2018年10月、インターネットの一角で、80年代のコンピュータRPGの話がとつぜん盛り上がった。
【ゲーム文化】俺たちをなかったことにするのヤメロ【1980年代】 | 触接地雷魚信管
ぼくは1983年11月号のログイン誌におそらく日本で最初のテーブルトークとコンピュータRPG特集の責任監修をし、それからの日本のCRPGを見て行ったので、この人の書くことはよくわかる。
— 安田均 (@yasudahitoshi2) 2018年9月30日
【ゲーム文化】俺たちをなかったことにするのヤメロ【1980年代】 https://t.co/WMs7o2KADt @Jiraygyoさんから
昔の子供って海外PCでしかプレイ出来なかった頃からウィザードリーとかウルティマを知ってたよね - Togetter
これらを起点に複数のゲーム体験談がアップロードされた(下記リンク先参照)。ひとつのきっかけから複数の証言や意見が集まるのは、インターネットの楽しいところだと思う。
俺たちは何故、周囲で誰も持っていないパソコンのゲームについて知っていたのか: 不倒城
1978年生まれのクソガキraf00がPCゲームを知っていたという証言 | memo@raf00
『周囲で誰も持っていないパソコンのゲームについて知っていた』のは、あなた方がそれなりの都会で育ったからですよ! - 自意識高い系男子
「マイコンゲーム耳年増」だった頃のこと - いつか電池がきれるまで
30年前のPCゲームを取り巻く環境の話。 - トイボックス エンヂニアリング
1975年生まれのPCゲームに対する証言 - novtanの日常
並べてみると、世代や立ち位置によって体験の違いはあるにせよ、パソコンのロールプレイングゲームを意識していた小学生~中学生はそれなりに存在していたようにみえる。
意外にパソコンゲームは知られていた
この機会に、当時の思い出話を書いておく。
私は北陸地方の田舎出身だったが、同級生男子のうち、初めてのRPGが『ドラクエ』以降だった人はだいたい7~8割ではなかったかと思う。
『ドラクエ』以降にRPGを知った同級生が多かったのは事実ではある。ただし、そういう同級生はゲーム世界のレイトマジョリティというか、比較的遅くにファミコンを買い、比較的遅くにRPGを知った、そういう小学生たちだった。彼らは情報源をジャンプとファミマガに頼っていて(当時、私の周囲ではファミ通よりファミマガのほうが情報誌としてあてにされていた)、ファミコン以外のコンピュータゲームには関心を示していなかった。
対照的に、今ならアーリーアダプターと呼びたくなるような小学生もいた。ファミコンでいえば、『ロードランナー』ぐらいからファミコンで遊んでいたような小学生だ。あるいは、なんらかの事情で自宅にパソコンが据え置かれている小学生、父親や兄がパソコンを使いこなし、ベーシックマガジン(ベーマガ)やログインが自宅に置いてあるような小学生だ。
ある高学歴一族の同級生などは、小学生時代からPC8801系のゲームを違法コピーしてみせていた。私の周囲では「終盤の攻略は不可能」とみなされていた『ブラックオニキス』の最深部も、彼は突破していた。
そういう意味では、田舎とはいえ恵まれた環境だったのかもしれない。公務員系の家庭や、中小企業の経営者の家庭などにはパソコンが置かれがちで、それなり興味を持つ機会があったからだ。
『ザナドゥ』と『ドルアーガ』の衝撃
私自身は、そういう状況のなかでゲームに飢えた小学生だった。ファミコンが自宅に来たのはファミコン版『ゼビウス』の頃だったし、もちろん、自宅にはパソコンなんて無かった。
近所にPC8801mk2SRを持っている同級生がいて、高校生の兄がいたためか、『マッピー』や『ヴォルガード』などが置かれていた。それからしばらくして、黎明期のロールプレイングゲームである『ドラゴンスレイヤー』や『ハイドライド』なども置かれるようになったけれども、その段階では、ロールプレイングゲームにはあまり興味が持てなかった。
『ドラゴンスレイヤー』はわかりにくかったし、『ハイドライド』もつまらなそうだった。「同じ動作を繰り返して経験値を稼いで強くなる」というコンセプトが、当時の私には受け入れられなかった。
私が初めてロールプレイングゲームに惹かれたのは1985年だった。
