シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

シロクマの閉塞について──アジコさんからお手紙をいただき気づいたこと

 
個人的なお手紙にご返信くださり、ありがとうございました。ゆうべ眠れず0時半ぐらいにPCを開いたら以下のタイトルが目に飛び込んできて、びっくりしました。
 
orangestar.hatenadiary.jp
 
再読し、ありがたいものをいただいたと感じました。私はアジコさんと感性がかなり違っているはず*1ですが、それでも何かが伝わり、何かを受け取ったのだと感じました。感性が違っていても何かが伝わり、何かを受け取れるって素晴らしい体験ですね。
 
でも、こういうやりとりがしょっちゅうあったんですよね、00年代のはてなダイアリー世界では。
 
いわゆる「はてな村」には毀誉褒貶ありますし、何かが繋がるだけでなく、何かが切断されることも多かったですが、それでもブログ記事のキャッチボールが稀ならず起こりました。いや、「はてな村」以前のウェブやパソコン通信だって。だけど人も場所も私も変わってしまい、こういう経験がしづらくなりました。私がインターネットでやりたかったことって、第一にこういうことだったはずですし、あの頃、それができていたのですね。
 
以下、返信のつもりから始まって私自身の閉塞感の点検みたいな文章が続きます。忙しい人はブラウザバックしてください。
 
 

炭酸水とカフェインの話

 
実は、我が家も炭酸水を導入しています。
 
vox強炭酸水
 
いろいろご縁あって採用となったのは、このvox炭酸水で、ざくざく飲めるしカンパリやシャルトリューズを割って飲むにも便利だし、重宝しています。じゃあ、カフェインの摂取量が減ったかというと不十分で、原稿を書いている時はカフェイン圧倒的優勢、という感じがします。カフェインは悪い文明!
 
ところでカフェイン+糖分って、効果ありませんか? 私の場合、[カフェイン+おやつ]の一時間後ぐらいが文章が一番進みます。軽躁に比べれば小さな変化ではありますが、言語の流暢性や関連づけの性能が上がる気がするんです。でも不健康ではある。私の場合、カフェインでドーピングして数時間後に身体が疲れて、感情のきめが粗くなるので、バイオケミカルなエンハンスメント全般に不信感を持っています。
 

 
今をときめくサンデル先生も「完璧な人間を目指さなくて良い」と言ってくれてることですし、炭酸水の割合を増やしたいなぁ。でもカフェイン抜きで原稿を書くとはっきり語彙力が落ちてしまう。たとえば小説を書く段になった時、バイオケミカルなエンハンスメントなしで挑めるとはあまり思えません。モンスターエナジーとか飲みながら書くことになりそうな予感があります。
 
 

ご紹介いただいた本について

 
「ぜひ読んで欲しい本があるんです。」ということで、『ファミリーランド』と『向井くんはすごい! 上 (ビームコミックス)』をご紹介いただきました。ありがとうございます。どちらも私が選びそうにない本ですね。amazonのレビューをざっと見ても、これらが私の嗜好から外れていると窺い知れました。
 
アジコさんが紹介される作品は、アジコさんが書かれるガンダムレビューと同様、異国の香り・異星の香りがするといいますか、自分とは異なる思考体系や情緒体系の人がレコメンドしている雰囲気があり、たとえばずっと昔に『惑星のさみだれ コミック 全10巻完結セット』を推していただいた時も、自分が絶対着眼しない面白さだと感じて異星・異国情緒がありました。それだけに、自力ではたどり着けない面白さにアクセスできるチャンスなのですよね。
 
それだけに、何が出てくるのか楽しみです。読んでみます。
 
 

