シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

今だけ人に戻ってアジコさんにお手紙を

orangestar.hatenadiary.jp
 
こんにちは、小島アジコさん。はてな村・はてな界隈についてこういう文章を書く人はすっかり減りました。なので私はアジコさんあてに手紙を書きます。書いた理由は、書きたかったからです。
 
 
(上)
 
昔、アジコさんは『はてな村奇譚』という、はてな界隈についてのサーガをまとめましたが、そこに、新時代の兆候として「機械のような生き物」が描かれていました。アジコさんがおっしゃる「人がいなくなった」とは、この「機械のような生き物」に該当する人が増え、顔とハンドルネームが見えてコミュニケーションの余地のある人が少なくなったって意味ではないでしょうか*1
 

(『はてな村奇譚』より)
 
私はそう解釈したので、以下、それに沿って私見を書きます。
  
現在のインターネットは、はてな界隈に限らず、ここでいう「機械のような生き物」ばかりですね。『はてな村奇譚』で実際に挙げられていたのは、「オススメ漫画100」「教養を獲得するための12冊」といった文章を吐き続ける機械でしたが、現在は、もっと政治的なことを吐き続ける機械も増えました。確かに何事かをアウトプットしていますが、意思疎通の余地があるようにはみえません。こういう「機械のような生き物」はtwitterにもたくさんいます。ひょっとしたらtwitterのほうが多いのかもしれない。みんな、みんな「機械のような生き物」だ。
 
それらのアカウントだって人が運営しているんでしょう。でも意思疎通の余地があるかといったらはてさて。私のtwitterアカウントをフォローし「いいね」をしてくれる人にも、「この人と意思疎通する余地ってあるのかなー?」とわからない人がたくさんいます。いや、もうひとつひとつのアカウントを人として認識できていない自分がいる。
 
(主語が大きいと他人は言うでしょうけど)インターネットは、人と人とが意思疎通しわかりあおうとする場所じゃなくなりました。意思疎通の難しいアカウントがたくさんいると嘆く前に、自分自身がそもそもインターネット上で意思疎通をしようとしている気がしません。少なくとも、異なった思想信条を持った人と積極的コンタクトをとり、すったもんだを経験してでも何かを獲得しようとする姿勢が私のネットライフから失われてしまいました。そういう気持ちになれる相手がたまさか見つかると嬉しい気持ちになりますが、全体のなかではけして多くありません。そして相手のほうが同じ風に思ってくれるかは全くわからないのです。
 

(『はてな村奇譚』より)
 
公正に考えるなら、私も「機械のような生き物」の一人になったというべきでしょう。私はブログを何とか書き続けていますが、このブログも、ブロガー同士が意見交換する場ではなくなってしまいました。控えめに言っても、こういう手紙みたいなブログ記事はもうほとんどありません。私はただ、私にとっての目的のためだけにブログをアウトプットしています。それか、ブレストのためにブログ記事を書いているか。なんにせよ、私は以前よりも automatic にブログを書いているように思います。なんでしょうね、この一方通行感、独りよがり感は。
 
 

インターネット(はてな)から人がいなくなってる気がした - orangestarの雑記

みんな年をとってしまったね。この世界はもう滅びゆくだけなのかな

2021/06/24 04:47

 
この、コミュニケーションに対する諦念の一因は、phaさんが指摘しているとおり、年を取ったせいもあるのでしょうね。
  
はてなに限らず、たとえばtwitterで新しい知り合いならできようし、共通の利害を持った人と連携することもあるでしょう。では、友達はつくれるでしょうか。わからない。同世代とは無理のような気がする。では下の世代とは? これも、もう年を取っているから、難しい気がする。20代の頃にあった、ネットで新しい友達を得たというあの手ごたえ。あの手ごたえがわからなくなったのは、生物学的・社会的加齢によるものだと思わざるを得ません。
 
 
(中).
 
ところで昨日6月24日はhagexさんが亡くなった日でした。だからこの文章は昨日のうちに投稿したかったのですが、いろいろ忙しくて叶いませんでした。
 
2018年6月24日を境に、はてな界隈は変わってしまいました。少なくともブロガーの一人としての私には、はてな界隈が変わったように見えました。はじめのうち、ブロガーもブックマーカーも混乱しているようだったけど、だいたい半年ぐらいで変化が完了したように思います。
 
hagexさんが亡くなって以来、ブロガーにとって何が芸風と言えるのか・どういった表現が穏当と判断されるのかの基準が変わりました。三葉虫のように生き残っていたゼロ年代っぽい芸風や身振りは、これを境に本当に見かけなくなったように思います。
 
と同時に、はてなブックマークをする側に何が許容されるのかの基準も変わりました。基準が変わったことを勘付き、そのことに言及しているはてなブックマーカーもいましたが、無意識のうちに態度を変えているはてなブックマーカーもいました。
 
