ある人から、「シロクマさんは『窓ぎわのトットちゃん』を見ておいたほうがいいと思う」と勧められ、疲れたまま週明けを迎えようとしている連休最終日に観に行った。映画館に来ているお客さんは大半が私より年上で、公開から約1か月にもかかわらず客席は結構埋まっていた。
私は原作を読んでいないし、この作品を作った人たちがどういう狙いで制作したのかを知らない。この作品を自分がどう受け取めたのかを確かめてみたかったので、パンフレットのたぐいを買わなかったからだ。インターネット上での評価や噂話もほとんど知らない。先週までノーマークだったからだ。
「トットちゃんはADHD」では片づけられない世界
映画が始まって間もなく、一般的な小学校に通学するトットちゃんが描かれる。私はまず、ここでスゲーと思ってしまった。トットちゃんの歩き方や動き方、そういったものに特別なリアリティを感じたからだ。
トットちゃんは絶えず動いていて、しゃべっていて、ありとあらゆるものに注意を惹かれる。たえず動き回って注意があちこちに逸れるから千鳥足も同然だ。トットちゃん、動き回っているだけで勝手に怪我をしてしまうんじゃないか? いや、するだろう。そういう動きをしている。私自身の経験では、ああやって動き回っている時には目の焦点を合わせているかどうかなど意に介していない。感情が高まっている時には目の焦点を合わせるのを待たずに、何も見えていない状態で身体が動く。トットちゃんは『視覚や聴覚で周囲の状況を確認するより早く、身体が動くような子ども』として描かれている。
そしてトットちゃんの喋り方! 頭のなかで話題やイメージが物凄い速度で切り替わっていくさまが作中で見事に描かれていた。こういう子、いたいた。そして私もだいたいこうだった。
トットちゃんの行動のうちに、現代人は注意欠如多動症(ADHD)という今日の疾患概念を連想するかもしれない。それでもってトットちゃんという人物がわかった・理解したとみなす人もいるだろう。確かにトットちゃんが2024年にタイムリープし、現代の医療・福祉・教育機関にかかったらそうみなされ、「トットちゃんにふさわしい教育」「トットちゃんにふさわしい環境」を提供されるようには思う。もっと具体的に言うと、現代の教育制度で考えた時、トットちゃんが特別支援教育の対象になる可能性は高いように思われる。
しかし1930年代の日本ではADHDは疾患概念として存在していない。一般的な小学校の教師が途方に暮れていたように、トットちゃんのような子どもは座学の学習環境にしばしば混乱をもたらす。だとしても、そういう子どもを精神疾患としてみることも、みる必要性も、1930年代にはまだ乏しい。劇中のトモエ学園には脳性麻痺らしき子どもや低身長症らしき子どもがいたりするが、トモエ学園は自由と子どもの感性を重視する学校ではあっても、それが特別支援教育やその前身にあたる特殊学級に近い性格であると描いている場面は無かったように思われた。
だから、トモエ学園の児童たちを障害者支援のようなスコープで観てしまうのはちょっと違うと思う。むしろトモエ学園の児童たちは当時の多様な子どものテンプレートで、そのなかに今日では発達障害とみなされ得る児童がいただけではないだろうか。今日の特別支援教育やその前身にあたる特殊学級が、制度として実質的に確立されていくのは戦後かなり経ってからのことだ。
トモエ学園をみて、インクルーシブな教育のありかただ、と思った人もいるだろう。史実でも自由と子どもの感性を重視する先進的な教育を行った学校だったと聞いている。だが、トモエ学園のような最先端の学校でなくても、障碍者支援のなかった頃の学校はある意味でインクルーシブだった。私自身の記憶では、特殊学級の制度があった1980年代の公立小学校にさえ、私自身も含めてトットちゃんのような子どもはたくさんいた。
たとえば私の小学生時代を思い出しても、当時の普通学級にはADHD的な子が珍しくなく、ASD的な子やSLD的な子、汚言症の子、盗みを働く子すらいました。
ところが……今日では、発達障害らしき子は早くからスクリーニング検査等をとおしてそれを指摘され、医療にアクセスします。アクセスが滞れば行政が援助を行うでしょう。2007年以降、学校では特別支援教育が実施されていき、昭和時代にはそのまま普通学級にいただろう、さまざまな障害特性を持つ子どもがその対象になりました。文科省によれば、少子化が進んでいるにもかかわらずその対象となる子どもは増え続け、その内訳の大きな割合を発達障害の子どもたちが占めています。
小林先生が率いるトモエ学園と違って、昭和時代後半のありふれた公立小学校はそこまで先進的ではなく、今日と比べても保守的だった。体罰が横行していた側面もある。それでもトモエ学園とその児童たちを見て、懐かしく思う部分はあった。たとえばそれは、先生がたが児童たちを統率するそのやり方、今から思い出しても明らかに障害があったと思われる児童を学校の先生が相手取る時の目線、などだ。そうした先生がたが、今日の小学校の教室よりも雑多な児童の集団を統率していた。私がトモエ学園とその児童たちに懐かしさを感じたのは、戦前の最先端であるトモエ学園に戦後長いこと経った後の田舎の公立小学校がようやく追いついた一面をみて、と同時に昭和後半から猖獗を極めていく管理教育型の学校教育がゆるかった一面を思い出したからかもしれない。
