シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「ビンタもコミュニケーション能力」だった頃を覚えていますか

 
 Amazonプライムで昭和時代のドラマや映画を見ていると、令和時代には「暴力」とみなされている身体的なコミュニケーションをよく見かける。
 
 相手の頭を叩く仕草。
 平手打ち。
 お互いにどつきあう男性同士。
 
 コメディアンのコントを眺めていても、相方の身体を叩いたり蹴ったりする仕草がごく当たり前に登場する。そういう「暴力」的な仕草のたび、ドッと笑う声。昭和時代~平成時代のはじめにお笑い番組を眺めていた頃には、私も一緒になって笑っていた気がする。ビートたけしやドリフターズの芸も、しばしば身体的だった。
 
 一方、令和時代のテレビ番組にはそういう「暴力」が乏しい。昭和の生活を描くいまどきのドラマからは、身体をどつく仕草や頭部をイージーに殴打する仕草が除去されていると感じる。
 
 それらは令和時代に「暴力」とみなされる仕草ではあるだろう。しかし昭和時代、いや平成時代のある時期まで、ちょっとしたどつきあいや叩きあいは「暴力」未満のものとして日常生活のなかに遍在していなかったか? 少なくとも「暴力」というラベルを貼られない、閾値以下の身体的コミュニケーションが存在していたのは事実だろう。
 
 たとえば体罰は、令和時代にはかなり厳格に禁じられているが、昭和時代にはこの限りではなかった。小学校の教諭が児童を並ばせ、次々に平手打ちするなど当たり前だったし、体育教師が竹刀を持ってうろつき回ることに違和感をおぼえる人は少なかった。
 
 児童・生徒にしてもそうである。当時、校内暴力という言葉が有名になっていたにも関わらず、私たちの世代は、子ども時代にもっともっとたくさん身体でコミュニケーションしていて、その大部分は「暴力」というラベルに値しないものとみなされていた。子どものケンカの大半は「暴力」ではなかったし、「いじめ」でもなかった。
 
 無理もあるまい。当時は大人も身体でたくさんコミュニケーションしていたのだから。善悪是非はともかく、それが数十年前の当たり前だったのだから。
 
 

ビンタが「暴力」でなかった昭和のコミュニケーション能力

 
 こうしたことを踏まえて、コミュニケーション能力について考えてみよう。
 
 今、コミュニケーション能力といったら、たいていの人は言語的なコミュニケーションの巧さを連想するのではないだろうか。そこに容姿やボディランゲージといった非言語の要素がいくらか加わり、いまどきなら、良い文章や写真をSNSに投稿する能力もコミュニケーション能力の一部とみなされるかもしれない。
 
 だがこれは、令和時代の「暴力」の判定にもとづいた考え方で、昭和時代のコミュニケーション能力には当てはまらない。
 
 昭和時代においては、身体をどつきあう行為、叩きあう行為のかなりの部分が「暴力」とみなされていなかったから、令和時代に比べて、コミュニケーションのチャンネルとして身体的なやりとりが占める割合は高かった。
 
 身体のどつきあいや叩きあいがコミュニケーションのチャンネルとして許容されている社会では、上手に身体をどつけること、上手に叩けること、それらを通して相手の行動に影響を与えられることも、コミュニケーション能力の一部とみなされなければならない。
 
 いわば、ビンタが上手いか下手か、ケンカが上手いか下手かも、コミュニケーション巧者かどうかを決定づける関数だったわけである。
 
 典型的には、昭和時代のガキ大将は「コミュニケーション巧者」だった。ケンカというどつきあいを通して他の児童生徒に影響を与えられ、それでいて学校や地域の秩序からはみ出さない子どもは、間違いなくコミュニケーション巧者だったと言えよう。
 
 教師にしてもそれは同じだ。竹刀を持って歩く体育教師のなかには、当時の基準で「暴力」と呼ばれない範囲で児童生徒と身体的コミュニケーションをとるのが上手く、それでいて学校や地域の秩序からはみ出すことのない者がいた。
 
 もちろん昭和時代でも、令和時代でいうコミュニケーション能力の高い人が有利だったに違いない。しかしコミュニケーションの巧拙がそれだけで決まったわけでなく、「暴力」の判定には届かない水準の身体的コミュニケーションによってもコミュニケーションの巧拙が左右されていた。
 
