シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

最近、「あの頃のはてな」に色んなところで出会う

 
 
はてなダイアリー、2019年春に終了 「苦渋の決断」で「はてなブログ」へ統合 - ITmedia NEWS
2019年3月27日(水)「はてなハイク」サービス終了のお知らせ - はてなハイク日記
 
 はてなダイアリーとはてなハイクが店じまいするという。00年代のはてなのサービスが、記憶になっていく。
 
 
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 ここ数年、私はいろいろな場所で「あの頃のはてな」や「あの頃のテキストサイト」に出会ってきた。
 
 どういうことかというと、「はてなブックマーク」「はてなダイアリー」「はてなハイク」「はてなブログ」といったサービスを使ってきた人と意外なところで知り合ったり、「若い頃はテキストサイトに夢中になっていた」という人に、オフラインの色んな場所で遭遇するのだ。
 
 あるはてなユーザーは、紆余曲折を経てネットメディアの最前線で活躍するようになっていた。ああ、こんなところに「あの頃のはてな」を知っている人がいるのかと驚かされた。
 
 別のはてなユーザーは、マニアックな方面でちょっと知られた存在になっていた。彼はもう、何者でもないはてなユーザーではない。すでに出来上がった何者かである。
 
 非常に堅い業種で、非常に堅い仕事に就いている人と知り合った際に、テキストサイトの思い出が滔々と流れてきてびっくりさせられたこともあった。ああ、こんなところにもテキストサイト愛好家がいたのか! しばし昔話を楽しみ、打ち解けるまでの時間が短くて済んだ。
 
 今はもう、「はてな村」という言葉に象徴されるような、「あの頃のはてな」に相当する(株)はてなのコミュニティは存在しない。
 
 少なくとも、小島アジコさんの『はてな村奇譚』以前のコミュニティは消滅してしまったかにみえる。ひょっとしたら、(株)はてな は、そういったローカルコミュニティをあまり良く思っておらず、忌まわしい黒歴史として忘却してしまいたいのかもしれない。
 
 まして、大昔のテキストサイトはジオシティーズ等の閉鎖も相まって痕跡すら乏しくなってきた。
 
 

はてな村奇譚

はてな村奇譚

 
 しかし、「あの頃のはてな」「あの頃のテキストサイト」が消えてしまっても、そこにいた人々までもが消えたわけではない。
 
 当時、それらのネットコミュニティに夢中になっていた人々は、社会の色んなところに散っていって、歳を取り、色んなかたちで活動している。活動的な人間は、けっして立ち止まることを知らないから、あの頃のはてなやテキストサイトが衰退していくのは必然だ。しかし、なにもかも滅んだわけではない。
 
 あの頃のはてな、あの頃のテキストサイトは、私達の思い出となって沈潜しているだけでなく、社会のあちこちで新しい生活を実践していて、ところどころに花を咲かせているのだと思う。
 
 
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 ところで、今、「あの頃のはてな」や「あの頃のテキストサイト」に相当するネットコミュニティはどこにあるのだろう?
 
 つまり、これから各方面に散っていって活躍するであろう、20代~30代前半の前途有望&無望な若者が集まっているネットの"場"として、どこが想定されるのだろうか?
 
 twitterやインスタグラムがそうだという人もいるだろうし、実際、面白そうなことをやっている20代~30代の姿が私の視界にも入ってくる。けれども、これらのネットサービスは歴史が古く、なにより、あまりにも規模が大きい。あの頃のはてなやテキストサイトのような、適度な「狭さ」は伴っていない。
 
 SNSのたぐいは、サービス全体としては広大でも、近しいもの同士で繋がりあい、網の目のような縁を作っている。それでもネットサービスとしてはあまりにも規模が大きいので、「あの頃のはてな」や「あの頃のテキストサイト」のようなローカルコミュニティの共体験にはなりにくかろうとは思う。ちょうど、「あの頃のmixi」や「あの頃の2ちゃんねる」が茫漠として響くのと同じように。
 
 今の若い人々も、ネットのどこかで繋がりあい、影響を与えあい、十数年後には意外なところでお互いが出会い、驚いたりもするだろう。2010年代を思い出して、懐かしく思う日だって来るはずだ。ネットのコミュニティは新陳代謝が早いが、縁のあった人同士の記憶は長く残る。あの頃のはてなやテキストサイトも、これからのインターネットも、それはきっと変わらない。