「シロクマ先生として振舞うしかなくなる件について」

 
で、ここから私自身の閉塞感についてぐしゃぐしゃ書いていきます。まず、アジコさんが書かれた当該パートを引用しておきますね。
 

 さて、『シロクマ先生』というキャラクターについて。
 『シロクマ先生』は、社会の分析をします。そして、そのための道具は『承認欲求』と『適応』です。ほかのツールもあるけれども、メインウェポンはこのふたつです。
 『シロクマ先生』はいつまでも同じ味のラーメン屋で、いつまでも同じ味でいることが求められています。たまに変わったものを出すと、「大将。どうしたの、調子でも悪いの?」と言われます。
 傍目から見てると、そこらへんが、最近のシロクマ先生の閉塞の理由なんじゃないかな、と思います。たぶん、ほかにいろいろと道具も仕入れていると思うのに周りからの期待でその道具を使えない。シロクマ先生としての仕事が詰まっていて別のことができない。でも、たまにはその道具をメインで使って、それでラーメン以外の料理を作ってみるのもいいんじゃないかな、と勝手に思います。具体的には小説とか。精神科医として長年働いているシロクマ先生の中にあるデータベースは、モノを書いてる側からすると喉から手が出るほど欲しいものですよ。

確かに私は仕事が詰まっていて、別のことができない状態にあります。アジコさんは、私のメインウェポンのことを『承認欲求』と『適応』と書かれましたし、その読みは的を射ているのですが、私流に書き直すなら『人間の社会的欲求』と『現代人の社会適応』となるでしょうか。
 
前者をマズローの言葉でいえば承認欲求や所属欲求となりますし、コフートなら自己愛、エリクソンならアイデンティティでしょう。ラカンなら……ああ、ラカンはまだわかった気になれません。わかったつもりになってもやっぱりわかっていないのと、進化生物学/進化心理学と調和してくれないんですよ。私は精神分析諸派を進化生物学/進化心理学とハーモナイズさせたうえで脳内に格納しているのですが、ラカンは今でもハーモナイズできていません。
 
ラカンわからん話はやめましょう。
 
アジコさんがおっしゃった「『シロクマ先生』はいつまでも同じ味のラーメン屋で、いつまでも同じ味でいることが求められています」とは、私が人間の社会的欲求や現代人の社会適応について、似たような道具立てで・似たような問題を・似たように解題してみせるよう求められている、そんな感じではないかと解釈しました。
 
これも、そのとおりかもしれません。私は精神分析諸派をとおして現代人の社会適応を書くことについて、たぶん私なりの答えが出ているんです。いわば、ラーメンの制作工程ができあがっているわけですね。
 
その際の文法はマズローでもコフートでもエリクソンでも構わないし、文法の違いは、塩ラーメンか醤油ラーメンか味噌ラーメンかぐらいの違いを生むでしょう。でも、私のなかでは何かが「わかってしまった」。わかってしまったこと自体はまだ言語化しきれていないし、もちろん時代の変化によって解題の内容も変わってくるのだけど、方程式そのものはできてしまっているんです。その方程式に特定の時代や心理的課題をインプットすると、自動的に解題がアウトプットされるような、そんな方程式が。
 
同じ方程式で同じ解題を行うだけでは、私の視座はあまり広がりません。これから私がなすべきは、方程式そのものの精度を高めたり、方程式そのものを記述したりすることだと思います。でも、それらは(たとえば商用原稿として)需要が無さそうだし、相応の時間と手間、もっといえば研究が必要でしょう。
 
もうひとつ、現代人の社会適応についても私は『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』で達成をみました。あの本には間に合わなかった文献がいくつもあり、未完成感もあるのですが、現代人の社会適応について書きたかったことは一通り書ききったつもりです。でもって、同じ趣向であの本を上回るものがいったいいつ作れるのか、私には見当がつきません。
 
実はあの本、2010年代前半から試作を続けていたのですが、どこの出版社さんでも企画に至れず、イーストプレスの編集さんの手でようやく日の目を見たという経緯があります。だから同等の本を創ろうと思ったら5年以上かかるでしょうし、5年後を見据えて何を読み、何を体験すれば良いのか実はわからなくなっています。新型コロナウイルスが蔓延しているのは大きなマイナス要素ですね。私は会うべき人にも会っていないし、行くべき異国にも行っていません。そうしたまま、仕事だけが積みあがっていく。
 