トットちゃんをADHDとみるのは、子どもが非-ADHD的であるよう強く要請される現代ならではの視点で、本来、トットちゃんのような子どもは教室においてそこまで珍しいものではなかったはずだ。トットちゃんが普通の小学校にチンドン屋を招き寄せた時に、他の児童たちも一斉にそちらに気を取られていたのは、トットちゃん的な性質、またはADHD的な性質をもともと子どもが大なり小なり持ち合わせていたことを意図的に描いたもののように私の目にはうつった。子どもとは、もともと大人に比べて落ち着きがなくて、好奇心の塊で、移り気で、危なっかしいものだった。しかし今日、そうした性質はADHD的とみなされ、管理教育下にある学校、ひいては危なっかしさや落ち着きのなさを許さず大人の都合に子どもを嵌め込もうとする社会の都合によって治療や支援の対象ということにされている。
ADHDに限った話ではない。「教室にいるありふれた子ども」の条件はトットちゃんの時代からこのかた、次第に厳しくなっている。その厳しさからこぼれ落ちる児童生徒をカヴァーするかのように、さまざまな発達障害の疾患概念がクローズアップされ、実際問題、診断や治療を受けなければならない子どもは増え続けていった。それは子ども自身のせいであるというより、「教室にいるありふれた子ども」を定義する大人たちの都合、ひいては社会の都合によるものではなかったろうか。
死と背中合わせの環境とみるか、自由に切磋琢磨できる環境とみるか
社会の都合によってトットちゃんの時代から変わったものをもうひとつ挙げたい。
それは、子どもの命の位置づけと、それに関連した子どもの処遇だ。
トモエ学園の生徒たちは、さまざまな場所でさまざまな経験を重ねていく。脳性麻痺である泰明くんが木登りやプールに挑戦できたのも、小学生たちがトモエ学園に寝泊まりし、電車校舎が運び込まれるのを目撃できたのも、素晴らしい経験だった。しかし、令和にこの作品を観る人なら誰しも思わずにはいられないだろう──確かに貴重な経験かもしれない、だけど今の児童・生徒にはこれらは不可能ではないか? と。
かつて日本には「七つまでは神のうち」という言葉があった。
子どもは七歳ぐらいまではいつ死んでもおかしくない──ゆえに、七歳までは人の世界に定着したとは言い切れないし、七五三の区切りにはお祝いをしましょう、といったものだ。かつて、日本の人口ピラミッドは多産多死型のそれだった。以下に貼り付けた人口ピラミッドを見ても、1950年代になってもなお、人口ピラミッドが多産多死型であったことがうかがわれる。
(※グラフそのものは厚労省からの引用です:https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/15/backdata/01-01-01-004.html)
こうした多産多死型の人口ピラミッドを見た時、多くの人が乳児死亡率に注目するし、乳児死亡率が重要なのは言うまでもない。だが実際には幼児だって結構死んでいたし、学齢期の児童や生徒だってそこそこ死んでいたし、青年期になってさえ現代に比べれば死んでいた(だからこそ人口ピラミッドは上に行くほど細くなっていくわけだ)。「七つまでは神のうち」が言葉として流通していた時代とは、7歳を過ぎてもそこそこ子どもが死ぬ時代、ひいては大人ですら今日よりずっと死に近かった時代だった。そのような時代においては、すぐに死んでしまう屋台のヒヨコの位置づけも今日のソレとは違っていただろう。
『窓ぎわのトットちゃん』で描かれている色々なシーンからも、それが伝わってくる。
トットちゃんが古井戸を覗き込むシーンでは、古井戸には金網が張られていない。簡単に開けられないように重石を置くような措置すらされていない。令和時代には、そのような古井戸は存在を許されないだろう。だが昭和時代の後半になってもそうした古井戸は案外あちこちに残っていたものである。
トットちゃんが泰明くんを載せて自転車で下り坂を下っていくシーンもそうではないだろうか。あのシーンを見て「爽快な楽しいシーン」と無心に思える人は令和の日本社会にはあまりいないはずである(『となりのトトロ』が上映されていた頃なら、そう思う人もいたかもしれない)。ほとんどの令和人は、あれを「命の危険を伴うシーン」と見たのではないだろうか。にも拘わらず楽し気なBGMを『窓ぎわのトットちゃん』を作った人々は流してみせる。絶対に・わざとそのギャップを見せつけている。
