3月27日から、アマゾンPrimeで『PSYCHO-PASS』のシーズン3、その完結編にあたる(Ziggurat Capture Part 1~3)が視聴できるようになったので、さっそく視聴した。
完結編が公開される前のシーズン3は、ちょっとびっくりするような終わり方だった。というのも、ストーリーがまさに加速しそうなところで幕引きとなって、「続きは劇場版をご覧ください」ときたからだ。
人気作や話題作の続編が劇場版になるのはよくあることではある。とはいえ、たいていはTV版の終わりにストーリーの区切りをもうけるというか、TV版だけでもひとつの完結した作品として楽しめるよう、多かれ少なかれ配慮を示すものだけど、この『PSYCHO-PASS』のシーズン3はそういう配慮の気配が欠落していた。
それでも『PSYCHO-PASS』が好きだったので、「仕方ない、映画館で続きを観るしかない……」と思っていた矢先、アマゾンPrimeが完結編を公開してくれたのでありがたく視聴させていただいた。おかげで私は、この完結編少し遅れて放送されたTV版のような感覚で受け取った。以下は、その前提で書いている。
『PSYCHO-PASS』の世界を舞台にした刑事モノドラマとして
『PSYCHO-PASS』シリーズは、シビュラシステムという、ひとりひとりの犯罪傾向や職業適性を評価するシステムが社会を統治している近未来を舞台にしている。
この、シビュラシステムを巡っての色々が『PSYCHO-PASS』シリーズのメインストーリーになるが、それぞれのシーズンにはカラーの違いがあり、シーズン1では「誰もがシステムに統治される社会の功罪や矛盾」が事細かく描かれていた。シーズン1はシビュラシステムの謎に迫っていく内容だったので、そういう描写はストーリーに必要不可欠のようにみえた。
対して、今回のシーズン3はシビュラシステムそのものの謎に迫るのでなく、シビュラシステムの周りで起こる事件をグルグルと追いかけているようなところがあって、なんだか刑事モノドラマを眺めているような気分になった。喩えるなら、『相棒』の二時間特番を見ている気分に近かった。
シビュラシステムの謎や社会の矛盾を真正面から描くのでなく、刑事たちの活躍を追いかける作風は、シーズン1の作風からは遠い。これが気に入らない人がいるのは理解できることだし、私もそうなりかけた。
それでも、刑事モノドラマのようなアニメだと割り切ってからは、お金のかかった美しいグラフィックや見栄えのするアクションシーンを素直に楽しめるようになり、案外すんなりと咀嚼できている自分に気が付いた。
シーズン1のような、考えこませる作品としては合格点ではないとしても、グラフィックやアクションで魅せてくれる"のどごしの良いビールのような"作品としてはよくできているのではないだろうか。
今作は、『PSYCHO-PASS』の世界を舞台にした刑事モノドラマ、それか、お金のかかったスピンオフ作品とみなすぶんには非常に贅沢なつくりなので、そう割り切って視聴するぶんには、シーズン1のファンもそんなに腹は立たないのではないかと思う。少なくともアマゾンPrimeに加入しているなら、一見の価値はあるんじゃないだろうか。
このシーズン3を眺めている限りでは、『PSYCHO-PASS』の続編やスピンオフはまだ作れそうにみえる。私は『PSYCHO-PASS』の世界観、あの、どうみてもディストピアっぽい世界のなかで人間たちが苦悩したり喜んだりしている様子に魅了されているので、どういう趣旨のものであれ、続編やスピンオフがつくられるなら嬉しいし、趣旨にあわせて楽しみたいと思う。