シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「マネジメントは義務です、市民」

 
anond.hatelabo.jp
 
 少し前の匿名ダイアリーの記事だが、リンク先を読んでいて、ふと思った。
 
 化粧は、義務教育では教わらないのに「できて当然」とみなされている。だが、義務教育で教わらないものを「できて当然」とみなすのは何故だろうか。できなくてもおかしくないはずなのに、社会的には、特に女性は化粧ができて当然だとみなされ、それどころか「電車のなかで化粧をするな」という声も聞こえてくる。
 
 義務教育では教わらないのに、できていて当然とみなされているものは他にもいろいろある。
 
 一人暮らしもそうだ。
 
 大人になったら一人暮らしができて当然とみなされているが、一人暮らしの仕方を学校は教えてはくれない。高等学校ですら、こういう事にはぜんぜん教育熱心ではない。
 
 だから、一人暮らしができない18歳、20歳、22歳が世の中にたくさんいてもおかしくないはずだし、実際、一部の若者は一人暮らしが破綻して「あいつ、なにやってやがる」という目でみられている。
 
 つまり、「自分一人だけで、社会的な体裁も、生活の切り盛りも、ひいては自分自身の労働力の再生産もできて当然」とみなされているわけだ。ところが、これらは義務教育課程で授けられるものではない。ほとんど、家庭それぞれに裁量が任されている。
 
 まあ、昭和時代に比べれば一人暮らしをやりやすくはなっている。
 
 コンビニ。
 ワンルームマンション。
 家電製品。
 
 物理的条件に関しては、一人暮らしの難易度は大幅に下がった。情報的条件でも、たとえば化粧の仕方にしても、情報誌を読んだりインターネットで調べたりすれば大抵のことは調べられる。PCやスマホを使いこなせる人なら、大抵の調べ事はカバーできるだろう。
 
 だが、物理的・情報的な条件が整っているとしても、それだけでは一人暮らしは続かない。一人暮らしとは、一週間や一ヶ月続けるものではなく、年単位で行うものだから、長期間にわたるマネジメント能力が求められる。
 
 コンビニや家電製品をただ「使える」だけでは駄目なのだ。「使い続けられる」こと、「長く、効率的に使い続けられる」ことが重要なのだ。その程度によって、一人暮らしの社会生活は天国にも地獄にもなる。
 
 そういった「長く、効率的に使い続ける」ためには、清掃能力や整理整頓の能力だけでなく、経済的なやりくりの能力、精神的なセルフケアの能力も必要になってくるだろう。お金をジャンジャン使ってしまう人、精神的に不安定な人は、ただそれだけで一人暮らしのコストやリスクが高くなる。
 
 大家族が減って核家族が主流になり、それすら崩れて一人暮らしをする人が非常に増えた現代社会。にも関わらず、その一人暮らしに必要な諸々の社会的な能力やスキルは、義務教育課程で授けられるものではない。できなくてもおかしくないはずなのに、みんなはできて当然だと思い込んでいる。
 
 

家庭でしか身に付けにくい能力が「義務」になっている

 
 昔のSFに「幸福は義務です、市民」というフレーズが出てきたけれども、現代の個人主義社会においては、「マネジメントは義務です、市民」というフレーズが当てはまると思う。一人暮らし世帯の多いエリアでは特にそうだ。
 
 一人でも何でもできること。
 一人でもなんでも判断できること。
 個人というユニットの労働力の再生産を、みずから管理・運営すること。
 これらが、暗黙のうちに義務とみなされている。
 
 ところが、この義務を達成するための能力育成ときたら、家庭の(というより養育者の)育成能力、養育者自身のマネジメント能力やセルフケア能力次第になっていて、先天的な要素も含めて、なかば世襲制のような様相を呈しているのである。
 
 こういった「学校では教わらない種々のマネジメント能力」が、今日の学校教育システムで授けられるものだろうか? ともあれ、マネジメントは義務であり、化粧も経済的やりくりもセルフケアも、すべて学校以外で身に付けることが若者の義務らしいのである。当たり前のことのようにみえて、立ち止まって考えてみると、割ととんでもないと思う。