加えて、idコールという仕組みが無くなりました。idコールが無くなって良かったこともあれば、良くなかったこともありました。いずれにせよはてなブックマーカーにモノ申す手段が一つ減ったのは確かです。
 
要するにhagexさんが亡くなってから、はてなブックマークは天井桟敷として強くなったのでした。はてなブロガーは以前よりも大きなリスクやコストを自覚しながら文章を書かなければならなくなり、対照的にはてなブックマーカーはより少ないリスクやコストのうえで好きなことを書けるようになりました。はてなブックマークが完全に安全とはいえないし、コストをかければブロガーなりツイッタラー側なりが物申すこともできるけれども、現在のはてな界隈の地勢を考えると、個別のはてなブックマーカーにブロガー側から物申すのは応報戦略として割に合いません。はてなブログが繁栄しにくい理由はいろいろあるでしょうけど、はてなブックマーカーとブロガーの(アーキテクチャ上の)地勢の問題もその一因であるよう、私は思います。
 
では、はてなブックマークを非表示にすべきでしょうか。いや、はてなブックマークを非表示にするぐらいなら、noteなどの他のサービスで文章を書きますよね。noteで活躍している人によれば、「オープンなインターネットに書けることはもうない」「早く熊代先生もnoteにおいでよ」なのだそうです。私はオープンなインターネットで書き続けてきたので抵抗したい気持ちになりますが、言いたいことはわかる気がします。もし、はてなブログやはてなブックマークが双方向的なコミュニケーションの媒体として機能しなくなり、いや、オープンなインターネット全体が人と人がわかりあうための媒体でなくなっていて、私もあなたも「機械のような生き物」になり果てているとしたら、課金された閉鎖空間で同調と共鳴とアウトプットに終始したほうがマシかもなーと思うことがあります。
 
私はもう、見知らぬ誰かとわかりあう自信をすっかり失ってしまいました。そうしたなかでブログを書くのは、センチメンタルなこと、あるいは惰性かもしれません。はてなブックマーカーにお慕いするアカウントが何十人か残っているのが、私にとっての救いです。
 
 
(下).
 
私はアジコさんがブログを書かなくなった後もブログを書き続けてきましたが、このように、双方向的なコミュニケーションを見失い、アウトプットマシンになってしまいました。今日は、久しぶりに特定の人に向かって心境を書けたので、とてもうれしく思います。
 
そうそう、アジコさんの『閃光のハサウェイ』評読みましたよ! アジコさんの『鉄血のオルフェンズ』評の時と同じで、ぞくぞくしながら読みました。アジコさんの作品評を読むとき、私は小島アジコというレンズをとおして全然違った作品像を見るような思いがして、月並みな言い方になりますが、目から鱗が落ちます。自分が思ってもいなかったことを発見したり、漠然と感じていたことを言語化してもらったような気持ちになったり。
 

閃光のハサウェイは、逆襲のシャアの時のハサウェイ周りの変奏になっている。ギギはクェス、ケネス大佐はギュネイ。だけれども違うのはハサウェイは初恋の呪いにかかっていてどこにも行けないし、ギギもどこにも行けない。少年少女時代の万能感は失われ、ただ、もう終わってしまった人生を役割を演じながら終わるしかなくなってしまっている。二人とももう大人で、そしてそういう寂しい大人が慰めあうこともできずにすれ違う話だ。ケネス大佐?元気ですよね。(その二人に対する対象的な存在として自信にあふれた彼はいるので、いいバランスだと思う)

https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2021/06/24/103306

こことかもう、切れ味が鋭すぎてどうにかなっちゃいそう。こんな感想を自分で書いてみたいなぁ。でも、自分じゃこんな感想が絶対書けないってことは40代にもなればわかります。私は私の道を行くしかない。
 
私は、アジコさんがそうした作品評をどんな気持ちで書いてらっしゃるのか知りませんし、アジコさんのお考えの何%をキャッチできているのか自信もありません。それでも何かを受け取って、たとえば『閃光のハサウェイ』や『鉄血のオルフェンズ』を見る目が変わったのは確かです。
 
このことをもって、書き手であるアジコさんと読み手である私がわかりあったと言えるのかわかりませんが、こんな風にブログを読んで、こんな風に目から鱗が落ちるような思いをするのが好きだったんだなと、さきほど思い出しました。
 
たとえ一方通行のアウトプットでも、もし誰かに何かが届くなら、やってみる値打ちあるのかもしれませんね。私にはアジコさんのような感受性も、黄金頭さんやphaさんのような文体もないけれども、ここでもうしばらく頑張ってみようと思います。また機会があったらお手紙します。どうかお元気で。
 
 

 

*1:追記:アーカイブを確認したら自意識がみえる人、みたいな扱いでしたが、このまま進みます