2020年1月6日、はてな匿名ダイアリーに「無知なお前らに最高のゲームを教えてやる(据置編)」というエントリが投稿され、それに触発されて何人かが「自分にとって最高のゲーム」をまとめる出来事があった。
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90年代から10年代までお世話になったゲームたち!
明けまして俺の年代別最高のゲーム 20/01/07: 不倒城
個人的最高のゲーム(1980年代編) - novtanの日常
同じ話題に次々にブログ記事の投稿が連鎖したのがなんだか懐かしくて、嬉しかった。2000年代のブログ界隈ではこういうことが頻繁にあって、誰かが書いたブログ記事に次々にブロガーが言及して盛り上がったものだ。
ひとつの話題にブロガーが次々に言及し、ひとまとまりの議論や、複数名からなる広い視野をかたちづくるのは、当時のブログ界隈のカルチャーだったと思う。
しかし2010年代に入って、こうしたことは稀になってしまった。私が喜んでいるのも、この言及の連なりが久しぶりに起こったからだ。
なぜ、ブロガーが次々に言及する文化が衰退したのか
ひとつの話題にブロガーが次々に言及する文化が衰退したのは、第一にはブログ以外のメディアが普及したからだとは思う。twitterがスタートした00年代の後半には、もうブログを捨ててtwitterに移動してしまうブロガーをたくさん見かけた。それから十年以上の歳月が流れ、最初から短文に特化したツイッタラーもたくさん生まれた。文章中心ではない、画像や動画がメインのメディアにも人が流れていった。
ごく単純に、ブログをわざわざ書く人、それも、かつての「ブロガーが次々に言及する」カルチャーを覚えている人は少なくなっていると思う。
ただ、それだけとも思えない。
いつの間にか、はてなブックマークが、「ブロガーが次々に言及する」を可視化する装置として機能しなくなってしまった。
このスクショは、現在の「はてなブックマーク」の画面の一部だ。【関連記事】という、(株)はてな がチョイスした記事へのリンクが3つ載っていて、その下に【人気記事】へのリンクが8つ載っている。スマホではてなブックマークを見ても、だいたい同じ構造になっている。
はてなブックマークが昔からこんな構造だったわけではない。かつてのはてなブックマークには、【その記事に言及したブロガーのアイコンと、ブログ記事のリンクがずらりと並んでいた】。はてなブックマークは「言及した複数のブロガーの一覧」が眺められる仕様だったため、一人が書いた記事に複数のブロガーが次々に言及しているさまが可視化されていた。これが、ブログ記事を書く動機になっていた人も少なくなかったように思う。少なくとも私は、「みんなが言及しているから自分も何か書こう!」と思うことがたびたびあった。
ところが「言及した複数のブロガーの一覧」がいつの間にか削除され、ブロガーの集いが可視化されなくなってしまった。はてなブックマークは、複数のブロガーがひとつの話題に群れ集う、いわば広場の役割を果たしていたのに、それがなくなってしまったため、ブロガーは昔のように集まれなくなったし、「みんなが言及しているから自分も!」と動機付けられなくなってしまった。
その代わりか、はてなブログには「自分のブログに言及した他のはてなブログを通知する機能」がついている。
残念ながら、この通知機能はブログ管理者以外には見えない。これでは昔のはてなブックマークのような、ブロガーが群れ集う広場の役割を果たすことはできないし、ブロガーが群れ集うようなカルチャーが育つこともないだろう。
ブログ以外のメディアが盛んになってきたから「ブロガーが次々に言及する」カルチャーが衰退しただけでなく、そもそも複数のブロガーがひとつの話題に群れ集うための場がひとつ失われたのだから、00年代のようにブロガーが群れ集うことは難しくなっている。
そのうえ、かつての「まなめはうす」のように、個人ニュースサイトがブロガーの群れ集っているさまを一纏めの記事にすることも珍しくなったので、ますますもってブロガーが次々に言及するさまは可視化されにくくなった。
ブロガーが変わっただけでなく、ソーシャルブックマークのアーキテクチャが変わったことによっても、「ブロガーが次々に言及する」カルチャーが失われたと言っておかしくないのではないだろうか。
アーキテクチャが変われば、メッセージも、意識も変わる
マクルーハンは「メディアとはメッセージである」と言ったものだが、実際、メディアのアーキテクチャが変わればユーザーのメッセージも意識も変わる。
- 作者:マーシャル マクルーハン
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1987/07/01
- メディア: 単行本
例えば、はてなブックマーク上から「言及した複数のブロガーの一覧」が無くなれば、ブロガーは、そこに集まろうと動機付けられなくなる。あるいはtwitterを用いればtwitterのアーキテクチャに、Instagramを用いればInstagramのアーキテクチャに合わせてユーザーのメッセージは変わり、さらには意識までもが変わる。
「小説家になろう」などもわかりやすい。ランキングシステムをはじめとする「小説家になろう」のアーキテクチャによって、ユーザーが投稿するコンテンツも、ユーザーの動機づけも、大きな影響を受けている。
こうしたアーキテクチャの変容にともなうユーザーのメッセージや意識の変化は、しばしばユーザーの大半が気付かぬうちに決定され、進行することが多い。
たとえばはてな匿名ダイアリーでは、いつの間にか、【人気記事のアーカイブ】というページが据え付けられている(以下参照)。
このページが、いったい何時頃から実装されていたのか私は知らない。しかし、このようなページの有無によって、はてな匿名ダイアリーの書き手のメッセージや動機づけは変わらざるを得ないだろう。
(株)はてな に限ったことではないが、ネットサービスの提供者は、こんな具合にアーキテクチャをいつの間にか変更する。そうした変更のひとつひとつによって、ユーザーのメッセージや意識が変わり、インセンティブまで変わってしまう。ユーザーのメッセージや意識をいつの間にか変えてしまえること、インセンティブまで変えてしまえるということは、(株)はてな に限らず、ネットサービスの提供者は小さくない権力を保持している、と言うこともできる。
この権力の存在、ユーザー側からは意識しづらい。しかしネットサービスの提供者側はかならず意識しているだろうし、それは、はてなブックマークやはてな匿名ダイアリーを運営している(株) はてな とて例外ではあるまい。
「ブロガーが次々に言及する」文化は、アーキテクチャの掌の上に咲いた、時代の仇花だったのだと思う。
- 作者:ローレンス レッシグ
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2001/03/27
- メディア: 単行本