かくれんぼも、今にして思えばなかなか怖い遊びだ。昭和時代まで、学校周辺や住宅地を使ったかくれんぼは珍しいものではなかった。しかし令和の日本社会で、学校周辺や住宅地でかくれんぼをする子どもを見かけることは少ない。かくれんぼそのものが絶滅したわけではないが、ダイナミックでワイルドなかくれんぼ、それこそトットちゃんが溝にはまり込んで大勢に引っ張り上げられなければならなかったようなかくれんぼは禁じられている。
『窓ぎわのトットちゃん』で描かれている子どもの遊びとその環境は、だから令和のそれより死に近い。死のリスクを伴っている世界をトットちゃんたちは生きている。この時代の子どもの遊びは令和の子どもの遊びよりもずっと自由度が高く、そうした自由度の高さのもとでは身体や精神やコミュニケーション能力が鍛えられる度合い、ひいては経験が蓄積し豊かな想像力を養う度合いは大きかったかもしれない。そのかわり、トットちゃんたちの生きている世界とは、不注意や不慮の事故で死ぬ子どもの珍しくない世界でもある。トットちゃんこと黒柳徹子さんがああして生きていられるのは、運が良かったり身体が丈夫だったりしたおかげという側面を含んでいる。そのどちらかに支障があれば当時の子どもは長らえることができなかった。
対して、今日の子どもが過ごす環境はそうではない。著しく自由度が低く、学校でも、通学路でも、街でも、子どもが好き勝手する余地は非常に低い。控えめに言ってもトットちゃんのような子どもがトットちゃんのように遊んでまわることは不可能だろう。今日にはリスクマネジメントという考え方がある。子どものリスクは管理されなければならず、つまり子どもは管理されなければならない。管理された子どもは安全で、今日の子どもが事故死する率が著しく低くなっているのは(抗生物質やワクチンの普及という面もさることながら)リスクマネジメントというパラダイムシフトが子どもの世界にもたらされたからである。
だから『窓ぎわのトットちゃん』で描かれる子ども世界を理想の世界とみるわけにはいかない。この作品は、当時の子どもが死に近かったこと・リスクのなかにあったことに対して明示的だ。
この文章の本題から少し逸れるが、トモエ学園に通っている子どもたちの服装が周囲の学校の子どもたちの服装より立派であること、トットちゃんの両親も含めて恵まれた家庭の出身であることも、当時が理想の世界ではなかったことを示してやまない。トモエ学園は戦前とは思えないほど素晴らしい学校だが、そこは経済資本や文化資本に恵まれたブルジョワジーの子弟だけが通うことを許された、そのような学校なのである。もっと庶民の学校、もっと田舎の学校がどうだったかについては推して知るべしである。
「子どもの世界が変わったのは社会が変わったから」だが……
話を戻そう。
こうして、『窓ぎわのトットちゃん』は昭和の日本社会において子どもがどうだったのかを垣間見せてくれ、と同時に、令和の日本社会において子どもがどういうであるかを逆照射してくれる。子どもを取り囲む環境や通念や社会がどんな風に変わったのかを知るうえでも、この映画は参考になる。戦前の子どもの世界が良いか・令和の子どもの世界が良いか、そこは議論の分かれるところだろうけれど、今昔の子どもに対する考え方や感性、ひいては死生観までもがだいぶ違っていることを、『窓ぎわのトットちゃん』は雄弁に物語っている。
そうしたうえでこの映画は、終盤で太平洋戦争に突入した日本の様子も描いている。
日本社会の豊かさがどんどん痩せ衰え、軍国主義に染まっていくさまは、本作品に反戦映画という顔つきを与えている。が、それだけではないだろう。太平洋戦争が始まってからの描写は、社会というものが永遠不変ではなく、案外あっさりと変わり得ることを強調している。子どもの世界が変わっていくさまをもだ。
さきほどから私は、「子どもの世界がどうなのか、どんな挙動が子どもに期待され、どんな環境が子どもに与えられるのかは社会によって違う」と書いているが、その社会が変わってしまうものであるさまが、終盤の展開をとおして衝撃的に描かれている。
この「社会は永遠不変ではない」というインパクトは、もちろん太平洋戦争当時に限ったことではあるまい。昭和から平成にかけての社会だって変わり続けてきたし、今後、何かの折に日本社会が急変する可能性は否定できない。反戦映画として本作品を観るなら、この終盤の描写は「私たちが再び過ちを繰り返さないように」というメッセージと読めるし、実際、そういうメッセージは2020年代の世界情勢に似合っている。でもそれだけではなく、子どもの世界・子どもの処遇・あるべき子どもの振舞い、等々が社会によって定められ、だからこそ可変的なものであることをほのめかしているようにも私には読めた。
令和において理想的とみなされている子どもの処遇が、80年後もそうであるわけではない……ということを『窓ぎわのトットちゃん』は示唆してやまない。令和の子どもの世界・子どもの処遇・あるべき子どもの振舞いも、80年後の日本社会からは懐かしさに加えて戸惑いを誘うものになるだろう。教育や子育ては、いつも流動的な社会の潮流のなかにある──トットちゃんの活発な振る舞いを見ていて、私はそのことを痛切に感じた。