シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

はてな村は水面下に沈み、今はカオナシたちが跋扈している

 
2020年12月、はてな匿名ダイアリーに地方の公立校と中学受験についての話題を起点に、関連した話題が次々に投稿された。
 

中学受験について、匿名でないと書けないことを伝えたい
「多様性が大事」と叫ぶ同僚が私立中学受験させるらしい
[B! 教育] まぁこんなウダウダ書かなくても公立中出身者ならあの動物園に通わなくていいってので十分良さはわかるよ。 - naga_yamas のブックマーク / はてなブックマーク
はてなリベラルやばすぎ
公立動物園だって良いところもある
反差別の道は険しい
公立中学校の『動物園』問題
 
主だったものだけを挙げてもこのようになる。12月9日のはてなブックマーカーが書いた、公立中学校を「動物園」と呼ぶ投稿が燃料投下となり、「いつもははてなブックマーク上で多様性を称賛し差別を手厳しく批判している人々がこの問題では差別的な表現や感性をあらわにしていて自覚が無いさま」を批判する指摘が相次いだ。はてなブックマーカー個人の「晒し上げ」も起こっている。そのほか、自己批判を行っている人、自嘲や韜晦を行っている人、さまざまである。
 
私は久しぶりに「はてな村らしい話題で盛り上がっているな」と思った。
 
今でこそ、インターネットのあちこちで「正しさ」の問題は多いに盛り上がり、やれ差別だ、やれ公平性だ、やれ道徳だといったトピックスに事欠かないわけだが、12年以上昔のインターネットでそういう話題が一番盛り上がっていたのは、なんといってもはてなダイアリー~はてなブックマーク~はてなハイク、といった、(株)はてなのサービス、いわゆるはてな村の圏域だった。
 
そんな様子だったからこそ、はてな村の圏域はしばしば「はてな学級会」などと揶揄されていたのだし、きっと(株)はてなのサービス運営側としては、そのネガティブなイメージを払拭し、もっと普通の話題が盛り上がる愛されるサービスに変えていきたいと願っていた(そしてある程度は実現した)のだと私は思っている。
 
令和2年。いまでは日本のインターネット全体が「はてな学級会」に追いつき、追い越したかのようだ。とはいえ、今回の盛り上がりをみるにつけても、はてなには差別や公平性や道徳の話題を愛してやまないユーザーがまだまだ健在であることが証明された。見よ! すずなりになったはてなブックマークを! はてな学級会は健在なり!
 
 

学級会は健在でも、そこに村人の「顔」は無い

 
それでも私は一抹の寂しさをおぼえる。なぜなら、この盛り上がりをけん引しているのがはてなダイアリーやはてなブログのブロガーではなく、匿名ダイアリーの匿名投稿者たちだからだ。
 
10-15年ほど前にはてな学級会が開催された時には、ブロガーたちが自分のブログでこういったオピニオンを書き連ねていたものである。今回、はてなブックマーカー個人への批判も多く記され、いわば「晒し上げ」もあったわけだけど、こういった「晒し上げ」も自分のブログから、idコールを伴って行われたものである(このidコールが恐れられてもいた)。自己批判や韜晦についても同様だ。
 
いわば、投稿者の「顔」がよく見えるなかで諸々の議論や言い合いが行われていたわけだ。
 
ところが今回を見てもわかるように、今、はてな学級会的なことが起こるフィールドはブログであることはほとんど無く、はてな匿名ダイアリーだ。ある匿名投稿に対する反論も反発も匿名ダイアリー内部で起こることが多い。はてなブックマーカーを名指しで批判していることがわかるように、「晒し上げ」に相当するものは今でも続いてはいるのだけど、それは投稿者の「顔」がみえないかたちで行われている。結果、ブロガーよりも批判されにくい天井桟敷にいると思われていたはてなブックマーカー側が守勢に回る格好となっている。
 
このような事態の是非については、いろいろな意見があるだろう。個人的には、ある時期から"無敵化"の度合いを深めていたはてなブックマーカーに、言及される可能性を思い出してもらえたのは良かったと思っている。が、次には匿名の投稿者が"無敵化"することになるし、既にそうなっているとも言えるので、これで界隈の景色が変わるわけではあるまい。
 
かつて、投稿者の「顔」がみえた時代のブロゴスフィアは、まさにはてな「村」と呼ぶに値するフィールドだったと思う。なぜなら誰が投稿して、投稿したその人がどんなブロガーで、どういったコンテキストを持っていたのかお互いに知っていたからだ。知らないとしても、すぐに確認できたし確認する風習があった。何が投稿されているのかと、誰が投稿しているのかを見比べるのが当然の文化があった──たとえそれが村の奇怪な風習などと揶揄されていたとしても。
 
ところが現在の匿名ダイアリーでは「顔」がみえない。
 

 
はてな匿名ダイアリーの入り口には「名前を隠して楽しく日記」とあるが、名前を隠すとは「顔」を隠すことと同義である。投稿はあるし、議論もあるし「晒し上げ」もあるけれども、ここには顔のある人はいない。まして、村人とかはてな村などといった語彙など連想しようもない。議論は存在するが人はいない。その人がいないフィールドに、ときどきブロガーが言及したり、はてなブックマーカーが群がったり、ときどき誰がか巻き込まれて「晒し上げ」に遭ったりする。
 
このような現状をみて、「はてな村の村祭り」という言葉を連想することはない。ブロガーの丁々発止は遠くなりにけり。かわりにカオナシたちの絶叫や告発がこだまし、そこにはてなブックマーカーたちが群がっている。
 
これが望まれた未来だったのか。
 
わからない。
いずれにせよ、はてな村は水面下へと沈み、村の跡地はカオナシたちのものになっていると言わざるを得ない。