのブログが、自然消滅していった。
  
 そういう営みの是非については、人によって色々な意見があるだろう。しかし、さしあたって私は「はてなダイアリー」のことを忘れたくないから、その時のことはこれからも書き続けるだろうと思う。00年代に定番となった「男の娘」のことだって、2010年代の『まどか☆マギカ』や『艦これ』や『スプラトゥーン2』のことだって、とにかく、書かなければ後には残らない。
  
 そうこうするうちに、たくさんのウェブサイトを擁していたジオシティーズが閉鎖されるという報せが舞い込んできた。
 
 
 
 ブログが台頭する以前はウェブサイトの時代だった。自分が書きたいことを延々と書き綴るウェブサイトもあれば、BBSを使った内輪のコミュニケーションに耽るウェブサイトもあった。あの時期こそが一番インターネットに熱気があったと記憶している人もいるだろう。
 
 だが、それらも過ぎ去ってしまったインターネットであり、散逸しかねない記憶でもある。
 
 ある時期、インターネットが「永遠に残る記憶」であるかのように語られていた時期があった。ところがサービス終了することを知っている現在の私達は、インターネットの記憶が簡単に風化してしまうことを知っている。
 
 そのために書くわけではないにせよ、私がブログを書き綴る理由の一部は、そうした風化を少しでも先送りにするため・自分が過ごした時間が無かったことにされてしまうのを引き延ばすためである。このブログに、昔を思い出す内容の記事や、過去と現在を比較して未来を想像するような記事が多々あるのもそのせいだ。
 
 「あの頃を無かったことにしないためにブログを書く。」「あの頃を忘れてしまわないための文章を綴る。」
 
 人間は、過去を忘れてしまう生き物だ。だから書き残されていないものが忘れられてしまうのは必然。
 
 だったら書き残すしかないではないか。
 
 このブログもいつかは電子の海の藻屑となり果てるだろう。だとしても、その日までは、ウェブサイトの時代やブログの時代に起こったこと書き留め続けつづけるつもりだ。私は、あの頃のことを忘れたくない。