こうして言語化してみると、いやぁ私、本当に閉塞していますね。ブログが閉塞している以前に、一人の書き手として、娑婆世界をもっと知りたい者の一人として、閉塞しています。そこに時間と体力の不足が拍車をかける。50代になった私は、30代や40代の頃ほど柔らかく考えることも、広く知見を集めることもできないかもしれない──そういう不安もあります。
 
「何歳になっても柔軟に考えられるものだ」って反論する人もいるけれど、ここ10年の我が身を省みて思うに、私はそうじゃないと思うんですよ。確かに10年前より本が読めるようになったし精神科医としての経験も増えているけれど、私は自分のなかで何かが固く脆くなっていくのをずっと感じ続けています*2。これも閉塞感の一因になっているのでしょうね。
 
アジコさんはたとえば小説を書いてみてはとおっしゃいました。実は私は小説から入った人間で、ネット以前にはオリジナル短編やタイトーのシューティングゲームの二次創作など作っていました。ここ数年も、小説のプロットを組むまではあるんです。でも時間と体力の不足から、書きあげるところまで踏み込めていません。そういえば『艦これ』や『ウマ娘』の二次創作でやりたいこと(そして現在まで自分の観測範囲に入ってこないので、自分にとってオリジナリティのある内容になると想定できること)もあるんですが、キャラクターをエミュレートするための基礎的確認すらできない有様ですから、もうこれは無理なんでしょう。現在の商用原稿の執筆速度じたいを落とすか、論説文のための研究を停止するかしない限り、小説・二次創作方面にリソースを回せそうにありません。
 
 

抱えきれない棒を抱えて

 
うー、言語化してみると、自分、本当に閉塞しているな……。
 
この文章を書いている途中で、ふとタロットカードを眺めたくなったのでパラパラめくっていたんですが、ワンド(棒)のスートに目が留まって、並べてみたくなりました。
 

 
ワンドのスートって、まるで私のブログライフみたいですね。今の私はワンドの10。私が抱えている棒のなかには、ブログや商用原稿だけでなく、家庭とか、本業とか、ワインとか、ゲームとかもあるのでしょう。ワンドを執着とみるなら、私は抱えきれないほどの執着を抱え、身動きできなくなっているわけです。そのような中年期にたどり着いたのは本懐ではあるのですが、このままでは、何かを為す以前に私は潰れてしまうでしょう。
 
これを書き始めた段階では、インターネットアーキテクチャの趨勢とプレイヤー層/コンシューマ層について広く論じるつもりもありましたが、字数も増えてきましたし、なによりタロットカードを並べた時点で気力が失われてしまったので、自分自身のことだけ書いて返信することにしました。
 
アジコさんもきっと複数の棒を抱え、ときに呻吟することもあるでしょうけど、どうか無事でいてください。私はアジコさんに一度しか直接お会いしたことがないので、いつかどこかで再会できたらいいなとも思いますが、コロナ禍のはびこる今は、きっとその時ではないでしょう。では、またいつか(この手紙には返信は不要です)。
 
 

*1:ガンダムシリーズで譬えるなら、連邦系モビルスーツとジオン系モビルスーツぐらい違っていると思います。さしずめ私はジムIIIで、アジコさんはヤクトドーガだ

*2:私が固く脆くなっている理由の一部は、私が15年以上ブログを書き続け、賛否さまざまなリアクションにずっと晒され続けてきた結果、心身に毒素が蓄積してきたせいもあると思います。15年以上ブログを続けて、一定数のリアクションに晒され続けてみた人にしか、この毒素の蓄積はきっとわかってもらえない。そしてそんなに継続しているブロガーは日本全体で見ても少ないのでした。