 言葉や容姿やボディランゲージに優れていても、ケンカやどつきあいが下手すぎてはスクールカーストの上位にリーチできない──そういうことが起こり得たのが昭和時代だ。
 
 
 

どつきあいやビンタが「死にスキル」になって浮いた人・沈んだ人

 
 ところが平成の三十年間のうちに、どつきあいやビンタはすっかり「死にスキル」と化し、そういった行動のことごとくが「暴力」とみなされ、禁じられるようになった。
 
 このようにコミュニケーション能力の内実が変わったことによって、コミュニケーション巧者もスクールカースト上位者も変わった。
 
 ビンタやどつきあいや竹刀が「死にスキル」として封印された以上、昭和時代のガキ大将や体育教師がコミュニケーション巧者とみなされることは無い。
 
 むしろ、身体的コミュニケーションに頼っていた子どもは令和時代においてはコミュニケーション弱者とならざるを得ない。そのような子どもは、令和時代のクレバーなコミュニケーション巧者の言葉や容姿やボディランゲージに組み伏せられるほかない。あるいは挑発に乗せられてうっかり手が出てしまった結果、「暴力をふるう子ども」や「いじめっ子」とみなされたり、素行に障害のある子どもとみなされたりするやもしれない。
  
 逆に、昭和時代には身体的なコミュニケーションが下手で劣勢を強いられた子どもが、令和時代には言葉や容姿やボディランゲージを駆使して、コミュニケーション巧者として猛威をふるうことが許されている。なにしろ「暴力」と判定されるハードルが恐ろしく低くなったのだから、言葉や容姿にさえ優れていれば向かうところ敵なし、スクールカースト上位確定なのである。
 
 学校でも、職場でも、世間でも、いわゆる「暴力」が追放されれば追放されるほど、その「暴力」に該当しない領域のコミュニケーション能力が高い者が、影響力をほしいままにすることができる。
 
 「影響力をほしいままにすることができる」と書くと、それはオーバーだ言う人もいるかもしれない。まあ、そうかもしれない。しかし昭和と令和を比較したとき、令和時代のコミュニケーションの秩序は言葉や容姿が以前よりも威力を振るうようになった秩序であり、身体的コミュニケーションの多くが「暴力」という正邪の判定によって封印された秩序である、とは言えるだろう。
 
 古代から現代に向かって、人類は「暴力」にかんする正邪の判定を少しずつ厳しくしていった。昭和時代の「暴力」の判定は、そうした進歩のプロセスの一時代であり、当時よりもより丁寧に「暴力」が追放された2020年に私たちは立っている。
 
 私は、そうした「暴力」を追放した2020年の恩恵を受けている人間の一人だから、こうした進歩に異存はない。
 
 しかし、昭和時代だったらコミュニケーション強者になれたかもしれない令和時代のコミュニケーション弱者からすれば、現状は苛立たしいものに違いあるまい。
 
 二十年前、いや、十年前にはコミュニケーション強者でいられたかもしれない人々が、「暴力」の正邪の判定のハードルが下がったことによってコミュニケーション弱者になっていくのである。あるいは法の敵とみなされたり社会の敵とみなされたり、場合によっては障害があるとみなされたりするようになっていくのである。そのような立場に置かれた人々が、こうした進歩のあゆみに対して心穏やかでいられるとは、あまり思えない。
 
 
 私たちは気軽にコミュニケーション能力という言葉を使っているが、ほとんどの場合、それは令和時代のコミュニケーションの秩序を前提としたものだ。もちろん普段はそれで構わないだろう。しかし実のところ、ある時代・ある地域のコミュニケーション能力とは、「暴力」の正邪の判定によって変わり得るものであり、もっと一般論をいえば、社会の通念や習慣や制度が変わることによって変わってゆくものでもある。
 
 「コミュニケーション能力とは何か」と本気で問いたい人は、ビンタもコミュニケーション能力だった頃も思い出せるようでなければならないと私は思う。
 
 なぜなら昭和から令和にかけてコミュニケーション能力の内実が変わったのと同じように、令和から未来にかけて社会が変われば、きっとコミュニケーション能力の内実も変わって、私たちひとりひとりに求められる能力や振る舞いも変わってゆくに違いないだろうからだ。