シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

フォートナイトで子どもに完敗し、将来のゲームライフについて考えさせられた

 

 
去年から今年にかけて、趣味の世界で子どもが"先を行っている"と感じることが増えた。
 
漫画では『Dr.STONE』や『鬼滅の刃』を子どもから教わり、よくできた少年漫画として楽しんだ。子どもがみずからのアンテナで漫画を見つけ、教えてくれるのは大変うれしいことだった。
 
だけどゲームの分野ではそこまでシンプルに受け止めきれず、もうちょっと重たく受け止めている。
 
2020年から我が家では『フォートナイト』が流行っている。これも、子どもが我が家にもたらした作品で、三人称視点で飛び道具を撃ち合う、TPSというジャンルのゲームだ。同じTPSでは、我が家では『スプラトゥーン2』が流行っていたため、ごく自然な流れで家族全員で遊ぶようになった。
 
『スプラトゥーン2』の時点では、私は総合力で子どもに勝っていた。射撃の精度では劣っていても、陣地構築や立ち回りの巧さはこちらのほうが上だったからだ。ところが『フォートナイト』では、建築物の構築も立ち回りも子どものほうがプレイが柔軟で、対応力に優れている。アイテムが出現する宝箱の位置も、子どものほうがしっかり暗記している。
 
『フォートナイト』は飛び道具を撃ち合うだけのゲームではなく、建築物の構築、アイテムの探索、そのほかたくさんの状況判断を必要とする複雑なゲームだ。頭の素早い切り替えも必要になる。その複雑なゲームで、腕前が完全に逆転するとは想像していなかったら、うろたえてしまっている*1
 
一人の父親として、これはすごく嬉しいことだ。
三十余年にわたってゲームを趣味にしてきた父親を、とうとう子どもが追い抜いたのだから。
 
ただ、一人のゲームオタクとしては自分の未来が見えてしまった気がした。
 
五十代、六十代になってもゲームは遊べるし、自分がプレイできなくなってもゲーム実況は楽しめる。それでも年を取っていくにつれて、新しいゲームに馴染むのにかかる時間は長くなり、新しいゲームを上達するための労力は大きくなるだろう。たくさんのゲームを同時攻略することも、ひとつのゲームで一定水準の腕前にたどり着くことも難しくなり、上達の限界点もだんだん下がっていくだろう。
 
ゲームは私の友達であり、アイデンティティであり、鍛錬の場でもあった。
だからやめるつもりはない。
けれども、今までどおりのスタイルでゲームを楽しむことはきっと難しくなる。
 
今後はいわば、シニアなゲームライフに変わっていったほうが良いのだろう。しかしシニアなゲームライフがどんなものなのか今はまだわからないし、誰をどう参考にすれば良いのかも知らない。「eスポーツの選手じゃないんだから、好きにすれば?」という人もいるだろうし、その指摘自体は間違っていない。だが、少しずつゲームを上手く遊べなくなっていく自分の身体と折り合いをつけながらゲームを好きに遊ぶとは、いったいどういう境地なのか? こうした境地について、年下のプレイヤーはほとんど教えてくれない。
 
私はこれからもプレイヤーとして現役でいたいし、シニアなプレイヤーへと歩みを進めていきたい。その際に求められるのは、がむしゃらにゲームを上達したがっていた頃のクンフーとは異質なクンフーのような気がする。
 
……またゴチャゴチャと余計なことを考えてしまったかもしれない。
が、こうしたゴチャゴチャも私のゲームライフの一部だから、自分なりに消化していくしかない。次々とライバルプレイヤーにヘッドショットを決めていく子どもの姿を見ながら、今夜はそんなことを考えた。
 
 

*1:ちなみに総プレイ時間はほとんど同じ