先日、books&appsさんに寄稿した『エリートたちには「縦の旅行」が足りない | Books&Apps』という文章ははてなブックマークだけにとどまらない反響があり、それを読んで糧にした。ただ、こんなに読まれた理由はタイトルのおかげもあったのだろう。私の寄稿記事はほとんど全部そうだが、今回のタイトルもbooks&appsさんにつけていただいたものだった。私はバズるタイトルをつくるが苦手だ。
そうした反応のなかには、「そういう、p_shirokumaは縦の旅行をしてきたのか?」といった問いもあった。これに答えるのは簡単ではない。なぜなら、ある面では私は縦の旅行をしてきたと言えるし、別の面では不十分だったからだ。職業的にも来歴的にも、私は(たとえば)低学歴者から高学歴者、いわゆるアーリーアダプターから例とマジョリティやラガードまで、ある程度は見ているとも言える。しかし釈迦如来や阿弥陀如来が娑婆世界を観るように見ているわけではない。
私が体験してきた「縦の旅行」「横の旅行」のさまざまな場面は、上掲エッセイに書いておいた。毎週のように学校の窓ガラスが割られ、あらゆる子どもが雑多に混じりあった公立校、そして地域共同体が健在だった頃の田舎が私のルーツだった。高校大学時代にはゲーセンを棲み処とし、やがてインターネットに出会い、ブログをとおして多くの知遇を得た。『ないものとされた世代のわたしたち』の最終章では、そんな人生のなかで私が私自身のプレ近代性やポスト近代性について自覚を持つに至った経緯と、それを踏まえた現代社会に対する意見を書いた。
が、なにもかも書いたわけではないし、自分自身で整理してみたくもなった。こんな時ははてなブログの有料エリアをお借りするに限る。以下、常連さんだけ読む状態という意識のもとで少し書いてみる。
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