ある日、パソコンゲームにもアーケードゲームにも詳しい小学生の家に『ザナドゥ』というゲームが来たという話を聞いて、何人かの小学生でそれを見に行った。
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『ザナドゥ』は、それまでのロールプレイングゲームとは全然違っていた。道場やお店を訪れるたびにファンタジー世界っぽい挿し絵が表示される──まず、その演出に目を奪われた。
そして広大な地下世界と、さまざまなモンスターとアイテム! 『ハイドライド』などとは違って、『ザナドゥ』のモンスターは序盤から種類が多く、いろいろなアイテムを落とすのだった。地下世界のところどころに「ダンジョン」が存在し、その最深部には巨大なボスが待ち構えていた。まだデカいキャラクターが動くだけで価値があった時代のことである。
このように、インパクトだらけな『ザナドゥ』ではあったけれども、パソコンごと『ザナドゥ』を借りることは不可能だった。
しかし幸運なことに、私は『ザナドゥ』の取扱説明書を借りることができた。この取り扱い説明書には、イラスト付きの全モンスター解説と「こんなキャラクターを作ったら、こんな風に冒険が進んで、こういう最期を迎えました」という冒険譚が掲載されていて、一冊の本のような呈をなしていた。
『ザナドゥ』をプレイできた時間は短かったけれども、取扱い説明書を読んだ時間は長く、脳内で膨らませたファンタジー妄想はものすごく大きかった*1。
ちょうど同じ頃、私はベーマガでアーケード版『ドルアーガの塔』の攻略記事を見かけて、これにも強い魅力を感じた。『ドルアーガの塔』も、それまでのロールプレイングゲームではあり得ない種類のアイテムとモンスターを擁していて、しかも誌面の大半は「宝箱の出し方」という神秘的な解説に費やされていた。
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当然ながら、のちにファミコン版が遊べるようになったとたん、私は『ドルアーガの塔』を猿のようにやり込んだが、それまでは、ベーマガなどから得られた断片的情報をもとに、私はひたすらファンタジー妄想を脳内で膨らませ続けていた。就寝前のひとときは、必ずといっていいほど『ザナドゥ』や『ドルアーガの塔』の二次創作的空想に耽っていたぐらいである。
私自身のロールプレイングゲーム原体験にして、ゲーム的妄想力の鍛錬所となったのは、間違いなくこの二作品だった。
『ドラクエ』が本当に流行ったのは2や3から
で、1986年に初代『ドラゴンクエスト』が発売されると、さすがに人気があって、学校では「太陽の石」や「ロトのしるし」の話が盛り上がった。それでも『スーパーマリオブラザーズ』ほど圧倒的ではなかった。アドベンチャーゲームブックもまだ流行っていたし、PC派は『破邪の封印』や『イース』へと向かっていった。私がPC98版の『ウィザードリィ』を見せてもらったのもこの時期だ。
初代『ドラクエ』はPC派の牙城を崩すには力不足だった。
私の周囲で『ドラクエ』シリーズが本当にブレイクし、いよいよRPG=家庭用ゲーム機という構図ができあがったのは、『ファイナルファンタジー』シリーズや『女神転生』シリーズなどが揃ってからだった。1980年代後半はテーブルトークRPGも流行したし、もちろん『ロードス島戦記』や『ドラゴンランス戦記』なども読んでいたけれども、圧倒的な普及率を誇る任天堂ハードと、黄金期を迎えたスクエア・エニックスに比べれば、マイナーという印象は否めなかった。メガドライブの『ファンタシースター2』などは、セガハードでRPGを遊ぼうなどという酔狂な人々の専有物だったことは言うまでもない。
個人の体験を集まって、当時の風景を思い出した
以上は私個人の思い出話だけど、冒頭リンク先の話題や体験談と照らし合せると、パソコン側のロールプレイングゲームの流れと、『ドラクエ』周辺の任天堂ハードのロールプレイングゲームの流れが重なり合った、当時の風景が思い出された。
それらを歴史のページにどう綴じていくのは研究家に任せるほかないけれども、とりあえず、当時を憶えている者の一人として、自分が見聞きした体験は書き残しておきたいと思う。
*1:ちなみに、私自身が『ザナドゥ』そのものを自力でクリアできたのは、それから数年後、MSX版の『ザナドゥ』が発売され、それをMSX2ごと借りてからのことだった。