シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「はてなダイアリー」の気持ちを思い出したい

 


 
そうですね。こんな時だからこそ日記のようにブログを書きたい、SNSでみんなと不安をシェアしながら囀るより、自分の場所に籠って自分のことを書けたらいいですね。せっかく自分のブログがあるんだし。
 
その昔、「はてなダイアリー」というサービスがあった。まだブログという言葉が広まるか広まらないかの頃に誕生したサービスで、まさにダイアリーとしか言いようのない使い方をしているユーザーがたくさんいたという。私も、自分のはてなダイアリーを持ってからは日記のような文章をたくさん書いていた。いつしか、私は内向的な日記から常連さんに読んでもらうための文章へ、見知らぬ不特定多数が読むという前提の文章へと少しずつ変わっていったけれども、本当は、もっと自分の足元をよく見つめて、自分の足元についての文章を愛していたはずだった。
 
こういう世間が荒波にもまれて落ち着かない時には、自分の足元に咲いている花の色・新緑のにおい・馴染みの中華屋の日替わりメニューなどにフォーカスを絞ったほうが、自分自身のためであると同時に、ひょっとしたら世間様にも迷惑でないのかもしれない。
 
もし世間や社会に言及するとしても、見知らぬ不特定多数が読む前提は捨てて、もっと内向きの、自分自身の脳内を整理しなおすための文章に閉じこもったほうがためになるのかもしれない。
 
ウェブに書く日記は、紙のノートに書く日記にある程度似ているが、ある程度違っている。自分のほうを向いていること、第一の読者が自分自身であることは紙のノートと変わらないが、「誰かが読むかもしれないという緊張感」が与えられる点が違っている。
 
この「誰かが読むかもしれないという緊張感」が無いと、私の場合、文章が緩んでしまったり、同じ接続詞を連発してしまったり、単なるメモになってしまったりするので、この緊張感がどうしても必要だ。私は書き性なので、紙のノートにもワードファイルにも非公開のブログにも文章を書いているけれども、それらの文章は後になって読んで嬉しいものではなく、メモの水準を出ない。やっぱり「シロクマの屑籠」に記した文章が後で読んで嬉しい、思い出深いものになる。
 
はてなダイアリーが栄えていた00年代には、この「誰かが読むかもしれないという緊張感」に加えて、トラックバックを経由して他人の日記と繋がりあう可能性が期待できた。自分が書いた日記に他のブロガーが書き足してくれたものを、再び自分のブログに持ち帰るサイクルが現在よりも起こりやすく、ブログとはそういうものだという期待があった。
 
はてなブログになってからも、一応、よそのはてなブログからの言及は通知されるのだけど、ブログとはそういうものだという期待は衰退してしまったように思う。それでも、一定の緊張感を伴った日記としての機能は残っているわけだから、個人的なことを、個人的なままに書き記すぶんにはブログの有用性は失われていない。
 
もしかすると、noteを使って非公開かつ有料でやれば似たような有用性が、ひょっとしたらそれ以上の有用性が得られるのかもしれない。けれども有料の媒体には独特の磁場が働くことを思うと、はてなブログとは違った文章が吐き出されるのが目に見えている。私は一応noteのアカウントを持っているので、今後、オマケとしてnoteをやるかもしれないけれども、noteが私のメインの日記帳になることは多分無いと思う。
 
他人のはてなブログを覗きに行くと、繁盛しているブログは良くも悪くも見知らぬ不特定多数が読むという前提に加工された文章になっていて、もちろんそれは目的に適ったスタイルだというのはわかる。その一方で、それほど繁盛していないブログには日記然とした文体とたたずまいがしばしば残されていることがある。そういう日記然とした文体とたたずまいに、いとおしいほどの煩悶や狂おしいほどの自意識が記されていたら嬉しくなってしまう。ただ、嬉しくなったからといってソーシャルブックマークやSNSに紹介できるような時代ではなくなった。本当にいとおしいものや狂おしいものは、そっとしておかねければならないのが今という時代のインターネットだから。
 
冒頭引用ツイートの平民さんは、私よりもずっと日記然とした文章が巧くて、神戸市のイベントやらなにやらがあってもスタイルが崩れなくて、立派なブロガーだなぁと思う。ほかにも、スタイルを崩さずにブロガーをやってらっしゃる人、ブログは引退しても文体やたたずまいを変えずにネットのどこかで花を咲かせてらっしゃる人はいる。私も彼らを見習いたいけれど、私は彼らほど文章が巧くないし、彼らに比べれば軸がブレブレでもあるので、さんざんブログが好きと言いつつ、いい加減なやつだなと思ったりもする。
 
まあでも、今は「はてなダイアリー」の気持ちをできるだけ思い出すようにつとめて、個人的なブログを気儘に書いていきたいものです。こうやって自分自身に語りかけ、言い聞かせて、私という人間がここにいて暮らしていることをも取り戻していこうと思う。