シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきたシロクマ(熊代亨)のブログです。

『ソロモンの鍵』を攻略する子ども氏から多くのことを学んだ

 
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 Nintendo Swichのオンラインサービスに加入しているともれなくついてくるファミコンソフトを親子で遊んでいるうちに、10月が過ぎてしまった。
 
 Nintendo Switch Onlineを見てのとおり、ファミコン時代の名作や大作がゾロゾロと揃っていて、さすがに今遊んでも色褪せない。
 
 ゲームをしたり顔で語る人のなかには、「いまどきのゲームに比べると、古いゲームはグラフィックもシステムも拙いから、わざわざ遊ぶには値しない」などという人がいる。けれどもうちの子ども氏を見ている限り、『熱血高校ドッジボール部』、『ゼルダの伝説(初代)』、『バルーンファイト』あたりは現代でも十分に通じる様子だった。
 
 ファミコン時代の名作、とりわけバッテリーバックアップに頼れなかった頃の名作には、ハードウェアの限界に制約されないタイプの面白さがあると思う。
 
 操作しているだけで楽しいゲーム。
 攻撃するだけで楽しいゲーム。
 考えているだけで楽しいゲーム、等々。
 
 だから色褪せないし、21世紀の子どもにもちゃんと通用するのだろう。
 
 そんな名作だらけのファミコンソフトのなかで、子ども氏が一番のめり込んでいるのが『ソロモンの鍵』だ。
 
 

 
 
 リンク先の記事にも書かれているとおり、『ソロモンの鍵』はファミコン時代有数の難易度を誇るアクションパズルゲームだ。Switch版はどこでもセーブ&ロードができるとはいえ、パズルは難しいし、操作のきわどい場面もある。私は二十年ぶりぐらいに遊んでみたが、早々に投げ出してしまった。
 
 ところが子ども氏は、『ソロモンの鍵』を猛然と攻略しはじめた。
 
 父親に「俺はそのゲーム、22面までしか攻略できなかったから、オマエはその手前で詰まるよ」と言われて意地になったのか? それとも石の魔法とファイヤーボールのギミックが病みつきになったのか? それとも『ソロモンの鍵』独特のBGMや雰囲気に惹かれたのか?
 
 ソロモンの鍵は難しい。何度もミスするし、何度もやり直す。
 
 フフフ、21世紀の親切なゲームに慣れきった身には堪えるに違いない、そろそろ怒りはじめるぞ、そろそろ投げ出す頃だぞ……と思っていたのだが。
 
 ところが子ども氏、何度やられても怒らない。めげない。投げ出さない。
 
 私は驚いた。なぜなら、何度もやられるとじきに怒りだすのが子ども氏の常だったからである。
 
 そんな子ども氏が、『ソロモンの鍵』では何も言わず、淡々とリトライを繰り返している。どうした、子ども氏。
 
 わからない時にYouTubeで動画を調べて、それを参考にしながら攻略するのはさすが21世紀生まれといったところだが、動画で大筋を理解し、自分でもできるかたちにデチューンしながら攻略しているのだから、よくやっているほうだろう。
 
 そうこうするうちに私が力尽きた22面も突破し、30面、40面と進むうちに着実に上達していった。現在は45面まで辿り着いているから、ゴールまであと3面である。
 
 

 
 
 まさかファミコンゲームで子ども氏に追い越される日が来るとは、想像していなかった。
 
 

『ソロモンの鍵』のミスには納得感がある

 
 子ども氏が、あれほど難しいゲームを怒らずに淡々と攻略できているのは一体なぜなのだろう?
 
 気になったので子ども氏の挙動をじっと観察しているうちに、気付いたことがある。
 
 それは、『ソロモンの鍵』でミスをする時には必ず理由があり、ある種の納得感が伴うということだ。
 
 21世紀の「親切な」ゲームのなかには、ミスの判定がはっきりしないものも多い。たとえば『スーパーマリオオデッセイ』や『スプラトゥーン2』などには、ミスしたのかミスでないかの判定がはっきりわからない瞬間がある。
 
 過去のファミコンゲームにも、ミスの判定がわかりにくいものは多かった。Nintendo Switch Onlineのゲームのなかでは、たとえば『アイスクライマー』や『サッカー』には、成否のよくわからない瞬間というのはある。
 
 『ソロモンの鍵』はそうではない。ひとつひとつのミスにはわかりやすい理由がある。さすがアクションパズルゲームの金字塔というべきか、理不尽なミスや不明瞭なミスが『ソロモンの鍵』には存在しない。
 
 と同時に、はっきりとしたミスの理由をひとつひとつ取り除いて、着実にゴールに近づいていくのが『ソロモンの鍵』の楽しさでもあったわけだ。私は子ども氏のプレイを見て、はじめてそのことに気づいた*1。どうやら子ども氏にとっての『ソロモンの鍵』とは、ミスを繰り返しながらミスの原因を潰していく作業にカタルシスを感じるゲームらしく、何重にも張り巡らされた死因をひとつひとつ除去しては、嬉しそうな顔をするのだった。
 
 

『ソロモンの鍵』をとおして親子の違いを知った

 
 今回の一件で『ソロモンの鍵』について理解が深まると同時に、なるほど、親子というのは違うものだなと思い知った。
 
 ゲームプレイヤーとしての素養も、ゲームに対するアプローチも、もうだいぶ違っている。子ども氏は、私とは異なるプレイヤーなのだ。もちろん、私とは異なる人間でもあろう。当たり前といえば当たり前のことだけど、私はそのことをNintendo Switch Onlineをとおして知った。
 
 

*1:そういうことに気付けなかったからこそ、子ども時代の私は『フラッピー』や『ロードランナー』を楽しめなかったのだろう