6月に出す新著についての作業工程がだいたい終わって、脱力状態になった。新しい本が発売される前の一か月ほどは、いつもこんな感じだ。少し憂鬱にもなる。
そうしたなか、手斧アイコンの方のはてなブログで「何者かという問いは呪いである。」という文章を読んだ。
何者かという問いは呪いである。 - てのひらを、かえして
「何者か」という問いは、たいてい「何者でもない」という答えを導く。「いや、自分は何者かである」と答えられたとしても、どこか土台がグラリとする感覚はなくならない。四十年以上生きてきて、いくつかの点では何者かになったはずなのに、まだリンク先の文章を読んでグラリとしている。そんな自分自身を、自嘲せずにはいられない。
今の私にとっての「何者か」は欲の残骸、未練、そんな感じのものだろうか。
"何者にもなっていない若者の焦り"みたいなものでなく、"もう選べない可能性への未練"と、"できあがってしまった自分に対する不安"。私がウェブサイトやブログを書き始めた頃は「まだ何者でもないけど何者かになってやるから!」みたいな気概があった。今はそうじゃなくて「あの者にも、この者にも自分はなりきれなかった……」と、自分の領分や身の程をこえたところに未練を感じている。自分の領分や身の程を自覚していること自体、若い人には奇妙に思えるかもしれないが、まあ中年にもなって、自分の領分や身の程をクルクルひっくり返せるわけでもなく。
領分や身の程を自覚しているってことは、もう自分は本当は何者かになっていて、その領分や身の程こそが自分自身なのだろう。ところが隣の何者かの芝は青くみえる。あの人素敵だな、あの人上手だな、そういうものを見た直後に「おまえ何者?」と疑問を挟むと、良くない気持ちがもたげてくる。そこには嫉妬もあるだろう。情けないことである。
はてなブログには、phaさんやgoldheadさんのような、洒脱な文章をすらりすらりと書くブロガーがいる。
ああいう「何者」かになりたいと思った時期もあったが、なれなかった。
つい先日、精神科医の斎藤環先生の興味深いnoteを読んで、似たようなことを感じた。
“感染”した時間|斎藤環(精神科医)|note
斎藤環先生の文章を読むのはしばらくぶりだったが、私が憧れた人の文章がそこにはあった。ブログを書き続け、自分の書籍も書くうちに「私は斎藤環先生と同じにはなれない。だから同じを目指すべきでもない。自分は自分の道を行くしかない」と気づいたはずなのに、こうして文章を読んでしまうと「斎藤環先生みたいになれなかった自分」という未練を思い出す。
昔、口の悪いはてなブックマーカーが、斎藤環先生と私を比べて「どうして差がついたのか… 慢心、環境の違い」と述べていたことがあった。ああそうとも、世代も環境も、頭脳も違ったのだろうよ! そのかわり私にしか書けないもの・私が書きたいことを追いかけてきた先に、悲願の新著が作れたのだから後悔は無い……と言いたいはずなのに、まだどこかで未練があるらしい。
私は本業として精神科医を勤めながらほうぼうのオフ会にでかけ、ブログを書き、それらが不可分になった書籍を書くのが夢だったし、実際にそのような書籍をついに書ききった。
しかし、本当に書きたかった書籍を書ききってしまった今は、そのブロガー兼精神科医という自分の領分が、砂上の楼閣に思えてならない。実際それがあと何年続けられるものなのか、続けさせてもらえるものなのか、わからなくなってしまっている。それでいて、私には洒脱な文章なんて書けないし、アルファツイッタラーのような閃きも備えていない。アカデミックな肩書を育ててきたわけでもない。だとしたら、この、鈍重なるp_shirokumaという人間はいったい何者なのか。
ああそうか、こういう気持ちになっているから「何者かという問いは呪いである。」という冒頭の問いに反応し、言及してしまったわけですね私は。
「インターネットの妖怪」はなることよりあり続ける方が大変で、あり続けることを諦めたときに「俺は果たして何者だったのか」との自問自答がひどくなりそうだ
https://b.hatena.ne.jp/NOV1975/20200515#bookmark-4685700307171768130
私がいま自問自答しているのも、まさに「インターネットの妖怪」、自分風に言い換えれば「はてなブロガーとしてのシロクマ」をどうすべきか迷っているからだろう。
この先、ブログでいったい何をやるのか? 自分はこれからどうしたいのか?
わからなくなっている。
わからなくなってしまったから、「何者」という言葉を、呪われたルービックキューブみたいにこね回している。